第十五話 祝祭にて - Aパート
ふたりにとって予想外だったのは、ハート形のチョコレートがどこにもないことだった。気づくのに時間がかかったが――露店を一周するあたりでようやく気がついた――地球界では定番だったので、気づいてしまえば違和感があった。とはいえ、
「まあでも、僕たちのいた世界だって、すべての国のすべての民族にハートマークが普及してるわけないんだけど」
「たしかに。定番の意匠って、結局は歴史ありきだからねえ」とつるぎはいう。「歴史が違えば、定番も違うよね」
「じゃあこの世界の……バレッタでは何が定番なんだろう」
「もう一周しよっか」
そしてわかったこととしては、丸や四角や三角といった意味の薄そうな形状の他には、バレッタらしく花の形やマークの書き込まれたチョコレートに加え、細長い長方形のチョコレートや、手のマークに見えるチョコレートが多いことがわかった――スマイルの絵文字のようなチョコもちらほらあった。これについて露店の人に訊いてみると、このように返ってきた。
「この細長いのは雨と木を表しているのさ。自然の恵みの象徴で、感謝を込めている。
これは右手の形のチョコだね、右手の絵にはよいものを求める力があるんだよ」
「どちらも縁起もの……えっと、いい意味なんですね」
「そうそう。こっちの笑顔のチョコは、コミュニケーションに使われる。喧嘩とかしたときの仲直りプレゼントに使われたり、ありがとうとか、楽しいとかって気持ちに使われたりすることもある」
「なるほどなるほど」
「それとね、この半円で黄色い砂糖のついたチョコは……えーっとそうだなあ、財布を表していてだね……そうだ、お金がたまりやすくなる……かもしれない。私しか作っていないから、ここでしか買えないよ」
「それはいま考えましたよね?」
とはいえ教えてもらっておいて買わないのは失礼な気がしたので、ふたりはその露店の女性から『雨と木のチョコ』『右手のチョコ』『財布のチョコ(?)』を四つずつ購入した。それから露店通りの向こう側にある、運動会の実況スペースみたいな場所に席を取り、ひとまず食べることにした。
「ご一緒に飲みものはいかがですか?」と販売員らしき女性が色々と積んだ台車を引いてやってきた。「ミルク、ホットチョコレート、ブラックティー、ワインなどがございますが」
「僕はミルクで」
「わたしはワインがほしいです」
販売員はミルクとワインのついでに、チョコレートを入れるための器を渡してくれた。食べたあとは持ち帰ってもよいし、この飲食スペースの傍にあるごみ箱に捨てていってもよいとのことだった。
湊とつるぎは乾杯をして、入口のチョコレートクッキーと露店で買ったチョコレートを器に開けて食べ始めた。さきほどの露店の女性から買ったものに加えて、小さなチョコレートケーキや、プラリネらしきものが入ったチョコレートも買っていた。作り手によって微妙な甘さや口どけの違いが感じられ、嬉しくなるほど面白かった。
「ワインも美味しいよ。プラリネチョコっぽいやつと合う。湊くんどうぞ」
「ありがとう。宝石箱」
「宝石箱だね、この町そのものが」それからつるぎは笑う。「宝石箱じゃない町なんて、本当はないのかもしれないけれど」
それからふたりは、露店以外のチョコレート店に赴いて少しずつ買って食べ歩いていった。味変を求めて酒場に入ってみると、祝祭日限定のいわゆるチョコレートリキュールを提供しており、湊は喜んで飲みに行くつるぎを可愛く思いながらサラミを注文した。
「ていうかやばいね、毎年こんなお祭りやってるんだよね。お祭りじゃない日も特別プッシュしてないだけで美味しいチョコレートいっぱいあるんだよね。いい町」
「ここに住んだらニキビどころか虫歯とか糖尿病とかなりそう」
「まあそこは教会で無料の治療が受けられる世界だから」
「異世界いいなあ、都合が」
