第十四話 魔女バッカ - Aパート
「いや帰ってください」
と湊は女性の顔を見ながらいう。
「私ねえ、知ってるよ。我慢してるんでしょ?」
見透かすようなことをいわれ、湊は気味の悪いものを感じた。
(これはどういう状況だろうか)
殺しても正当防衛になるのだろうか、と湊は部屋の隅に立てかけてある聖剣『イニミ・ニ・マニモ』を見る。もっと手元に引き寄せておいて損はないだろう、と思って立ち上がろうとしたが――それはしかし、叶わなかった。
(え?)
身体が動かない。縛られているというより、動こうとしてくれない。
「動かないねえ」と女性はいい、湊の傍に近寄って、身体で視界を遮る。「本当は君は、抵抗なんてしたくないんだよ」
「なんですか」
「証拠に見てるじゃん、身体」
「見せに来てるんじゃないですか」
「瞑ればいいじゃん、目を」
「そんな無防備なことして何があるかわかったものじゃない」湊は女性を睨む。「帰ってください。どこの誰か知らないけれど、すごく怖い」
「そうはいっても君は」女性は湊の身体に手を添える。「君の身体は私の身体を呼んでいる」
「わかった。お前は魔女だ」
「……うははは、知ってんだ、魔女とか」
魔女バッカは目を細めて笑った。
「僕が動けないのも、なんらかの魔法だろう? 僕が抵抗していないわけじゃない」
「いやいや、君が抵抗していないんだよ。抵抗する気がないんだ。逃げる気もない。だから動かない、動けない。そして、うちの身体を求めてんだ」
バッカが湊の手を取って、自らの脂肪に導く。錘がひとつ釣り上がる。
「正直になっていいんだよ、気持ちよくしてあげるからね。
黙ってれば傷つけない、墓場まで持ってけば罪じゃない。
私も絶対秘密にするし後腐れないよ、こんな機会ないよ。
大丈夫だよ仕方ないよ、性欲に抗えない日もあっていい。
恥ずかしいことじゃない、誰だってそれくらいやってる。
むしろよそですっきりしたほうが落ち着いて愛せるかも。
我慢して溜め込むのは身体にも悪いし一旦さくっとしよ。
つーかさみしくさせたほうが悪いんだ、君は悪くないぜ」
「帰ってください。引きちぎりますよ、この肉」
「うははは、できないくせに。ちぎるどころか揉みたくてしょうがないくせに。身体に正直になりな? 欲しいなら欲しがっていいんだよ」
「たしかに」と湊はいう。「あなたのいっているように僕はあなたに欲情している」
「お、認めた。うはは、その意気だ」
「でも僕はあなたを抱くことを選びたくない。だから選ばない。なぜならつるぎを愛しているから」湊はバッカのにやにや顔を見ていう。「そして、選ばないことが愛だから」
「……愛とか、綺麗で気高い言葉で繕ってもダメだよ。本当にそのつるぎさんを愛しているなら他人に性欲なんてわかないはずでしょ?」
「そんなことはない。僕はデミセクシャルというわけでもないし」
「なにそれ?」
デミセクシャルという言葉の意味を問うバッカを無視して、湊は続ける。
「性欲なんてお腹が空いたり眠たくなったりするのと同じだ。僕の意思でわくものじゃない」
「うん。だから我慢しちゃよくないよ?」
「でも我慢するんだよ。お腹が空いていたって、帰ってくる予定の好きな人のために作ったケーキを食べて崩さないように。眠たくたって、愛する人がいまそのとき悲しみに泣いているんなら起きて抱きしめてあげるように。手を繋ぎたくて繋ぐとき、痛くない強さで握るように。
欲望なんて身体の一部だ。手足と同じ、声帯と同じ、身体の一パーツでしかない。
自分の身体の色んなパーツを、相手のためにどう操るかだよ、愛情って」
