挿話 ボルハとマイ
東グザイの青年ボルハと西グザイの町長の娘・マイは、グザイの町から駆け落ちをして数日、ダリアンヌという町に辿り着いた。そこは噂に違わぬ、大きな劇場のある町だった。
「ここが、ダリアンヌなのですね」
マイは伝聞でしか知らなかった劇場の町に胸をときめかせていた。グザイから着てきた衣服は汚れほつれていたけれど、そんなことは気にもならないほどに。
「煉瓦造りとは、しゃれた町だ」とボルハはきょろきょろと街並みを見た。
今日も劇場の公演があるのとのことで、ダリアンヌの町民だけでなくボルハとマイのように他所の町から来た人間も多く、賑わっていた。どこかからか、肉の焼けるよい音がした。
ふたりはまず劇場に行き、歌と踊りの劇をひとつ観た。それから、劇場の支配人のところに赴き、どこかの劇団で新しい団員を募集してはいないかと訊いた。そうでなくとも、脱退者の出た劇団はないものかと。
「心当たりがないことはないけどもね、ずぶの素人を向かわせちゃ私の信用に関わるし」
そう支配人がいうと、ボルハとマイはおもむろに、先程見た劇の歌と踊りを再現して見せた。
それは先程が初演の劇であった。つまり、ボルハとマイはその才覚と知識を全力で使い、初見で真似ができるほどに記憶と分析を行ったのである。完璧にして堂々とした歌唱と舞踏に支配人は呆気にとられ、劇団ビロードというところに紹介をする気になった。
ビロードはできてから一年ほどの歌劇団であり、少し前に団員が三人ほど抜けたばかりだった。ボルハとマイが劇団長に技術を見せると喜んで受け入れてくれ、住むところの紹介までしてくれた。
それからしばらくの間、ボルハとマイはビロードの一員として様々な劇を歌い踊っては公演を盛り上げた。劇団ビロードの人気が上がり、公演の期間が延びることもあった。そのおかげで劇団の収入も増え、ビロードの団員からたくさん感謝された。
どこからともなく現れたスターとして、ボルハとマイは『ダリアンヌのほうき星』と呼ばれ、町中から注目される存在となった。
「毎日がとても幸せです」マイはボルハに抱きしめられながら微笑む。「ボルハさんの歌声と一緒に楽しく踊って、皆様に喜んでいただける。あの夜、ボルハさんについて行って、本当によかった」
「俺も幸せだよ、マイ。これからも幸せを作ろう。君の踊りと、俺の歌で」
やがて年月が経ち、劇団ビロードは色々な事情が重なって解散をすることとなった。最終公演のときには、すでにマイの身体にはボルハとの新しい命が宿っていた。
マイは安静にしている必要があるため、ボルハが身体を張って家賃を稼いだ。食料や衣服は教会でもらえばどうにかなるかもしれないが、ボルハはマイにもお腹の子にも豊かな暮らしをしてほしかった。
ボルハは様々な劇団にサポートメンバーとして加入し、公演を手伝って料金をもらい、更にはダリアンヌの大劇場とは別のところにあるネルスという芝居小屋の舞台で弾き語りの単独公演をして稼いだ。演劇に比べると歌のみの公演は準備期間があまりかからず、一回一回は高額ではないが、安定的な収入源となった。
出産までに二度ほど天使室で声帯の治療をしてもらうほど忙しかった。そのおかげで、愛しい我が子――ボルハがカンタレラと命名した女の子――が生まれてからの一年は、子育てに専念ができるほどの貯蓄を作ることができた。
「ボルハさん、ありがとう。母乳の時期が終わったら、わたしも働くから」
「別に無理はしなくてもいい」
「いいえ、働かせて。カンタレラはふたりの宝物だもの。ふたりで稼いで、ふたりで育てよう。それに、わたしね、この子の前でボルハさんの歌と一緒に踊りたくって」
ボルハとマイのふたりが舞台上に復帰すると、ダリアンヌの人々は大興奮で迎えた。
出産してすぐのときに仲良くなった育児友達に抱えられながら、一歳のカンタレラは両親の活躍を毎公演、興味深そうに眺めていた。
けれども――。
ふたりをサポートとして抱える劇団のメンバーとしては、公演が盛り上がるとはいえ自分たちの印象が霞むため面白くなかった。少しずつ劇団からのサポートに呼ばれなくなった。大劇場は劇団単位での公演しか受け付けていなかったため、ボルハとマイはネルスの舞台で公演をして暮らした。
しかしネルスは大劇場に比べるとダリアンヌの外からの知名度が低いうえ、そもそもの収容人数が少なく、さらにネルス側が制定する公演料金も大劇場ほど高くはないため、収入はぐっと下がった。
暮らしていけないほどではないが、どんどんと大きくなっていき色々なものも食べられるようになったカンタレラのために、美味しい食べものや可愛い服をたくさん買ってあげたいとふたりは思っていた。
