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49:愚挙……おろかで馬鹿げた行い

 魔王が復活したと他国に伝わるまで、一日と少ししかかからなかった。王国ルシアナ。大陸最古の城壁を持つこの都市は、歴史的に世界の中心を自任してきた。三つの大国の代表が集まる外交の場であり、最大規模の冒険者ギルドの本部が置かれ、魔法学院の総本山も構えるこの街は、今日ばかりはいつもと違う空気に包まれていた。


護衛の数が三倍になっている。そしてどの顔にも、隠しきれない動揺があった。

ただ数人を除いて。


直径十メートルを超える円形の石卓を囲んで、大陸の英雄たちが座っていた。各国の勇者。Sランク冒険者や王立ルシアナ魔法学院のAランク生徒。全員が「人類の最強」として知られる者たちだった。


正面の席——上座に当たる場所には誰も座っていない。空席だった。その空白がこの会議の主題を暗示していた。

「……まあ、聞いていたがな」

最初に口を開いたのは、南大陸のSランク勇者ガルドだった。無造作に後ろで束ねられた焦茶色の髪が、彼の荒々しい気性をそのまま体現している。整った顔立ちには似つかわしくない、鼻筋から左頬にかけて斜めに走る深い傷跡。それは彼がこれまでくぐり抜けてきた幾多の修羅場を物語る勲章だった。


彼は大きな手で卓を一度叩き、鼻を鳴らした。

「魔王の復活。アルフ・アルヴァルトを倒したばかりだというのに、実際に会議が開かれるまでは半信半疑だったぞ。何せ……」


彼は口元に笑みを浮かべた。

「俺たちの世代で、魔王を見た者は誰もいねえんだからよぉ。本当にいたのかよ、アルフの跡継ぎ」


「そうですね」

 すかさず返したのは、北の小国ヴィルヘムのSランク勇者ライラだった。白銀の短髪に、細身の体。見た目は十代半ばにしか見えないが、目の奥に老獪な光が宿っている。


「魔王というものは、概念として語り継がれてきました。強大な魔力を持つ魔族の王。——ですが実際に戦ったことが僕たちにはない。それに戦場に送り込まれた勇者は全員死亡。記録すら残っていません。それが今回の一番の問題です」


「記録?」

卓の端から、おもむろに口を挟んだ者がいた。東大陸の魔法師団長ボンス。濃い黒のサングラスをかけ、高級そうな、でもどこか着こなせていない黒いローブを纏った中年男だ。彼は手元の羊皮紙に、何やら必死にペンを走らせている。


「記録なら……あるよ。あるんだよね、これが。俺を誰だと思ってるの? 太陽ことボンスだよ?」

ボンスは自信満々に羊皮紙を卓に広げた。そこには魔法陣の図解……の横に、なぜか「今夜の夕飯:シチュー(多め)」というメモ書きと、謎の子供が書いたようなキャラクターの落書きが添えられていた。


「えー、コホン。今回アドネから逃げ帰った商人や住民から、ガッツリ聞き取り調査したから。おかげで目がバキバキだよ。不眠不休だよ? 誰か労ってよ?」


「それで、何がわかった」とライラが冷ややかに問う。


「解析っていうか……まあ、気づいちゃったんだよね。この魔王ゼルくん、テレポートばっかり使ってるでしょ? 証言を総合すると全部そこに行き着く。これって、裏を返せば『座標を固定』されたら、ただの物体になっちゃうんじゃない? って。俺が開発した特製のトラップ魔法で場所をガチガチに固めちゃえば、もう手も足も出ない。これ、僕の天才的な作戦ね。歴史のテストに出るよ?」


ガルドが「なら俺が正面から殴る」と息巻くと、ボンスは少し顔を引きつらせた。

「あ、いや、ガルドくん。君はすぐそうやって脳筋なこと言うけどさぁ。もし失敗して全滅したらどうすんの? 責任取れる? 俺、最近高価な魔道具買ったから絶対に無くしたくないんだよね。慎重にいこうよ、慎重に!」


それに対して沈黙を保っていた一人の男が、初めて口を開いた。

青い重厚な装備。長い足を組み、背もたれに深く沈み込んだ姿勢。西の王国の勇者ジェドルドだった。青髪に整った顔、完璧に計算された無表情。彼の評価はSランクの中でも最上位に位置しており、今この場で最も実力のある者として周囲に認識されていた。


