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第七話 [E]ぼくたちのゆうざい! - Bパート

 現代のパンゲア界、北リリシシア。朝、ポールというひとりの男が刑期を終え、断罪所から出てきた。三年前の貯金を取りに、借りていた家に行くと、大家から声を掛けられ、退去と支払いの命令をされた。三年間の未払いの家賃を払うと貯金はほとんどなくなった。手に持てる荷物だけを持ってポールは出ていった。


 さっそくの疎外を胸に、北リリシシアの冷たい風の前に繰り出した。まずは神様に真っ当な服役を報告し、自らのこれからについて見守ってくださるよう祈りにいかなければ、そしてこれからを生きるための食糧や飲料や衣服をもらわなければ、と考えて、教会を目指した。ポールは北リリシシアで生まれ育ったから、どこに教会があるかなんて、三年の懲役があっても手に取るようにわかった。


 久しぶりに見る教会は、幼いころに見たより、大人になってすぐのころに見たより、ずっと冷たく、重々しい雰囲気を放っていた。あるいは破戒を経たポールの肌にだけ感じられる圧なのかもしれなかった。

 教会に育まれ、天使に愛され、女神に護られてきた者でありながら、女神の願った倫理に背いた自分が、本当にこの教会に触れてよいのか。生きるための施しを受けてよいのか。痛む胸も詰まる喉も押し込んで、ポールは扉を開いた。


 教会のスタッフに、天使室の利用を申し出る。礼拝堂の椅子に座って、自分の番を待つ。隣に座る女が、ポールの顔色が悪いことに気がつく。

「大丈夫ですか」

 女に声を掛けられ、ポールはひどく動揺した。罪を負った自分に自ら声を掛ける者など、ましてや女など、いるはずがないと思っていたからだ。動揺のあまり、


「気にしないでください。俺はここにいちゃいけない気がしてるだけですから」

 と、余計なことを口走ってしまった――女はそれを聞いて、首を傾げた。

「神はすべての民を愛されますよ」

「でも、俺は背いたんです。教えに」

 ポールはまたぞろ、余計なことをいった。


「そんなこと。私だってそうですよ。つい最近、リリシシア城下町で爆破沙汰を起こして追放された身ですから」

 女はそんなふうに、自らの罪を明かした。

 ポールが息を呑んだのは、その堂々とした振る舞いだけでなく、追放刑そのものへの恐怖も含まれていた。


 戒律で『厳禁』とされていない決まりを破った場合、罪の重さや牢の空き具合などによって、禁錮刑、追放刑、懲役刑、罰金刑など、それぞれの町の長や断罪所の判断による刑を下されることとなる。それぞれの刑の内容そのものは断罪協会で決められているため大きな差異はない。

 追放刑とは、問題を起こした町から強制退去させられ、生涯、出入り禁止となってしまう刑である。駄賃はなく、身一つで放り出されることとなる。日常での貯蓄があれば持っていけるが、追放刑には罰金刑がセットでついてくることが多い。そのぶんを引けば、基本的にほぼ無一文となる。


 別の町への出入りや移住は認められているため、簡単に再出立ができるように思えるかもしれないが、しかし世界中の書店に販売されている新聞には、犯罪者の似顔絵と名前つきの逮捕欄がある。そこに掲載されてしまえば、雇用を求めることは容易ではない。常識的な人々からの、破戒者への眼差しは厳しい。運がよければ人間関係を繋ぎとめることができるかもしれない罰金刑、檻にいるうちに忘れてもらえる可能性が少しはある懲役や懲役の刑などと比べると、追放刑は無情な刑ともいえた。


「俺は懲役刑だったんです」ポールは、一方的に明かさせるのもどうかと考えて、いった。「人を殴りました」

「そうですか。お疲れ様です」女はそういうと、ポールと目を合わせていう。「はぐれ者同士、このあとお茶でもしませんか?」

「……はあ」

 なんのつもりだ、と思いながら頷いたところで、名前が呼ばれた。席を立ったポールに、女はいう。

「外で待ってます。私の名前はエッダです。よろしくお願いします」



 教会で必要なことをして出てくると、エッダが待っていた。

 男はポールという名前を伝えた。ポール、とエッダは呼び、歩き出した。噴水広場には大商人ライドの銅像が建っていた。ポールは複雑な気持ちで眉をひそめた。それからエッダを見ると、ポールよりも苦々しげな表情をしていた。