そういうわけで再び大劇場の支配人に相談をしに行った。
「私もあんたらを締め出すようなことは心苦しいしもったいないと思うけどね、創設者から引き継いだポリシーは揺るがしちゃいけない。劇団のやつらの、あんたらのいない公演のときに目に見えて盛り下がるのが我慢ならないって気持ちもわかるし」
といわれ、すごすごと帰ろうとしたボルハとマイの背中に、支配人は投げかける。
「まあ待った待った、そこで提案と続けるつもりだった」
「提案ですか」
「実は本劇場に手紙が来ている。この劇場で観た公演で、素晴らしい歌と踊りを披露していたボルハとマイに、我々の町で公演をしてほしいと。返信はいつでもよいのだと。本当に人気者だね、おふたりは。面倒だから無視でもしようかと思っていたけどね、乗り気なら馬車くらいは手配してあげるよ。どう?」
出稼ぎ公演は成功を収めた。支配人はそれからもそういう話があるとふたりに教えるようになり、ボルハとマイは他所の町に呼ばれて公演をするようになった。その間、カンタレラは育児友達に預けることが殆どだった。
交通費もあって公演の出演料は高く、支配人に仲介料を、友達に預かり料を払っても服や果物をたくさん買えるほどあった。
そう頻繁なものではないから、ふたりは呼ばれたらどこでも行くようになった。ダリアンヌがちょうどリリシシア王国領とウーアハ王国領の境近くにあることが幸いし、リリシシア王国領の端の村からウーアハ王国のアハランドの端まで、いわれればきちんと行くことができた。
そんなある日のことだった。
「レェテ村の村長から公演依頼が来ているよ、ご丁寧に手書きの地図付きで」
と支配人はいい、それから、このように続けた。
「けれどね、見る限り、迷いの森と呼ばれる場所の奥の村のようだから、おすすめはしない」
「どうする? ボルハさん」とマイが訊く。
「カンタレラがもうすぐ、四歳の誕生日だ」
「うん」
「カンタレラがこの前、目を輝かせていた、木造りの人形のセット。あれは高かった」
「そうだね。一点ものとはいえ、正直、ギリギリ届かなかった」
「この手紙に書かれている報酬額がもらえれば、買えるんじゃないかと思う」
「たしかに。足りると思う」
というわけで、ボルハとマイは旅立った――秘境の村に。
「ここが、迷いの森」マイはいった。「ここに入ったら、簡単には帰ってこれない……ずっとこの森で迷っている人もいるんだよね、ボルハさん」
「どれだけ複雑な道だろうと、印をつけていけば迷わない」ボルハは塗料を取り出していった。「戻るときも、印を辿っていけばいい」
ボルハとマイは手を繋いで、入り組んだ森の道を進んだ。馬車も入れないような木の根のうえを歩きながら、適宜、木の幹に色をつけていった。もちろん、雨が降っても落ちない塗料である。
終わりがないように思えた道が開けると、ふたりは木々に囲まれた農村に辿り着いた。きょろきょろとしていると、ひとりの栗毛の少年が歩いてきた。
「もしかして、ボルハ様とマイ様ですか。ダリアンヌのほうき星」
「ええ、いかにも。ここはレェテ村ですか?」
「はい!」少年は嬉しそうに笑った。「僕はクックっていいます。おふたりがいらしたこと、村長にお伝えしてきます!」
クック少年は村長邸に向かう道中、「ほうき星が来たぞっ!」とみんなに聞かせるように叫んでいた。ぞろぞろと村人が集まってきて、ふたりに食べ物をあげたり、寝床を教えたりした。
「なんだか不思議な村」マイは村人の顔を一通り見てからいう。「ボルハさんもそう思わない?」
「歴史が浅いんじゃないかな? 俺も、ここまで色んな顔の人がいる村は初めてだけれど」
「教会すらないから、本当にできたばかりの村なのかな?」
「建物もほとんどテントだし。畑はすごく豊かなようだったけれど」
とまれかくあれ、もてなしを受けながら今日の公演内容を確認していたふたりの耳に、かすかながら、しん、と鈴の鳴る音が聞こえた。そのほうを見ると、ふたりの男が、駕籠を担いでやってきた。
駕籠のなかには、鈴のピアスをした、ひとりの背の低い女性が収まっていた。
どこか浮ついたような、ふわふわしたような、寝起きのような印象のある表情をしていたけれど。
黒いドレスに黒いフード。黒ずくめの格好に、目のさめるような金髪が映えていた。
「きてくれてありがとう」駕籠から降りた女性はいう。「ぼくはブー、レェテむらの、そんちょうをしてるよ。たのしみにしているからね」
レェテ村での公演は成功に終わった。
かがり火に囲まれた祭壇のうえで、ボルハもマイもその力を存分に発揮し、最高のパフォーマンスで一時間のショーを紡ぐことができた。
