第三話 魔女ソーダクラッカー - Bパート
「つるぎ。バリアを解除してほしい」
と、湊はいった。ソーダクラッカーに剣を届けるためには、ふたりとソーダクラッカーを隔てるバリアが邪魔だった。
つるぎは返答をしなかった。
たぶんそういうことではないだろうな、と思いながらも湊は言葉を継いでみる。
「大丈夫だよ、つるぎ。触れられる前に斬りつけるから」
「駄目だよ、湊くん」つるぎはいった。「人を殺しちゃ駄目」
それは湊の予想通りの返事だった。
「でも、ソーダクラッカーはきっと、引き下がらないよ。何か戦争の準備とかが進む前に、一秒でも早く魔法を解除させたほうがいい」
「でもさ。みんなを護るために、平和のために、わかりあえないがために、命を奪ったら、それはもう、戦争と同じなんじゃないかな」
「駄目なことを、なしなことをしてでも、やんなきゃいけないことってあるんじゃないかな」
「そうかもしれないけど、でもそうしなくていい可能性があるならまだ探したい。
……正直ね、いまのわたしにはもう、たとえばバッカさんが湊くんにこの前と同じことしても、逆さ吊りのまま死ねばいいとか、思えない。反射的には思うかもしれないけれど、でも、思っちゃ駄目だって、思っちゃうと思う。
みんなを護るためだからって、殺すとか殺させるとか、簡単にできない。
考えちゃうから、考えちゃったから、……色んなことを」
真剣な瞳でいうつるぎ。湊は剣を鞘に納めると、わかったよ、という。
「つるぎがそれを望むなら、僕は手を出さない。そもそも、つるぎが視野を広げるための旅で、僕がでしゃばるのもよくないし」
「ありがとう」
それからつるぎは――憮然とした様子のソーダクラッカーにいう。
「ソーダクラッカーさん。お願いですから、国王ふたりだけでもいいですから、魔法を解いてください」
「やだ」
「わたしは女神として、男らしさの押しつけや男性であることを理由とした尊厳軽視をやめるように、啓蒙すると誓います。性別ごとの扱いに差を生まないように、戒律にもその旨を記載します。
もしも戒律に変化がなければ、あるいはその後もまったく改善の兆しが見られなければ、魔法を再開してしまっても構いません。とにかく、ソーダクラッカーさんが世界や人生に感じている絶望を、わたしがこれから取り除いていきます。
だからどうか、生きることに対して、投げやりにならないでください」
「それは素晴らしい。ぜひとも頑張ってほしいぜ、我輩や我輩以外の男のためにも。
で、もちろん、我輩は首を縦に振らなければその啓蒙はしないなんて、けちなことはいわないよな?
まさか女神様が、自分の思い通りに我輩が動かなかったからってだけの理由で、民の幸せのための行動をしないことにするなんて……そんなわけがないよな?
