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第十五話 祝祭にて - Bパート

(行けなかったな、文化祭)

 高校一年生、初めての文化祭。


 二日間あった両日とも、蜷川つるぎは法事で欠席した。母方の祖母の葬儀だった。つるぎの母がちょうど体調を崩していたこともあり、手伝わなければならないことも多く、一日だけの参加を希望できる状況ではなかった。


 諸々がひとまず済むのと、文化祭が終わるのは、ほぼ同時のことだった。いまは文化祭の振替休日で、両親が仕事でいない静かな家のなか、つるぎはベッドでひとり、ぼうっと、していた。


 ふとSNSで同級生と繋がっているアカウントを覗いてみると、そこにある写真に胸が苦しくなった。文化祭の思い出の写真。とても楽しそうだ、と思った。そして、そこにわたしはいられなかった、と思った。


(……わたしだけが不幸みたいな気分だけど、そうじゃない)

 そうじゃないだろう、と考えを巡らせる。もしかしたら、熱か何かで同じように二日間どちらも行けなかった人もいるかもしれない。それに、文化祭に行けたとしても、義務感で足を踏み入れただけで、ちっとも楽しくなかった、本当は家で本を読んでいたかったような人だっているかもしれない。


 そう思うと、少しだけ寂しさが埋まるような気がして、それから、

(なんでわたしは他人の不幸を望んでいるんだろう)

 と、自己嫌悪が湧き出た。元々あった自分への嫌悪感に、さらに上塗りするだけだった。


 秋だった。マンションの窓から、何かを祝うみたいに赤い、紅葉が見えた。


 メッセージがきた。

「……菜花くんだ」

 菜花湊という、高校のクラスメイト。図書室でよく話す、読書友達だった。物腰が柔らかい男子で、つるぎよりもずっと器用で家事も上手らしく、そのうえでどこか風変わりな発想を持つ人間だった。

 夏休みに一緒に遊んだこともある――そのときに、菜花湊が母親から呪いを受けて暮らしていることを知って、つるぎはなんだか放っておけず、そんな呪いはくだらないものだと、あなたは典型的な男らしさなどなくとも、あなたであるだけで他の人間と同じく素晴らしいのだと説いた。……その際に勢いでハグまでしたが、まあ友達同士でハグをやることもあるだろう、あるある、とつるぎはあとでひとり納得していた。

 翌日以降に会った菜花湊は、どこか憑き物の落ちたような表情をしていた。


 それから――たしか菜花は、文化祭のクラスの模擬店の調理とかをしていたはずである。

 菜花くんが焼いた焼きそば食べたかったぞ、と思いながらつるぎはメッセージを開く。


『お疲れ様 いまどうしてる?』

 SNSの投稿フォームみたい、と思いながら、

『昨日ぜんぶ終わって、今日はずっとごろごろしてる』

 と送り、

『なんで?』

 と付け加えた。


 数分置いて、

『見せたいものがあるんだけど、家に来ない? ごちそうもします』

 と送られてきた。菜花家には、夏休みに一度寄ったことがあった。ふむ、と一考し、まあいいか、いいよ、と返信した。このまま家にいてもつまらない。

 それから外着を取りに身体を起こしたところで、

『あ、そうだ。よかったら制服で来て。それから、荷物色々と持って帰れるリュックとか』

 とメッセージがきて、まあいいか、いいよ、と返信した。

 ゆっくりと、顔を洗った。



(文化喪って書いてある、看板に。ていうか、アパートの廊下に看板がある)

 菜花家である、アパートの五〇二号室。その前でつるぎはびっくりしていた。

 たしか母親とふたり暮らしの家のはずである。どちらの趣向だろうか、などと考える余地は、しかしなかった。菜花湊の母は、もう少し世間体を気にするはずである。

 明らかに、菜花湊の行いだった。

 どこか凝ったレタリングも、菜花くんのやりそうなことだと、つるぎは肩を竦めた。


 夏休み、つるぎに母からの呪いから解放された菜花湊は、風変わりな発想を惜しみなく出すようになっていた。


 インターホンを押すと、廊下を歩く音がして、ドアが開く。

 学生服のブレザーに黒いネクタイを合わせた菜花湊が出てきた。

「蜷川さん、いらっしゃい。ようこそ、『文化喪(ぶんかも)』へ」

()なの!? (そう)じゃなくて!? 語呂悪っ!!」

「文化喪です」

「文化喪って何?」


「蜷川さん、文化祭を休んだよね。嫌だったろうから、何か気晴らしになることをしようと思って、プチ文化祭をしてみようかと思ったんだ」

「うん、ありがとう。そうなんだね。それで?」

「で、とはいえお葬式の直後に祭りとかはしゃぐ気にもなれないかもしれない。だから喪に服さないといけない蜷川さんに合わせて、『文化喪』を開催することにしたんだ。

 祭なんて縁起のいい表現はミスマッチだからね」

「いや『祭』って慰霊とか法要にも使う概念だよ?

