第五話 漁村ガボ - Bパート
死刑制度の是非についての議論を開始するべきだろうかとつるぎは一瞬考えたが、いやいやこれは感情の話だ、と思い直す。感情論で死刑制度を語ってはいけないし、そもそもつるぎもどちらかのスタンスに立てるほどの知見を得ていない――生前は文学部であり、法学部ではないのだ。
知見といえば殺人(殺神?)経験はあるけれども、個人的な体験だけで乗り出していい議論などない、とつるぎは考える。
だから考えるべきは、目の前の人魚の感情のことだ――とつるぎは思った。
人魚がガボの民に加害を行っていた理由は、殺人犯のせいではなく、殺人犯が死刑となったせいだった――人魚が恋をしていたと思われる女性が、殺人犯になり、死刑された。
それが納得いかず、怒り、暴れていたのだ。
因果応報、自業自得、人を殺したら誰かが悲しむ、共同体で殺し合いを許容したら崩壊する、などの考え方はしかし、神に創られ洞窟や海で暮らす人魚にはぴんとこないものだろう。女神デュクシデュクシーも、せめて倫理を教えてから放てばよかったのにとつるぎは思ったが、よく考えたら自分自身も道徳や倫理の授業を受けてきたくせに彼氏である湊のために女神キャルゼシアを手にかけたのだから、そこはあまり関係がなさそうだった。
いや、というか、人魚の道徳教育については考えなくてよいのだと、つるぎは整理する。
暴れていたのは、もう過去の話なのだ。なぜかいまは、その気がないのである、彼女に。
少し考えて、つるぎはいう。
「あの、人魚さん。質問の答えじゃないんですけど、質問を関係ない質問で返すんですけれど。ほかに好きな人できました? 同じくらい大事に思えるような」
「え、なんでわかったの?」
「いや、じゃないと十年続いた怒りを抑える説明がつかないので」
「ん。正解」人魚はあっさりと認めた。
「最近ね、遊びに来てくれる子がいて。最初はご飯持ってく係なだけだったけど、いっぱい、色んなこと話してくれて。ずっと頑張ってんだな、いい子だって」
「そういう人柄に惹かれたんですか?」
「ん、まあ顔が一番好きだけど」
「あー。一緒にいたらずっと見るものですし、顔も大事ですよね」
つるぎが適当に同調していると、背後から足音がする。湊は手持ち無沙汰そうに佇んでいるだけだったから、別の誰かが来たのだと判断する――つるぎに、人魚はいう。
「噂をすれば、っていうんだっけ。きた」
入ってきたのは、フラウだった。
「マメドン、飯持ってきたさー」
フラウはるんるんとした足取りで人魚に近づく。フラウの携える木箱のなかには、魚釣りに使うような虫がたくさん入っていた。湊が少しだけ後ずさると、フラウはつるぎと湊の存在に気が付く。
「あんれー? おめら、なんでこげなとこおるべ」
「フラウ。この人たち、女神だって。人魚が荒らしてる的な話を聞いて、ま、様子とか見に来たんでしょ」
人魚はそういいながら、嬉しそうな瞳でフラウで見る。
「うへーっ、女神さんだったべか? びっくらこいた、ぶったまげた、ああおどけた」
フラウはジェスチャーまでしてびっくりして、それからぺこりと一礼した。
「いんやー、マメドン創ってくださってありがとござんす。うちの村が潮風があっても小麦ば創れんのも女神さんのおかげって話で」
「いえいえ、そのあたりはわたしより一代前の女神様のお仕事ですから。わたしは新たに引き継いだんです」
「あ、そうだべか。そんでもありがたい存在だべ」
「あの、ところでマメドンとは」
「人魚さんの名前だべ。名前ねえの喋りにくいからよ、なんやマーメイドとかいうらしいんで、マメドンにしたべよ」
怪獣のような名前だ、とつるぎは思ったが、当のマメドンは嬉しそうだった。
フラウはサンダルを脱いで、マメドンの傍の水面に足を入れる。それからつるぎのほうを振りむいて、
「女神さん、心配することなかね。マメドンはもう誰も襲いやしねえべ。おらと約束しただ。なあ、マメドン」
「ん。フラウが、村のためにやめてほしいっていうから、やめてる。フラウがいったから、やめてもいいかな、って思った」
「マメドンはなー、いい子だ。だから大丈夫だべ」
フラウがマメドンを呼ぶときも愛しむような気配がある、というところからつるぎは、フラウに好きな人がいるという話を思い出した。
