第十話 逆落とし
景季の背後には切り立つ崖が聳え、平家の軍勢が追い詰めゆく中、景季の父……梶原景時が現れる。梶原は馬に跨り、切れ長の鋭い目をこちらに向けて低い声を張る。
「我が名は梶原平三景時! 昔、後三年の御戦にて齢十六にして先陣を突き進み、弓で眼を射られたまま自分を射た敵を射落とし、後世までに名を馳せた鎌倉権五郎景正が子孫であり、源氏が棟梁、鎌倉殿に誠心誠意お仕えする者である! 我こそが一人当千の兵なり! 腕に覚えがある者は、この景時を討って大将の元に見参せよ!!」
梶原平三景時。一時は平家に味方したものの、源氏の挙兵により一族揃って源氏に属した者である。この鋭く冷酷な目つきは私を捕らえるも、どこか必死な形相で別のものを探しているようでもあり……私は思わず怪訝な顔になる。
……何だ……何なのだ。梶原はなにを探している?
「この、平家の裏切り者め! 父子共々成敗してくれるっ!!」
「源氏となったからには、生きてこの森を出られると思うなよっ」
「かかれぇっ!!」
平家が侍大将の声に、平家の軍は活気づく。
目の前にいるは、平家に仕えていたものの寝返った男。聞けば石橋山の戦いで、平家に仕えた身でありながら、敗走して洞窟に隠れ命からがらであった源頼朝を見逃したというではないか。
戦いに際し何かを探しているとあらば……誰かと何かの合図にて攻め寄せようとするならば、断固阻止せねばならぬ。その誰かとは、……先程居た、源田景季か?
……色んな因果の末に、今があるのだ。もしも、あの時こうだったら。……そんな仮定は、何をどうしたところで覆すことなどはできない。何かが起こる前に、全ての危険を孕んだ可能性を根絶やしにせねばならぬ。
だから今……父子共々討つ!
「者共ォ! 梶原平三景時は東国でも名の知れた武将だ! 決して討ち漏らすな! 討てェ!!」
「おおおおおおおっっ!!!」
私の掛け声とともに、平家の軍勢が景時を取り囲む。だが景時はそんな数などものともしないかのように、縦横無尽に駆け割り、数少ない郎党らと共に応戦してくる。大軍を前に乱すことなく、的確に我が兵を切り裂くのは、だてに自ら一人当千の兵と名乗る者ではない。
鬨の声と共に、キ、キン! と、刃の交わる音が激化する。斬り斬られ、勇ましい声と叫び声、負傷する者に倒れる者……戦場は次第に混然としてゆく。どっ、と人の倒れる気配と舞い上がる土煙に、命を賭した者を胸の裡うちで称え、誰の死をも無駄にはせまいと指示を出し、私も共に弓太刀を手に源氏軍を迎え討つ。
開戦前、兵力差、地の利共に俄然平家に利があると思われたが、さすがは源氏軍……平家の軍勢にも勝るとも劣らぬ兵共に、五分五分の戦いを強いられる。最早生田森はかつてないほどの激戦区と化していた。……ここは絶対に破られてたまるものか……っ!
しかし相手もそれは同様である。
「生田森の平家が総大将は、新中納言知盛じゃ! 総大将を討てーっ!!」
敵は私を見定め、討ちに来る。それを阻むは家臣や郎党たち。息つく暇もなく、其方此方で激しい合戦となる。まだ寒い二月ということも構わずに、全身から流れる汗には返り血と土煙が混ざってべたつき、重い鎧に熱気が篭もる。
だが私自身も郎党共と一戦を交えている間に、景時を見失ってしまったのだ。
一体、どこへ消えた……!?
景時を目で探していたそんな折、私はとんでもない知らせを受けることとなる。
「新中納言殿っ!!!」
一瞬だけその声の主を向いた私は、周りの敵に用心しながら耳だけは使いの方に向け、「申せ!」と声を張る。目の前の敵を、郎党の一人が仕留めたところだった。
「も、申し上げます、新中納言殿っ! ……い、一ノ谷が、鵯越より逆落としにて攻められましたっ!!」
「………っ!?」
驚きのあまり思わず言葉を失う。あの急峻な崖を……逆落としだと……!?
私はあの崖を思い起こす。敵は……常識が、通用しないのだ。
目の前にいた敵を太刀で突き、すぐ近くに敵がいなくなったことを確認すると、使いの者から話を聞く。
「どういうことだ……! 山の手の、教経や通盛は……っ!」
「今現在も源氏相手に獅子奮迅の如く力を奮っておりますが、かなり混戦しておられます……!」
「……っ、一ノ谷の西は!」
「一ノ谷も激しく合戦中です……! 熊谷、平山と名乗る者が先駆けて参ったようでして……そちらは兵の数、約、七千」
「七……千………」
「源氏は一ノ谷の西へ回る途中、軍を一ノ谷西……塩屋口へ向かう軍と、鵯越を降りる軍の二つに分けたようです」
「……!」
軍を二つに分けて、急襲……
…………一ノ谷……鵯越……逆落とし…………
逆落としの先にあるもの……つまり今、最も、危険なのは。
………今守るべきはここではない……! ……っ、本陣は……っ!
「……っ、重衡っ!!」
「はっ、ここに!」
「重衡は山の手へ! 鵯越の先……本陣が、破られる……っ!」
「……っ! それは……」
「一ノ谷が鵯越より逆落としにて攻められた! ここは私に任せ、重衡は兵を率いて山の手の救援へ!」
「は!」
重衡の行く手を敵が阻む。が、私は太刀で薙ぎ払い、重衡を教経らのいる山の手へと送り込む。
私は一ノ谷の方角を見る。……今から向かったところで間に合わぬかもしれぬが……私はとてつもなく、嫌な予感がしていた。