第四話 変態 - Bパート
「マリオにゃんがいうには弟はオスだけどオスが好きだったからメス神に嫌われてたらしいにゃ。オス同士で愛するくらい猫でもあることなのにちっこい器だにゃん。
弟を助けてくれなかった天使を、メス神を、天界ってえのを、マリオにゃんは嫌いになったにゃ。しょうがにゃい、薄情なもんだとにゃれも思うにゃ」
禁ずる戒律を温存こそすれ、女神――おそらくデュクシデュクシーが、ホモフォビアを抱えていたという話は読んだことがなかった。戒律で禁ずること=女神が厭わしく思うこと、という誤解はありふれたものであるから、マリオがそう思ってもしょうがないとつるぎは考える。
天使が弟を救助しなかったということから、さらにその誤解を深めたのだろう――森。
アハランド東側の変な森、といわれて思い当たるのは、ダリアンヌと同じく、ウーアハ王国とリリシシア王国の境にある――迷いの森と呼ばれていた場所だろうと、つるぎは予測する。
そしてその予測が当たっているのであれば、天使は助けなかったのではなく、助けられなかったのではないか――そしてその弁明もできないような状況に追いやられてしまったのではないか。
……そこまで考えたところで、いまさら詮なきことか、とつるぎは嘆息した。それを、目の前の猫娘に伝えたところで、なんになるだろう?
それより、である。
「マリオにゃんは人間が住んでいるところから離れて、洞窟のなかに住み始めたにゃ。
動物を狩ったり木の実を摘んだりして生きてたところに、にゃれが迷い込んできたにゃ。
そんでマリオにゃんは、にゃれを話し相手にして暮らし始めたにゃん」
「……マリオさんは、どうして亡くなったのでしょうか」
「マリオにゃんは全然食べなかったにゃ。にゃれは食べてるのに、マリオにゃんは全然食べなかったにゃ。狩りのときに足が悪くなってからたまにしか行かなくなったくせに、行ったらにゃれのぶんばっかり持ってきて、マリオにゃんは自分のぶんをとるのを忘れてたんだにゃ。とんだお馬鹿だにゃ。そんなことだから細くなって死んだにゃ」
「……なるほど。それで、そのあと、猫からいまの姿になられたんですか?」
「そうだにゃ。アッカにゃんのおかげだにゃ」
「アッカさんとはどんなやりとりを?」
「不思議なメスだったにゃ。最初はにゃれの言葉なんてわかんないみたいだったのに、人間から急に猫に変わったと思ったら、にゃれのいうこと全部理解できるようになったにゃ。
にゃんでこんなことができるのか訊いたら、魔女だっていってたにゃ。魔メスっていったら怒られたにゃ。
マリオにゃんが腐ってるから綺麗にしてもらって、それからにゃれが、にゃれを人間にしろっていったんだにゃ」
「どうして人間になろうって思ったんですか?」
「マリオにゃんのこと、にゃれは全然わかんないにゃ。
マリオにゃんがどうしてにゃれの食べてるものを奪おうともせず死んだのかわからないにゃ。
マリオにゃんがどうして死ぬとき、にゃれを見て笑ってたのかわからないにゃ。笑ってたくせに、謝っていたのも、なんでなんだかわからないにゃ。
だから、わかりたかったんだにゃ。人間になればわかるんじゃないかって思ったにゃ」
そうだ、と猫娘は秋刀魚を食べきってからいう。
「おみゃーらは、マリオにゃんの気持ち、わかるにゃ? 人間のオスとメスだろ、見ればわかるにゃ」
「マリオさんは」湊はいう。「あなたを愛していたんですよ」
「……交尾をしたかったにゃ?」
「ではなく」たぶん違うだろう、と思いながら湊は首を横に振る。「親が子を想うように。あるいは、弟さんを亡くしてしまった心の隙間を、浮いた愛の器を、あなたで満たしたのかもしれません。それか、もう死んでもよかったのか」
「どういうことだにゃ。ひとつに絞ってきっぱりいえにゃ」
「あなたのお腹が満ちるならいくらでも我慢ができたし、あなたが傍にいるなら死んでもいいと、本気で思っていたってことですよ。それだけマリオさんは、あなたが目の前で生きていてくれていることが、嬉しくて、置いていくことが、心配だったんじゃないですか?」
アハランド中の人々が信じる唯一神を嫌った男が。
孤独の洞窟のなかで、最後に手に入れた温もりだった。
信仰のない自由な猫は、その小さく気ままな命は、幼いころの、マリオの弟を想起させた。
「……にゃんだ」猫娘はいった。「そんなことだったのかにゃ。だったら、にゃれだって同じこと、思ってたにゃ。マリオにゃんにお腹いっぱいになってほしかったにゃ。だから、もっと食べたほうがいいっていったのに、むしろ強請ってるなんて思われて、おかわりを置かれたにゃ。猫の言葉は、猫か魔女でもないと、わかりっこないんだにゃ。
マリオにゃんのほうが猫になればよかったのににゃ」
そしたらにゃれも、寂しくなかったのに。
猫娘はそういって、呆れたように笑った。
「おみゃーらのいうことが正しいなら、にゃれがもう人間である必要もないにゃ」
「じゃあ、猫に戻りますか? アッカさんのところに行きましょう」
「知ってるにゃ? アッカにゃんがどこにいるのか」
「まあ、そこそこ遠くですけれど、今日中には着けますよ」
シタ地方の南端、リリシシア王国と漁村ガボの間にある塔。
いまから絨毯で飛べば夕方近くには到着できそうだった。