村長ブーも村人たちも酒を飲みながらやんややんやと楽しく鑑賞していた。森のなかに暮らしており、代わり映えのしない毎日に退屈を感じていた村人たちにとって、実に刺激的なひとときだった。
「おわっちゃうのさみしい~。もっとやってよお、もっとおかねだすから」
とブーがいうので、さらに三十分ほど公演を延長して、レェテ村公演は幕を下ろした。
「今日は泊っていってください」と村人たちがいうので、素直に厚意に従うことにした。
夕食を待っていると、ボルハとマイに、先程のクック少年が声をかけた。
「あの。ボルハ様、マイ様」
「うん? どうしたんですか、クックさん」
「今日は、泊まらないほうがいいです。この村からは早く逃げたほうがいい。
じゃないと、出られなくなる」
「え?」
「そして、お願いがあります。どうか逃げるとき、僕も一緒に逃がしてください。
僕もこの村からどうやって出ていけばいいかわからないんです」
村のすみっこの、誰にも聞かれないだろう場所まで行くと、クック少年は泣きべそをかきながら説明をした。
そもそもボルハとマイを村に呼ぶよう村長に提案したのはクック少年だという。表向きは日々に飽きた村長のための提案だったが、少年の本当の狙いは、外部から人を呼び、その人に自分を連れ出してもらうことだった――そして、クック少年が生まれ育ったところに、帰ることだった。
クック少年は一週間前、親からはぐれて森に入ってしまい、この村に迷い込んだ。少年を見かけた優し気な村人から漬物と茶を振る舞われ、空腹に勝てずにいただいていたところ、村長ブーがやってきて少年の頭を撫でた。
それから少年は村を出て親のもとに帰ろうとしたけれど――どこをどう行けば村から出られるのか、わからなくなった。事情を説明して案内してもらおう、と思って村人に声をかけたけれど、すると今度は、自分がどこから来たのか、わからなかった。ただ、どこかから来たのだと、それは自分が生まれ育った場所なのだということはわかっていたけれど、村なのか町なのか、どこにあってどんな名前なのか、全然わからなくなってしまっていた。
不安げな少年に、村人は、大丈夫さ、といった。
おれもどこから来たかなんて忘れちゃったけど、幸せだから、と。
すると他の村人も同調した。やがて村長以外の村人全員が、自分もそんなふうにどこかからこの村に迷い込んで、そしてどこに行けば村から出られるのだか、どこが帰る場所なんだか、忘れてしまっているのだと同調した。
でもそのうち、帰りたいって気持ちすら忘れるのだから、大丈夫だといった。
「僕は、帰りたい。家に帰りたい。どこにあるのかわからないけど、でも、帰りたいって気持ち、忘れたくない」
とはいえ公演料金は翌朝に支払われるといわれているし、どうしたものか、とボルハが腕を組んで考えていると、マイがいう。
「ボルハさん、助けてあげよう?」
「マイ。しかし」
「わたし、不自由を強いられている人を放っておきたくない」
ボルハはマイが、グザイで町長の娘として束縛されていたことを思い出した。そのあたりの感情移入だろうか、と考えて、了承することにした。
「うん、この子に協力しようか。カンタレラには少し待ってもらおう」
「ありがとうございます、ボルハ様! マイ様! ……あっちの、緑色の旗が立っているテントが僕の住んでいるところです。夜がどっぷり更けたら、いらしてください。くれぐれも、魔女に見つからないように」
日がいよいよ落ちかけていた。
食後、ボルハとマイは用意されたテントの寝床で眠った――ふりをして、テントの周囲に人の気配がなくなったころ、ひっそりと起き出した。夜の虫が鳴いていた。まだかがり火がどこかで燃えていた。じっとりと蒸していて、風の吹かない夜だった。
息を潜めて、抜き足差し足、ふたりはクック少年のテントに向かった。間違えていないことをたしかめるように、緑色の旗を撫でた。それからテントを開けた。クック少年は椅子に座って、うとうととしていた。
「クックさーん」マイが囁く。「いきますよ」
名前を呼ばれて、クック少年は目を覚ました。
「……誰?」
「え」
「え、誰? うわああああっ、知らない人が僕の家に!」
いったいなんのおふざけだろう、と腹を立てながらボルハはいう。
「寝ぼけているのかな? 俺たちは君をこの村から連れ出しに来たんだ、君に呼ばれてね」
「何それ? 連れ出すって何? 誰も呼んでないよ、僕は――そんな覚えはないよ!」
クックは半狂乱になってテントから駆け出して叫ぶ。
「みんな! 起きて! 助けて!
