第二話 女神様は青二才 - Aパート
結論としては、つるぎはやはり新しい女神として生きていくことになった。
もっとも、天使になるための勉強だけでやっていけるほど、女神の業務はちょろくはない――それに、色々な手続きを行う必要があった。そのため、天界に戻ってすぐ玉座につく、ということにはならなかった。
「蜷川つるぎさん――貴様には、明後日の集会までに、女神になるための準備をこなしていただきます」
大神官パトスはつるぎを書斎に連れ込むと、そういった。つるぎが座らされた机には大量の書籍や資料が積み上げられており、天使としての勉強をする際に読んだものは地理の本と戒律の本のみだった。
「集会とは?」
「下界……貴様が管理することとなる世界のすべての教会にて中継される、定期的なスピーチ会です。貴様は新しい女神として挨拶をすることとなります。ですから、女神として相応しい振る舞いや、今日に至るまでの女神信仰の歴史、過去の女神たちのスピーチなどを明日の夕方までに頭に入れてください」
「明日の夕方に何が?」
「わたくしとリハーサルを行います」
「なるほど。わかりました。それまでは書斎にこもっていればよいですか?」
「いいえ。明日は朝から、女神として各課の天使長たちに挨拶回りです。それから昼頃には挨拶スピーチの内容を固めておいてください」
それを聞いたつるぎは、ともに天使を目指した仲間たちや勉強の応援をしてくれた天使のお姉さんのことを想起し、少し気が楽になった。湊はつるぎに充てられる予定だった天使寮の部屋で眠ることになると聞き、あれは結構よい寝床だったからよかった、と安心した。
つるぎ自身は、女神の力のひとつである、食事も睡眠もしなくてよい体質のおかげで、一晩中書斎にいることができた。女神について。歴代の女神が下界に及ぼしてきた影響。下界の民がかつて女神に嘆願したこと、受理された理由と却下された理由。下界で起こってきた事件。天界で起こってきた事件。天界の天使のリスト。下界の全人口の推移などの詳細データ。女神が人生に直接関与した下界の民のその後も含めた資料――その他もろもろ。堅苦しい文体でつらつらと述べられたそれらを、つるぎは面白がりながら読みふけっていた。
文章を読むことそのものは、生前より読書家であったことが幸いし、得意中の得意だった。余談だが、つるぎと湊がただのクラスメイトから友達になったきっかけも高校の図書室だった。
さて翌日、天使長たちへの挨拶を終えたつるぎは、すっかりブルーな気持ちになっていた。
肉体的には必要がないのだが、昼前の精神的な休憩として美しい天空庭園のベンチに腰掛けて、つるぎは嘆息した。木漏れ日に囲まれながら、気持ちは憂鬱だった。
「……考えてみれば当たり前なんだけどさ」
そう、当たり前だった――天使たちが、女神を殺害した自分を快く歓迎するはずがない、という当たり前の現実がそこにあった。
自分の手で誰かを絞め殺した人間など恐ろしいと単純に怯える者もいれば、以前から忙しい時期だったところにさらにタスクの元を生んだつるぎを疎ましく思う者、亡くなった女神キャルゼシアを慕っていた者もいた。
ちなみに先述の《勉強の応援をしてくれた天使のお姉さん》は最後に挙げた、女神を心から慕っていた天使だった――目の前で泣きながら怒られて、さすがにこたえた。
(重いなあ、罪。命を奪ったってことだから、重いよなあ)
自分からすればはっきりいって彼氏に拷問をする女神でしかなかったキャルゼシアも、別のときには誰かを救ったり格好いい姿を見せていたりしたのだろうか――つるぎはそう考えて、また溜め息をついた。
湊は天使寮で遅めの朝食を終えると、腹ごなしに天空庭園に足を踏み入れた。生前に見たことのある花もあれば全く知らない花も咲いていて、奇妙にして愉快に思える幻想的な光景だった。湊は香水を買うほど花の香りが好きだから、その点でも楽しかった。そして何よりも静かで、もうしばらく歩いたらここで読書をして過ごそう、と思った。
天使寮に泊まった湊を待っていたのは、質問攻めだった――予言で勇者と示された男だという話がすでに広まっていたから、その勇者がどんなものなのか気になる天使は多かった。
結局深夜まで対応は続き、はっきりいって疲れていた――女神として頑張らなくてはならないつるぎに遠慮して、天使寮に寝泊まりすることを承諾したが、これだったら一緒に書斎に泊まればよかった、と後悔した。
天使寮でのつるぎは『女神殺して次の女神になるなんて怖い』『クーデターをするために天使になったのだろう』という評価ばかりだったから、湊は自分が余計な情報を加えて評価が悪化するのもよくないと考え、《恋人は?》などの質問には精一杯はぐらかしていた。そうした気疲れもあった。
巨大な樹の傍、瀟洒なベンチに腰掛けながら、病院のベンチもこれくらい煌びやかであれば気を紛らわすことができただろうか、と生前のことを思っていた湊に、
「おや、これはこれは勇者様。庭園の散策ですか」
と、声をかける者がいた――内心でうんざりとした気持ちになりながら顔を上げると、声の主は大神官パトスだった。
「はい。天使寮にいると、どうにも騒がれてしまって」
