第二話 王の日記 - Aパート
翌朝、あまりに早く起きすぎてしまったつるぎと湊は、百年後のアハランドであるところの北リリシシアの名物のひとつ、温泉に向かった。
マンナカ火山のマグマで温められたものであり、リリシシアがウーアハを滅ぼす前は国王城の地下にある王族専用施設だった。城を潰した際に、これは人々の憩いの場かつ観光資源として用立てるべきだと、大商人ライドが提言したのだという。
混浴の露天風呂で、ふたりは並んで身体を洗い、大商人ライドのロゴが入った湯浴み着で湯に浸かった。
「あとお酒あったら完璧かもしれない……」
「飲まないの? 持ち込んでいいって書いてあったよ」
「んー。無事に上手くいったときの祝杯にとっとく」
「そっか」
長閑な明朝だった。どこまでもすかっとする晴天だった。
百年前のこの地で戦争が起こり、数え切れないほどの人が死んだとは思えないほどに。
「……よし、気合い入った」
「出よっか」
「いや、もう少し時間を潰す」
つるぎと湊が温泉を出たのは、色々な店が営業を開始した頃だった。つるぎは適当な店で青い絨毯を買った。それを空飛ぶじゅうたんにして移動を行う予定であり、青空にとけこむための青色だった。
「パトスさんがカラスを貸してくれるか、わからないから」
「研修ルートに入らないから?」
「うん」
支払いも今回は天界へのツケではなく、百年前での換金で得たお金によるものだった。経費で落とすべきかどうかという議論を避けたかった。
北リリシシアの町を出たところで、
「おはようございます。どちらに行かれるのですか?」
と、どこからともなく現れたパトスが、声をかけてきた。
「百年前の戦争を事前に停めるために、現代のリリシシア王国に行って、当時の資料とかを見せてもらいに行きます。理想は両国王の思惑がわかる情報を得られることですね。それか、ウーアハ城の城内地図とかがあったらやりやすいなと思います。とにかく明日、百年前に戻ったら一気に戦争をやらないほうに動かしていくので、その作戦を立てるための材料集めの日にします」
つるぎは正直に伝えた。
「戦争を行うかどうかという点に関しても、世界線ごとの人間が行う発展の動きを観察するにあたって、大切な点でございます。それを恣意的に止めてしまうというのは、神の振る舞いとして、少々過干渉ではありませんか?」
とパトスがいうと、
「あれ? その程度が過干渉なんですか?」
割り入って、湊はいった。
「それをいうならチョコレートの製法やらじゃがいもやらなんやらを他の世界から輸入するのだって過干渉なんじゃないですか? 自由な発想による発展を阻害してるように、僕には思えますけれども」
「いまはつるぎ様にお訊きしているのですが……まあ、つるぎ様の意見としてお聞きしましょう。そしてそれは、たしかに議論の最中とはなっています。各世界の女神で会議などを行う際にも、キャルゼシア様がその点を何もつつかれていなかったとは、とてもいえません」
パトスはそういって納得の素振りを見せる――まるで、割合どうでもよい指摘だったというふうに。
そしてすぐさま、ですが、とパトスは続ける。
「つるぎ様は、その干渉であの世界に未知の問題が生じた場合のことを、お考えになっておられますか? 貴様がライドに能力を与えなかったことによって魔女が野放しとなったように、ライドが大商人として貢献したことによる発展が起こらないことになったように、リリシシアとウーアハの戦争がなくなったことで、どのような世界になるか、誰にもわかりません」
「何がいいたいんですか?」とつるぎ。
「北リリシシアの街並みや文化は、ウーアハの敗戦なくしてはありえません。何せウーアハ国王は代々、温泉などの娯楽のいくつかを王族専用のものとする傾向にありました。ウーアハが滅ぼされ、リリシシア王国のものとなったからこそ解放されたものがたくさんあります。その娯楽のおかげで生きる気力を保つことのできた民も、多くいることでしょう。
