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第七話 [E]故人館かく語りき - Bパート

 アパシィというのは百年前、ジンコゥの町に暮らしていた富豪の姓であり、どかんと構えた広い屋敷に暮らす三人家族の姓である。ひとり娘のミリィ・アパシィは十六歳にしてその身に子を宿していることが近頃わかり、相手の男性の所在がわからずとも、両親は気にせずに力を合わせて育て上げることを誓っていた。


 かように家族同士のつながりは強いが、そのいっぽうで従業員は多ければ多いほどリスキーであるという考えのもと、執事は一名、使用人は二名と最低限の採用数に抑えられている。そして、つるぎと湊が戸を叩いたちょうどその前日、二名の使用人がおのおのの事情で辞職をしてしまい、人員募集をかけようとしていたところだった。


 つるぎと湊は使用人として雇われることになった――メイドと下男である。


「本日から就業していただきます。忙しくなる夕方までは私、執事のスーがあなた方の指導を行います。真剣に聞いてくださいね」

 厳格そうな眉目の女性執事・スーを前に、つるぎも湊も背筋を伸ばして最初の指示を聞く。つるぎはスーツを着た湊が新鮮に思えて横目で眺めては、スーの視線を感じて戻すということをしつつ話を頭に入れていた。


 キャルゼシアは百年前、この屋敷でメイドとして一日だけ就労経験をした。女神として民に寄り添うため労働に身を投じられたのです、とパトスは伝えたが、一日だけでわかるものでもないのではないかとつるぎは思った。わざわざメイドとかいう面白そうな仕事を選ぶあたり、やってみたいと思っちゃっただけなのではないか、とも。

 ともあれ、キャルゼシアの足跡を辿り軌跡をなぞる研修中であるため、そこに疑問を挟む権利はなかった。


 スーはふたりへの説明を終えると仕事の指示をよこした。終わり次第で報告と評価をしてもらうよう頼めばよかった。


 つるぎと湊は広い屋敷を手分けして掃除した。大学の友達がコンカフェでバイトをしていたことを思い出し、元気かねえ、などと思いながら終わらせた。時計を見ると、二時間ほどかかっていた。


 スーはふたりの仕事の出来栄えを見て、つるぎにいった。

「ツルギ・ニナガワ。どうして女が男に引けを取っているのですか?」

「ええとですね、湊くんはわたしよりも家事全般を丁寧にできる男の人なのです。性別の違いより性格の違いが大事ということで、湊くんの性格は素晴らしいなとよく思います」

「彼女はこうおっしゃっておりますがですね、僕はつるぎのような大胆な行動力、勇気とでも呼ぶべきものがあまりありません。見ず知らずの他者に優しさを振りまくというようなことも、つるぎにできて僕にできないことです。つるぎの性格も素晴らしいものです」

「急になんの話ですか? ニナガワ、掃除をやり直しなさい。チリひとつ許さないでください。ナバナは馬の世話に行きましょう」

 結局、つるぎは昼まで掃除をしていることになった。湊はその間に馬の世話と厩の清掃をし、食器を洗い、雨が降ったので洗濯物を屋内に干し直した。


「日中は旦那様が仕事に出られています。昼食は奥様とミリィ様のものだけ用意すればよろしい。出来栄えを評価し、よいものを献上しますので、同じメニューをそれぞれ作りなさい」


 レシピを渡されたつるぎと湊は、めいめいに調理を始めた。それは茄子を使ったアラビアータに似たパスタだった。茹でる時間もあるので完成時間に大した差はなかった。ただスーが見る限り、手際がよいというか、迷いがなかったのはつるぎのほうだった。

 できたものを味見用の器に取り分けて食べてから、スーはいう。

「美味しいのはニナガワのものですけれど、これレシピ通りに作りました?」

「隠し味が足りてなかったので入れました、そのほうが美味しいので。アレルゲン物質は足してないです」

「どうして独自の判断をするんですか?」

「そのほうがいいと思ったらやらずにいられない性格で」

「……美味しいから今回はいいですが、まず指示通りにやってくださいね。いまは習う段階であり独自性を発揮する段階にはありません」

「あ、はい。序破急(じょはきゅう)ですね」

「つるぎ、それをいうなら守破離(しゅはり)だよ」

「知らない言葉を知らない言葉に訂正しないでくれませんか? まあいいや、これ持っていくのでふたりはナバナの作ったほうを昼食としなさい。昼休憩です」


 つるぎは湊の作ったレシピ通りのアラビアータを堪能しながら水を飲む。湊も自分で作ったそれを味わいながら、つるぎの作ったほうを食べたかったな、と思った。

 スーはふたりのいるキッチンとは別のところで休憩をとっていた。つるぎは、そういえば、と湊にいう。

「あのスーさんって、故人館にあった手帳のスーさんかな」

「あったの? あの人の」


「うん、執事やってる人の手帳があったって話したでしょ。一日の予定とかのページに書いてあったことからしても、可能性高い気がするんだよね。でもそうだとしたら、あの人は……」

 つるぎは念のため、キッチンの外に聞こえないように湊の耳に口を寄せて小声でいう。

「この屋敷の旦那様に恋してる。奥様に嫉妬しちゃうほど」


「……そういうの許さなそうな人だけど」

「逆に外面というか、仕事として人と接するときは切り替えて真面目にやってるんじゃないの? どんな欲を持ってても真面目にやれる人はやれるから」

「なるほど」

「でもなんか切ないよね、許されない恋っていうか。わたしたちが気にすることじゃないけども。それに、よく似たとこで執事やってる同姓同名なのかもしれない」

「それはそうだね」それから湊はいう。「でも、もしかしたら、旦那様の手紙とかも読んでたりして」

「ありえるね。名前なんだったっけ、ロミオだっけ? 旦那様って呼んでおけばいいから覚えなくていいか……いや女神としてそれはまずいかあ」


 そんなこんなで休憩時間を終えたふたりは、スーに連れられて奥様への挨拶に出向くことになった。午前は外に出ていて、昼食の時間の直前になり帰ってきていたのだという。午前の内は、スーとミリィ、つるぎ、湊のみが屋敷にいたのである。

