17:凌駕……他者を超え、それ以上になること
魔力も、技術も、構えすらも必要ない。ただ圧倒的な斬撃を、飛ばすだけ。
「『アドヴァント・エッジ』」
重力に捕らわれていた疾風竜は、悲鳴を上げる暇すらなかった。鋼鉄の鱗も、強靭な筋肉も、すべてが簡単に寸断される。
「『アドヴァント・カスケート--ポイントセット』」
数秒後。地面に降り注いだのは、原形を留めないほど細切れになった肉片の雨だった。
「……脆いな。こいつも」
ゼルは手のひらに乗った肉片を投げすて、対岸を見た。竜は片付いたが、リナが落とした橋の残骸は遥か谷底だ。
「主よ、いかがなさいますか。飛んで渡るには風が強すぎますし」
「本当にあの小娘、やってしまったな」
ゼルは舌打ちをした。ここを渡るには、一度谷底へ降り、風の弱い場所を選んで壁を登るしかない。魔王にとって造作もないことだが、物理的な移動時間はどうしたって掛かる。
「行くぞバラルガ。遠回りだ」
「はっ!」
谷底へと身を躍らせた。
***
その頃。
渓谷を抜けた先に広がる針葉樹の森を、リナは走っていた。木の根につまずきそうになりながら、ただひたすらに前へ。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」
息が切れる。肺が焼けるように熱い。だが、足は止めなかった。止まれば、あの男たちの言葉が――自分がただの道具だという事実が、追いついてくる気がしたからだ。
「誰が……誰が駒なんかになるもんか!」
吐き出す言葉は、誰に向けたものでもない。視界が滲む。脳裏に浮かぶのはゼルたちではない。あの日、もっと古い、幼い日の記憶。
――雪の降る中庭。
吐く息も凍るような極寒の世界で、幼いリナは裸足で立たされていた。
『リナ、寒いと感じてはならん』
父の厳格な声。
『体温調節は氷魔法で行え。常に一定に。一分の狂いもなく』
『お前は、フォルトーゼ家の恥にはならないでおくれ。凡人のように震えることは許されません』
母の冷たい瞳。
あたたかい毛布も、焚き火も与えられなかった。
与えられたのは短剣と、終わりのない鍛錬。
『一万回振り終えるまで、部屋には入れませんよ』
感覚のなくなった足。凍傷で紫色に変色する指先。
それでも泣けなかった。涙が頬を伝えば、瞬時に凍りつき、皮膚を裂くような痛みが襲うからだ。
『抱きしめて』なんて言えなかった。
一度、母に縋り付こうとした時、彼女は汚いものを見るようにリナを突き飛ばしたのだ。
『離れなさい。他の誰かに頼ってはいけません』
――ああ、そうか。
私はあの頃からずっと、人間じゃなかったんだ。
親にとっても、魔王にとっても。
優秀な誰かの駒。それ以外の価値なんて、最初からなかった。
「……っ、うぅ……!」
リナは走りながら、乱暴に袖で目元を拭った。
泣くな。泣いたら凍る。
感情を殺せ。心から氷にしろ。そうすれば、痛みも寒さも感じなくなる。
「一人で……やる。最強になって、全員見返してやる!」
少女は森の奥深くへと、その小さな体を投げ出すように駆けていった。
***
それから、五十分後。
ガサリ、と森の茂みが踏み荒らされた。
「……やっと着いたか」
ゼルとバラルガが、ようやく渓谷の対岸へと這い上がってきた。多少の汚れはあるものの、魔王たちの体力は底知れない。現れた数体の竜を倒したが、息一つ乱れてはいなかった。
「主よ、足跡があります。あの方角へ走ったようです」
バラルガが地面に残る足跡を見つける。
「……時間がかかったんだ。小娘ももう王都に着く頃かもしれんな」
ゼルは足跡を見つめ、退屈そうに呟いた。
「まあいい。目的は同じだ。俺らも王都へ向かうぞ」
二つの影が、風のように森を駆け抜け始めた。
***
王都シンフォニア。
