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第三話 魔女ソーダクラッカー - Aパート

(機嫌を操る……じゃあ、王様たちは、不機嫌だったってこと?)

 つるぎは故人館で読んだ日記を思い出す。あれは不機嫌というレベルのものではなかったが――しかし、不機嫌ならぬ超不機嫌、極限まで不機嫌にしたのだということなのだと、納得する。要は人を怒らせることができる魔女なのだと、まず簡単に解釈した。


 とにかくソーダクラッカーのせいでとてもイライラしているから、リリシシア王は仲良くするべきウーアハ王に暴言を吐いてしまったのだし、ウーアハ王もそれを受けて戦争の準備を始めているのである。ウーアハ王からも罵倒を返したとのことなので、リリシシア王もそれを受けて戦争をしようと考え、ライドをアハランドに送り込んでいる。


 はっきりいってとんでもない事態の犯人であるわけだが、それでもつるぎは、まずは説得できないか試そう、そのために話をしよう、と考えた。

 命は重く、奪わずに済むならそのほうがよい。


「魔法の説明ありがとう、ソーダクラッカーさん」つるぎはいう。「とにかく……あなたがその魔法でリリシシア王とウーアハ王の正気を失わせたことは否定しないわけですね」


「まあ、ねえ。勘違いを放置したりはしないぜ、我輩は」ソーダクラッカーはにやついていう。「この手でひとたび触れれば一発で、相手の機嫌を操れるようにできる。よくしたり悪くしたり、遠くからでも思うがままだ。握手の許可が下りない可能性だってあったが、気の抜けた王たちでよかった」


「そのせいで、リリシシア王国とウーアハ王国はお互いに水面下で戦争の準備を始める事態に発展しています。じきに宣戦布告が為されるでしょう。ご存知ですか?」

「ご存知っていうか、ご承知のうえだ――そうなるだろうと思って、やってる」

「戦争が始まったら、数え切れない命が、未来が、犠牲になります。人々が作り上げてきた美しいものも無残に焼き滅ぼされるでしょう。……罪悪感はありませんか」


 つるぎだって、魔女にそんなことを訊く意味などないと知っている。

 だが、それでも、確認したくてたまらなかった。

 対してソーダクラッカーは――にやにや笑顔を崩さずに、

「別に。立場のある大人のくせに、機嫌なんかに左右されて酷いことしちゃうほうが悪いだろ」

 と、いいはなった。


「……ソーダクラッカーさん、どうして王ふたりを不機嫌にしようと思ったのですか?」

 つるぎは怒りたい気持ちをぐっと堪えながら訊く。


「試してみたかったから。人間は果たしてどれだけ自分の機嫌を無視してやっていけるのか。立場のある人間だったら、自分の言動に多くの命がかかっていたら、ひょっとしたら、限界まで不機嫌にしたところで、冷静でいられるかもしれない。そう思ったんだが、遺憾ながら、理想通りにはいかんかった……なんつって。にやにやにや。別に全然、戦争になってもそれはそれで面白かったから、やってみたんだよ、我輩は」


「何が面白いんですか、戦争になることの」


「だって生きるか死ぬかの戦いになればみんな感情的になる。生きるために、負けないために、必死に人を殺すようになる。どれだけ怒っても他人に暴力をふるってはいけない、と教え込まれてきた、教え広めてきた人間も、兵のひとりに選ばれれば感情をむき出しにせざるを得なくなる。暴力をさせられて辛いって気持ちを、暴力にぶつける。わかんねえけど、案外おどおどと、自殺に向かうのかもしれないけど――それだって、我慢しろっていわれてきたことだよな。にやにやにや」