やがてふたりともお腹がいっぱいになり、締めのミルクを終えると、少し休んだら花を見に行こう、と決めた。
広場に戻り、チョコレートの露店のほうとは逆の方角に目を向けると、今度はたくさんの花屋が屋台を構えていた。植物の花だけでなく造花の髪飾りや花を象ったブローチ、祝祭日のときにだけ売っているという触れ込みの香水、子供たちが作った押し花のしおりなど、フラワーグッズが目白押しだった。
香水の匂いを試し嗅ぎしている湊の横で、つるぎは花のしおりを選ぶ。
「湊くんはしおり要る?」
「んー、大丈夫。本のページ数覚えとく派だから」
「たまに間違えちゃわない?」
「まあ数ページ先だったらぴんとくるし、数ページ前からだったら長く読めてお得だから」
「あはは、たしかに」
やがて湊は香水を決め、ふた瓶のパルファムを自分の荷物入れに収めた。
「どう? この世界の香水は」
「地球界のと似てる匂いのもあったけど、なるべく新鮮なのを選んでみた。せっかくだから。あと、せっかくだし、今日限定のも悪くない香りだったから買ってみた」
「あとでつけて嗅がせて」
「いいよ」
比較的グッズの多いエリアを抜けると、数十店舗はありそうな花屋に囲まれた広場に出た。屋台に並ぶ花々は、見覚えのあるものもあれば、全く見たことのない姿かたちの花弁もあった。湊は天界の庭園を思い出した。なんだかあそこから、ずいぶん遠くまで来たような気がした。
「……そういえば、地球界にもある花は、やっぱり女神が持ち込んだものなの?」
「そういう場合もあるけど、偶然、ほぼ同じ遺伝子の品種が生まれる場合もあるんだって。これとか、名前違うけど薔薇と一緒なんだよ」
「なるほどね」
「ところでさ」とつるぎはいう。「ものは相談というか、提案なんだけど」
「提案?」
「お互いに花を贈り合いませんか」
「お互いに?」
「うん。これから別行動してさ、わたしは湊くんに贈りたい花を、湊くんはわたしに贈りたい花を選んで、ここじゃない祭壇とかあるほうの広場で待ち合わせして、プレゼントを発表する」
「ああたしかに、選んでるところを知ったうえで渡されるよりも、なんだか面白いかも」
「でしょ。そうしよ」
「そうしよ。じゃ、いったんばいばい」
ふたりは抱き合って軽くキスをして、それから二手に分かれた。
湊が白い花を携えて広場に立っていると、
「あ、湊くんお待たせ」
がらがらがらがらがらがらがらがらと台車を引きながら、つるぎは現れた。
台車の上にはチョコレート色の宝箱のようなものが置いてあった。
「つるぎ、それは?」
「なんでしょう。開けてみて」
湊は恐る恐る宝箱に手をかけて、ゆっくり開く。
箱のなかには、ぎっしりと――薔薇が敷き詰められていた。
厳密には、薔薇と同じだが、薔薇とは別の名前がつけられた花だけれど。
「すご……何本あるの?」
「九百九十九本」とつるぎはいった。「湊くん、意味知ってる?」
「……うん」
『何度生まれ変わってもあなたを愛する』。
有名すぎてベタなくらいではあったけれど、湊はつるぎが、本当にそれをやってくれるという確信があったから、ストレートに感動していた。
事実、湊が死後に何に生まれ変わったかを女神に教えてもらって追いかけるために天使試験にトライし、合格して、湊を守るために女神を手に掛けたのが、蜷川つるぎである。
「大好きだよ、湊くん。ひとりにしないから、絶対」
「ありがとう」湊はつるぎを抱きしめて、もう一度いった。「ありがとう」
「湊くんこそ、いつも、わたしが助けに行くまで生きててくれてありがとうね」
つるぎはそういって湊の頭を撫でた。
「で、湊くんのお花は?」
「これだよ」湊はつるぎに白い花を渡した。二輪。「スライリスっていうんだって」
「かわいい。百合と薔薇が混ざったみたいな感じだね」
