第六話 書状
法皇様からの書状の内容は、大きく以下の三点。
一、和平交渉の為、二月八日に修理権大夫藤原親信を正式な使いとして参らせる。
一、藤原親信により源平双方の停戦が締結するまで、一切の戦闘行為を禁ずる。
一、源氏側も同様に伝えているため、平家側もこれに従うよう。
* * *
「和平に、応じるのですか」
法皇様からの思いがけない書状に、驚きを隠せないままに私は兄上に問う。
兄上も熟慮の上の決断だったのであろう、重々しく、その口を開いた。
「我らの戦の目的は、源氏を討ち滅ぼすことそのものではない。和平を締結できるのであれば、我ら平家一門も、より安全に京へと舞い戻れるやもしれぬであろう。我らとて、帝を危険に晒しとうはない。これを機に、柔軟に再起を図るのだ」
兄上の言うことは尤もである。だが、戦を目前に控えたこの頃合で、というのがどうも引っかかる。源氏が院の御所へ参ったのが正月二十九日。この時には、我ら平家を追討せよと仰せになられたであろうに、法皇様は何をお考えあそばせるのか。
「では……明日、七日の矢合わせも見合わせると?」
「書状には、八日に和平締結の使いを寄越すと書かれておる。それまでは、全軍、待機じゃ」
「……承知」
私はこの書状にやや疑念を抱きつつも、全軍に法皇様の停戦要求と兄上の決定の旨と共に、待機の指示を出す。私も現状の確認と指揮のため、生田森へと戻った。
◇
― 生田森・夕刻
私が生田森の陣に再び来着いた時には、既に夕刻となっていた。
西に傾きながら強い光を放つ夕日を横目に、先の書状を反芻する。源氏側へも和平交渉を図っているとはいえ、気を抜くことはできない。時は既に六日……源氏が京を出てから日にちが経っている為、ここ一ノ谷を包囲しつつあってもおかしくはない。……だが。
「重要な話がある」
そう言って、私は生田森の陣内で先の停戦を求める書状の話を切り出す。思っていた通り、皆各々驚きの反応を見せた。和平に感嘆する者、誠なのかと訝しむ者、今後どうなるのかと先を慮る者……等、各人各様ではあるが。
「矢合わせは明日、七日の卯の刻という話ではあったが、先の書状が抑止力となり、少なくとも八日までは我らから動くことはできぬ。だが戦支度だけは忘れずに待機せよ」
「はっ」
そう下知を下しながらも、私自身、どこかあの書状を信じ切れていなかった。何しろ差出人は、あの『天下の大天狗』とも揶揄される後白河法皇様である。何か裏の意図があるのではないかと勘繰ってしまうのは、専ら今までの積み重ねから来るものかもしれない。
同時に……源氏側はどう出るのだろうという懸念を抱く。森の奥を見遣ると、遠火は日を追うごとに、確実に増えている。
「父上。法皇様からの和平の書状は……誠なのでしょうか」
評定が終わり、静かに尋ねるは息子、知章である。和平を、と言いながら、一向に増えつつある源氏軍の遠火に、少なからず疑問を抱いているのであろう。私はその疑念を抱いた、真摯な眼差しに視線を合わせ、応える。
「誠じゃ。私も先ほど書状を謁見したが、紛れもなく法皇様からのものであった。それに、和平に応じるとの決断を下したのは兄上。それに従うべきであろう」
「しかし……源氏軍が和平を受け入れぬという可能性はないのでしょうか」
全てを鵜吞みにせず様々な可能性を考えることは、良いことである。そして、それは私も考えていたことであった。万一源氏側がその要求を受け入れなかった場合……そうなればここは合戦場となるだろう。
「それも、なくもない話だ。現に、源氏軍もこの森の向こうで今も待ち構えておる。……源氏も、こちらの応答を窺っておるのかもしれぬが。万一我ら平家が和平に応じなかった場合、備えがなければ太刀打ちできまい」
「互いに、出方を待っているという所でしょうか」
「現状はそうであろう。此方に源氏勢の軍を差し向けるまでは、和平の話も出ていたことではあると聞く。つまりこの書状が届いた以上、和平交渉の使いと言う者が来られるまでは、こちらも源氏軍に手を出せぬということ。……だが」
「……」
「向こうが仕掛けてきたとなれば、それは話が別。その時は和平交渉は決裂ということ。正当防衛として、源氏を討つ」
「……はっ」
「和平交渉中であるとはいえ、気を抜いてはならぬ。だが戦に備え体を休めることも必要だ。その為にも、すぐに戦に出られるよう支度だけは怠らぬよう」
「はっ!」
やや緊張感を顕わにする知章を見ながら、周りの様子を窺う私は頭を抱える。和平交渉の話を出してからというもの、全体的にやや気のゆるみが見えるようでもあるのだ。どことなく書状に振り回されている気がしなくもないが、これが誠であれば良いと思いつつ、あの老獪な後白河法皇の、勝ち誇ったような顔が頭を過るのだった。