第十一話 戦場
重衡は馬に跨り兵を連れ、山の手を目指し駆けてゆく。重衡の背は疾うに見えなくなるも、生田森での激戦は続く。私は尚も軍に指示を出し、自らも奮迅しながらも頭をの中で状況を整理していた。
鵯越の様子を詳しく聞くと、源氏は七十余騎が馬で一斉にあの崖を下ったらしい。先導するは、昨日三草山に夜討ちをかけたという、源九郎義経。逆落としに際し、中には落馬し、命を落とした者もいたとのことではあるが、襲われた平家側はひとたまりもなかったという。……なぜならば。
「法皇様からの停戦の書状に、皆気を緩めていたようでして……矢合わせの時刻にも、平家の者は、各々朝支度をしておりました故……」
……。
やはり、あの書状が様々な場面に支障を来しているように思えてならない。あの書状さえなければ、皆もう少し戦に備えていたであろうに……!
だが、それを今悔いてもどうにもならない。
怒りを鎮めようと冷静に思案しながらも、目ではしっかり敵を捉え、討たれる前に、討ち落とす。
……だが、使いの声は、冷たい現実を私に突きつける。
「新中納言殿! 源氏勢が少しずつ森を抜けていきます……っ」
「……っ!」
自ら重衡を山の手へ送り出したとはいえ、重衡らが抜けた穴は正直、大きい。だが我らが最期まで守らねばならぬのは、帝と女院、三種の神器。それが故の生田森での防衛戦でもあり、重衡を送り出した判断は誤りではないはず……恐らく今頃は、兄上と共に御座船で海の上。このまま屋島へと撤退することとなろうか。
私は土煙の舞う生田森を睨む。先駆けた者も斃れる者が多くなり、部隊も散り散りになってゆく。私自身も戦場に身を置き、来る者来る者を射抜き、切り倒すも、だんだんと生田森で果てる者、森を抜ける者と……その数は目に見えて減りゆくのが分かる。開戦してからまだ一刻程。もっと、ずっと長いこと戦っているようにも感じられるが、まだ日は頂点には遠く及ばない。
だが早朝から続く合戦に、鎧兜の熱は増し、鬨を挙げる声は枯れ、頭の冷静さに反して全身が熱い。
知章や頼方も私の元で獅子奮迅の如く敵を倒しているが、やや疲れが見え始めていた。
景時はというと、崖前の追い詰められた息子・景季に加勢し、命からがら息子を連れてこの平家陣から撤退したようだと、郎党に聞いた。誰かを探していたように見えたのは、平家の奥地まで入り込んだ息子を連れ帰るためであったらしい。……平家も源氏もそんなものは関係なく、誰しもわが身より子の方が大事なのだと……思った。
だが我々の戦は終わりではない。最後までここ……生田森を守り抜くことこそが、我らの役目。
「最後までこの森を守り抜け! 源氏を一ノ谷へ行かせるなっ!!」
私はそう下知するも、重衡の軍は山の手へ回り、斃れる者が多くなったこの森で、兵が次第に浮足立つのを感じていた。だがそこへ畳みかけるように、源氏の軍が一気に押し寄せる。
「義経が逆落としで一ノ谷を落としたという! 一気に平家を攻めよ! この機を逃すな! 行けーっ!!」
「おおおおおおっ!!」
敵将の下知は、源氏全体を活気づける。
一ノ谷の逆落としを機に、源氏は勢いは増す。
「総大将を討て!」と、私を狙いに来る者も少なくないが、対する平家も勢いは衰えてなどいない。
「新中納言殿を討たせるなっ! 加勢せよ!!」
「おおおおおおおっ!!」
囲まれそうになるところを加勢に来てくれたのは、家臣たちや、知章。敵の勢いにも怯まずに戦う者を見ながら、心強くも思う。
自らも戦いながら、時折流れ矢の飛ぶ気配も感じつつ、目の前にいる敵と命のやり取りを為す。
― と、その時。
視界の端に、矢をこちらを向け、弓を引き絞る者を捉える。
……しかし、今は目の前の敵と刃を交えるのに精一杯……其方を見遣る余裕が、な……い………っ
ヒュッ
すぐ近くを矢の抜けてゆく音を耳に目を見開き、刹那、息を飲む。が、そんなものなど吹き飛ばすかのように私は腹から声を上げ、目の前の敵に集中する。
「うおおおおおおおっ!!!」
勢いをそのまま、太刀で敵を貫き、斃す。
矢の飛んできた方を見遣ると、やや青ざめなからも次矢を番えようとする者が目に入った。直後「よくも源氏の者ォ! 覚悟っ!!」という声と共に、その者は平家の郎党に討ち取られる。その脇では知章も別の源氏を手にかけていた。
その光景を見ながら、私は自分の息が上がっているのを感じていた。……だが最後まであきらめるわけにはいかないと、ここは守り切ると、共に戦う者を思う。
……私はここの総大将。命を惜しんで逃げ出したりなどはしない……っ!!
返り血と土埃に塗れたその手で滴る汗を拭い、大きく息を吸い込んで、下知とともに吐き出す。
「源氏を討てーっ! 最後まで共に戦えーっ! ここは我らが守り切る! 決して敵に背を向けるな!!」
逃げ腰になる者もいる中、最期まで果敢に立ち向かう者もまだ多く残っている。私もまた、太刀を握る手に力が籠る。諦めてなるものか……!
この時ばかりは、共に戦う郎党らが頼もしくも見えた。知章も、初陣ながらよく戦っていると。
……
「……礼を言おう」
戦いの最中、ぽつりと漏れた言葉は本人達には届かない。私はこの戦いが終わったら労ってやろうと胸の裡でそっと思い、私自身も戦に身を投じてゆく。
「私がこの森の平家が総大将、新中納言知盛である! この森は断固として通させぬっ!!!」
それほどまでに……平家の軍勢も、数を減らしていたのだ。
……