「花言葉は、『聖なる愛』『恋にもだえる心』『誠実』『君ありて幸福』『感謝』『愛の告白』『可憐』『無垢で深い愛』『出会えてよかった』『喜び』『特別な存在』『献身的な愛』『完璧』『誇り』『いつも幸せ』『固い絆』『華麗』『甘美な思い出』『奇跡』『決して離れない』それから」
「多い多い多い多い多い多い多い多い。ひとつに意味が込められすぎている。生の字じゃないんだから」
「いやこの世界そもそも花言葉の概念がないらしくて、じゃあつけ放題だって思って、知ってる花言葉を全部盛ってる」
「引き算の美学ってあると思うよ、わたし」
「あははは、まあでも。すべての世界の花を集めても、僕の気持ちは伝え尽くせないけど」
さて九百九十九の赤い薔薇と二輪の白いスライリスをどうするか、という話になる。いくらなんでもそれだけの薔薇を持ち歩けるわけがないが、せっかく買い集めたのだからバレッタに置いて行って枯らすというのも忍びないし、だいたいゴミになった九百九十九の薔薇を処理する町民からすればいい迷惑である。
「……あ、待って。なんか読んだかも」とつるぎは手を叩く。「たしか、お花の保管みたいなことしてるところあったはず。よく思い出せない」
「町の人に訊こうか。すみません」
湊が声をかけ、つるぎが説明をすると、
「観光の方かな? そういうことなら教会に持っていくといい。教会で天使様に枯れないような祝福をかけていただくんだ。
そのあとは、持ち帰れないのなら、教会の傍の納花堂に納めるといいんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ふたりの心に今日の祝祭が、枯れることなく咲き続けますように」
教会に向かう途中で、湊は訊く。「あれ、じゃあつるぎにもこれらを枯れない花にすることは可能なんじゃないの? 要は魔法でどうにかしてるんでしょ?」
「まあ植物魔法と回復魔法の応用なのかなあと思うけれど、でも具体的にどうするかはわからないなあ。たぶんだけど、バレッタ担当の天使には技術とともに引き継がれる業務なんだと思う」
「ちなみに何課になるの?」
「さあ……たぶん治療課はそういうサービスじみたことしてる余裕ないと思うから、環境課かな、どうだろう」
教会に入り、つるぎは湊に台車を渡す。湊はすぐに、ああ気まずいのかな、と理解をして天使室に入った。つるぎは天界では女神を殺して強引に女神になった天使だ。そのせいで天使から疎まれているうえ、天界全体を忙しくしてしまったと聞くので、諸々の罪悪感などで顔を合わせづらいのも無理はない話だった。
「あら、勇者様」
天使室――他に人のいない狭い個室である――に入った湊を迎えた天使は、開口一番、湊をそう呼んだ。
「こんにちは。この薔薇とスライリスを枯れないように祝福してください」
「ああ、はい。そういえば、いまは蜷川さんの研修に付き添いをされているんでしたっけ」
「え? あ、はい。あの、話したことありましたっけ?」
「天使寮でお話したじゃありませんか」
「……すみません、印象に残っていなくて」
「正直な方ですね。だからこそ、勇者にはふさわしいのかもしれません。キャルゼシア様は勇者様が予言の魔王を討ち滅ぼすその日を待ちわびています。魔王の狙いは世界を滅ぼすことです。それが業火によるものか極寒によるものかはわかりませんが、きっと滅茶苦茶にされてしまうことでしょうね。
勇者様はどのような道程を辿りここに辿り着かれたのでしょうか。どうあれ、目にされてこられた世界は美しかったでしょう? 美味しいものは召し上がられましたか? まだであれば、是非ともバレッタのチョコレートをご堪能ください。
バレッタの町は華美な花々に甘美なチョコレートの町です。もしも魔王を野放しにすれば、バレッタもきっとただではすみますまい。私もバレッタの天使室にて長年勤めておりますので、バレッタには愛着があります。
勇者様、どうか世界をお救いになってくださいね。