「左様ですか。貴様が勇者とはいえ、少し注意をしておくべきですね」
湊は、どうしてこの男は丁寧ながら二人称が《貴様》なのだろうかと考え、貴様呼びは本来は敬意の表現であるということを思い出した。異世界の天界だから言葉の意味の変遷が違うのかもしれない、というかそもそもどうして自分の言葉が異世界で通じているのか、と新たに鎌首をもたげた疑問をパトスにぶつけた。
「そもそもそちらの世界で言語が多様である理由をご存じですか? 不届きにも天に至ろうとしたバベルの塔の建設、それに怒りを示した全神王の呪いです。天に迎えられるとき、その呪いは解除されます。天界で同じようなことをする恐れはないので、当然のことです」
「なるほど」
湊は神話などには詳しくなかったため、いまいちピンとこない話ではあったが――異なる世界であるということは歴史が違うということなのだ、という漠然とした理解を得た。
「ちなみに異世界にじゃがいもってあります?」
「ありますよ。じゃがいもに限らず、そちらの世界の美味しいものや美しいものは、こちらの世界の歴代の女神が視察を行ったときなどに、気に入ったものを記憶して天界と下界に創造しています。むろん、リスペクトを込めて名前はそのままで」
「なるほど。ちなみに、拳銃やスマートフォンなんかは?」
「いえ、異世界から武器を採り入れることは全王神が禁じております。スマートフォンなどは一度試みたことはあるそうですが、あれはそれそのものが複雑なうえ、電波塔であったりネットワークであったり、こまごまとした配備が必要となるため、多忙のなかでやってられない、と先代女神……キャルゼシア様は申されておりました」
キャルゼシア、と聞いて湊が思い出すのは、厳しそうな眼つきの女神だった。それから、辛く苦しい修行の日々。最後に、その女神をつるぎが殺めたということ。
「キャルゼシア様といえば――ひとつ、勇者様にお訊きしたいのですが」
「はい」
「現女神……蜷川つるぎ様とは恋人の関係にあるとのことでしたね」
「そうですね」
「どう思われましたか? つるぎ様が、キャルゼシア様の首を絞めて殺害した、とお知りになったときは」
湊は少し考えて、答えた。
「まあ、聞かされてすぐは正直ショックでした」
「……そうですか。まあ、それはそうでしょう――」
「でも、それは反射的にそう思っただけで」湊は続ける。「いまは受け入れているというか、愛しています」
「……命を奪う行為を、ですか?」
「はい。つるぎは、僕を護るためにそうしました。……生前、僕は病気を患い、半年の入院の末に死に至りました。つるぎは弱っていく僕を見て、《湊くんが苦しんでいるのに、何もできない自分が歯がゆい》とたくさん泣いていました。そんな彼女がいま、僕を苦しみから救ってくれたんです」
きっと、湊を蝕んでいた病魔が形ある化け物であれば、つるぎは命を賭して法に触れてでも討伐していたことだろう。湊はそのことに思い至っていた。
「自分自身が苦しみから解放されたうえに、つるぎがやりたかったことをやることができたと思うと、喜ばしい気持ちのほうが勝っていますね」
「しかし女神キャルゼシアの死は天界に悲しみと混乱を与えています。そのことについては?」
「そうですね。でも、ということは、つるぎは女神として仕事をしている間、ずっと批判の視線に晒されるわけですよね。だったら、恋人の僕は許して、拠り所になろうって思っています。逃げ場がなくなっちゃったら、人はおかしくなってしまうから」
湊はそこで、生前どこかで知った言葉を思い出し、笑いながらいう。
「ありきたりなことをいうなら、世界中がつるぎの敵になっても、僕は味方でありたいんですよ」
つるぎはそれを聞いて泣き出した。湊もパトスも気づいていなかったが、つるぎが休憩をしていたベンチは、湊の座るベンチのすぐ近くだった――巨大樹を隔てた反対側だった。湊とパトスの声がして、こっそり聞き耳を立てていたのである。
湊がショックを受けたといったときは身が強張ったが、それからの湊の甘さは、つるぎの疲れた心に沁みた――湊が理解をしてくれているのだから、しょぼくれていないで頑張ろうと、本気で思った。
いますぐに巨大樹の裏から出てきて湊に抱きつきたい気持ちでいっぱいだったが、離れられなくなりそうだし、パトスの前でそのような弱さを見せてしまうと心象が悪くなりそうだったから、ぐっと我慢する。
(わたしはわたしの、やるべきことをやらないと)
つるぎは書斎に戻り、夜通し読んだ書籍をもう一度読みながら、スピーチの内容を考えていた。
その最中、天使試験の勉強をしていたときのことを思い出して――そこからスピーチで伝えるべきこと、女神としてやるべきことを見つけ、その準備に取り掛かった。
夕方、リハーサルのためにパトスがやってきた。つるぎはスピーチで話すこと、その際に使うものを伝えた。
「同性愛を筆頭に恋愛の自由を制限する戒律があるので毎スピーチごとに撤廃していこうと思います。これは今回その説明の際に使おうと思っている、デンタルダムと、いちご味つきコンドームと、模型です」
「何を急に言ってるんですか?」
パトスにはわけがわからなかった。
本日夜にBパートを投稿予定です。よろしくお願いします。