 ソーダクラッカーはバリアの表面をそっと指で撫でて笑う。


「我輩をいままで縛りつけてきた規範も空気も礼節も、全部ぶっ壊れるかもしれない。

 みんなが不機嫌で、不機嫌さを隠す余裕もなくって、暴れ回り怒鳴り散らし殴り飛ばしまくるような、そんな獣の世界があるかもしれない。

 考えるだけで機嫌がよくなる話だぜ――にやにやにやにや!」


「……何か、不自由を強いられたんですか? いままでの人生で」

 魔女とはいえ、百年の不老長寿の最中ならば、そういう時期もあるかもしれないと、つるぎは思ってのことだった――しかしソーダクラッカーは、そこで笑みを絶やした。


「不自由なんざ百年ずっとそうだったさ。いまがようやく、自由なんだよ」

 少しの間、沈黙が流れた。ソーダクラッカーは自分が笑っていないことに気が付くと、いけないいけない、と呟いた。それから、


「いや、いけないことはねえか。我輩はもう、自分の機嫌を自分でとらなくていいんだから」

「何があったんですか、あなたの人生に」

「知ったところで理解なんかできねえよ。親も姉妹も理解できなかったんだ、我輩のことなんか」


「たしかにこの世界ってトランスセクシュアルとかの概念ないみたいだし、理解を得られなかったのも無理はないかもしれません」と湊はいった。「あなたが世界から女性として扱われる身体を持って生まれてきただけの男性だって事実は、いって伝わるとは思えない。概念の普及した時代でも拒絶や軽視に傷つけられる当事者は多いようだから、この世界ならよりいっそう、大変でしょう。僕が想像するのもおこがましいくらいに」



「え、湊くん? あてずっぽうでそういうのいわないほうがいい、いくらなんでも」

「いや」湊はつるぎに耳打ちする――ソーダクラッカーには聞こえないように。「……日記に、書いてあった」

 つるぎは思い出す――ジンコゥで、湊は大商人ライドの日記を読んでいた。

 四人の魔女をハーレムの一員として侍らせていた男の日記を読んでいた――そういったパーソナルな話題も、書いてあったということである。

「だからって、だからこそ、わたしにも聞こえるようにいったらよくないと思う。アウティングに規模なんて関係ないんだから。謝ろう? 許されなくても」

「たしかによくないか。ソーダクラッカーさん、あなたの許可を得ずに明かしてしまってごめんなさい。今後、気をつけます」

「わたしからも万謝いたします。絶対に口外いたしません」


「ええい、我輩の知らないタブーを犯したことを謝るな! ……そんなことより、なんでそんなことを、君が、知っているのだ」ソーダクラッカーは狼狽える。「我輩のほかにそれを知っている者は、我輩の姉妹と、亡き父のみだ」


「天界のほうから参りましたんで、民のことは調査済みなのです」と湊は適当なことをいった。


「それより大切なのは、ソーダクラッカーさん、あなたがマイノリティゆえに抱えた傷です。天使室でも適合手術はできない世界で、本当の性別で見てくれない社会に苦しめられたあなたが、社会そのものを破壊することを是とするのも、無理はないかもしれません。しかし――」


「はあ? ちげえよ」とソーダクラッカーはいった。

 ああやっぱり違うか、と湊は思った。


「たしかに我輩は生まれた身体のせいで苦しんだこともあった。だが、それは我輩の身体を男のものに変化させることを許さなかったクソパパが死に晒すまでの三十年ぽっちまでだ。そんな悩みは、優しいアッカ姉さまが変化の魔法を継いだときに終わってるんだよ」


「というと?」

 湊は促す。興味はもちろんないが、つるぎがソーダクラッカーを説得する材料でも拾えればよいという意図での、先程の失礼な先走りだった。そういう戦法はつるぎではなく自分が行わなければつるぎの説得が効かなくなる、と考えてのことである。


「男の身体を手に入れた我輩は一般市民に混ざって働き始めた。

 グザイの町で鉱石採掘の人手を男性限定で募集していたから、喜んで飛びついた」

 と、ソーダクラッカーは語り始めた。


「初めは男の世界で男として扱われることが嬉しかった。

 アッカ姉さまに声をとびきり低く、背をうんと高くしてもらっておいてよかったと思ったもんだぜ。

 体罰すらある逆らえない上下関係も、全身が痛くなるまで働く日々も、我輩の前で遠慮なく下品な話題が飛び交うことも、我輩が男だからこそ身を置くことのできる世界だった。

 女体だからって舐められ、甘くされたり挑戦を拒まれたりした居心地の悪い日々からすれば理想の世界のようだった。

 だが麗らかな気分はそう続かなかった。

 ある日、我輩は酒の席で、衣服を脱がされる辱めに遭った。流石に我慢ならず抗議をしたところ、採掘のリーダーに一蹴された。


 どうせ男しかいないのに小さいことを気にするんじゃない。

 せっかくの場が白けるだろう――と。


 それでも納得がいかず、後日、同い年の男にその愚痴を洩らした。

 男のくせに終わったことをずるずる引きずるなよ、意外と女々しいんだな――その集団のなかでも優しいほうだった彼は、そういった。


 我輩は念願の男性の身体を、男性の立場を手に入れることができて舞い上がっていたが――男の世界はあまりにもあんまりな世界だった。どのような辛酸があろうと男の証として受け入れるつもりで飛び込んだが、我輩にとって、想像以上だった――想像以上に、男は心のある人間として扱われなかった。それは職場の外でもそうだった。