 狭く、人気のない、ごちゃごちゃとした喫茶店だった。ポールは店頭に新聞が置いてあることに気づき、どきりとした。老いさらばえた店主はポールにもエッダにも何もいわず、席に座らせ、水を出した。エッダは魚の練物と野菜に辛味のソースをかけたサンドイッチと果実茶を、ポールはスライスして香辛料をかけて焼いた豚肉と麦茶を頼んだ。


「ここの店主さんも、昔、戒律を破ってしまったことがあるんですって。だから優しい」とエッダは小さな声でいった。

「そうなんですか」ポールも小さな声でいう。「常連ですか」

「いいえ、昨日、はじめて見つけました。北リリシシアに来たのもつい最近ですから」

「どうして北リリシシアに? ジンコゥやダリアンヌ、グザイ、バレッタではなく」

「祖母がかつて、北リリシシアの地で暮らしていたと聞いていたので」エッダは水を飲んだ。

「へえ」

「祖母がいたころは、アハランドという名前だったそうですが」

 エッダがそういうと、ポールの胸がざわついた。


「エッダさんは、どうして、爆破沙汰を?」とポールは訊いた。

「大商人ライドの銅像を破壊したかったんです。母と祖母が苦しめられ、死を選ばされたので。でも、いまにして思うと、それで過去が変わるわけでも、誰かが生き返るだけでもない、ただの憂さ晴らしですね」エッダは答えた。

「……そうですね。過去は変わらない。憂さ晴らし」ポールは復唱し、「俺も、そうでした」といった。

「あなたもライド像を?」

「いいえ」

 ポールは自分の罪を語りだした。それは喧嘩の弾みで怪我を負わせてしまったというものだった。


 喧嘩のきっかけは、ウーアハ王国がリリシシア王国に滅ぼされ北リリシシアとなった歴史について、友人の自宅で話題に上がったときのことだった。ポールは曾祖母の話を聞いていたので、それは許されざる歴史だと思っていた。


 曾祖母が若いころ、仕事の都合でアハランドからリリシシアに引っ越したばかりのときに、当時のリリシシア国王がウーアハ国王に対し「燃やせば終わりのウスバカ王国」と罵倒した。それによって戦争が起こった。曾祖母はリリシシア王国への怒りを抱きながらも、ウーアハ王国はきっとリリシシア王国に勝てない、とのちの夫にいわれてリリシシアにとどまった。

 曾祖母の友人も家族も、リリシシア王国に殺された。戦後、ウーアハ王国の象徴である巨木ウーアハがリリシシア王国によってリシア塔に作り替えらえた。曾祖母はその苦しみを、生まれた子に、孫に、曾孫に、寿命尽きるそのときまで泣き怒りながら語ってきた。曾孫であるポールはひどく同情し、その面においてリリシシア王国を許せないと思った。


 しかしポールの友人は、明らかに力の差があるのに挑もうとしたウーアハ王国が悪い、ウーアハ王国が国民を殺したようなものだ、と主張した。取っ組み合いの喧嘩になった。ポールは友人を突き飛ばした。友人は割れもののあるところに倒れ、頭から流血した。それはポールが『他者への暴力の禁止』という戒律に反した証拠となり、三年の懲役刑を下された。


「大変だったんですねー。どうでした? 懲役って」

「何せ人間性に問題のある男ばかりとの共同生活だから、大変でしたよ。ボスみたいな扱いの人に取り入るのは上手くいきましたが、俺も喧嘩っ早いから、騒ぎを起こして罰を受けたこともありました。食事もゼリーと水だけでしたし、毎日聞かされる訓戒にもうんざりでした」

「受けた罰というのは?」

「食事を抜きにされ、着替えも渡されませんでした。二日と半日ほどでしょうか。戒律ではまだ禁止されていないんですよね、そういう苦しませかたは。三日もやったら死んでしまう場合があるからその前に終えるんだ、と先輩にいわれて寒気がしましたよ」

「なるほど。大変でしたね」

「そちらも――エッダさんも大変でしょう。追放刑で、銅像を壊したとなると、罰金もさぞや高額で……そうだ、ここの料金は用意できているんですか?」

 ポールがそういったところで、ふたりぶんの食事が運ばれてきた。


「母の日記と遺書を、ジンコゥの故人館に売却しました。それで結構、お金になりました」

「故人館……」ポールはそれをどこかで聞いた気がして、少し頭を探った。やがてだいたいの概要と、そこに集められた日記や手紙は、誰でも閲覧できるようになるのだということを思いだした。「遺書についても受けつけているんですね」