もしかして、と確認してみたくなったが、しかしつるぎは踏みとどまる。もしもフラウとマメドンが片思いのような状態であったら無粋だし、そうでなくとも、女神である自分の前で同性愛者をカミングアウトするというのは勇気が必要だろう。
戒律で同性愛が禁止されているのだ。町や村によって対応は違うが、多くの場合は気の迷いであることを考慮し、最大で十年ほど檻に入れられる。そして刑が終わったあとも懲りずに関係を再開したならば死刑、という対処を採る町村が多く、ガボの村もそのひとつだ。
この世界中の人が女神を信仰しているのだから、幼いころからの道徳教育として戒律を叩きこまれているはずだ。少なくともフラウは、その公算が高い。
もしも愛し合うふたりであるなら、導きたい道が、つるぎにはあるけれど――念のため、どうにか確認をしたい。
「……大丈夫、なんですね。わかりました、信じます」
つるぎはそういうと、湊の肩を叩く。
「いこ、湊くん」
「え? いいの? まあいいけど」
「またなー、いつもありがとうな、女神さん」
元気なフラウの声を背に、つるぎと湊は洞窟の通路に戻る。それから、洞窟を出る――ということはなく。
「じゃ、ちょっと浮きながら戻るよ、捕まって」
「なんで?」
「浮いて行けば足音がしない」
「あ、覗くの?」
「うん」
ふたりきりになったとき、フラウとマメドンがどのように接しているのかを見れば、どのような関係かわかる可能性が高い。そう踏んで、つるぎが考えた作戦である。
つるぎは湊を抱えて息を潜めて低空飛行をし、フラウとマメドンのいるところに戻る。
フラウとマメドンはキスをしていた。
もう確定したーーーー!!!! とつるぎが叫びそうだったので湊は事前に手で塞ぐ。
しばらくのキスのあと、マメドンが口を開く。
「ね。あの話、考えてくれた?」
「……いんやあ、まだだ。おら、たしかにマメドンとずっと一緒がいいだよ。けんども、おねえが許すはずねえが、黙って出て行って、余計に探させんのも、なあ」
「聞き飽きた。どして、許されないといけないの? 許さないっていわれながらでも、いんじゃないの」
「おら、おねえのことも大事だよ。マメドンと一緒にいたいけどよ」
「どっちのが大事?」
「そったらこと訊くもんじゃねえべ。マメドンのが大事に決まっとる。けんど、いっとう大事じゃねえってことは、大事にせんでええってことじゃねんだべ」
「わかんない。一番大事なのしか、大事にしなくていいっしょ」
「胸さ痛むべ」
フラウがそういうと、マメドンは何もいわずに瞳を見つめる。フラウは沈黙を恐れて、さらに続ける。
「……それによ、おら、ガボの村のために仕事を色々とやってよ、みんな頼りにしてるって、いってるだ。おらが急にいんくなったら、困らせちまうべ」
「……結局フラウは一緒にいたくないんじゃん。他のことどうでもいいってほど、好きでいてくれてるわけじゃないんでしょ。もう、やだ」
突き放すような、話を理解する気もないというような姿勢のマメドンに、フラウはおこんじょうな印象を抱き、むっとなってしまう。
「マメドン、マメドンこそ、おらの気持ち、わかる気ないべ。おらの気持ちわかんなくてもええって、思っとる。それ、ほんまにおらのこと――」
「話は聞かせていただきました!」
と。
なんとなく喧嘩に発展しそうな空気に耐え切れず、つるぎは出てくる。
マメドンは嘆息し、フラウはひっくり返りそうになる。
「女神さん! ……許してくんろ! おら、どないしてもマメドンを好いとって、ほんで、会って、付き合ってるんだべ! 悪さやって知っててやってるべ、堪忍……!」
「あ、大丈夫です。わたしは同性愛を許す女神なので」
「え、そないな……ええんだべか!?」
「愛は自由のなかにあるべきだとわたしは考えているんです。それより」
つるぎはマメドンを見る。
「覗きとか、うざ」
「マメドン。……いまのってなんの誘いで言い争ってたんですか?」
「わかってなくて出てきたのかよ」マメドンは肩をすくめる。「フラウを不死にして海で一緒に暮らそうっていってんのに、フラウがうじうじしてるの、ここ最近ずっと」
「……うろこを呑ませるんでしたっけ?」
「うん」
「どういうこと? つるぎ」
と湊が訊く。
「人魚のヒレのうろこを吞み込んだ生き物は、人魚と同じように不老不死になって、海のなかで呼吸をすることもできるようになるんだよ」