「澄ましてんじゃないよ」魔女バッカは白けた表情でいう。「男なんて人間なんてどいつもこいつも皮むきゃ獣でしょ? ポエム綴ってないで抱けっていってんのが聞こえないわけ?」
「伝わらないなら別の本音を出してあげようか」湊も冷めた瞳で見つめる。
「そのへんの女に突っ込むほど安いチンコ生やしてねえんだよ、ばーか」
バッカは湊の胸元を突き飛ばしてベッドに倒すとそのうえに馬乗りになる。まだ身体が上手く動かせない湊のズボンを脱がせる。そこから下着をおろすのかと湊は思ったが、バッカはそうではなく、湊を抱きしめるように身体を密着させ、そこから勢いよく、湊ごと、ごろんと転がった。狭いベッドのうえでそうすれば当然、ベッドの横に転げ落ちることになる。
湊は反射的に床に両腕をつく――湊の身体に裸のバッカがいて、まるで湊が襲い掛かっているかのような格好である。
「嫌ああああああーーーーーーーっ!!!!!!」
と。
魔女バッカは金切り声を上げた。
予想外の行動に怯む湊の下で、バッカは言葉を続ける。
「たすけて! 男に部屋に連れ込まれて脱がされて……犯される!!!!」
「大丈夫ですか!? ……って、え?」
当然ながら。
隣の部屋に泊まっていたことで叫び声が届いたつるぎが部屋に駆けつけた――そして、想像外の光景に固まる。
バッカは泣きそうな表情を作りつつ、内心でほくそ笑んでいた。
(うはははは。これでこいつらも終わり。終わりだ、他のカップルと同じように、同じような作戦で、おしまいだ、ね、ね、ね。うはは)
湊はつるぎの目を見ていう。
「つるぎ。助けて」
「あ、うん」
つるぎは植物魔法でバッカの足をツタで縛り引きずりながら持ち上げ、ベッドに投げ込む。
「な、え!?」とバッカは何が起こったかわからない表情だった。「あれ、ええ? なぜ?」
「なんかわかんないけど、湊くん大丈夫? 嫌なことされてない?」
「まあ大丈夫。それよりつるぎ、あいつ魔女だよ」
「そうなの? なんの魔法とかわかる?」
「わからないけど、でも、なんか動けなかった」
「金縛りの魔女とかかな?」
「待て、待て待て待て!」とバッカはうろたえる。「あり、ありえ、ありえない。ありえない! なんで、喧嘩とか、ビンタとか、しないんだ? うち、襲われてたよ、ね、ね、ね!」
「念のため訊いとくか、経緯どうなの? 湊くん」
「かくかくしかじか」
「まるまるうまうま。なんだハニートラップじゃん。魔女さんさあ、あなたみたいな特殊な例が、性被害の告発をした人に余計な偏見の目が向けられて、生きづらい世の中を作る一因になるんですよ? 大多数の無辜な被害者のメンタルに迷惑かかるからやめてくださいね」
「いや、違、うちはそいつに部屋に連れ込まれて」
「湊くんが部屋から出て魔女さんをどっかから引っ張ってきたんですか? 廊下を、わたしの部屋の前をそんなふうに行き来してたなら床が軋む音を感じそうなものだけど、そんな音は聞こえなかったよ? わたし静かに読書してたんだけど」
「…………。…………。…………。……矢文でさあ」
「考えて矢文なんだ、言い訳」つるぎは部屋の入り口に落ちていた服を拾って投げる。「はい着る。風邪ひきますよ」
「え? あ、ありがとう」バッカは素直に身に纏う。
「着た? じゃあはい」つるぎは魔法でまたツタを出して、バッカを逆さ吊りにした。
「うわあっ!? な、な、なんだよ、何」
「裸じゃ流石にみっともなくて見てらんないから」つるぎは片手間で生成していたアイスピックをバッカに向ける。「命が惜しいなら素直に素性と目的を話してください」
「……うちは、魔女バッカ。欲望の魔女」