 冠婚葬祭の葬祭って別に喜怒哀楽みたいに対義語を並べてるわけじゃないよ、菜花くん」

「…………。…………。…………。……『文化喪』を始めます」

「あ、はい」


 招かれるままにドアのなかに足を踏み入れると、上にも下にも横にも鯨幕が張ってあり、いっそスタイリッシュな趣だった。靴を脱いだつるぎに、湊は風船を差し出す。

「どうぞ」

「風船に黒ってあるんだ」

「文化祭といえば風船だけど、喪に服すから、厳かにね」

「風船の時点で浮かれまくりじゃない?」

「そうだ、蜷川さんの宗派ってどれ?」

「センシティブなことを訊くね」

「宗派に合わせて色んな風船を用意してあるから」湊はそういって別の風船を取り出す。「たとえばほら、黒い風船に白い十字架を描いて、それから骸骨も描いてみた」

「ディティールが無駄に凝ってる! なんにも厳かじゃないよ、ビジュアル系の遊園地みたいになってるよ! ビジュアル系の遊園地ってなんだよ!」

「ちなみに宗派ごとの聖典から引用した文も書いてあります」

「うわ本当だ! 妙にレタリングが凝ってる! こんなに英字Tシャツみたいな風船が存在していいんだ!?」


 とりあえず無地の黒風船を受け取ったつるぎは、廊下を抜けてリビングに到着する。

 そちらも当然、鯨幕だらけである――カーテンも鯨幕だった。ひょっとしてバイト代とかを継ぎ込んでわざわざこんな空間をセッティングしたのか、となんだか菜花湊が怖くなった。

(わけがわからない、いつも通り)


 足元に猫が寄ってきた。菜花家の飼い猫である。

「今日は文化喪だからその子も喪に服してるんだ。ほら、黒いでしょ」

「いや元から黒猫だったよね? クロキティって名前でしょ」


「さて文化祭といえばフォトスポットだよね」

「うん、そうだね。隣のクラスがそれ用の部屋やってた」

「こちらが文化喪のフォトスポットです」

「仏壇だよね? 菜花くんの、えっと、お父さんの遺影だよね?」

「仏壇って綺麗でおしゃれだなって思わない?」

「わからなくはない」

「エモいって思わない?」

「エモいっていってもいわなくても失礼な気がするのやめて」

 エモーショナルではある、感傷的という意味で。


 とりあえず促される形で、クロキティを胸に抱いたつるぎは、会ったこともない菜花湊の父親――豪という名前らしい――の遺影とツーショットを撮った。撮られた、デジカメで。

「あれ蜷川さん、指ハートとかしなくてよかったの?」

「無関係の仏壇の前でそんな無法を働かないよ。どんなハートの持ち主だよ」

「そっか。写真は現像して後日お渡しするね」

「処分に困るって」

 なんだかすみません、という気持ちでつるぎは遺影に手を合わせた。

 遺影は微笑んでいた。


「さて文化祭あるあるをどんどん消化していきます」

「文化祭あるあるっていっちゃった」

「文化祭といえば文化部が頒布している冊子」

「あー、ちょっと気になってたやつだ。え、菜花くんが何か書いたの?」

「うん、一部だけね。はいこれ、『漫画でわかる葬儀中の礼儀作法』」

「葬儀後に渡されてもなあ……」

 試験の自己採点をするような気持ちでつるぎは冊子を捲る。案外絵が上手いし、最終ページにはきちんと出典サイトや参考文献が明記されていた。発想がおかしいくせに丁寧なのが余計に怖いな、と思いつつ、回忌時の作法や喪に服す際の作法も記載されていたので素直にもらっておくことにした。