村人じゃない知らない人たちが僕をこの村から連れ去ろうとしている!」
「はあ!?」
とボルハもマイも声を上げ、やばそうな気配を感じたのでテントから駆け出す。しかし、わらわらとテントから出てきた村人たちはボルハとマイを見るや否や、追いかけた。
「本当だ! 誰だあいつは!」
「たしかに村人にあんなやつはいない!」
「見たこともない、きっと村を襲って野菜さ奪おうとしたんだ」
「クック坊やを食っちまうつもりだ!」
「逃がすな! 殺しちめえ! くたばらせろ!!」
ボルハはマイの手をとって、がむしゃらに村の出入り口へ駆ける。
「あっ!」
しかし、ボルハが必死すぎたのか、マイはついていけずに足をもつれさせ転んでしまった。
「大丈夫か、マイ――」
振り向いたボルハの前で、膝をついたマイの背中に、村人の槍が突き立てられた。
「いっ――ぎ――!」
「マイ!!」
槍は背中を貫いて、マイの腹部から切っ先を覗かせていた。
ボルハは怒り狂い、村人を皆殺しにしたいほどの気持ちになったが、それよりもダリアンヌか近くの別の村に帰って教会で治療をしてもらうのが先決だと、判断するだけの脳はあった。ボルハは自分に向く槍を避け、マイを抱っこして逃げ出した。
もう少しで村の出入り口。
ここを抜ければ、つけておいた目印に沿って森を出ればいいだけである。
鈴の音がした。
「またいつでもおいで」
村長――魔女ブーは、そういって、ボルハの肩先をはたいた。
ボルハは迷いの森のなかにいた。
どこにいけば出られるのだろうか? 森は暗く深い。果てしない。道は舗装されておらず、景色はちっとも変わり映えしない。あの村――どんな名前の村だっただろうか――に来るときに、どれだけ歩いたものだったか、わからない。
ボルハの視界に、塗料のついた木の幹が見えた。
けれども、それがなんだというのだろう? ボルハは、そんなこともあるだろうと思うだけで、手掛かりにしようとは思わず、ただただがむしゃらに森を突き進んでいた。はっきりいって、自分の手で意味をこめて塗料をつけたことなど、すっかり忘れていた。
夜が明けて、朝になった。
ボルハは迷いの森のなかにいた。
日が暮れて、夜になった。
ボルハは迷いの森のなかにいた。
夜が明けて、朝になった。
ボルハは迷いの森のなかにいた。
日が暮れて、夜になった。
ボルハは迷いの森のなかにいた。
「ボルハ!」
と。
いっこうに帰ってこないボルハとマイを心配に思った支配人が迷いの森を覗いたとき、ボルハは木の幹にもたれかかり、気を失っていた。寝食を忘れて森を歩いていたものだから、肉体が限界だった。けれども、息はあった。支配人はボルハを馬車に乗せ、それから、ボルハの傍に転がっていたマイを馬車に乗せようと持ち上げた。
悲しくなるほど、ひんやりとしていた。
「ざんねん~」村長はボルハとマイが迷いの森からいなくなったことを感じ取り、溜息をついた。「あのひとも、ぼくのむらにすんでくれると、おもったのになあ。もっとちゃんと、わすれてもらっておくべきだったかなあ」
彼女はいつもそんなふうに、レェテ村の人間を増やしていた――故郷のことを覚えさせていれば何か自分の知らない遊びを持ち込んでくれるのではないか、と思ってクックのように少し記憶を残しておくこともあれば、完全にそういうことを忘れさせて、この村で生まれたのだという嘘を覚えさせて村人にすることもあった。
そういうふうに、遊んでいた。なぜならば、彼女は数十年の間、仲のいい三人の姉と暮らしていたのだけれど、離れて暮らす流れになってしまい、寂しかったからだ。
「げんきかなあ~……アッカ、バッカ、ソーダクラッカー」
愛しい姉の名前を噛みしめながら、村長は――魔女ブーは頭を揺らした。
鈴が鳴った。魔法のように、不思議な音だった。
次回、第三章『雪耐えて梅花麗し』第一話『[E]敗戦国と大富豪のダンジョン』。
明日は更新をお休みします。また明後日に!