「バッカさんね。欲望の魔女って?」
「手で触れたことのある、相手の欲望、を、自由に操れるんだよ、ね、ね、ね」
「ふぅん? 湊くんが動けなかったのはなぜ?」
「抵抗意欲を、出なくしたんだ。抵抗、したほうがいいって、思ってても、抵抗する気が、起きないって、わけだ、ね、ね、ね」
「ねえ、普通に喋ったら?」と湊。「急に変な喋りかたになるじゃん」
「男を、かどわかすときは、役に入り込んでるから、問題ないんだ」
「なんでそんなことをしてるんですか?」とつるぎは訊く。「つまり男を誘惑して、さっきみたいに悲鳴を上げて……冤罪を着せるみたいなことをしてるんですよね? なんのために? お金とか?」
「ふ、ふふ、普段は、冤罪ってほどでもないんだよ、ね」バッカは陰気ににやつく。「彼女から、数日すげなくされた男に、この身体で迫れば、みんな獣になるんだ。紳士ぶってても、彼女一筋みたいな顔してても、理性なんて、崩すのは簡単なんだよ。そのとき、うち、悲鳴をあげて助けを呼んで、人が集まったりしてそいつの彼女にも知れ渡って。
うは、うははは、それだけのことで、あっけなく、終わっちゃうんだ。愛なんて」
「いやそれは……ん? カップル同士の性生活を監視してる? あれ?」とつるぎは考え、思い至る。「いや、……もしかして最近わたしの性欲が凪なのってバッカさんの魔法だったんですか?」
「じゃあ僕が生前より性欲強めというか肌寂しい感じが強かったのも!?」
「うははは、ばれちゃ、しょうがない、うはは」魔女バッカは笑う。
「愛だ想いだポエム吐いてたどんなカップルも、ね、ね、ね。性欲なんかの、均衡が崩れただけで、あっちゅうまに、ね、ね、ね!」
「……なんかデスゲームを主催して人間の本性がどうこうという人みたいだ。もういまどき『いや異常な状況下で出る人間性は異常な状況下で出る人間性であって、平時下での人間性が仮初ってことにはならないよね?』って意見が普及していってるのに」
「なんでもいいけど」とつるぎはアイスピックを構え直す。
「困るので、戻してください」
「嫌だ、ね、ね、ね。取り下げたら、ま、負けたみたいじゃない」
「……ねえつるぎ、たしか逆さ吊りって死ぬよね?」
「うん。心不全とかで、まあ一晩置いておけば死んじゃうんじゃない?」
「そしたら今日はつるぎの部屋で一夜を明かそうかな」
「わかった。狭いけど一緒に寝よか」
「ま、待て! 降ろせ! 人でなし!」
「死ぬか魔法を解くか選べって話だけど?」と湊。
「というか他のカップルにも魔法かけてきたんですよね、あれって終わったあと戻してあげたんですか? そうじゃないならそれも解いてくださいね」
「う、う、う。うううう~~!!!!!!」
魔女バッカはプライドと生存本能の板挟みになり泣き出した。はっきりいって魔法によって庇護欲を掻き立てるなどすればどうにかなる状況だったが、そこまで頭が回っていなかった――すでに頭に血が昇ってきていた。
「いや泣かれても」
「逆さ吊りで号泣してる人、わたし、初めて見た……」
「うう、う、う、う。ね、ね、ね。ね、ね、ね! ね、ね、ね。ね、ね、ね。ね、ね、ね。ね、ね、ね! ねね、ねね、ねね。ねねね、ねねね、ねねね! ねねねね、ねねねね、ねねねね! ねねねねね! ねねねねねね! ねねねねねねね! ねねねねねねねね! ねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねえちゃんたすけて」
「助けに来たよ」
と。
どこからともなく、魔女アッカがやってきた。