「それから文化祭といえばライブだと思います」

「軽音部とかダンス部とか合唱部とか、音楽系の部活の見せ場だね」

「いまから一曲踊るね。ちょっと離れて」

「え、わたしいまから同級生の男の子から踊りを披露されるの?」

 湊はスマートフォンを操作すると、そのスピーカーから音楽を流し始めた。

 海外のスウィングミュージックである――湊はそのノリに合わせて、即興で身体を動かし始めた。

 踊りは三分に及んだ。曲が終わった湊は、つるぎにいう。

「どうだった? 蜷川さん」

「埃がたったなあ、って思った。窓を開けてもいい?」

「あ、どうぞ」

 窓の外から秋風がそよいだ。長袖で三分踊って汗をかいた湊には、少しありがたかった。

「ねえ菜花くん、踊りについてはどれくらい勉強したの?」


「リズムに合わせて、身体を動かせばいい。

 上手くやろうなんて考えなくていい、ただ鼓動のままに描け。

 様式なんてものよりも、君の衝動こそが何よりもその手足を美しい表現に導く。

 ってダンス部の部長さんにいわれたんだ、ダンスのやり方を教えてほしいっていったら」


「いつ教えてほしいって持ちかけたの?」

「文化祭の二日前くらいかな」

「たぶんだけど、準備で忙しいときにそんなこと訊かれたから雑にあしらったんだと思う」

 莫大なインプットがあってこそのオリジナリティでしょ、とつるぎはいいつつ、なんとなく可哀想に思えたので、しょんぼりとする湊の頭を撫でた。蜷川つるぎは男友達であろうと慰めたいときには軽率に頭を撫でる女子だった。

「ちなみに選曲基準はノリやすさとブラックミュージックであること」

「黒人と喪を繋げるの、よくないんじゃないかなあ。不吉扱いのようだし」

「たしかに。次回は気をつける」

「次回があるのかよ」

「ところでそろそろお腹が空いてこない?」

「カロリー消費は菜花くんしかしてないでしょ。わたしは仏壇とツーショ撮っただけだよ。ごちそうしてくれるっていわれたから食べずに来たけど」


「それじゃご飯にしよう。こちらに座って」

 と促され、リビングの食卓の席に座るつるぎ。机には鯨幕が敷いてあり、正直どこもかしこも白黒だとチカチカするんだよな、と思いながらキッチンの湊を待った。


「まずは飲み物、ブラックコーヒーです。喪の黒です」

「ブラックコーヒーを喪の飲み物にしないで」

 それはそれとしてよいものを淹れていそうな香りなので、つるぎはゆっくり口をつけた。

 違いの分かる女の気分で。

「美味しいね。何使ってるの? もしかして喪のモカ、喪カ?」

「いや、なんかインスタント。ごめんねコーヒーはまだ詳しくなくて」

「なんなんだよもう」


「それからこちら、ひじきサラダです」

「ひじきともやしで白黒っていいたいの?」

「あとひじきって海藻でしょ?」

()かあ」

 なんだかめんどくさくなってきたので雑に返し始めていた。


「そして喪のメインディッシュをお持ちします。イカ墨のパスタ……もとい喪パスタです」

「素パスタみたいな響き。これも菜花くんが?」

「はい。デザートもあります、黒糖ゼリーのホイップクリーム添えです」

「あ、おいしそう」

「以上でメニューはすべてでございます。どうぞごゆっくりお召し上がりください」

「菜花くんは食べないの?」

「僕は僕用に焼きそば作ってあるからそれ食べる」

「え、わたしそれも食べたい。大皿に盛ってシェアしない?」

「いいけど……」湊は冷蔵庫から取り出した焼きそばを温めながら、大皿をテーブル中央に置く。「でも、喪じゃないよ? 青海苔は藻だけど」

「いや別にわたしは喪じゃないといけないと思ってないし」つるぎはひじきサラダを美味しくいただきながらいう。「あのさ菜花くん、一応いっておくんだけど、友達として」

「はい」

「何、喪の文化祭って? 葬儀の翌日だからって理由でプチ文化祭を楽しめない人間、喪の文化祭でも普通に楽しめないことが殆どだと思うよ?」

「あ、そう?」

「むしろコンセプトのために黒いネクタイとか鯨幕を引っ張ってくるのは不謹慎だし、わたしと菜花くんじゃなかったら帰ってたと思う」

「……そっか。ごめん。間違えちゃったね」

「うん、間違えてる、常識的に」それからつるぎはいう。「でも、ちょっとだけ、よかった。なんとなく楽になってきた」

「え?」


「あんまり思い入れなかったとはいえ、お祖母ちゃんが亡くなったことより文化祭に行けなかったことが悲しい自分のこと、なんだか嫌になってたから。菜花くんがすごい不謹慎なおふざけを真剣にやってるの見てたら、ちょっとどうでもよくなった」

