第五話 漁村ガボ - アバンタイトル
「きみはきみの愛のまま、その力を奮って人々を護ってね」
いつだったか、彼女の生みの親、女神デュクシデュクシーはそういった。
民を愛しなさいとは、いわなかった。
つるぎのように愛というものの自由を謳っていたわけではなく、デュクシデュクシーは単純に、いい忘れていた――いう必要を感じ忘れていた。
デュクシデュクシーは、それほどまでに当然のように、民を愛しんでいる女神であった。いわれるまでもなく、愛するものだと思っていた。
民とは愛しいものなのだし、民には定期的にお礼としての食事を持っていくようにいってあったから、ギブアンドテイクの観点からしても、愛が絶えるわけがないと考えていた。
デュクシデュクシーは博愛以外の愛を知らない女神だった。
嫌悪や憎悪を知らず、殺意や犯意を知らない女神といわれていた。
人と人が争い合うのは、お腹が空いていたり睡眠が足りなかったり追っている夢が難しかったりしてむしゃくしゃしているか、そこまでして欲しいものがあるからだと思っていた。たとえば加害そのものが目的の加害、裕福な生活のなかでも収まらない怒り、そんなものは知らなかった。
そして、誰かひとりに執着をしたり、誰かを喪うことが他の誰かへの恨みを生み出すなんてことは、経験したこともなかった。
ましてや自分の産み出した神獣がそのような感情を抱くだなんて、これっぽっちも思っていなかった。
(どうしてあなたが死なないといけなかったのか)
ガボの村の端、海辺の洞窟の最奥で彼女は想う。
十年前に殺められた、想い人のことを――時間は傷を癒さず、塩が沁みるように頻りに悲鳴をあげるばかりだった。
いつだったか、想い人から受け取った食事の味を思い出す。こちらに笑いかける穏やかな表情を思い出す。うろこを美しいといってくれたときのことを思い出す。
それは恋だった。一目惚れだった。その熱情は、ガボの民を護る役目をこなすときもモチベーションとしてよく働いたものだった。
そしてだからこそ、喪失にはひどく傷ついた。自らの愛する者を殺めた存在と思うと、人間すべてが厭わしく感じられた。そして恨めしく、呪わしく思った――だから彼女は。
人魚は――ガボの村人の活動を十年間、阻害してきた。
しかし、近頃はそうでもなかった。じわじわと、満ちた潮が引くように、彼女のモチベーションは低下していった。怨嗟はいまだ衰えないが、それはそれとして、ガボの村の者を、攻撃しない選択を採れるほどの心の余裕というべきか……敢えて漠然とした表現を使うのであれば、我慢しておいてあげてもよいという、気持ちがあった。
正史であれば、この日、女神キャルゼシアによって人魚は削除されることとなる。人魚の感情に先述の遷移があったことを、放っておいてもどうにかなるかもしれなかったことを知らなかったガボの村の民は歓喜し、キャルゼシアへの信仰を強めた。
結局のところ、自業自得であるということは前提として。
あっという間の解決の裏には往々にして、理解されない感情があるものだという話である。