それに、戦争のために加速を必要とされた技術の進歩もまた、現代の下界文化のよき発展に影響しております。
戦争は大きな転換ですから、それがなくなれば、その後の世界に生まれ育つ人々も大きく違っていきます。現代のこの世界で育まれた素晴らしい文明は歴史の積み重ねによるものです。起こらなかった世界のほうが素晴らしい文明を生み出せる保証はございませんよね。
それらについてつるぎ様はどのようにお考えになり、行動されるおつもりでしょうか」
パトスの言葉に、つるぎは深呼吸を挟んで、いう。
「戦争そのものが何も素晴らしくないので、停めます。たくさんの人が非情を強いられる不自由を、わたしは許せません」
「……犠牲を経て、我慢の時を超えて、素晴らしいものが作られることもございます」
「そうですね。地球界でわたしが育った国も、戦争があったから発展した技術、戦争をしたから護れた土地があって、その上に成り立つ素敵な文化や文明をわたしは甘受してきました。戦争に使うために育まれた通信技術が後世のインターネットに繋がり、情報への簡単なアクセスによって知り得た視点や知見は、わたしが誰かに優しくするための想像力を豊かにしました。人を生かすための医療だって発展しました。戦争の後遺症に苦しんだ人がたくさんいたから、海外でPTSDについての研究を進める流れになったという話も読んだことがあります。
けれども、残ったものはそれだけじゃなかったんですよ。
わたしの母方の祖父は父を戦地で、母を空襲で亡くしました。父方の祖父の父は存命だったそうですが、戦争の傷の悪夢にずっとずっと苦しんでいたそうです。
わたしが中学生だったときの修学旅行は平和学習を兼ねていました。惨憺たる戦災の歴史を、語り部の声を目に焼きつけて、胸に刻みつけ、課題のレポートを書きました。
そしてわたしは図書室の本を全部読むタイプの学生でしたから、いっぱい読みました。ルポルタージュを、ドキュメンタリーを、インタビューを、エッセイを、戦後文学を、戦記作品を、様々な展示の図録を、方々の被害の写真集を。
数え切れない自由を縛って、数え切れない気力を奪って、数え切れない未来を砕いたのだと、たくさんの先人が遺してくれました。そしてわたしの暮らしていない国では現在進行形で夥しい戦災が人を苛んでいるのだと、SNSやニュースで、リアルタイムで発信されているのを見てきました。
わたしは戦争をした世代ではないけれど、戦争がどんなものであるのか、たくさんの情報を知ることのできた世代の人間です。
それと同時に、ストレスなどが人間の脳にどのような悪影響を及ぼすかという研究だって、どんどん進んでいく世界で生きてきた世代です。
戦争が世界を発展させた? 戦争で死んでいった人たちや病んでいった人たちがいっぱいいるんだから、戦争さえなければ産まれるはずだった発展だって絶対あるはずじゃないですか。発展のスピードを速めたといっても、戦争がなかった世界線のスピードを知っているんですか? 不可欠なんかじゃなかった可能性だって、いっぱいあるはず。
仮に、この世界においても戦争があったからこそ発展した文明がたくさんの人を救うとして、死体の山のうえに紡がれる幸福があるとして、人間をひとりでも死体にしていい理由になるんですか。そう訊かれたら、わたしは首を縦に振りません、絶対に。
……それでも大事な人が誰かを殺さざるをえなくなるまで、戦争で生き延びるために倫理観に蓋をする人と出会うまで、ちゃんと焦ることもできなかったわたしは、本当の馬鹿ですけれど。
でも、わたしはもう焦っているんです。
もう誰にも、罪を犯させたくない。
……わかったら、行かせてください」
いいきったつるぎに、パトスはいう。
「貴様が本気でそうしたいのであれば、そうですね、わたくしは止めません。
しかし最後にひとつだけ、わたくしの気持ちをお伝えしても、よろしいでしょうか」