「まあ、手紙ですから」エッダは果実茶に口をつける。「母も私が生きていけることを望んでいると思いますし、それに、私としては少し楽しみな面もあります」

「楽しみ?」


「はい。故人館にやってきた人に、母の日記と遺書で、ライドの悪行を伝えることができるかもしれないと思うと――ちょっとは溜飲が下がるというものです」

 エッダは真顔でそういった。

 ポールはその裏にある恨みの質量に気圧され、黙って食事を始めた。同じくらいのタイミングで食べ終わった。エッダはいう。

「もう少し懲役の話を聞いてもいいですか? たとえば、印象に残った囚人などはいるんですか?」

「印象に……そうですね。昨日入ってきた新入りが印象的でした」

「昨日?」


「ミッキーと名乗る男でした。罪状は『破戒の推奨および強要の禁止』。昨日のベストカップルコンテストで、戒律に反する行為を推奨するような劇をやったとか」

「ベストカップルコンテストで? わけがわかりませんね」


「そうでしょう。その男は背が低くて覇気がなく、少なくとも北リリシシアでは見ない種類の顔立ちをしていました。童顔というか、女……女性に少し近い顔をしていて、頼りないようなふうで、しかしどこか危なげでした。暗さというか、澱のようなものを抱えた人間特有の、どこか不安定な、それが正しいと確信したならば恋人すら殺してしまいそうな雰囲気がありました」

「なんだかすごい表現ですね」

「でもそんなやつ、俺はいっぱい見てきました。この三年間で。そいつが特殊だったのは、そんなやつのくせに、倫理観、人の尊厳を尊重する感覚、みたいなものを持っていたことです」

「といいますと?」


「男性監獄での俺の先輩が、そいつに挨拶をしました。自己紹介がてら、先輩は自分の罪について語りました。先輩は有名な建築会社の社長で、親の事業を継いで仕事を広く展開するなかで、貯め込んだストレスを嫁さんへの暴力で解消していた人間でした。ある日、嫁さんの友達に通報され、日常的に破戒行為をしていたということで五年の懲役をいい渡されました。

 ミッキーはそれを聞いて、出所したらどうするつもりかと先輩に訊きました。先輩はいいました。嫁を見つけて殺してしまうのだと。ミッキーは、それでは死刑になってしまうのではないかと訊きました。

 俺の人生は死んだようなもんさ。どうせ世界中に知れ渡った。俺が戒律に反したことが明らかになった。社会はもう俺なんか認めちゃくれねえ、不信心者を見る目を向けられる一生よ。ましてや社長なんざやったって誰も取引してくれるわけがねえ。ここから逆転する目なんてどこにもねえんだ。だったら俺は、俺を蹴落としたやつらをゴミみたいに踏みにじって死んでやるのさ。

 先輩はそんなことをいいました」


 ポールはそこまでいうと、一度麦茶を飲んだ。それで、飲み干してしまった。

「そしたらミッキーはいいました。

 そんなことをしたところで落ちるのはあなたの品性だけですよ。必死に生きたふたりの女性を、殺すことができたって、ゴミにすることなんてできやしません。誰にも愛されそうにないからって、自分の価値を投げ捨てるんですか? あなたは本当にそんな終わり方をしたくて生きてきたんですか?

 俺はびっくりしました。自分だって罪人のくせに、こいつは何をいっているのかと。先輩が怒りだしそうだったので、俺は咄嗟に割って入って、ミッキーにいいました。

 新参が偉そうな口叩いてんじゃねえぞ。お前だって世間からすりゃ同列の不信心者だよ、何やらかしてどんだけここにいるんだか知らねえが、どうせじきに未来への絶望に呑まれる。自分の価値を守れて理想の終わり方を目指せて他人の幸せを優先できるのは、世界に愛されて人生を選べて未来を信じられる余裕のあるやつらだけだ。罪人たるお前にはもうない。そんなおやつは、もう誰もお前のためにとっておいちゃくれないんだ。

 そういうと、ミッキーは黙りました。先輩も俺がいってやったんで少しすっきりしたみたいでした。

 ……で、寝て起きた今日、ミッキーは檻のなかにいなかった。断罪所のどこにもいなかった」


「脱獄ですか?」エッダはいう。

「そうに違いないんですが、脱獄をした痕跡なんてどこにもない。もちろん断罪所のスタッフも、ミッキーを解放してやった記憶も記録もない。雲のように、すっかり消えてしまった。断罪所はパニックでした。俺の出所日であることより、その新参の話題で持ちきりでした。三年過ごしてきたなかで、そんなやつは初めてでしたね」