 つるぎはそういって、今日起きてから、初めて笑った。


「それは……蜷川さんのほうがマシだということ……?」

「マシじゃないとはいわせないよ?」

 つるぎは湊を軽くにらんで、それからまた笑った。湊もつられて笑いながら、大皿の右側に焼きそばを盛り付け、左に喪パスタを納め、それから取り皿をふたつ持ってきた。麺をフォークで口に運ぶ湊に、でも、とつるぎはいう。


「本当、ありがとうね。わたしのためにいっぱい用意してくれたんだよね」

「うん」

「美味しいよ、ゼリーもサラダもパスタもコーヒーも。焼きそばもね」

「よかった」

「菜花くんは変だけど、優しいよね」

「蜷川さんにいっぱい助けてもらえているから、日頃のお礼がしたかったんだ」

 湊はそういってはにかんだ。 


 食後、皿を流しに納めながら湊はいう。

「そういえば文化祭、図書室は古本市やるって話だったでしょ。あれ蜷川さんが読んでないやつ集めといたから、欲しいもの持って帰って」

「え、死ぬほどありがたい。ありがとう。わーい。持つべきものは友だね。ハピネス」

「蜷川さんが今日いち喜んでる。満面の笑みだ」

 つるぎは湊の集めた本を片っ端からリュックに詰め込んだ。見事にすべて未読で、図書室仲間として何を読んでないか共有しておいてよかった、とつるぎはホクホク顔で思った。


「じゃ、文化喪はこれにて閉会です」

「ありがとうございました」

「帰りってバスだよね? バス停までリュック持つよ」

「え、いいの? お言葉に甘えるよ?」

 リュックに詰まった大量の本はたしかに重たかった。湊はつるぎのリュックを背負うと、部屋の鍵を閉めてつるぎと外に出た。アパートから割合離れたバス停までの道で、つるぎは湊に文化喪の準備期間について訊いた。

「まあ蜷川さんのお祖母さんの葬儀の日程が決まったあたりで計画して準備してた感じ。なんの部活も入ってないからやれたことだと思う」

「なるほど。料理の食材買ったり練習したりはどうしたの?」

「実は昨日の夕方から今日の昼までお母さんが家を空けてるのもわかってたから。その隙に買い込んで……」

 といったところで、湊のスマートフォンが鳴りだした。母からの電話である。湊はつるぎに断りを入れて電話に出て、連絡内容に相槌を打った。


「菜花くんのお母さん? どうしたの?」

「そろそろアパート着くって。いまちょっと用で外に出てるっていっておいた」

「そっか。……あれ、やばくない?」

 つるぎの脳裏をかすめるのは、部屋中の鯨幕に、シンクの洗い物である。少なくとも、湊の母は湊が料理をすることをひどく嫌い、怒鳴りつける人間だった。

「まあ、叱られようと思うよ」

「ごめんね、なんだか、わたしのせいで」

「気にしないで、最初からそのつもりだったから。

 蜷川さんにちょっとでも元気になってもらえるなら、怒られるくらい、全然どうでもいい」


「……恩義を大事にするのは素敵だけど、でも、わたしのために我慢しちゃだめだよ。菜花くん自身のことを大事にしてね」

「ありがとう。でも、だからだよ。蜷川さんを放っとくほうが辛いから。僕のために、蜷川さんを楽しませたかった」

 バスがやってくる。つるぎは色々なことを思いながら、まあ最後は明るく別れよう、と思って、

「そっか、ありがとう。なんか菜花くんに愛されてるねえ、わたし」

 といいながら、湊からリュックを受け取り、バスのステップに足を乗せた。


「うん。愛してるよ、蜷川さん」

 と。

 湊がいうのを、聞いて、つるぎは一瞬どきりとした――でもこれはノリでいっているだけだろう、と思って振り向いた。


 菜花湊は顔を真っ赤にして、それでも真っすぐと、つるぎを見つめていた。


 そこからどう帰ったか、覚えていない。

 ただ、気づけば両親が仕事でいない静かな家のなかにいて、つるぎはベッドでひとり、ぼうっと、していた。

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