「気持ち? 手短にお願いします」
「男ひとり甘やかすためにキャルゼシア様を殺しておいて、どのツラさげて正義ぶっているのでしょうか? キャルゼシア様の命を奪い自由を奪ったその手で、どうして民の命と自由を護る資格があると考えられるのでしょうか? 斯様な罪を犯した人間から、誰にも傷ついてほしくないなどとおっしゃられても空疎に響いてしょうがないのですが、つるぎ様自身はお恥ずかしくはないのですか?」
「わたしが恥を抱えれば多くの人の命を救えるなら、喜んで恥知らずになりますよ。むしろ、自分に資格がないとかブーメランになるとか、そんな自意識をうだうだ捏ねて、みすみす見殺しにするほうがよっぽど怖いですし。自己嫌悪の気持ちを民の悲しみより優先する者が神様にふさわしいだなんて、わたしには思えません」
青い絨毯に乗ったつるぎと湊はふわりと浮かんで、北リリシシアの街並みが小さくなるほどの高度まで上がった。つるぎはマンナカ火山の位置から方角を予測し絨毯を進めた。
高スピードで駆け抜けたため、リリシシア王国には昼頃に着いた。
「えっと、身分証明カードにある『神官補佐候補生』としてやってくんだよね」
「うん。間違って女神様とかいわないでね湊くん」
「それは大丈夫。王様に会いに行くの?」
「いや、アポなしだからそれは失礼だと思うし、たぶんそこまでしなくていい」
つるぎはリリシシア城の資料庫を管理する人間のもとに向かった。
「ひゃ、百年前の戦争時の資料でありますか」天界の人間を前にかしこまりながら資料庫長はいう。「それでありましたら、ありますであります。ただ、ものによるであります」
「たとえば当時の国王の考えがわかるような資料などはありませんか?」
「先々代国王でありますね。会議の記録や、情報誌に記載されたものであれば保管されてありますであります」
「ありがとうございます、ひとまずそれを持ってきていただけますか」
資料庫長が命令し、その部下が持ってきた資料につるぎは目を通す。国王の発言などを主に見ていくと、どうにも冷静さにかける言動が多かった。それに反して周囲は冷静そのものであり、国王だけがひたすらにヒートアップしているような印象を覚えた。
第二百回シタ南北会談より前の資料を見せてもらうと、国王は至って冷静で平穏な物腰だった。百年前、アハランドで読んだ情報誌によるとリリシシア王のほうから先に暴言を吐いたように書いてあったが、その前にウーアハ王が逆鱗に触れるようなことをいったのだろうか、とつるぎは考えた。だが、逆鱗に触れられた程度のことで、国同士の関係を悪くするような決定的な発言をするような王には見えなかった――記録を追う限りでは。
冷静で、理性的な王に思える。そしてそれは、第二百回シタ南北会談以前の資料中に垣間見えるウーアハ王の人物像に関しても同様に思えた。
少なくとも、どれだけむかついても、暴言を我慢するくらいのことはできそうだった。
(でも、これらはあくまで公的なものだから。リリシシア王の本当の人格には触れられない)
ではどうすればよいか、ということを考えながら資料を読み漁っていると、気になる記述が出てきた――とある会議中、国王が自らの日記を持ち出して過去の出来事について確認を行ったという記録があったのである。
「あの、すみません。先々代のリリシシア王の日記などは残されていませんか? もっと王個人の人格に触れられるようなものが読みたくて」
「に、日記でありますか。ありますかどうかわからないであります。ちょっと探させるであります」
少しして、部下の人間が戻ってくる。どうやら見つからなかったらしい。
「申し訳ありませんであります」
と資料庫長が頭を下げたとき、上階から老人がやってきた。
「どうした?」と老人は資料庫長にいい、それから、「おや、これはこれは。天界のお方がお見えになっていたのですか」とつるぎと湊を見て一礼した。