「それなら、連れていってほしいにゃ」
「ええ、連れていきますよ。ただし、服を着てくださいね」
つるぎは下着や衣類を生成する。長袖のシャツとハーフパンツにサンダルと、そのへんをぶらついていそうな出で立ちに落ち着かせることができた――だが猫娘はすぐにサンダルを脱ぎ捨ててしまった。まあ足の裏の皮が厚くなってそうだからいいのかな、とつるぎは看過した。
しかし、それより看過しがたいことに、つるぎは気がついた。
「じゃあ行こうにゃ、アッカにゃんのところへ」
「いいえ」つるぎはいう。「その前にお風呂に入りませんか?」
服を着たことのない猫娘に着せるため、近くまで近づいてみたら、はっきりいって、すごく臭った――嗅ごうとしなくとも。
狭い絨毯のうえで、数時間一緒に過ごすのは、ちょっときつい具合だった。
「風呂ってなんだにゃ」
「水かお湯で身体を洗います。お湯のほうがいいですね」
「ああ、身体が汚れてるってことかにゃ。そんなら人間になってからもこうして舐めれるところは舐めてるから問題ないにゃ」
「お風呂に入りましょう。っていうか、入れます」
三人は空飛ぶじゅうたんに乗ってアハランドの都市部の宿の戸を叩き、一時間ほどの休憩で部屋を取った。つるぎと猫娘は部屋についている浴室に行く。むろん用意されているものは水風呂であるが、つるぎの魔法であっという間に熱湯を溜めることができた。
猫娘だけでなくつるぎも服を脱いだ。午前中、湊とともに少々運動をしていたから、汗を流そうと思った。ふたりが出たら湊も使いたいということだったから、まあ四十分くらいが限度として、とりあえずつるぎは猫娘の垢を石鹸で洗い流すことを優先した。背中にもわっさりと生えている体毛で泡立ててつけていく。
「にゃははははは。こしょばいにゃ。おみゃーら人間はこんなふうに身体を洗っているのかにゃ。マリオにゃんはそんなことしてなかったにゃ」
「もしかしたら、食べ物を取りに行く途中で湖とかを使っていたのかもしれませんね」
数分で洗い終えると、つるぎは先に梳かしておいた猫娘の髪をぬるま湯で洗い、それからコームと各種トイレタリーを使って長い髪を洗った。してみると、終わるころには細くも美しいロングヘアができていた。
猫娘を湯船に浸からせて、つるぎは自分の身体をちゃっちゃと洗い始めた。そうしているうち、ちょっと気になる産毛に気づいたため、剃刀を生成しそっと剃り始めた。剃刀自体はすでに浴室にあったが、あまり肌に優しくなさそうだった。
「それは何をしているにゃ?」
「これは無駄な毛を落としているんですよ」
ちなみにつるぎは、二十歳になったら記念に医療脱毛を受ける予定だった。けれど、湊が重い病気で入院してしまったので、退院したら受ける予定に変更した――結果、施術を受ける前に死んでしまった。脱毛魔法は存在しなかったため、死してなお毛を剃る羽目になっている。
「ふぅん? たしかにおみゃーは毛が全然ないにゃ。あ、頭とここにはあるにゃ。逆になんでにゃ?」
「まあ、そこはわたしの好みの問題ですかねー。あんま見ないでくださいねー」
しげしげと観察してくる猫娘に戸惑いつつ、つるぎは答えた。
「逆にというなら逆に、一回剃ってみます?」
とつるぎはいってみた――他人を飾るのが好きな人間である。
けれど猫娘は、興味ないにゃ、とすげなく断った。
「にゃれの毛は繕うものであって、除くものじゃないからにゃ。毛先まで美しいにゃれの毛を落とすなんて、実にもったいないことだにゃ」
「そうですか。そうですね、あなたの好みの問題ですからね」
つるぎはそういいながら、そういえば地球界においても、男女問わず体毛処理については個人の自由であり、剃ったり脱毛手術をしたりしなければならない、という考えを強いるべきではないと発信する女性たちがいたことを思い出す。
(ジャニュヘアリー運動だっけ? ……毛の自由、かあ。何かの少年漫画でもそのために戦う主人公がいた気がする)
知っていたはずなのにナチュラルに忘れていた自由の形を思い出し、自分もまだまだだ、と思いながらつるぎは剃り終えた。
ふたり揃って綺麗になったつるぎと猫娘が浴室を出て、湊も湊で身体と髪を洗い、つるぎから借りた剃刀で毛を整え、つるぎが新しく張った湯に浸かった。
三人で宿を出て、空飛ぶじゅうたんでリリシシアに向かった。
「ひっ!? な、なんの用? ま、まさかまた、うちを吊るしに来たんじゃないよ、ね、ね、ね!」
「というかバッカさんがこの塔に住んでいることすら知りませんでしたが……」
リリシシア王国領、苔むした塔。つるぎが戸を叩くと、出てきたのはアッカではなくバッカだった。
「アッカちゃんに用があって」
「ね、ね、姉ちゃんに? 伝言だったら覚えとくけど」
「いえ、アッカちゃんの魔法にかけられた子が、魔法を解いてほしいらしいんで」
猫娘はバッカを不思議そうに見ていた。バッカは逡巡し、
「わ、悪いけど。姉ちゃんは、いま、そんな場合じゃなくて、ね、ね、ね」
「お忙しいんですか? 手伝えることならわたしが手伝いますよ」
「いや、その、そうじゃなくって」
「ろっひたのバッカ。なぁに。うぃっき」
と。
バッカの背後から、アッカが出てきた――酒瓶を片手に。
赤ら顔に千鳥足、絵に描いたような酔っ払い状態だった。