「なるほど。……すみません、あんまり本筋じゃない話ですけれど、ひとついいですか」

「どうぞ」

「ポールさんは、私やポールさんにはもう、世界に愛され、人生を選び、未来を信じることのできるような未来は、ないと思いますか」

「ないと思います」ポールはいった。「数十年前なら別ですが、いまはもう、ないかと」

「数十年前?」


「昔、大商人ライドがシタ地方とウエ地方の交易を始めたことで、シタ地方からウエ地方への旅行者も増えました。そしてその影響で、ひとつの町がなくなったんです。

 そこは背教の町と呼ばれる、破戒者の町でした。シタ地方で戒律を破ってしまい、どこにも居場所がなくなってしまった者は、ウエ地方の背教の町に移住して暮らすことが多かったのだと、再犯の囚人に聞きました。そこは教会のない町ですが、ウエ地方のなかでも農業などのやりやすい場所でしたし、元商売人や知能犯なども多かったため、全員が飢えるということもなかったそうです」


「教会のない町……ですか」

「はい。その代わり、戒律のない自由の町だったとか」ポールはいう。「何をしてもいい町だったのです。もちろん、力関係によって、暗黙の了解もあったといわれましたが。女神の恵みを受け取らず、女神の教えに背く町。危険も不潔も命を脅かす格差も多い町でしたが、戒律を破った者の疎外感や人でなしを見る目からは解放される場所だったそうです」

「でも、なくなってしまった」

「シタ地方からウエ地方に旅に出る者が増えたため、うっかり背教の町に足を踏み入れてしまう者も出てきました。数十年前、リリシシア王国の要人が背教の町で金目当てに襲われて命を落としました。それがきっかけで、もともとあった背教の町への忌避感が増して、やがて町はなくなりました。……俺としては、そういう場所があってくれたら、世間が俺を完全に忘れるまで身を隠したかったもんですが」


「……私だったら行きません。だって、強姦の犯人だっていて、再犯は取り締まられないわけでしょう。危険すぎます」

「そうですね。そういう人間も、普通の人間として扱われる場所があった。この世界には、もうありません。強姦の犯人のことも、暴力の犯人のことも、爆破の犯人のことも、心から普通の人間として扱う者なんて、いません」

 俺たちはもう、死後の世界のほかには、どこにも逃げられません。

 ポールがそういうと、エッダはじっと、自分の手のひらを見つめた。


 めいめいの食べたぶんの支払いを終えると、エッダはポールにお茶に付き合ってくれたお礼をいって、それから訊いた。

「ポールさんはこれからどうするんですか?」

「さあ。借りていた家からはもう追い出されましたから、教会に縋ってひっそりと生き延びます。エッダさんは?」

「……ひとまず、もっと北上して、マンナカ図書館を目指します。読みたい本を読んだら、それから考えます」

「読書ですか。素敵ですね。俺は興味がありませんけれど……あれは正しさばかりが肯定されるから、読んでいて息苦しくなってしまいますから」

「そうですか」

「またお互い、生きていれば会いましょう。みじめになっていても、いじめにあっていても」

 ポールはそういって手を振った。エッダはおずおずと手を振り返した。



「……そういえば、一個気になったんですけど」と、別れる寸前にエッダは訊く。

「ん? なんですか」

「交易がない時代に、どうやってシタ地方の罪人がウエ地方に渡れたんですか?」

「北西のほうの洞窟を抜けたところに、定期的に、背教の町からの船が来ていたそうですよ。背教の町の商人がシタ地方から何かを仕入れるために。その時間帯に待っておいて、頼めば乗せて行ってくれるって話だったそうです」

「なるほど」

「ちなみにリリシシアとウーアハの戦争の際には、ウーアハ王国はその秘密ルートでウエ地方から武器などを買っていたって噂もあります」

 真実は定かではありませんが。


 エッダはポールと別れてから、マンナカ図書館の方角に向かった。一日はかかる距離だった。

 途中で宿をとろうとしたけれど、宿屋の店主はエッダの顔と名前を知ると、やっぱり満室だった、と告げた。外に出ると、風がひんやりと冷たかった。あたたかい上着が欲しい、とエッダは思った。そして、これが厚かましい願いだったらどうしよう、とも思った。



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