 労働に明け暮れる日々のなかでも、運よく、ひとりの女と関係を持つことができた。

 甘えてよいのだといわれたから、心から寄りかかった――しかし、一年も経たず破局が訪れた。


 我輩はあまりにも男として頼りないとのことだった。男のくせにちょっとしたことで落ち込んだり傷ついたりと鬱陶しいし、豪快さに欠けていて狭量だといわれた。我輩よりも頼りがいがあって扱いやすい男はごまんといるからと、彼女はさっさと別の男のもとに行ってしまった。

 同僚にその話をすれば、慰めのように飲みに連れてくれはしたが、結局は我輩に男としての器が不足していることがよくないと、それでは女を幸せにできないし、我輩も幸せにはなれないと説かれた。


 世界が我輩に、不潔を、不徳を、不便を、不憫を、不遇を、受容するよう強いるのだ。我輩が男だからというだけの理由で。

 それらを拒むような弱さは許されない。たかがユーモアに傷つくような弱い心など持ってはならない、傷ついたとしてそのくらいのことで怒りも泣きもしてはならない。女神と似た姿をとらない性別の者が、そのような情緒を面に出せば、甘えるなと嘲られるか、克服を促されて終わる世界だ。愛され、情けをかけられることなどない。

 

 我輩はその世界を生きていくために――機嫌の魔法を自らに使い始めた」


「自分に……機嫌の魔法を?」湊はいう。「自分の機嫌を魔法で操作するということですか」


「ああ、そうすれば我輩は、いついかなるときも上機嫌でいられる。どれだけの恥や悔しさに塗れても、傷や痛みのなかにいても、嫌悪感や不快感を抱いても、機嫌の魔法さえあれば、すべてを快く許容できる。

 我輩はそれからずっと、機嫌の魔法を使って上機嫌に生きてきた。グザイの採掘現場は、歳を取らない我輩を気味悪がった者に追い出されてしまったが、我輩は上機嫌に別の場所を探した。アハランドで農業をしたことも、リリシシアで馬車引きをしたこともあった。近所の子供に畑に突き落とされたときも、馬車に乗せた客から理不尽な罵倒を浴びせられたときも、機嫌の魔法が役に立った。


 ダリアンヌでは劇場で下働きをして暮らしていた。様々な劇団の控室で世話をして回った。客の盛り上がりが物足りなかったという理由で八つ当たりとして水をかけられたときは、これを支配人に告げ口するべきか迷いもしたが、魔法で上機嫌にさえなればどうでもよくなった。


 しかしあるとき、我輩は突然、ベッドのうえから出られなくなってしまった。

 魔法でどれだけ機嫌を抑えたところで、心には傷が蓄積していたのだろうと、我輩のもとを訪ねてきたバッカ姉はいった。七十年ぶりに会ったバッカ姉も傷心中だったらしく、共感ゆえか寄り添ってくれた。


 そしてバッカ姉は我輩に温かい言葉を贈った。


 どうせ人はみな一皮むけば感情の獣なのだから、我輩も正直に生きたってよいのだと。

 なんだったら、化けの皮を剥がして笑ってやるために、生きてしまってもよいのだと。


 いわれてみれば、我輩を虐げた者たちはたしかに、感情的な存在といえた。我輩の感情の訴えを面倒がって一顧だにしない行いも、また感情的な行いだったではないかと思い至った。場のユーモアを乱すな、自分の前で男らしさから外れた行いをするなと抑えつけた者がいたが、あれもまた自分たちが面白くないからという感情的なしぐさであった。


 男もまた感情的な生き物である――はずなのに、どうして女でないなら感情的であるべきではないとされるのか。どうして自分の感情に合わない男の感情を理性ぶって一方的に抑圧するのか。


 我輩はそう思うと怒りが沸いて、機嫌の魔法を使って、自分は感情的ではないという顔をした男の機嫌を次々に操って化けの皮を剥がしてきた! どいつもこいつも簡単にすべてをおじゃんにしてくれたぜ――最高だった。我輩を見下していた、抑えつけていたやつらが我輩に狂わされて人生を終わらせるなんて最高に決まってんだろ?

