第四話 変態 - Aパート
翌日、百年前のアハランド。
空飛ぶじゅうたんで午後のアハランドに降り立ったつるぎと湊は、書店の情報誌を見て、第二百一回シタ南北会談が急遽、明日に予定されることになったと知る。また、リリシシア王国とウーアハ王国がともに戦争準備の中止を宣言しているため、会談が和解のためのものであると記者は推察しており、つるぎは改めて胸を撫でおろした。
そうして過ごしていると、ふたりを見かけた民が、先日現れた女神ではないかと噂するのを聞いた。つるぎと湊はちょっと面倒だったため、空飛ぶじゅうたんですぐにその場を離れた。その奇術は余計に女神としての信憑性を増すものだったが、いまさらだ、とつるぎは思った。
「それにしてもすっかり絨毯ユーザーだね。毎晩わざわざ身体に括りつけて寝てまで持ち込んで」
「片手で絨毯に触れ続けてれば浮遊魔法を伝播させてられるから、湊くんを抱きかかえて飛ぶより片手がフリーになって楽なんだよ。バリアあるから落ちないし」
「そっか。僕としては抱きかかえてもらうほうが幸せだけどね」
「ハグくらいいつでもするから、いまはふたり乗り状態を楽しんで」
つるぎがそういうと、湊はバイクの後部座席に乗せてもらっている恋人よろしく、後ろからそっと抱きしめた。ちなみに生前は、順法意識からふたり乗りはしたことがなかった。
ふたりは都市部を離れ、アハランド東の農業地帯の誰もいないところに降り立った。ここであれば噂が行き届いていないかもしれない、と思ってのことだった。
「ああっ、貴方は俺に金をくれた女神様!」
すぐさま、そう呼びかけられた。
商店街で火事を起こした料理屋の店主だった。
また逃げるのも億劫なので、諦めて対応することにする。
「はい、そうです。あれからお元気ですか?」
「ええ、ええ。それはもう、女神様のおかげで賠償も滞りなく済みました。とはいえ料理の免許は剥奪されてしまいましたので、いまはここで嫁と息子にどやされながら次の人生を考えているところです。女神様はこちらにどのような用で?」
「アハランド内の様子をゆっくり見て回る予定でして。最近は何か変わったことはありませんか?」
「ああ、それでしたら……近頃、昼頃になると、どこかの畑に、出るんです。今日はまだですが、出るかもしれません」
「出る?」
「変態が」
「変態が……」
「その変態が、畑の野菜を盗むのです。もちろん、見かけた農夫は止めます。しかし、返り討ちに――人のものとは思えない声を上げながら、深い引っ掻き傷を刻んで、走り去っていくそうです」
「強盗事件なんですか」変態というのは置いといて、つるぎはいう。「わかりました。今日いるときに出没したら、わたしがどうにかします」
「本当ですか! ありがとうございます!」
それからつるぎは湊とともに空飛ぶじゅうたんに乗り、空に飛びあがった。それから双眼鏡を生成した。そうすることで、農業地帯を俯瞰して監視することができるという算段である。
湊にも双眼鏡を渡して、ふたりがかりで監視をしていると、
「あ、あれかな。変態」
と、湊はいった。つるぎはそのほうを見ると、女が畑に向かって歩いていた。
猫耳と猫の尻尾が生えた、全裸の女だった。
「……これはたしかに、変態だ」
「うん。関係ない変態でも露出狂には変わりないし、行こうか」
絨毯を飛ばして、変態のもとに向かう。
「そこの変態さん。畑に手を出すのはやめなさい」
つるぎが背後から声をかけると、変態は振り向きざまに長い爪で引っ掻いてきた。
むろん、バリアによって防がれる。
「に……」
と、変態は声を漏らした。
近くで見ると、つるぎは変態が毛むくじゃらであることに驚く。毛の一本一本が長く、皮膚を覆うように伸びまくっていて、猿人のごとき様相だった。長い髪も、ロングヘアと形容するには清潔感のない、ぼうぼうなものだった。