「ミリィ様にご挨拶しなくてもよかったのですか?」とつるぎは訊く。

「ミリィ様は今朝から部屋を出ようとしない。お食事も、朝昼はお摂りにならなかった」

「ご妊娠されているんですよね、よくないのでは?」

「毎日ではなく稀なことですし、ご本人の拒否には抗えない。でも、命にかかわることだから、ご夕食はきちんと摂っていただきます」

 そのような説明をしながら歩くスーに続いて進んでいくと、リビングの扉に行きついた。両開きの、板チョコレートのような扉である。

 スーは、失礼します、新人の挨拶に伺いました、といってノックする。入ってよろしい、と許可を得てスーは扉を開いた。


「あなたたちが今日から使用人として従事していただくおふたり?」気品に魔性を絡ませるような化粧をした女性はふたりを見ていう。

「ツルギ・ニナガワと申します。何卒よろしくお願いいたします」

「ミナト・ナバナと申します。奥様にお目にかかれることを光栄に思います」

 ふたりはそろって綺麗な跪礼を見せた。つるぎはカーテシーと迷ったが、こちらの世界にカーテシーがなければ不気味な礼になってしまうため素直に湊に合わせた。跪くことが失礼にはあたらないことは知っていた。

「そうかしこまらないで。客人に失礼のないよう、きちんと仕事をしていただければいいだけなのですから。……知っているかもしれないけど、一応名乗っておこうかしら。わたくしはユリアン・アパシィです」

 奥様は――ユリアンはそういって、聖母のように笑った。


 挨拶を終えて使用人室に戻ると、本日は客人の来る日だとスーはいった。ユリアンは早朝の手紙でその報せを受け、急いで新しい服などを買い漁ったり化粧品を新調したりしてきたそうだ。

「旦那様の兄にあたるかたです。夕食時にいらっしゃるそうで。くれぐれも粗相のないようにしなければなりません」

「わかりました」

「夕食の調理は私が行います」とスーはいった。「新人に任せて失敗をされてはいけないからです」

「はい」


「ナバナは浴室を清掃し湯の準備、私からの礼節の講義、夕方になったら食卓の用意をしなさい。ニナガワは皿洗いをしたら夕方まで庭の雑草を抜いていなさい。その後の指示は必要になった際に声を掛けますので待機していなさい」


 あっこれ干されてる? とつるぎは気づいたが、初日から掃除が雑で料理を指示通りに作らないメイドと客観視してみると、そりゃあまあそうだろうと自覚した。

「皿洗いくらいはできますよね? 庭は草むしりだけでいいですから、アレンジメントや庭師の真似事などはしないでくださいね」

 と念押しまでされても、頷くほかなかった。


 つるぎは何事もなく皿を洗い終え、古びた手袋と紙袋を借りて庭に出た。日ごろから手入れをされているのだろう、伸びきっているというほどでもなく、その気になれば日が高いうちに抜き終えてしまえそうだった。しかし口ぶりからして、夕方までは指示すらもなさそうに思える。やはり閑職に追いやられてしまった、と実在するかどうかも知らない窓際族の気持ちを想像しながらゆっくりと草むしりを始めた。

 袋が自立するようになるころには、もう余計な草はなかった。まだまだ昼で、これが暮れるだなんて想像もつかないほど明るかった。

 暇を持て余し、つるぎは意味もなく壁沿いに庭を歩いた。窓を見つけて、屋敷のどの部屋の窓だろう、と好奇心を抱いて覗き込んだ。


 頭を入れようとしている最中だった、天井から吊るして輪にした縄に、少女が。


 つるぎは思わず窓を手で叩いてしまった。つるぎよりも幼い顔立ちの少女は驚いてそのほうを見た。少女からすると知らない女が窓から覗いていたわけだが、どこか冷静なところのる彼女は、少し見える服を見て新しい使用人だと気が付いた。


 つるぎは窓越しにいう。

「人は死んだっていいけど、でも、本当にそれしかないですか!?」


 なんだか迂遠な引き留めに少女は戸惑いつつ答える。

「ありませんわ! 私はもう逃げたいのです! けれども、逃げることなどできはしませんわ!」

「じゃあ手伝います! 逃げるくらい、死ななくたってできます!」

「あなたに何がわかりますの!? 何も知らないくせに!」

「知ってほしいことやわかってほしいことがあるんなら教えてください! 話聞きます!」

「わかってなんていただけませんわ! だって私はどうしたって、神の教えに背くか、幸せを諦めるかしかありませんもの! そんな不届きな娘なのですから!」


「神の教えがなんですか、わたしは神です! だから事情によっては見逃してあげます! ああもう、いまそっち行きますから!」

 つるぎはそういうと、閉められていた窓の錠を、天使の勉強で覚えた開錠魔法であっさりとおろした。少女が戸惑っている間につるぎは窓から這入り、後ろ手に窓の錠をおろした。


 少女の姿を見て、つるぎは気がつく。

 まだあそこまでお腹が育ってはいないが、肖像画の少女だと――つまり。

「あなた――ミリィさんですね」

「……なんなんですの、あなたは」

「わたしは蜷川つるぎです。新人メイドで、新米女神です」


こっからちょっと重めかもですがよろしくお願いします……!

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