第十三話 監物太郎頼方と平知章
私は、家臣の頼方と息子の知章……主従たった三騎となりながらも海を目指す。此処へ来るまでの途中、逃げ去る者、討ち取られる者と、皆いなくなってしまったのだ。
結果は……敗走。
他の者は……一ノ谷や山の手は、どうなったのであろう。皆無事に逃げ遂せたのか、戦場で果敢に果てたのか。
生田森から海までは距離があり、馬で駆けるもなかなかたどり着かない。途中には、見覚えのある者の亡骸を見ることもあり、各地で激戦が繰り広げられたことを物語っているようでもあった。源氏の者もそこには横たわっていたが、合戦の光景を思うたびに、私は奥歯をかみしめる。
源氏軍の、逆落とし。源九郎義経とは、一体、何者なのだ……!
森を抜けると日は高く上り、一ノ谷一帯を平等に照らしている。この明るさが、今は目に眩しい。
……と、そこへ、我らを追いかけてくる声が、馬の駆ける音と共に聞こえてきたのだ。
「そこにいらっしゃるは生田森の総大将、新中納言知盛殿とお見受けする! いざ尋常に勝負致せ!」
その声に振り返ると、そこにいたのは源氏・児玉党と見られる団扇を差した共十騎ほどの武者集団。児玉党といえど、先ほど私に一ノ谷の様子を知らせた者共とは別の集団のようであり、数の上でも圧倒的に不利である。だが馬を止めようとする私を進ませたのは、家臣……監物太郎頼方の言葉だった。
「ここは私どもが防ぎます故、新中納言殿はお逃げくだされ!!」
「……しかし、其方らは」
私の言葉を待たずして、頼方は馬に跨り駆けたまま、ひょうっと敵に向け矢を放つ。弓の名手である頼方の放った矢は、敵の先頭の首を射抜き、その胴は馬から真っ逆さまに落ちる。
それを見た児玉党の者は、刹那驚きの目を此方に向ける……が、次の瞬間
「やりおった……! いざ、総大将を討てーっ!」
そう、大声をあげながら、私を目指し、馬を速めて討ちに来る。真っ先に私に迫るは、大将と思しき者。
私も弓を構えようとするも、頼方は「さぁ早く! お行きください!」と、後ろを向きながらさらに弓を引き絞って敵に矢を放ち、その間に知章も私の横に並ぶ。
「ここは私共が守ります! 父上は一刻も早く御座船へ!」
「何を申すか! ここは総大将である私が……っ」
「先ほども申し上げた通り、父上はこの先も平家一門になくてはならぬお方……! 私が守り通すもの、これこそが、私の武士としての矜恃!」
「……!」
「父上が私に教えて下さったではありませぬか。武士には、時に命よりも大切なものがあるのだと」
「…………っ」
知章のまっすぐな言葉は、痛いほどに私の胸を深く刺す。
私はもしかしたら、今までで一番、情けない顔をしていたことだろう。
知章の精悍な眉が少し下がったかと思ったその時、背後からは敵の大将が迫って来ており、私を組み伏せようと、馬を並べて走る。
「御大将、お覚悟を!」
「父上っ、早くお行きください! 必ずや、ご無事で!!」
敵の大将が私に組みかかろうとしたところを、知章の乗る馬が間に割って入る。
「父上の代わりに私がお相手致すっ!」
「何を……っ!」
知章はそのまま敵将に掴みかかると、二人揃って勢いよく馬から落ちた。敵将に重なるようにして落ちた知章は、素早く相手を取り押さえ、腰刀を抜いてその首を斬る。その一連の動作は鮮やかでもあり、刹那、我が子の雄姿はこれでもかという程鮮烈に、色濃くこの目に焼き付く。
しかしそんなことよりも、兎に角命が無事であれと、最早気が気でない。現に敵方はまだまだ数が多く、このまま一人逃げるよりも助けに入りたい気持ちの方が、余程大きい。
……だが、頼方と知章が私のために作ってくれた時間を無駄にすることはできない。
知章は討ち取った首を手に立ち上がろうとするが、その後ろから敵の童が駆けてくるのに気が付かない。馬で駆けながら振り返った私が見た時には、童は知章に近づき、その手の太刀を振りかざし ――
「知章ーーーーーーっ!!!!!」
私の声が届くか届かないかというところ、童は知章の首を目掛け、全身で太刀を振り下ろす。
私は只、声にならぬ絶叫と共に目を見開くばかり……目に映るその瞬間だけ時の流れが遅く在るかのように、残酷にも、その太刀は知章の首を斬り落とし、鮮血が舞った。
…………
…………っ、………あぁ…………………っ
「………、………………知……章…………っ」
その光景を目に、私の肩は上下するだけで息は詰まり、血の気が引く。気を抜けば馬から落ちそうになるところ、手綱だけは手放さぬよう……だけどその場を離れゆく。
落ち延びなくては……今、知章がつないでくれた……私の、命は。
……
一度前を向き、もう一度振り返る。視界の霞むそこに映るは、知章を討った童に今度は頼方が馬から飛び降り、切りかかるところであった。しかし……最早、多勢に無勢。だんだんと離れ行く中私が見たのは、頼方が最後の最期まで散々に弓を射まくっては敵を討ち、矢を射尽くすと膝を斬られ、立ち上がれぬままにも自らも太刀を抜き……最期まで果敢に戦っては、座ったまま討ち死にする様であった。
………知章………頼方…………っ
私は知らずと泣き濡れた頬を袖で拭い、乱れた呼吸を落ち着けることもなく……ただ一人、海を目指して駆けて行くばかりであった。