第十二話 ニムルとカンタレラ - Bパート
長い一日を終えた蜷川つるぎは、菜花湊のとっておいた宿のベッドに身体を沈めていた。湊はうつぶせのつるぎの下半身の傍に膝をついて、足腰の按摩を始めた。疲労など回復魔法でどうにかなるものだったが、精神的にはそうはいかないだろうと、湊は考えていた。
「お疲れ様、つるぎ」
「ありがとー……でも湊くんも疲れてるでしょ」
「大丈夫だよ、つるぎに触りたいだけだし」
「わあ性欲。まあいいや」つるぎは指圧を受け入れる。きもちい。「今日なんか色々やった気がする」
「たしかに。マーキュリーさんと会ったのが朝のことなんて信じられないね」
「うん」
「つるぎがいっぱい頑張ったし、色々、いい方向に行くよ」
「そうかなあ」とつるぎはいう。「カンタレラさんのお父さんに、和解金ぶんの金塊は渡したけど、ちゃんと和解ができたかまでは、ちょっと見届けられないし」
「そういえば、どうして渡すだけで終わらせたの? 疲れた?」
「それもあるけど。……わたしがポールトル側として付き添ったら、女神だろうと天使だろうと天界側の存在なわけだから。わたしが味方してることを理由に、グザイ側はどこまでも許さざるをえなくなるのかな、みたいな」
「どういうこと?」
「つまりさ、和解金を払われたって、許したくないラインは残っているかもしれないでしょ? ってまあ、結局ポールトル側が何をしたかって聞きそびれたけど、ポールトル側が怒らせてこうなってるんでしょ? じゃあ、許すか許さないかどこまで許すかの選択権は、グザイ側にあって。もちろん人の命が係ってるんだから、教会を使っていい権利くらいは最低限認めてほしいものだけど。それでも、認めない権利だってグザイ側にはあるんじゃないか、とか」
「……そのあたりの判断を、つるぎの存在が干渉しないようにしたいってこと?」
「うん」つるぎはジンコゥでの一件を思い出す。「今日、ミリィさんの件でジンコゥの断罪所に行ったんだけど。わたしが女神だっていうと、公平であるべき断罪所の人たちが、わたしのいうとおりに判断してくれてね。……ミリィさんのためにそれは利用したんだけど、なんだか、やっぱり、重いなあって、責任が」
「責任?」
「わたしが間違ったことをいっても、従っちゃうんだろうなって思って。女神が倫理だから。何が悪いか何が善いか、女神が決めるから」
「間違ったほうに導いてしまうかもしれないってこと?」
「それもあるし、わたしが正しいっていったことと正反対のことを思っている人がいたとして、その人が無条件で間違い側に追いやられるって思うと、……もうあんまり、女神とか自称したくないなって、ちょっと思った」
でも、とつるぎは続ける。
「それでも、わたしは女神だから。女神として色々なところを巡っているんだから、女神の権能や女神という立場でどうにかなることがあるなら、やらないと怠慢だってわかってる。……わかってるんだけどね、……暴力的に思えて怖くて、ポールトルとグザイの和解については遠慮しちゃった」
上手くいってるといいな、とつるぎは呻き声のようにいった。
「怠慢じゃないよ」と湊はいう。「少なくとも、考えて、やらないって決めたなら、怠慢じゃない」
「ありがとう。……そうだね、それを決めることだって大事」
「つるぎ、いっぱい考えてるんだね。僕なんて何も考えずに、つるぎと一緒に居たいとしか思ってないのに」
「ふふ。傍にそういう人がいてくれるっていうのも案外、助かるものだよ?」
「それならいいけど」
「わたしも考えすぎなのかなあ」つるぎは嘆息する。「終わったこと、もう済んだことも考えちゃうなあ、ずっと」
「何かそのなかで、重いのがあったら聞かせてくれてもいいよ」
「んー。湊くんはさ」
「何?」
「復讐のために人を殺すことって、悪いと思う?」
「……僕が先代女神から解放されたきっかけが、つるぎが僕のために怒って先代女神を殺したことだから、悪いなんていわないけど」
「たしかに。じゃあ、質問変える。
……復讐のために人を殺そうとしている人がいて、その人がその復讐を遂げないと幸せになれないっていってたとして、さ。
その人があとで罪悪感に苦しむかもしれないからって、犯行を阻止するのは、いいこと? 悪いこと?」
「つまらない答えをいうかもしれないけれど、人による、人生によると思う」
「人による、はつまらない答えじゃないよ。大事な答えだし、広げれば面白い」とつるぎはいう。「じゃあたとえば、あとで罪悪感に苦しみそうな、倫理観のある人……に、見えた場合は?」
「他者……僕やつるぎからはそう見えても、本当はそうじゃないかもしれないよね。その人の本当に心の奥にある、社会性とはかけ離れた部分は、なかなか窺い知れないし。つるぎにはいい部分しか見せていないのかもしれない。自分のいい部分しか知らないような他人に、復讐を阻止されたら、嫌だろうね」
「……うん」
