第七話 [E]故人館かく語りき - Aパート
東京の渋谷に手帳類図書室っていうのがあるらしいです。
■ユリアンからアルバンスへの手紙
アルバンス様へ
美しい酒と私が煮しめた食事さえあればこの世界は花園のようだと、得意げに語る男がいました。それが真理であり、真理を知る自らを聡いと誇りたくてたまらないような、お下劣な微笑みでした。その男はしかし、私が茨に苛まれながら笑っていることにも気が付かない粗忽者なのです。アルバンス様、貴方もよく知っている男です。
アルバンス様。いかがお過ごしでしょうか。私は本日もまた、退屈で薄汚れた泥濘に塗れたような時間でした。日々を進めるなかでの些細な不都合などはしかし、アルバンス様がいらっしゃらないこと、その一点に比べれば風がそよいだようなものです。アルバンス様ではない、下品な男とこれからの人生を歩み続けることについて考えるときの背骨の軋みに比べれば、横柄で大股の雷雨に午睡を妨げられたことなど、ささくれにもなりません。
アルバンス様。どうして今日もいらっしゃらなかったのですか。アルバンス様。貴方は私の熱情をご存知のはずです。幾度も幾度も、恋文をお渡ししました。幾度も幾度も、この懸想をお伝えして参りました。読み終えられた恋文は私にお返しになり、聞き届けられた告白は宵を越させまいと酒に流されましたが、私はきちんと、消えない爪を立て続けておりました、猫のように。
アルバンス様。私は身じろぎすらできない檻のなかで抜ける毛を見つめるだけの猫です。狭く冷たい孤独のなかで、いつかまたアルバンス様に尻尾を振る日だけを楽しみに命を延ばす犬です。気まぐれな雨を待つ野ざらしの花です。苔むした煙突の上で親鳥から忘れ去られた雛鳥です。
アルバンス様、私にとって貴方だけが鍵であり、飼い主であり、雨であり、親です。
可哀想に思われるでしょうか。痛ましく思われるでしょうか。
そうであるならば、どうか明日の晩に、食事へいらしてくださいませ。
アルバンス様の好むすべてを、いついかなるときも取り揃えております。
アルバンス様に差し出す真の愛もまた、片時も肌身離さず抱えております。
貴方の為のユリアン
■ロミオルの日記
◎
許されない恋だとはわかっている。僕は、本当は君に触れてはいけない。愛と情を、寂しさや足りなさを、君に押し当ててはいけない。知っている。知っているんだ。けれどもね、僕は君が大好きだ。
君を見ていると君が欲しくなる。君が眠っていると、どうしようもなくどぎまぎする。どこまでも触れてしまいたくなるんだ。けれど僕では駄目だ。僕が君にそのような気持ちを持つことはいけないことだ、とっても。
だからせめて、この秘密の日記に君への愛を綴ろうと思う。
◎
晴れた日だった。君の毛先も煌めいていた。
美しい髪をしている。長い睫毛をしている。上品な大きさの頭に、理知と可憐とひかりを丁寧に収めたような顔だ。放つ気高さは父親譲りだろうか。素晴らしい家に生まれ、何不自由なく暮らしてきた君は、貧しい家で生まれ育った僕よりも、根っこからの気高さを有している。
君は僕とは違う。だからこそ愛しい。けれど僕の君への愛は、恋は、結ばれない。
口づけを許されたいと、その顔を見ると思う。
◎
ひどく湿った雨の日だった。こんな日に、君の世話をできる人を羨ましく思う。僕は忙しくて、君には君の世話をする人がいるから、そんなことは敵わない。
君にまとわりつく湿気を取り除く者になりたい。さもなければ、湿気になりたい。
◎
愛と欲は不可分である。僕のこれは愛であろうか、欲であろうか。僕は知っている、人は理性のみによって他者を愛することができると。飯事のような、真似事のような、愛のふりをしあっている夫婦がいる。それが愛であるならば、愛とは理性だ。でも僕はそれは愛ではないと思う。だから愛とは欲だ。
僕の愛は、僕の欲は、理性のみによる愛もどきより、実はよっぽど、美しいのではないか。
◎
僕はこの美しい愛を遂行したい。
君と僕を隔てる垣根なんて、幻想ではないだろうか。
◎
やった。
■スーの手帳 女性執事であったらしく、日々の予定が書きこまれているページの合間に、ときたま吐き出すような走り書きがある。一部、おそらく本人の手によって塗りつぶされている。
○
一介の執事の身で旦那様のことを好きになっちゃうなんて本当に私は馬鹿だ。馬鹿が過ぎる。死ね。
○
気のせいだったらよかったのに。ちゃんと好きだ、しっかり好きだ、死んだほうがいい。
死にたい。殺して。旦那様に殺してもらえたらいいのに~!(危険思想?)