「マメドンはそれでおらと海の旅に出たいんだ」とフラウ。「でも、おら、誰になんて説明して出てけばいいかわかんねべよ。それに、納得してもらえないべ、きっと」
「説明なんていんないでしょ。関係ない人に納得してもらわなきゃ愛し合えないの? 困らせればいい、怖がらせればいい、不安がらせればいい、あいつらのそんなこと、どうして愛より優先すんの」
「でも、おら、よくねえ気がすんだよ」
「フラウは」マメドンはいう。「ずっと一緒にいるために、いけないことしてくんないの?」
「……マメドン」
「もういい、……フラウの愛情なんて、どうせ」
「マメドンさん。それは違います」
と、つるぎはいう。
「何? だる。何が違うん」
「愛情は人によって色んな形があるんです。愛情があったうえでどう動くかだって人によります。これくらい愛があったら必ずこうする、なんて決めつけられるものじゃない」
「は? なんそれ。フラウが愛情で渋ってるっての? その愛ってこっちじゃなくて村のやつらに向いてるんじゃなくて?」
「どっちにも向いてるんですよ。そしてそれは、マメドンさん、あなたへの愛情が他より弱いということを、意味しないんです」
つるぎはフラウを見る。農夫の言葉を思い出す。フラウは大地で同年代と運動をすることが、ガボの村の人のために働くことが、絵を描くことが好きなのだと、そう思いながら見つめる。そしてそのうえでマメドンのことも、きっと本当に愛しているのだとつるぎは信じる。
「フラウさん。もしも許されたとして、海でずっと暮らしたいんですか?」
「……そげなこと、訊くでないべ。いうまでも、ないべ」
「いうまでもないことなんて世界にありませんよ。すべての気持ちは、言葉にしないと伝わりません」
「……マメドン、おらは」フラウはマメドンにいう。
「マメドンが大好きだ。でも、足で歩いて過ごす大地も、畑仕事も、大好きだ。だからおら、海には、いけねえ」
「やだ」
マメドンはいう。きっぱりと、真顔で。
「……マメドン、でも、おら」
「でもじゃない。やだ。認めない。フラウが誰かに認められんと海に来ないんなら、海に来ないこと、認めたげない」
「困らせないでほしいべ」
「じゃあフラウは死んでもいいの? フラウのお母さんみたいに、殺されても、いいの?」
「……マメドン?」
フラウは、ぼろぼろと泣きながらフラウに縋りつく。
「不安なんだよ。不安なの。フラウ、あなたが死なないか不安。目の前で急に死なないか、遠いとこでいつの間にか死んでいないか、不安でしょうがなくて息ができなくなる。だってわかんない、なんでフラウのお母さんは、人を殺した程度のことで殺されなくちゃいけなかったの、意味わかんない。意味わかんないことで死んじゃうなんて、死なされちゃうなんて、そんな世界に不死じゃないままのフラウを置いておくなんて、不安に決まってる。わけがわからない、人なんて弱っちくて、海のなかじゃちっとも生きれんくて、てか死なんて意味不明なことで二度と洞窟に来なくなって、死、死って何? なんなん? 死なんてどうしてあんの、ずっと生きてればいいじゃんね、人魚みたいに人間もずっと生きられるように生まれればよかったのにどうしてそうしなかったの? なんでそんなわざわざ死なんかをやらかして寂しくさせたの? そんなふうに寂しくさせるくせに恋させるなんてずるいよ、ひどいよ、こわいよ、こわい、ねえフラウ、こわいの。フラウが死ぬのが怖い。フラウはずっと生きててほしい、寂しくさせないでほしい、ずっと死なずに一緒にいてほしい」
「マメドン……」
「だめかなあ、変なのかなあ、わかってないかなあ。嫌かなあ、無理なのかなあ、望みすぎてるのかなあ。フラウは人間だから、人魚の世界なんて、押し付けちゃよくないかなあ。こんなことなら、人間だったら、よかったな、海じゃなくても、ずっと一緒にいれたのにな。陸を歩けなくて、死ねなくて、生まれ変われないなあ、死ねないから、人魚は。でも死ぬのも嫌だし、フラウが死ぬのも、もっとずっと嫌だなあ」
「……おらだって、マメドンを残しておっ死んじまうなんて、望んでねえだ。ずっと一緒にいたいって思ってないわけじゃないだよ。でも、海で暮らしたくは、ねえだよ」
「あ、よかったそこまで行きましたね。じゃあ解決しましょうか。女神パワーで」
とつるぎがいって、マメドンもフラウも湊も、え? という顔。
そういうわけで、今回もデウスエクスマキナで解決する。