「おい」

低い声だった。全員の視線が集まる。


「一つ確認しておきたいんだが、アドネの事件——これは本当に魔王が一人でやったのか?」


「証言によればね」


「一人で、城の騎士を全員無力化。大貴族を捕縛。そして城の頂上から全市民に向かって声を飛ばした。これ全部、一人で」


「……それは、まあ」


「笑えるな」

ジェドルドは資料を軽く指で叩いた。

「いや、笑えるという意味で言ったんじゃない。呆れているんだよ。何故かと言うとだ——」

彼は足を組み直した。


「それだけのことができる魔王の先代が、勇者に倒されている。つまりそいつは、強いには強いが——Sランクの俺たちが相手にするには、些か話が安い」


ガルドが頷いた。

「同感だ。アルフを仕留めた直後に出てきた跡継ぎだろう。俺たちは今が一番勢いに乗っている。こちらの士気が最高潮の時に、向こうは喪に服したばかりだ。これ以上ない好機じゃないか」


「王都壊滅は?」

別の声が上がった。


「あれは一体——」


「レイドが弱すぎた」

ジェドルドはあっさりと言い切った。

「失礼だが、事実の話だ。レイドは確かにAランク相当の実力はあったが——Sランクではない。今回の件でそれが証明された。俺たちとは格が違う。その魔王もレイドが弱かったから調子に乗っているだけだ」


会議室に、奇妙な熱が生まれていた。絶望の熱ではなく、期待の熱だった。


ライラが静かに言った。白銀の髪が揺れる。

「では先手を取れば——我々が勝てる」

ガルドが断言した。ジェドルドが頷いた。ボンスは一人、羊皮紙の端っこに『逃走経路の確保』と小さく書き込んでいた。


「……ま、誰が行くにしてもさ。俺が後ろから応援してあげるから。あ、もちろん、一番安全な場所からね? 師団長っていうのは、全体を俯瞰しなきゃいけないからさぁ。……ねぇ、みんな聞いてる? 俺、結構いいこと言ったよ今!?」


「俺が行く」

ガルドが即答した。


「待て、先を争うな」

ジェドルドが片手を上げた。


「焦る必要はない。魔王がアドネに居座っているなら——逃げることもできない。俺たちはゆっくりと、完璧な状態で叩きに行けばいい」


「でも、民の被害が——」


「最小化するために最強の者が行くんだろう? なら俺だ。あるいはジェドルドか」

議論が始まった。誰が行くか。誰が功績を取るか。

誰も言わなかった。魔王がアドネで何をしているのか——という肝心の問いを誰も立てなかった。


そして会議の末席に、一人の聖女が座っていた。金の縁取りのある白いローブ。頬に包帯が巻かれている。回復魔法を使っても癒えない傷跡が、頬の右側に深く残っていた。


エリアはずっと黙っていた。あの夜のことを思い出していたからだ。バラルガと戦った夜、岩塊が落ちてくる寸前。目を閉じた瞬間のことを。あの時バラルガは止めた。なぜだろう、とずっと考えていたが、


『主の邪魔になるものを排除しようとした。だが今ここで殺す必然性を、私は主から与えられていない』 それだけの話だった。だがその一言が、どうしても頭から離れない。


 魔王は何をしようとしている。

 アドネを制圧して、何を得ようとしている。

 Sランク勇者を相手に宣戦布告なんて——


「聖女エリアちゃん……あ、いや、コホン。聖女エリア」

名前を呼ばれ、顔を上げた。ボンスが少しズレたサングラスを指でクイッと戻しながら、こちらを見ていた。


「君はレイドの回復を担当してたんだよね。直接、現場にいた唯一の人間としてさ——何か気づいたことはない? 例えばほら、『ここを叩けば一撃で倒せる』とか、『話が通じて交渉に応じてくれそう』とかさ。俺たちが安全に勝つための情報、何でもいいから教えてよ」


会議室の全員の目が、彼女に集まった。

エリアは少しの間、黙っていた。


 何を言えばいい。

 あの洞窟で見た光景を、どう言葉にすればいい。


「……魔王は」

エリアは静かに口を開いた。


「まだ目的を達成していないと、思います」


「それはどういう——」


「討伐しに来たなら、もっと早く来るはずです。アドネに居座って宣言するなら、もっと大きな被害を出せるはずです。でも——今のところ、死者は出ていない」


沈黙が落ちた。

「魔王は何かを——求めているんじゃないか、と」


「何を求めていると?」


「わかりません」


エリアは首を横に振った。

「ただ——」

彼女は目を伏せた。


「あの目は、復讐の目じゃ——なかったと思います。魔王アルフの死の……」


ガルドが笑った。

「聖女らしい甘い見方だ」


ジェドルドが鼻を鳴らした。

「どんな目をしていようと、倒すのは俺たちの仕事だ。動機は関係ない」


ボンスが羊皮紙に「※最悪の場合、全力で逃げる」と自分にしか読めない速記で書き殴った。

会議は続いた。誰もエリアの言葉の意味を問わなかった。

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