○
やば、奥様と旦那様が一緒に寝てんの嫌になってきた。ジェラシー。何様だ? 私は。
○
なんで旦那様は結婚なんかしてんの? 見ててわかるよお互いつまんなさそうじゃんね。あの女より私のほうが酒好きなのに……。どこがよくて結婚したとかじゃないんだろうな。旦那様は成り上がるためにあの女と結婚して商売を継いでさらに金持ちになったのだ。かっこいい……。私が雇用されたのもその裕福さのおかげで、だからあの女にもちゃんと感謝をしておかないといけないのかもしれないが、しかしねえ。
○
奥様、殺してぇ~……。死なねえかな……。毒くらい仕込めんだよな全然……。飯作ってんの私だし……。旦那様いるのに明らかに[※塗りつぶされている]……。信じられん。
○
しばらく奥様への殺意が止まらなかったけど、逆に旦那様も奥様に気がないのわかってるし妬くほどのものじゃないなって思っていまは平静。旦那様、好きな子いるかなっ。何を言っているのですか。
○
やばいやばいやばいやばいやばいもの見ちゃった。は? 旦那様だったよね? 何してるの? [※塗りつぶされている]と? そういうこと?
○
きもちわるいでもだんなさまにだかれてうらやましいひどいわたしがいるのに
○
[※塗りつぶされている]
■ミリィ・アパシィの肖像
つるぎはその肖像画を目にとめた。小さな声で湊を呼びとめた。
穏やかな表情で、籐椅子――藤で作られているわけではないかもしれなかったが――に腰掛ける女性の絵だった。目を惹くのは、流れるようなロングヘアと、密度を持って膨らんだ腹部である。それは若い、臨月の妊婦の肖像画だった。
それなりに経年劣化を感じられたが、それでも美しい絵画だった。ミリィ・アパシィと題する、古びた紙が額縁の傍に置いてあった。
「マタニティフォトみたいな感じかな」と、囁くような声で湊はいった。
「かな。生まれたらもう見られない状態だから、残しておきたかったのかも」と、つるぎが同じ声量でいう。「いまこのときのこの人は、ここにしかいない、って」
「人生の断片だね」
「うん。この人、もう亡くなってるんだ。不思議だよね、肖像画なんて、いままで偉人とか、故人のものばっかり見てきたはずなのに。故人館で見ると、もういないんだって、どこか切なくなる」
「偉人はなんだか、死んで完成した感があるからじゃない。物語が完結したような。でも、……この人ももしかしたら偉人かもしれないけど、この故人館だと他の普通の人たちと並べられるから。だから、ひとつの命が終わったってこと、ドラマチックさ抜きで、感じられる」
「ドラマチックさ、か。そうかもしれないね。この人の子供は、ちゃんと生まれたのかな。ちゃんと育ったのかな」
「ひょっとすると、いま生きていたりしてね」
「えー。いつの絵なんだろう、……ちょうど百年前だって」
「じゃあ難しいかな。お孫さんが生きてるといいね」
どこにいるかはわからないけど、と湊はいった。つるぎは、天界で読んだ下界の民の名簿の内容を思い出そうとしたけれど、アパシィという姓の人が生きていたかは、ちょっと思い出せなかった。
それにしても、と湊は思う。こうして息をひそめて話していると、生前、よく一緒に図書館巡りをしていたことを思い出す。近頃こそアクティブな日が続いているものの、つるぎと湊は出会った頃からずっと、図書室や図書館でインドアに過ごすカップルである。年に一度ほど、エンターテイメント施設や行楽に出ることもあったけれど、基本的にはふたりで本や何かの展示を眺めて過ごすデートがメインだった。そしてそれが一番、ふたりの肌に合っていた。
だから故人館での時間は、パトスの監視がないこともあり、とても心地よい、馴染み深いものだった。手紙や日記を読み漁る楽しさよりも、その時間そのものの精神的充足こそが、ふたりを館内に入り浸らせていた。
故人館を出るころにはどっぷりと夜が更けていた。パトスはいつも通りにつるぎと湊を宿に案内した。いつも通りに別々の部屋に通され、いつも通りに片方の部屋にふたりで寝転がって、故人館で読んだものの話をした。
ひとりで読める量には限りがあり、途中からはふたりで分担するように読んでいったため、お互いの紹介する面白かった手紙や日記の話に興味深い思いで耳を傾けあった。
故人館で読んだ内容は他言してはならない決まりだったから、ひとつの布団のなかにふたりで潜り、小声で囁くように語らった。くすくすと笑ったり、情念に怯えたり、悲しくなったり和んだり、多種多様な百物語のようで楽しかった。
眠っている間に、パトスの過去鳥の能力によって百年前のジンコゥの町に運ばれたつるぎと湊は、身分証明カードに呼びかける。
「おはようございます、パトスさん。今日は研修として、何をすることになりますか?」
《貴様には一日メイドさん体験をしていただきます》
「メイドさんって語彙があったんですか!?」
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