はい、祝福をかけ終わりました」
「ありがとうございます。天使さん、誤解されたくないので説明したいんですが」
「なんでしょう」
「僕は蜷川つるぎを愛しているので、蜷川つるぎのために魔王を滅ぼします。
どうか、世界のための勇気などと、勘違いしないでください。
世界を守るために戦ったなんて、後世に残されたら、屈辱です」
天使は一瞬、苦虫を嚙み潰したような表情を見せたが、すぐに気を取り直したような笑顔を見せて、天界に戻っていった。
「どうだった?」
天使室から出てきた湊につるぎが訊くと、湊は無言でサムズアップをした。
教会の向かいに、納花堂と呼ばれる広い建物があった。
受付で用件を伝えると、長方形のプレートと筆記具を渡された。ここに名前や日付を書いて、花を納める場所の傍に掛けるのだという。
受付から奥に入ると、二手に分かれる廊下があった。花の量によって納める部屋が変わる仕組みであり、岐路に立つスタッフは、つるぎたちの台車を見ると右手側に案内をした。
促されるまま進むと、だだっ広い空間に出た。壁際に人が何人か入れそうなほどに大きな鳥かごのようなものがたくさん並んでいて、大半のカゴのなかにはすでに誰かの納めた花があった。
空いているカゴを見つけてスタッフを呼ぶと、花を納める器についていくつか提案をもらったため、つるぎは円形の器を選び、赤い薔薇の中央に目のように白いスライリスを置きたい、とイメージを伝えた。
スタッフは黒く大きなお椀のようなものを持ってきて、てきぱきと九百九十九の薔薇を敷き詰めた。そしてそこに、つるぎと湊の手でスライリスを納めると、つるぎの思っていた通り、スライリスがはっと映える様になった。
「ありがとうございます。ここまでしてもらって、お代とかかかりますか」
「祝祭日に、こんなにたくさんのお花をおふたりで買い上げるなんて、さぞかし愛し合われているのでしょう」スタッフは微笑む。「私共は大切な一日のお手伝いができただけで幸甚ですわ」
日が暮れると、つるぎの予想通り、キャンプファイヤーのような行事が始まった。火を囲んでペアで踊るような雰囲気だったので、知らない踊りだったが、見よう見まねで湊とつるぎも踊ってみた。
踊りと火の熱気で汗をかいてしまったため、少し遠くで火を眺めながら休む。冷たいココアのようなものを配っていたので素直に受け取って、ふたりで乾杯をした。
「それにしても独特な踊りだね。盆踊りともフォークダンスとも違うような」
「あれはバレッタの独自の踊りなんだけどね」つるぎは天界の書斎で読んだことを思い出しながらいう。興味深く感じたため、記憶によく残っていた。「動きのなかに、ほら、祈るみたいなポーズのところがあるでしょ」
「うん、わかる」
「この祝祭は、この一年間で亡くなってしまった人と、それからデュクシデュクシーの魂に祈りを捧げる目的もあるんだって。だから、そういう意味をちょくちょく込もってる振付なんだよ」
「デュクシデュクシーの魂?」湊は驚く。「女神が代替わりするのはわかってるにしても、生きてるかどうかって、下界の民に伝わるの?」
「それがね、昔、天使室の天使が雑談でうっかり洩らしちゃったそうで」
「あ、うっかりなんだ」
「まあ天使だって元人間だからさ、忙しいなかだと、やらかしちゃう日もあるってことだね」
「そっか。……この町で亡くなった人やチョコレート文化を作った女神の慰霊も兼ねてるって思うと、なんだか、何回忌とかみたいな」
「うん、でもお祭りってそもそも死者の魂を鎮めるためのものが多いし。……ふふ」
「どうしたの」
「いや、ちょっと思い出しちゃって。高校のとき、湊くんがしてくれたやつ」
「え? ああ、文化喪ね」
「それそれ。懐かしいなあ」つるぎは湊の肩にもたれかかる。「思えばあの日から、男の子として気になり始めたんだよねえ、湊くんのこと」