生まれてから一度も剃ったことがない、としても濃すぎて、つるぎは心底驚いた。リリシシアで読んだファッション誌には剃刀で腋などの毛を処理するという美意識が記載されていたから、パンゲア界の女性はそういうものだと思っていた。
むろん、地球界であっても、すべての女性がファッション誌に書かれていることを実践するわけではないし、しなければいけないわけでもないけれど。
しかし客観的美観をまるっきり気にしないその姿も、全裸で、畑から野菜を盗む行いと同じ根底からなるものだと考えることができた。
食料が欲しければ、教会でもらえばいい。衣服だってそうである。
それをわざわざ選ばないのであれば――女神教を避け施しを拒む不信心者か。
あるいは、教会の管理員であろうと人と関わることに抵抗のある傷心者か。
そうでもないのであれば、世の仕組みを知らずに生きてきた、愚者か。
なんにせよ――パンゲア界の一般的な人間とは違う内面を持つ者だ。
「盗みを働いてはいけません。人を傷つけてもいけません。知っているでしょう。どうしてこんなことをするのですか?」
ともあれ、つるぎはストレートに、そう訊くしかなかった。
変態は――つるぎの発言に、首を傾げた。
「なんで野菜をもらっちゃいけないにゃ? なんで人を傷つけちゃいけないにゃ?
そんなこと誰もいわなかったにゃ」
「あなたは、誰からも、何が正しくて間違っているか、教えてもらわずにきたのですか」
それもまた悲劇だと、つるぎは悲しい気持ちになった――しかし、変態はいった。
「猫は絶対正義だって、マリオにゃんがいってたにゃ。
だからにゃれは何をしてもいいっていってたにゃ。
だから正しいとか間違いとか、そんなことは気にしなくていいんだにゃ」
「……なんで急に猫の話を?」
「そんなの、にゃれが猫だからに決まってるにゃ」
「わ、わたしには――人間に、見えます、が?」
「ん? ああ。これはアッカにゃんって魔女? に人間の身体にしてもらったにゃん。
ちょっと用があってにゃあ。ちにゃみに、尻尾と耳は変えられると過ごしづらいから残してもらったんだにゃ」
「つるぎ」湊は耳打ちする。「ライドさんの日記に、猫娘がいたんだよ。猫の耳と尻尾が生えてるって書いてあった」
「じゃあ、まあ、そういうものか」とつるぎは受容する。猫娘、と脳内で呼び直して、猫娘のほうを見る。
「わかりました。……とにかく、野菜を勝手に持って行ったり、人を引っ掻いたりしてはダメです。今日からやめてください。食べものも着る服も、教会に行けば手に入りますから、わざわざ盗みをしなくてもいいんですよ」
「教会? 教会なんざ燃しちめえってマリオにゃんがいってたにゃ。にゃら、マリオにゃんの敵にゃんな。にゃれはそんなやつに構ってられないにゃ」
猫娘はそう吐き捨てると、踵を返し、全速力で駆けた。ただ逃げるだけではなく、途中にあった畑から根菜を勢いよく引き抜いていた。つるぎは慌てて空飛ぶじゅうたんで追尾した。こちらもかなりの速度を出したが、猫娘は一般的な猫と同じく、時速五十キロで疾走することができた。どんどんと引き離されることとなった。やがて木々の隙間に駆けこまれると、絨毯に乗った状態で追うことが難しくなった。
「え、どうしよ」
「ライドさんの日記に書いてあったんだけど。森の奥の洞窟に住んでいるらしいよ」
「あ、そう? よかった、じゃあそこ行けばいいのかな。ありがとうね」
「なんかこういうの、クリア済みのゲームの主人公に転生した人みたいだね」
「『転生したら伝説の大商人でした ~洗脳ハーレム? いえいえ穏やか冒険ライフ~』みたいな」
「売れるかなあそれ」
空から洞窟を見つけて降り立つと、猫娘のものらしき足跡が土をへこませていた。