「でも、反対に。いい部分を見せたいっていう社会性もたしかにその人の一部なわけだから、やっぱり倫理に悖る行いはさせないほうがいいかもしれない。その人が自分に胸を張って生きていけなくなるかもしれないなら、阻止してしまったほうがいいかもしれない……」
湊はそこで少し考えて、いう。
「いいことか、悪いことかは、僕やつるぎじゃなくて、阻止された本人が好きに決めていいことなんじゃないかな。というか、本人以外は決めちゃいけないんじゃないかな」
決める権利なんてないんじゃないかな、と湊はいった。
「……でも、わたしは、できるだけ、みんなが幸せになるほうを選びたい」
「うん。それがつるぎだし、つるぎはそう思って、女神の力や立場で色んなことをしてきたんだよね。だけど、それが完璧である必要はないと思う。完璧じゃなくちゃいけないわけじゃないと思うよ。誤読や誤解や誤回答、判断ミスにケアレスミス、あって当たり前だと思う」
「誰かの人生を変えてしまうことなら、間違えたくない。間違っていたときに、必ず責任をとれるわけでもないから」
「うん。その真剣な気持ちは大事。完璧じゃなくていいってことは、完璧を目指さなくていいってことじゃないと思う。悔いのないよう頑張って考えて判断し続けたほうが、つるぎにとってもいいと思う。
だけど、全部が終わったあとは、あの人にとっていい横槍になってくれてたらいいな、って思いながらお茶とか飲むくらいの気持ちでもいいんじゃないかな」
湊はそういって、つるぎの足の裏を少し強く圧した。
「効く~。……悪い横槍だった可能性が大きいかもしれなかったら?」
「そのときは、また別の人がいい横槍を入れてくれると信じるしか」
「別の人?」
「うん。周囲の人が何かしてくれるかもしれないし、人間そのものがいなくても素敵な本に出会えたり、あるいはその人自身が『さっきあんなふうに人生の軌道を変えられたけど、やっぱり戻そう、そのほうがいい気がする』と判断したりするかもしれない。
その人を導いたり救ったりできるのは、つるぎしかいないわけじゃないでしょ?」
「……そっか」つるぎはマーキュリーのことを思い出す。ミリィはマーキュリーの教会で、いまごろどのように過ごしているだろうか。「わたしの判断が間違っていたとしても、あとで直せるくらいの余地も用意できていたら、そんなに悪くないのかな」
「僕だったらむしろ、手厚いなって思うくらいだよ」湊はそういって笑った。
「ありがとう。……ちょっと楽になった」つるぎはそういって身を捩り、湊のマッサージを終了させて、それから湊の手を取って指で揉み始める。「まあ、その余地を残すなら、これからは軽率に女神を自称するのもやめようかなあ」
「そうだね。それもいいと思う」湊はつるぎの指と自分の指を見つめる。「つるぎはさ、女神一年生だし。というか研修生か。とにかく、色々とやりかたを試してやっていこ」
「うん。湊くん横になって。うつぶせ」
「はーい」
つるぎはお返しに湊の背中や脚をマッサージし始めた。本で読んだマッサージのツボの配置を思い出しながら。
「でもつるぎ、なんか、女神になっていってるよね」
「そうでもないよ、まだ泣いちゃうときあるし」
「だとしても、女神をやるぞって気合いというか、気概? 責任感? そういうのが強まってるのを感じる」
「ああ、そうだね。やっぱり、他人を幸せにできる力があるなら使いたいし、女神として力を使うならちゃんと考えないといけないし」
「僕なんて、勇者をやるぞとか全然思えてないのに。この世界を救おうとかミリも考えてない」
つるぎのやりたいことの手伝いならしていたいけど、と湊はいう。
「正直さ、この世界、ろくなこと起きないじゃん。異世界だけど、僕らが生まれた地球界と変わらないくらい、性被害やらなんやら起こってて人間同士で不幸にしあっているし、むしろ異世界だからこそ倫理的にも僕らの世界より古臭く感じてしまうし……それに僕が勇者として守ることになるのってこの世界じゃなくて、現代の、違う世界線の世界でしょ? つるぎがよりよいほうに行けるよう頑張ったのとは別の世界線の世界を守るって思うと、やる気が起きないというか。
そんな世界、救わなくてよくない? ってちょっと思ってしまうんだよね。
地球界の人類と同じくらい、救う価値がないんじゃないかって」
湊がそういうと、いいたいことはわかるよ、とつるぎは受ける。
「そう思うのもわかる。でもそんな世界でも自分で幸せになろうとしてる人や、そんな世界だから誰かを幸せにしようとしてる人がいるから、わたしは救う価値がないとは思わない」
「……なんか本当、つるぎって神様向いてるのかもね。他人を世界ごと大事に思えるとこ」
「ありがとう、でも湊くんが一番大事だよ? 湊くんが生きて傍にいてくれるから、心置きなく世界に優しくできてるだけだよ」
湊くんが死んじゃったとき、もういいから世界滅べって思ったもん。
つるぎはそういって微笑んだ。




