Ep42: 【巡る巡る】
「この毒は即死だ。持って数秒……リナの場合は数分ってところかな」
エタは肩で息をしながら、どこか楽しげに言った。
「君なら助かるはずだよ、リナ。だから――私の言う通りにして」
その言葉を、リナは無言で聞いていた。
そしてゆっくりと、自分の胸に手を当てる。
刺された場所。
そこに触れた瞬間、彼女は小さく息を吐いた。
短く、冷たく「あんた、馬鹿?」と言い放つ。
次の瞬間、傷口が白く染まった。
内部から凍結が始まる。傷口の周囲の血液ごと、毒ごと、すべてを封じ込めるように。
「……」
エタの目がわずかに細くなる。
リナは淡々と続けた。
「あんたの毒は凍ってる」
視線は逸らさない。
「体内に回るには、溶けないといけないのよ」
氷は静かに広がり、傷口を完全に塞いでいく。
応急処置。だがそれ以上の意味を持っていた。
毒の進行を、止めている。
エタはこめかみを軽く掻き、首を傾けた。
「なるほど」
小さく笑って「じゃあ、溶けたら回る」と一歩踏み出す。
「なら結局、死ぬ」
その目が細く歪む。
「ここであんたを殺す」
リナの右腕に氷が纏われていく。パキパキと音を立てながら冷気を放っていた。
「選択の余地があるって言ってるんだよ、リナ」
ゆっくりと短剣を構える。
「君はまだ、死ぬべきじゃない」
リナは一切動じない。
「エタ、勘違いしてる」
一歩、前へ。
「私は、その毒なんかで死ぬ気はない」
白い息が空気中を漂う。リナはゆっくり目を閉じた。
「選択も何もない」
エタは笑った。
「そうかな」
視線を横へ流す。
フィールド外。
「それ、ゼルも死ぬ毒だったんだけどね」
リナは無言で腕を上げ、ゼルを指差した。
「……死んでない」
エタの笑みが、わずかに歪む。
「君なら」
姿勢を落とす。
重心を低く、戦闘態勢へ。
「死ぬと思うよ」
「あっそ」
二人は同時に動き、金属音が弾けた。
何、剣?
短剣と氷の剣がぶつかり合い、火花が散った。
衝撃がエタの腕を走る。
リナは咄嗟に氷で剣を形成していた。
だが――
脆い。
エタの二本目の短剣が閃く。
バキンッ!
氷の剣が砕け散り、そのまま一直線に、喉元へ。
「――」
避けきれない。刃が、首へ――
その時、自分の体を覆い尽くすほどの大きな影が落ちた。
上空から無数の氷槍。
六十。
いやそれ以上。これは当たったら死ぬ!
すでに展開されていたそれが、一斉に降り注ぐ。
エタの目が見開かれる。
「……!」
即座に退こうと刺さった短剣を引き抜こうとした。
抜けない!
「リナ! その手を離せ!」
エタの腕。短剣を持つその手を、リナは掴んでいた。
凍りつくような握力。
逃がさない。氷が腕へ、音を立てながら拘束していく。
「――その手を離せ」
リナ! お前はどうして――
氷槍が降り落ちた。
轟音と衝撃。氷のフィールドが砕け、逃げ場はない。
押し潰すように、叩きつける。
すべてが終わったとき。
そこには、何も残っていなかった。エタの姿は跡形もなく消えていた。
氷煙がゆっくりと晴れていく。
リナは立っていた。そのまま、何も言わずに手を離す。
氷のフィールドが軋み始め、音を立てながら崩壊していく。
壁が溶け、床が砕け、冷気が消えていく。
やがてすべてが消えた。残ったのは濡れた石床だけ。
リナはゆっくりと歩き出す。
ゼルの方へ。
溶けた氷が、水となって広がっている。その上を歩くたび、音が響く。
冷たい水が、足元から伝わってくる。
一歩。
また一歩。
そのたびに心臓が強く打つ。
胸元は凍らせていた傷口が――ゆっくりと、溶け始める。
氷が崩れる。
閉じ込めていたものが、解放される。
毒。
それが、再び動き出す。
血流に乗って全身へと巡っていく。
リナの足が、わずかに止まる。
それでも前を見る。
ゼルを。
「……どうだった?」
小さく、呟いた。
それが。
最後の言葉だった。
体が揺れる。
視界が白く染まる。
膝が崩れ落ちて水面が揺れる。音が遠ざかり、意識が沈んでいく。
冷たい水の中へ。
深く。
沈んでいった。