「やっぱりつるぎの魔法で洞窟に入口を塞いで飢えさせて懲らしめるしかないんじゃないかな」
「うーん、あんまりやりたくない。とりあえずわたしたちも入ろう、入口にバリア置いとけば外に逃げ出せはしないし」
つるぎがそういうと、湊はつるぎの手を握った。つるぎも握り返した。北西の洞窟のようなことが起こる前に、お互いを護るために。
洞窟は一本道だったが、歩きやすいとはとてもいえなかった。懐中電灯を生成して照らしながら歩いていたが、そのうちに面倒になり、ふたりは浮遊魔法で少し浮きながら進んだ。
洞窟の道に人糞や尿痕が散乱していたのだ。
「日記によると、トイレを決められた場所でやる習慣がなかったから、そのあたり躾けるの大変だったらしい。最初はプレイみたいなノリだったけどご飯食べてるときも同じ部屋で脱糞するから不快になってきたとか」
「うわあ。でもそんなに臭くないのは畑の野菜ばっかり食べてるからなのかな。肉とか食べてたらこうはいかないよね」
などと話しながら進むと、洞窟の最奥に、猫娘がいた――胡坐をかいて座り、大根のような野菜にかぶりついていた。
つるぎは息を吞む。
猫娘のいるその空間には、大人のものと思われる、白骨死体があったから。
「おみゃーら、しつこいにゃ。にゃれは腹が減ってるだけだし、腹が減っていたら自由にとって食べていいってマリオもいってたにゃ。何がそんなに気に食わないにゃ。そんなに教会が大好きなのかにゃ? それとも、おみゃーらも腹が空いてるにゃ?」
「……そのマリオさんというのはどちらに?」
「こいつにゃ」猫娘は白骨死体を親指でさした。「ずっと前から突然なんもいわなくなったにゃ。動かなくなったにゃ。そのくせ臭くなっていったから困ったけど、アッカにゃんが綺麗にしてくれたからよかったにゃ」
つまりマリオは洞窟のなかで死亡し、腐敗が進行していたところを魔女アッカによって白骨死体に変えられたのだと、つるぎは理解した。
「安心してください。わたしたちはもう、あなたを成敗しようとは思っていません」
と、つるぎはいった。ただの非常識な変態ではなく、常識を得られる状況下になかった猫娘なのだとわかってきた以上、道徳を説いても意味がないと気づいていた――見つめ直す倫理観がないのだ。
「あん? じゃあいったい、なんの用にゃ」
何をするつもりかといえば、それはまあ、保護だった。少なくとも人間として迷惑をかけないように更生させるならば、まずは文明を教え、教会で保護をしてもらうことが一番だと、つるぎは考えた。教会で服と食べ物をもらって穏やかに暮らしてほしい、そのように導きたいとつるぎは考えていた――けれど。
(……たぶんこの猫娘の飼い主か何かだったマリオって人が、不信心者で、教会についてネガティブな気持ちがあって。だからこの猫娘もそれに影響されてアンチ教会になっているのが、目下の問題で。そこをほぐすなら、まずは、知らないと)
「お話を聞いていたら、マリオさんというのが、どういう方であったのか、興味がわいてきてしまって。よかったら、お話していただけませんか?」
つるぎはそう願った。それから、
「もしもお話していただけるのであれば、そうですね、こちらのお魚をあげます」
といって、生成しておいた焼き魚を翳した。脂の乗った、秋刀魚のような魚である。
「マリオにゃんは大好きな弟を教会に助けてもらえなかったんだにゃ。
にゃれを撫でながらずーっといってたから覚えたにゃ、弟の名前は忘れたけどにゃ」
猫娘は魚をつるぎの手から奪い、かぶりつきながら語り始めた。
「マリオにゃんの弟は、東のほうにある変な森から帰ってこなかったんだにゃ。
だからマリオにゃんは教会の天使にお願いしたけど、それでも帰ってこなかったにゃ」




