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中編2

これまでは社会的エリートである知識階級にとっての、アリストテレス論理学と排他的ストーリーのメリットとデメリット、そしてメリットとデメリットから導き出される歴史的必然を説明してきた。

アリストテレス論理学には、地域競争に有利な拡張性と伸張性はあるが、権威に対してあまりにも有害なため、競争の無い状態では、アリストテレス論理学に類する論理学は保存さえされないという物だ。

故に競争を終えた覇権国家においては、アリストテレス論理学は劣位に置かる。

例えば第二次世界大戦の思想的根拠となった、アーリア人仮説はどうだろうか。

白人至上主義が発展させたアーリア人仮説という、白人至上主義よりも排他的なストーリーの発展は、その過程でアリストテレス論理学側であるハズの学者が、アーリア人仮説に権威を与えるという結果になった。

白人層の世界覇権は、その競争を終えた時、思想として、よりにもよって学問という場で排他的なストーリーを選択したのだ。

当時、アーリア人仮説への反例はいくらでもあった。

世界覇権の前にアリストテレス論理学は排除されたのだ。

国際競争の無い時代の中国、ローマ帝国においてはアリストテレス論理学そのものが失われるか、中国ほどの大国でアリストテレス論理学は必要不可欠とも言えるのに発展さえしない事態に見舞われる。

大航海時代以降の各国が競争関係にある時代に置いては、覇権国に蔓延るのは非アリストテレス論理学である故事に倣う論理であり、新興国や競争著しい産業においてアリストテレス論理学を基礎とする学問類の発展が見られるという物であった。


グローバリゼーション以降の世界覇権とも呼ばれる新資本主義の時代は、さらなる変化が起こる事だろう。

そこでは、アリストテレス論理学の排除されるであろうあらゆる分野での競争の終焉が起こるからだ。


では、グローバリゼーション以降のアリストテレス論理学の在り方、または排他的なストーリーがどのようになるか、その予測を書く前に、ここで知識階級外、即ち一般市民にとって、アリストテレス論理学と排他的ストーリーはどう映るのかから説明したいと思う。


我々庶民からすれば、身内向けの排他的なストーリーに比して、アリストテレス論理学、即ち単なる事実や、事実をメタ的に表す概念定義は、あまりに魅力に欠ける物に映る。

アリストテレス論理学を根拠とする論理は、我々庶民の根底を支える闘争や権威、恋愛などの生物的本能と繋がりのあるストーリーなどではないからだ。

非生物的な単なる事実と、生物的なストーリーを比べた時に、我々庶民が選ぶ物は確実に後者なのだ。

我々庶民の多くは闘争、権威、恋愛などの生物的本能に価値を見出だし、非生物的な事実に希少価値を見出だしたりはしない。

非生物的な事実に希少価値を見出だすには、ある程度の知能を持ち、かつある程度の人格者が、ある程度の訓練を伴った結果、非生物的な、本能的には持ち得ない新たな尺度を身につける必要があるからだ。

そして、残念ながら、人類の大多数は、それが庶民であろうと知識階級であろうと、本能的に持ち得ないような新たな尺度を身につける事は出来ない。

仮に知的資格と訓練があろうとも、当人の人格的に、議論を新たな知見のための場でなく、自身の権威のためにしか使えない者は多いからだ。

そんな中、我々庶民の大半は、価値観の最上位に生存競争の中核である敵味方の識別と、善意と悪意を置きたがる。

結果、我々庶民にとっての身近な論理とは、味方か敵の二元論の延長しかないのだ。


ここからは未来予測を含む現状の話になる。

ユヴァル・ノア・ハラリは、著書NEXUSにおいて、インターネット登場後の超高度情報社会で、秩序だった事実よりも虚構が拡散される理由を推察している。

ハラリの主張は、私の書く、社会が選択してきた非アリストテレス論理学の発展とあまりにも近しい。

民主主義の登場や、産業革命以降、非エリート層である市民が台頭してきた。

市民にとっての情報の取捨選択は、果たしてアリストテレス論理学を根拠にした、事実に即した物であったのだろうかという物だ。

近代から現代にかけて、アリストテレス論理学と、身内向けの排他的ストーリーの競合は、一旦は知識階級であるエリートの作った『新聞』を通して、互いの競合というバランスの中で、辛うじて保たれて来た。

