玄武の加護(1)
俺が目を開けると、そこは水中だった。不思議と息苦しさはないが、見渡す限り四方八方水しかない。そして、目の前には家ほどの大きさがある、漆黒の亀が一匹、俺を見つめている。その身体には熊でも丸呑みにできそうな大きさの蛇が巻き付いている。その姿は恐ろしくも神々しく、俺は自然と首を垂れた。
「玄武様でしょうか?」
「如何にも。思ったより冷静じゃな、イスル。」
玄武の声はゆったりと深く、落ち着く声だ。
「俺は死んだのですか?」
「まだ生きておる。このままではコンナムに殺されるだろうがな。取り敢えずは儂の加護で護っておるが、長くは持たぬ。さて、本格的に儂の加護を受けてはみぬか?」
「玄武様のご加護をこの若輩者の俺が、ですか?」
玄武は基本的に六十を過ぎたような、高齢の人物を選んで加護を授ける場合が多いと聞いた。無論、国の危機が迫っている時くらいしか、五神が人間に加護を授けることはないのだから、そのような伝承そのものが誤りだという可能性も否定できないが…。
「そなた、儂の加護を得たとしたら何をしたい?」
玄武は尋ねた。俺は考え込んだ。
「加護をお授けになる目的は、ヒョンヘが隣国に滅ぼされるかもしれないからでしょうか?それであれば、戦って守ることはやぶさかではありません。」
「それだけか?個人的な願いはないのか?」
俺は考え込んだ。
「確かに、玄武様のご加護があれば、コンナムに復讐することも容易いでしょう。彼は一介の木師に過ぎないですから。」
この世界は五行の気で成り立っている。木、火、土、金、水。人間の中にも強い気を持ち、どれかの気を操ることができる者がいる。コンナムは木の気を操る木師である。玄武は水の気を操る。それぞれの気には相性があり、水は木を育むので、戦闘では特に有利にならないが、玄武の加護を受けられるのであれば、多少の相性など関係ない。
「イスルよ、コンナムを殺した後のことは考えておるのか?儂が手を貸したとて、この国の危機は完全には去らぬ。国王が玄武の加護を受けた者に殺されたとなれば、国が乱れることは必至じゃろう。」
俺は俯いた。
「玄武様の仰ることも分かります。…分かりますが、その理屈であれば、国王が何をしても泣き寝入りせねばならないのですか?亡くなった者の無念は、残された者の怨みは胸に抱えよと言うのですか?」
返答は返ってこない。俺は顔を上げて玄武を睨んだ。
「俺は…。」
俺は玄武の瞳を見て、その続きが言えなくなった。黒く大きな瞳は深い哀しみを湛えており、もしかしたら、俺以上に苦しんでいるのではないかとさえ思えたためだ。
「…いえ、それはあまりに自己中心的でしたね。仮にも王族なのですから、国のために個人的なわだかまりなど忘れましょう。」
「意地の悪い質問をしたが、コンナムとそなたの確執から考えて、コンナムを殺さねばそなたの身が危うかろう。その問題はどうする?」
俺は微笑んだ。
「妹も死に、母も死にました。大切な人を全て喪った今、俺には特に生きる目的もありません。俺の死が国の安定につながるとしたら、甘受しましょう。何なら今死んだって良かったのですから。国の危機を救って殺されるとしたら、少しは俺の命にも意味があったと思えます。」
玄武はゆっくりと目を閉じた。
「…これほど高潔な人物であれば、儂も安心して加護を与えられる。イスル、そなたに儂の加護と智慧を授けよう。儂の力は護るためのもの。その中にはそなた自身も含まれる。儂の加護を受けて、末永く人のために力を使うと誓うか?」
俺は少し躊躇った。ご厚意はありがたいが、長生きするつもりも見込みもない。しかし、自死しようというわけでもないのだ、誓いを立てても問題はないように思われた。
「はい。ヒョンヘ国のイスル、玄武様のご加護を頂いて、世のため人のために力を使うことを誓います。」
「よかろう。玄武の加護をイスルへ。水の如く清らかたれ。」
玄武が言い終えると、胸の底から温かいものが込み上げてくるのを感じた。俺は安らかな充足感と共に目覚めた。