資料庫長はいう。「先代国王様。本日はどういった御用でありますか」
「まあ少し調べものをな。それよりおふたりの用を優先しなさい」
「あ、あの」つるぎは先代国王にいう。「先々代の国王様が日記をつけられていたと思うのですが、現在どちらにあるかご存知ですか?」
「先々代。……私のお父様なら、たしかに、日記をつけられていました。
しかし自害の日の前、身辺整理をする際にそのような私物は処分されたはずです」
「自害?」と湊が思わず声を出す。
「処分されたのですね。わかりました」とつるぎは頷き、それから続ける。「実は、百年前の戦争時の両国王の思考について、神官補佐候補生の研修の一環として調査を行っています。日記以外に何か、リリシシア王個人の素に触れられるような資料に心当たりはありませんか」
「……私はそこまでべったりではありませんでしたが、エリーザ……私の姉はお父様ともよく対話をされておりました。もしかしたら姉の日記であれば間接的に見えてくることもあるかもしれません」
「わかりました。ありがとうございます。そのお姉さまの日記は?」
「城内の東棟の最上階に姉の部屋があります。掃除こそされていますが置かれていたものはそのままとなっているはずです。
何故ならば、あの部屋のなかで姉は凄惨に命を絶ちましたので、誰もあの部屋を使おうとはしないのです」
最上階への階段で、つるぎは湊にいう。
「先々代の王が突然自害を決意したという話は、書斎で読んだんだ。その前に身辺の整理や引継ぎが行われたっていうのは知ってるけど、日記の処分とかの細かい部分は知らなかったな」
「なんで死ぬことにしたんだろう」
「さあ。でも、ウーアハ城やアハランドの跡地が北リリシシアとしてしっかり生まれ変わって安定してきたあたりの出来事だったらしいよ」
「そっか。ちなみに先代国王の姉と母の死は?」
「それも理由は知らないけど、ライドさんが亡くなってすぐのはずだから、まあそういうことじゃないかなあ」
ライドはリリシシアの姫と王妃も洗脳し陰で侍らせていたという。
「さて、着いた」
先代国王は鍵のことを忘れていたのだろうか、ドアには錠が降りていた。とはいえそれは天使の魔法で開けることのできるものだった。なかに入ると、どの事故物件もそうであるように、なんでもない部屋である――死んだら幽霊ではなく天界で転生か天使かを選ぶのだから、事故物件という概念はありえないはずなのだが。
それでもやはり、べっとりと血がついたあと部屋、遺体が転がっていたあとの部屋と思うと、使いたくない感情は生理的に起こるものなのかもしれなかった。
捜索の結果、二冊の日記を手に入れた。
一冊目は箪笥の上の棚にある、普通の日記。
そして二冊目は箪笥の鍵のかかった引き出しに保管されていた、ライドとの交換日記だった。
「え、二冊目については必要?」
「それがね湊くん、興味本位で覗いてみたら、ほら」
そこには力強い字でこう書いてあった。
『国王が日記を捨ててしまおうとしている? それを捨てるなんてとんでもない!
ジンコゥという町の大富豪が故人の日記を言い値で買い取り始めたって話だ。
国王の日記だっていえば、きっとどんな値段でも買ってくれるだろう!
どうかみんなの目を盗んで国王の日記を持ってって、俺にくれ。
いい子のエリーザならやってくれるよな?』
次に丁寧な字でこう書いてあった。
『ライド様のいう通り、日記を持ちだすことができました!
それから、これも売れるかもと思って、資料室から持ってきました!!!
ウーアハ城を潰す前に回収された、ウーアハ王の日記です!!!!
この日記とおんなじ袋に入れて送らせていただきます。
ライド様、あなたの忠犬エリーザを、早く可愛がりにきてください!!』
「……洗脳って怖いね」
「いや怖いけどそこじゃなくて」
ふたりはジンコゥの故人館に向かった。
前に行ったとき、国王の日記などあっただろうか、と疑問に思いつつ。




