第二話 王の日記 - アバンタイトル
むろん、キャルゼシアをあのとき殺害したからこそいまがあるのだということを、つるぎは理解している。勇者の修行と称して湊を孤独と抑圧で苦しめていたことは、たとえキャルゼシアにどのような傷があったとしても許しがたいことであるし、それはそれでありこれはこれであると、いってしまうことができる。
どんな理由があっても許されないことはある――つるぎの殺神行為が、湊のためだからといって全面許容されるべきではないのと、同様に。
けれども、それでも、キャルゼシアという女神の生涯について思うと、どうにも、胸につかえるものがあった。
そしてそれと同時に、湊がつるぎを救うために、グルとビッグデカを殺害した事実についても、つるぎの脳裏にこびりついて離れなかった。つるぎが湊のためにキャルゼシアを殺したように、湊がつるぎのためにそうしたのだと、つまるところ愛情によるものなのだということはもちろんわかっている。
湊に後悔の念がなさそうなこともわかる。つるぎ以外の人間についてどこか本気でどうでもいいと思っていそうな空気を、つるぎは傍でちょくちょく感じ取ってきた。
しかし、自分のために恋人が殺人を犯したという事実が、こんなにも胸裏に圧しかかるとは思ってもみなかった。
キャルゼシアを慕っていた天使から軽蔑されたり、キャルゼシアの死を知らずにキャルゼシアの功績を誇る民の笑顔や感謝を目の当たりにしたりしているうちに、つるぎは内心で罪悪感をどんどん育ててきていた。それでも湊の傍にいられる未来を切り拓けたのだから、自分と湊にとって一番幸せなほうに行けたのだから正解だと、思っている。いるけれど、罪深い正解だとも、思っているのだ。
自分の手が、穢れていないなどとは、つるぎは決して、思っていなかった。
だから、湊の手も同じ穢れを持つことになってしまったことが、重たかった。
湊がつるぎのために負った罪、キャルゼシアが負ったかもしれない傷。それに加えて、そもそも女神の力を利用するために罠にかける民がいたこと自体の悲しみが頭をぐるぐるしてしまったので、つるぎは湊にことわって、宿の部屋でひとりにさせてもらった。
「僕は食堂にいるから、いつでも声かけてね」
湊はつるぎにそういって部屋を出た。
宿の食堂で、リリシシア王国領で買ったものの未読だった本を捲りながら、茶を飲んで過ごした。つるぎの様子は気がかりだったが、つるぎは慰めてほしければ素直に甘えてくる人間であると知っていたため、自分から声をかけようとは思わなかった。心情的に独りで消化したいのか、それともまだ慰めを求める段階まで整理できていないのかは不明だったが、どちらにせよつるぎの次の動きを待つのみである。
外は静かに雨が降り始めていた。泊まらずとも食堂で注文をすれば食事ができる宿だから、暖を求めて入ってきた人々がめいめいにスープや熱い茶を注文していた。湊はコーンスープの香りで少しだけ腹が空いてきて、コーンスープとパンを頼むことにした。運ばれてくるまでにそう時間はかからなかった。
本を置いて、食事を始めると、周囲の会話が耳に入った。他愛のないものもあったが、何組かは国の未来を憂いていた。リリシシアとウーアハの関係悪化は確実であり、戦争となればどうなるのか、考えるだけで鬱々とするそうだった。けれども、どれも――縁起でもないことを断言したくないということかもしれないけれど――仮に、ひょっとすると、どうかしたら、と前置かれたものだった。
湊はライドの話や、つるぎがグルから聞かされたという話を耳にしていたので、両国ともそのつもりで動いていると知っていた。もしも、ではないのだと理解していた。けれども、城内で働く人間はそうした恐怖の予定を城外で漏らしはしないのだろう。そうと知らない民は少なくないようだった。
だからすぐにどうでもよい会話に思えて、パンとスープを食べきると本に戻った。
その本には、かつてウエ地方の者が船に乗って、より住みよいシタ地方に侵攻してきた頃の話が書いてあった。その際にはリリシシア王国とウーアハ王国は結託して防衛戦を勝利したようだった。たしかに、戦争をしたことがなければ、戦争という概念はそもそも産まれないか、と湊は思った。
というか、戒律で人を殺めたり暴力をふるったりすることを禁じているはずなのに、どうして戦争をするのだろうと湊は素朴な疑問を抱いた――そして、皿を下げにきた人に投げかけてみた。
「戒律に、『自分または隣人に対する加害からの防衛行為の推奨』『自分または隣人に対する幸福追求の推奨』とありますから。戦争をふっかけられたら、推奨されるがままに、防衛と幸福のために、戦わざるをえないと……あくまでも私は、考えております。
つまり、どのように納得するか、あるいは納得できないまま時間を過ごすかは、人によると思いますよ」
とのことだった。
静かに読書をしているうちに雨は降りやんだ。窓から射しこむ光は夕刻を纏っていた。積読の一冊目を読み終えて二冊目を手に取ったとき、近寄る足音を聞いた。
つるぎだった。
「おつかれ」
と湊はいった。目の下に涙の痕があったが、あくまで触れなかった。
「湊くん、もういいよ。部屋、入っても」
「ん。なんていうか、考えは落ち着いた?」
「うん。泣いて一回寝て考えた」
「うん」
「あのさ、わたし」
「うん」
「明日と明後日で戦争止める」
「じゃ、僕は何でも手伝う」