男の生きづらさの解消を、我輩にいうことを聞かせるための交渉材料程度のものだと思っているわけじゃないよな。もしもそうだったら、民の半分を占める性別に失礼な話だが」
「そうですね。そんなことはひとこともいっていません。ソーダクラッカーさんの返事がどうあれ、そうした苦しみがあることを知った以上、わたしは解消に動きます」
「うんうん、安心したぜ」
「ただ、ソーダクラッカーさんがこのまま国王の機嫌を不機嫌に保ち、戦争を開始させるというならば……そのぶん、解消は遅れると思います」
「まあそれはしょうがないことだわな。我輩はそれを咎めない。現状できるスピードでいいから、世のなかをよくしてくれたまえよ。にやにやにや」
つるぎは考える。何をいえば、ソーダクラッカーさんは動いてくれるだろうかと。何を材料に提示すれば、考え直してくれるだろうかと――思案顔のつるぎに、湊が囁く。
「ひどい作戦だったら、ひとつあるけど」
「湊くんが酷いっていうなら相当酷いんだろうけど、何?」
「あのね……」
「……たしかに酷い」つるぎは自分の彼氏の発想にまあまあ引きつつ、「でも、それしかないかもしれない」と頷いた。
「ソーダクラッカーさん」
「今度はなんだ? どんな目標を建ててくれるんだ? にやにやにや」
「あなたが国王の機嫌を操ることをやめないのであれば、魔女アッカを殺します」
魔女が死ねば魔法が解ける、が真実なのであれば。
魔女アッカが死ねば、ソーダクラッカーは男性の身体を失うことになる――性自認とは違う、女性の身体に戻ってしまうこととなる。
それを脅しの材料に使うというのは、つるぎにはない考えだった――つくづく、湊は自分とは発想が違うと、つるぎは思った。
果たして、魔女ソーダクラッカーは。
「……アッカねえさまが、死ぬ?」
と、呟いて――ぼろぼろと泣きだした。
「だめだ、だめだ、それは、それだけはだめだ……アッカねえさまは、バッカ姉を、俺を、ブーを、長女として支えて見守ってきた人なんだ。何よりも家族を大切に想う、誰よりも優しい姉だ。アッカねえさまが殺されるなんて、そんなこと、あっちゃならない。考えただけで悲しくてたまらない。涙が止まらない。なんてことを想像させるんだ」
ソーダクラッカーは、滂沱の涙を流した。つるぎと湊は面食らっていた。
「わかった、わかったよ、うう、ふーっ、わかった」
「……何がわかったんですか」
「決まっているだろう、君のいうとおり、国王に掛けた魔法は解除する。だから、お願いだから、アッカねえさまは、アッカねえさまの命だけは見逃してくれ」
「……わかっていただけてよかったです。ありがとうございます」
つるぎはそういいつつ、なんとも後味の悪い気持ちだった。
家族愛を、悪魔のように利用してしまった実感がわいてくる――泣き崩れてしまったソーダクラッカーを見ていると、胸が痛む。
やはり、いくらなんでも、だったのではないか。
少なくとも、もうアッカを友達という資格は、自分にはないように思えた。
「ソーダクラッカーさん……」
「うう、ううう、よかった。よかった、アッカねえさまが生きていてくださるなら、俺は……うううーっ」
ソーダクラッカーは安堵の涙を流しながらも、へたりこんだまま立ち上がらない。
こんな状態にしたのは、湊の提案を採用した自分だ。放っておいてもよかったのかもしれないが、しかしここで放っておいたうえで、世界が平和になってよかったと笑えるつるぎではない。それに、いったん落ち着いてもらって、しっかりと魔法を解いてもらわないと安心はできない。つるぎはそう思い、バリアを解いて、手を差し伸べた。
「ソーダクラッカーさん。……立てますか?」
「ありがとうございます……女神様」
「つるぎ!」湊は叫ぶ。「駄目だ! 触っちゃ――」
しかし一手遅く、つるぎの手を、ソーダクラッカーは握った。
「にやにやにや。引っかかったな女神」
「っ!?」
つるぎは思わず手を払いのける。ソーダクラッカーはにやにや笑いながら、ひとりでゆらりと立ち上がった。
「もう遅い……君は我輩の魔法にかかった。君の機嫌は我輩の手中だ」
「……機嫌なんて、どれだけイライラしたって、関係ありません。約束を反故にするなら、魔女アッカを殺します。それとも、アッカちゃんが大事だというのも嘘ですか?」
「嘘じゃないぜ、アッカ姉さまには世話になったからな……バッカ姉もアッカ姉さまが死んだら悲しいだろうし、そもそも我輩の身体のこともある。殺されたら困る」
「じゃあ、魔法を解いてください。王様のぶんも、わたしのぶんも」
「なあ女神様。最大まで機嫌を悪くしたらどうなると思う? にやにやにや」
「限界まで不機嫌にされたら、国王のようになるのでしょう」
「それは限界までであって最大じゃない。限界を超えて不機嫌になったらどうなるかだぜ。
答えはこうだ――脳味噌の血管がブチ切れる。
昔ムカつくやつにやってみたら、そいつあっという間にぶっ倒れて死んだぜ」
つるぎは自分の脳内で出血が起こることを想像し、思わず自分の頭を抑える。
「あ、その反応するってことは女神様にも効くんだな」
「ソーダクラッカー」湊は聖剣を再び抜く。「いますぐ彼女の魔法を解け」
「さもなくば殺すって? いやじゃあ殺せよ。いいだろもう。我輩は殺すしかねえんだ」
「それじゃあつるぎが……女神様が傷つくんだよ」
「結局、神でもなんでもそうかよ」ソーダクラッカーはつまらなそうにいう。
「自分たちの感情のために、我輩は感情を殺せって、要求するんだな。どいつもこいつも、我輩に不自由を強いて、不機嫌を厭う。なんでそんな世界で、そんな人生を、続けなきゃならない?
