Ep37: 【駒Ⅱ】
言葉が続かない。
胸の奥がざわつく。何かが狂っている。
あり得ない。
あり得ないはずだ。
「……おかしいな」
ゼルが静かに呟いた。
「何がですか」
喉の奥から絞り出すように言う。
ゼルは答えず、ただこちらを見ている。
その視線は、私ではなく――腕の中のリナへ向いていた。
「離せ」
「……何?」
「リナを離せ」
命令のように言う。
私は思わず笑った。
「何を言っているのですか。リナは私の妻だ。あなたが、どうこう出来るものじゃないのですよ」
腕の中の体を、さらに強く抱き寄せる。冷たい、だがそれでも構わない。いるという事実がある。
「お前が触れる資格はない」
ゼルは一歩近づいた。
コツ、と石を踏む音がやけに大きく響く。
「資格ですか?」
私は笑う。
「あなたにそんな言葉を使う権利があるのでしょうか?」
喉の奥から、笑いがこぼれる。
「リナを駒として使ったのは誰ですか? 誰が戦場に引きずり出したのですか? 誰が彼女を汚したのですか?」
一歩、ゼルに詰め寄る。
「全部、お前だろうが」
ゼルは何も言わない。
「だから殺した」
私は静かに言った。
「お前を殺した。私が」
腕の中のリナの髪が揺れる。
「それで終わりだった。すべて終わったはずだった」
「……終わってない」
「何?」
「何一つ終わってない」
怒りも、悲しみもないその声と目つきが、エタの五感へ鋭く刺さる。
「お前は」
ゼルの視線が、ゆっくりと私へ向く。
「何も分かってない」
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「分かってない?」
声が荒くなる。
「分かってないのはお前でしょうが!」
私は叫ぶ。
「私は全部見ていたのです! お前がリナをどう扱っていたか! どんな目で見ていたか!」
呼吸が上手く肺に入らない。酸素が抜けていく感覚それは、まだ空いた穴が完全に回復しきっていない証拠だった。
「ですが、興味すらなかったでしょう!? リナのことなんて!」
ゼルは、わずかに目を伏せた。
その沈黙が、私を苛立たせる。
「答えろよ!」
私は叫ぶ。
「リナは――」
そのときだった。
腕の中で、かすかに何かが動いた気がした。
「……?」
私は息を止め、音を聞いた。何一つ聞き逃さないために。
気のせいか?
いや、今――
確かに。
「リナ?」
震える声で呼ぶ。だが、返事はない。
ただゼルの表情だけが変わっていた。深い感動がゼルの胸を握りつぶそうとしていた。
そしてそれは――
恐怖でもあった。
「エタ」
「今すぐ、リナを離せ」
私は眉をひそめる。
「なぜだ?」
ゼルは答えない。
その目は、はっきりと腕の中を見ている。
私はゆっくりと視線を落とした。
リナの顔を見る。
その瞬間、
彼女の唇が、
わずかに――動いた。