大陸の中央に位置し、人類の繁栄を象徴するこの巨大都市は、巨大な城壁によって外界と隔絶されていた。
その南門を、一人の少女がくぐり抜ける。リナ・フォルトーゼだった。
「……ハァ、ハァ……ここが、王都……」
彼女の姿は、見るも無残なものだった。黒髪は汗と泥で汚れ、目の下には濃い隈が刻まれている。靴のかかとは破け、足を引きずるたびに激痛が走った。
道行く人々が、乞食を見るような目で彼女を避け、遠巻きにヒソヒソと噂話をしている。
ただ、渇いていた。
水ではない。承認の渇望だ。
誰かに必要とされたい。誰かの上に立ちたい。あいつらを見返したい。そのドロドロとした執念だけが、切れかけた意識を現世に繋ぎ止めていた。
……情報収集よ。まずは、ギルドへ。
リナはフラフラと大通りを進み、冒険者ギルドの本部前へと辿り着いた。そこには、国中から集まる依頼書が張り出された巨大な掲示板がある。彼女は何気なくそこへ視線をやり――そして、息を呑んだ。
「……嘘」
一番目立つ場所。金枠で囲まれた羊皮紙に、見覚えのある自分の名前が記されていたのだ。
『【緊急募集】 氷の魔導師、リナ・フォルトーゼ殿を求む』
『依頼主:勇者パーティ・リーダー、レイド・ヴァン・アストリア』
『報酬:金貨100枚、および名誉騎士の称号授与』
リナは震える手で、その張り紙に触れた。幻覚ではない。インクの匂いがする、現実の紙だ。
……本当に、私を探してたの……?
ドクン、と心臓が跳ねる。
ゼルは言っていた。『勇者が新しい魔法使いを探している』と。それは魔王の世迷い言でも、自分を陥れるための嘘でもなかったのだ。
勇者が、この私を求めている。あの最強と言われる英雄が、私の力を必要としている。
……もし、私がこの手を取ったら?
リナの脳裏に、数時間前の光景がフラッシュバックする。一撃で疾風竜を肉塊へと変えた、ゼルの圧倒的な暴力。あの男は化け物だ。あんなものに勝てるはずがない。一瞬、そんな絶望がよぎる。
だが――だからこそ。
勇者なら……レイドなら、あいつに勝てるかもしれない。
リナの瞳に、暗い光が宿る。
ゼルは自分を『駒』と呼んだ。なら、自分が勇者という最強の駒を手に入れればどうなる? 勇者のパーティに入り、その名声と力を利用し、自分を磨き上げる。そしていつか強者を見下ろしてやるのだ。
「……ふふっ」
乾いた笑いが漏れた。
歪んでいる。自分でもわかっていた。これは健全な思考ではない。でも、今のリナにはそれしか縋るものがなかった。
リナは人通りが少なくなった路地裏へと足を向けた、その時だった。
「……おい」
背後から、低く、冷たい声がかけられた。リナはビクリと肩を震わせ、振り返る。そこには全身を黒いマントで覆った何者かが立っていた。フードを目深にかぶり、顔は見えない。
ただ、一瞬で理解した。ただのチンピラではない。歴戦の冒険者か、あるいは暗殺者のような、危険な匂いを漂わせていた。
「……誰?」
リナは警戒し、懐の短剣に手を伸ばす。魔力は枯渇寸前だが、虚勢を張ることだけは忘れない。
「探したぞ、リナ・フォルトーゼ」
男の声だった。彼は懐から一枚のメダルを取り出し、リナに見せつける。そこに刻印されていたのは、王家の紋章と、交差する聖剣の柄。
「お前に会いたがっている御方がいる。……ついて来い」
拒否権などないような口調。だがリナは、その紋章の意味を知っていた。勇者パーティー……。
来た……。
運命が、音を立てて回り出す。リナはゴクリと唾を飲み込み、震える足に力を込めた。
「……案内して」
もう後戻りはできない。少女は自ら、修羅の道へと足を踏み入れた。
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