即ちはハラリの言う所の秩序と神話のバランスだ。

しかし、競争関係にない社会では、身内向けの排他的なストーリー、即ち神話が勝利してきた事実も忘れてはならない。

例えば、現代の経済学界ではリベラル側が、自分の考えに合わない学者を後進に選ばず、アリストテレス論理学を無視した、身内向けの排他的なストーリーを構築してきた。

情報社会化で世界的に繋がってしまった狭い経済学界は、互いの競争関係を失ってしまったのだ。

リベラル側の身内向けの排他的なストーリーのせいで放置された、現実世界での整備されていない自由貿易の軋轢は、結局は破綻しかけ、今この瞬間に、先進国の没落により世界の政治を変えようとしている。

エリート層でさえ、排他的なストーリーを選択する中、インターネットの登場後、『庶民』という高度に訓練された尺度を持たない勢力は、トラフィックという大きな市民権を得た。

資本主義おいて、あらゆる情報はマネタイズされた物でなければ生存出来ない。

『新聞』というマネタイズされた媒体を通さない情報の持つ価値は、トラフィックを得るために、より生物的であり、より身内向けの排他的な、即ち闘争的なストーリーでなければならないのだ。

だからこそ、SNSによる虚構がロヒンギャの虐殺に影響を与えたと言われるのだ。

排他的ストーリーの拡大によるロヒンギャの虐殺は、アーリア人仮説とう虚構の産んだ、ユダヤ人虐殺の現代の再来と同じ構図ではないだろうか。

また、かつては事実と神話のバランスをとっていた『新聞』も、マネタイズのためのSNSとの競合の中で、より生物的であり、より排他的なストーリーを選択せざるを得なくなるだろう。

私が考えるに、超高度情報社会された社会において、排他的なストーリーを主とした情報とは新たな概念を持って産まれたウイルスだ。

多く人の認識では、間違った情報は時間と共に消えていくと思われている。

しかし、私の認識では淘汰されずに残っている情報も多くある。

間違った情報であるにも関わらず、淘汰されず、進化していつまでも残り続ける。

しかも社会に対して大きな影響を与え続ける。

中国を支配し続けた身内向けの排他的なストーリー、故事に倣う論理とは、そういう物でなかっただろうか。

インターネットの登場で、アリストテレス論理学と、非アリストテレス論理学の競合の場であった『新聞』の立場が消滅し、庶民の感情が主流となる情報世界が我々を取り巻く環境となる日は近いだろう。

それは、非アリストテレス論理学が支配した、人類の経験したかつて支配者階級が明確になっていた環境だ。

庶民の感情は、あらゆるアリストテレス論理学的な事実を排除に動き、生物的なストーリーに近しい、より直接的な暴力性を伴って、排他的なストーリーを構築しようとするだろう。

事実を取り巻く競争関係が、そこには存在しない世界になるかもしれない。

例えば、日本の能登半島地震だ。

能登半島地震では自衛隊のヘリはどこにも『着陸』出来ないのだ、などという、政治的に自民党以外は排除しようという、排他的で非アリストテレス論理学的なストーリー、神話が産まれた。

そんな排他的なストーリーを主張をする彼らにとっては、トラフィックこそが全てで、事実なんてつまらない物は競争関係に入れられなかったのだ。

庶民的で生物的な価値観の産み出すトラフィックに対して、事実は対抗勢力とはなり得ない。

非生物的な事実は、市民権であるトラフィックを産みはしないからだ。

能登半島地震で産まれた神話に対抗出来た価値観は、秩序だった事実などではなく、妄想を垂れ流すのは敵対者であるという非自民党的な人間的な繋がりであった。

あらゆる分野で競争環境を失いつつあるグローバリゼーションの中でも、これと全く同じ事が起こるだろう。

それは、ただの高騰した米価の価格競争の話を、害意を持って家畜米の味の話に変えたり、末期癌を騙るだけ騙って有耶無耶にするのが当たり前の世の中になるという事だ。

アリストテレス論理学は、あらゆる場で失われる可能性があり、実際に失われつつあるのだ、その大半の理由は、あまりに我々人間が人間であろうとするために。

新聞という知的訓練を経たエリートの手を離れ、トラフィック信仰者が直接的に情報を扱えるようになった結果、アリストテレス論理学を追いだしつつあるのが、我々の住む世界を客観的に見た状態なのである。


では、我々が超高度情報社会において、アリストテレス論理学の世界を守るとしたら、どのようにすれば良いのだろうか。

次は変容する世界への対抗策を書いて行こうと思う。


後書きは未来予測を多分に含み、まとめるのが困難なのでブックマークがある程度集まったら書こうかなと思っていた作品ですが、偶々ハラリの内容と被ったので一部拝借しちゃえと相成りました。

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