我輩が我輩のままで生きることがそんなにも罪なら、さっさと罰してくれ。命をもって罪を断て。我輩だって我輩のしたことが好きなわけじゃない。機嫌よく我慢し続けられるならそれでよかった。なんせ我輩も我輩の性根が大嫌いなのだから。だがもう、大嫌いな自分を抑えて生きることにも耐えられないのだよ」
「……もういい。僕はつるぎを護る」
湊はソーダクラッカーを睨み、斬りかかった。
そのときだった。
ソーダクラッカーの身体を、炎が包んだ。
つるぎの魔法だった。
つるぎは、ごうごうと燃え盛る火のなか、痛みに踊りながら消火行動を試みもしないソーダクラッカーを、瞬きもせずに見つめていた。
「……つるぎ。どうして」湊はいう。「そんなことしなくても、つるぎが殺さなくっても、よかったのに」
「ごめんね、湊くん。湊くんじゃなくてわたしがやんなきゃって思った。
だって、たくさんの人に幸せになってほしいのも、だから戦争を停めたいって思っていいだしたのも、わたしだから。湊くんはそれに付き合ってくれてるだけだから。
大事なところは、重大なよごれは、わたしが背負わなきゃ――」
それ以上は、嗚咽で続けられなかった。
人を焼く落命の炎の前で、行き場のない悲しみを抱えて呻くつるぎを、湊は抱きしめた。
(つるぎは悪くない。しょうがない流れだったと思う。
つるぎは僕のすべてなのだし、つるぎは実質僕なんだから、つるぎの罪だって一緒に抱えさせてほしい)
湊はそう思ったけれど、つるぎがどのような気持ちで火を放ったのか、どのような覚悟でソーダクラッカーを湊ではなく自分の手で殺すことにしたのかを想像すると、とてもそんな甘いことは囁けなかった。
だからただ、ただただ、独りではないことを伝えるためだけに、抱きしめることしかできなかった。
「……ん」
湊はつるぎを抱きしめながら、炎のなかに何かを見た。それは人魂のような、何かだった――みるみるうちにそれは変形し、やがてケーキの形になった。
ホールケーキを四等分したその一片、のように見える。
「あの、つるぎ、なんか炎のなかにある」
「え?」
いわれて、つるぎも炎を見る。なんだいったい、と思ったが、それからすぐ、アッカから聞いた話を思い出した。
『パパは死後、あたしたちに魔力を継がせた。パパは、自分が死ぬようなことがあったら、ケーキが出てくるまで待ってほしい。出てきたら仲良く分けて食べてほしい……なんて意味のわからないことをよくいっていたけれど。死んですぐに魂みたいなのが浮かんで、それがホールケーキの形になってさ。四人で分けて食べたら、パパの作った四種類の魔法はあたしたちに割り振られることになった』
意味不明な話が過ぎて記憶に残っていたが、炎のなかのケーキを見ると、なんとなくどういう光景だったのか想像できた。
「……このケーキを食べたら、ソーダクラッカーさんの魔法を受け継げるのかな」
「え、そういうシステムなの?」湊は驚く。「じゃあ、……つるぎが食べたら?」
「いいの?」
「うん。……それもソーダクラッカーの死を背負うってことになるんじゃないかな」
つるぎは消火後、宙に浮遊するそのケーキを掴んで食べた。
悲しみのように甘かった。