 どれくらい不機嫌にすれば、ちょっとしたことも我慢のできない獣を生み出せるかということもすっかり掴めた!

 同時に下働きを抜け出して芸人になることができた。入ってきた客全員と握手をして、機嫌をアゲながら適当をかませば、好印象な芸人になることができたぜ。しかも上に行きたければお偉いさんのご機嫌取りでどうにでもなった。気づいたよ、機嫌の魔法は自分なんかに使っちゃあもったいなかったと。自分の機嫌を自分でとるなんて、誰かにとって都合がいいだけの、ただの我慢でしかなかったってな! にや!


 で、上手くいきすぎてウーアハ王国からもリリシシア王国からもオファーがきたもんだから、その集大成として国王の機嫌をいじくってみたってわけだ――限界まで不機嫌な状態で、たまに波も作りつつ放っておいた。

 結果として暴言からの戦争! 品位も知性もない、なんたる馬鹿ども! 感情的でない人間なんて本当はいなかったんだぜ、驚くべきことに!

 どうだ、ご機嫌な話だろう?

 にやにやにやにや!」


 と、ソーダクラッカーはにやにや笑った。


「……まあ僕も男性として、ソーダクラッカーさんの語る男性社会のノリを、まったく知らないとはいいません。そして男は理性的で女は感情的というような言説は、まったく空虚で馬鹿げたものだと思います。男性脳とか女性脳とか、馬鹿ですよ」

「わかるか? 君にも。よい友達になれるかもしれないな」


「でも、だったらどうして世界を変えようと思わないんですか? せっかく応用が利きそうな魔法があるのに。どうして同じように苦しむ男性を減らすほうに動こうと思わないんですか?

 むしろ戦争なんて、男らしさを賛美する空気の増強にしかならない。兵として登用された男性を使い捨てることを肯定しないと、男性が逃げずに命を懸けて戦うことで銃後の女性や子供を守ることができるというヒロイズムを尊ばないと、戦争なんてやってられないでしょう?

 要はそんな世界が嫌だったんですよね、自分が男性だからってそんな扱いをされる世界が憎かったんですよね。じゃあなんで変えなかったんですか、変わってほしいという感情のままに。

 そうしたほうが、ソーダクラッカーさんの幸せにも繋がるのに」


「湊くん、……」

 つるぎは問い詰めるような湊を制止しようとして、できなかった。いつになく怒りと悲しみの混ざったような顔をした湊を前に、言葉を継げなかった。

 湊自身としては、自分は何をやっているのだろうという気持ちでいた。自分はあくまでも情報を引き出す担当であり、説得はつるぎに任せるつもりだったというのに。それに、自分の言葉が、功を奏すとは思えなかった。


「うるせえな」湊の予想通り、ソーダクラッカーはいった。「安全圏からほざいてるんじゃねえぞ若造が。世界を変える? 我輩は我輩の人生を変えることで精いっぱいだったんだよ――なんでこのクソみたいな世界の、クソみたいな人間のために、我輩が魔法を使わなければならない?」


「……でも、戦争が起こっても、それが終わっても、きっとソーダクラッカーさんは空しいんじゃないかと思うんです。だってあなたの行いは、世界をもっと愚かで、息苦しいものにするだけだから。だからせめて、いまここで、踏みとどまってください。戦争で、ソーダクラッカーさんのようにすり減っていくことになる、多くの男性の精神のために」

「やだね。我輩はもう我慢しない。我輩は我輩の機嫌のままにしか生きたくない。

 なんだ――君も結局、秩序のために理性的であれと強いるだけの男か。寂しいものだぜ」


「……説得は不可能のようですね」湊は聖剣『イニミ・ニ・マニモ』を抜いた。「じゃあ、脅迫です――魔法を解かなかったら殺します」

 つるぎは息をのむ。

 きっと湊は、本気でソーダクラッカーを殺める。


「我輩を殺したければ殺せばいいのでは? ほれ」ソーダクラッカーは首を差し出すように上を向いた。「これは秘密だけどさ、魔女の魔法って、魔女が死ねば解けるんだぜ」


「それが本当か嘘かはわからないけれど」湊はいう。「どっちにしろ、あなたが納得しないなら僕は本当に殺します」

「やってみろ。死んでやるから」

「それじゃまるで死にたがっているみたいですよ、ソーダクラッカーさん」

「こんな人生を生きたかったわけねえだろが」

 初潮のときから死にたかったよ。

 ソーダクラッカーはそういって、莞爾として笑った。


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