第四幕 それぞれのエピローグ 第七話 絶対絶望女神様
「ここじゃ少し狭い。空間を創るよ」
デュクシデュクシーはそういって指を鳴らす。その瞬間、洞窟も湯も小屋も、暗闇に包み込まれた。戸惑うつるぎと、聖剣『イニミ・ニ・マニモ』を抜く湊の周りに、きらきらと、星々が光った。
さっきまでの試練のダンジョン最奥スペースよりも明らかに広々とした、満点の星空のような景色の空間が、ひろがった。
「さて完成。デュクシデュクシーお手製、女神領域だ」
「空間を……女神の権能で生成した、と?」
「そういうことになる。ここでどれだけ暴れても、マンナカ火山や不死鳥の城が崩壊することはない」
もはや理屈の通じないような現象を前に面食らうつるぎだったが、
「この空間からはどうやって出られるのか、教えてもらっても?」と湊は剣を突きつけた。
「うん? なんだ、尻尾巻いて逃げようって?」
「たとえばそっちがぶちのめされてすっかりのびたあと、僕たちはどうやって帰ればいいのかって話だよ」
「ああ、そうか……そうだね。ここは俺の魔力のなかだ。女神の権能で瞬間移動をして抜け出そうったってそうはいかないぜ。外に影響が出ないようになっているから、外に向けて魔力を放つことはできないんだ。俺がそれを許さない」
「……そういえば、女神が生成したものなら、別の女神の手で消滅させられるんだっけ?」
「それはそうだ。で、空間そのものが消滅すると、どうなると思う?」
「どうなるって」
「空間のなかに存在するものも消滅するに決まっているだろ」
デュクシデュクシーは笑った。
「じゃあどうする? まさかこの空間に入れられた時点で、僕たちは心が壊れるまで幽閉される運命だっていうのか?」
「それは最終手段だ。俺の心だって壊れるだろう、それじゃあ。俺はこう見えて生き汚いから、やるべきことのためなら死んでもいいとか、目標を達成できないなら死ぬしかないみたいに、ラジカルなメンタルを持っちゃいないんだ。何があっても死にたくならない強い精神を持っている。……ああそうだ、こうしてあげてもいいぜ」
デュクシデュクシーはいう。
「俺のやりたいことに協力するって、きみたちが誓うなら――解放してあげてもいい。
もちろん、あとで反故にしたら、そうだね、天界も下界も無事で済まないと思え。
最大魔力の女神、デュクシデュクシーの全身全霊を尽くして何もかも台無しにしてやる」
「……こいつのほうがよっぽど魔王じゃん」
湊は肩を竦める。
「わたしたちの勝利条件は、……どうにかしてデュクシデュクシーさんの意思を変えることかな」
湊がデュクシデュクシーの相手をしている間に、つるぎは少し落ち着いていた。とはいえ、絶望を抱いた者の意思を変えることは容易ではない――相手はライドのような、女神であれば従う民のひとりではなく、女神そのものだった存在である。
「それじゃあ始めようか、未来を救う戦いを――さ!」
デュクシデュクシーは巨大な獣を二匹生成した。黒くつややかな毛を纏い、鋭い爪と牙を伸ばした、眼光鋭い肉食獣である。右の獣は火を纏い、左の獣は冷気を抱いていた。
「がん――ぶるるるるうるる」
「がん――ぶるるるるうるる」
「こいつらは俺の二分の一の魔力を持つ双子聖獣サングルフだ。女神つるぎを痛めつけろ!」
獣たちは唸り声を上げながら、つるぎに襲い掛かった。
「……まあそれなら、こうですけど」
つるぎは瞬間移動で獣たちに触り、忘却の魔法でデュクシデュクシーの命令を忘れさせながら、機嫌の魔法で落ち着かせた。そして湊は変化の魔法を使い、獣を豆粒サイズまで縮めた。
「さて、無力化完了――」
と湊がいった瞬間、デュクシデュクシーは真っ黒なボールを投げつけてきた。湊はつるぎを庇うように動いた。
視神経がボールのなかに蠢くものを捉えたとき、ボールは割れた。
そしてなかから数十匹のゴキブリが出てきて、全身に降り注いだ。
「み……湊くん!」
真っ黒に染まった肉体が倒れ伏した。
「ゴキブリで気絶したエピソードがあっただろう! なら、きみの無力化にはそれが一番だ! ゴキブリ食って泡吹いてな!」
「そんな、なんて酷いことをするんだ。人が苦手だといっているものをわざと送るなんて、れっきとしたハラスメントですよ」
湊はデュクシデュクシーの懐に現れると、聖剣『イニミ・ニ・マニモ』で下腹部を切りつけた。女神の権能が卵巣にあるという話を思い出し、そこを狙えば無力化ができると判断してのことだった。
「何っ……身代わりか!?」
デュクシデュクシーは咄嗟に後方に飛びのいた。剣は肉を切ったが、臓器には届かなかった。
「ちぇっ。喋らなきゃよかった」
湊が手を振ると、小さな白い玉が撒き散らされた。その玉はデュクシデュクシーの近くで小さな爆発を起こした。目を焼かれないように瞑ったデュクシデュクシーに、湊はさらに別の玉を撒いた――それは忍者の煙球のように、白い煙を吐いた。
湊は煙のなかでつるぎのもとに駆け寄った。好きな人がどこにいるのかくらい、見えなくてもわかった。
「湊くん、いまの何?」
「変化の魔法で自分の身代わりと爆発する架空生物と煙吐く架空生物を用意した」
「え、架空生物? まあいけるか? でも変化させられる生物なんていた?」
さきほどの聖獣二匹はつるぎの胸ポケットに収まっていた。
「唾液には細菌がいるでしょ? 細菌って生き物でしょ? じゃあ変化させられる」
湊は自分の手に唾を吐くと、細菌を、煙を吐く球形生物に変化させて投げ、煙を追加で焚いた。
それもうなんでもありじゃん、と思いながらつるぎはひとつ思いつく。
「……じゃあ湊くん、こういうことってできる?」
「できる。そうだ、そしたらこういうふうに……」
作戦会議をしている間に、煙は晴れた。
デュクシデュクシーは明瞭になった視界で、驚くべきものを見た。
大量の蜷川つるぎがいた。空間一杯に、数百人もの蜷川つるぎが犇めいていた。
「な、なんだ?」
「不死同士の戦いなんて埒があきませんから、ここは勝負と行きましょう」
デュクシデュクシーの脳内に、つるぎは直接語り掛ける。
「このなかから本物のわたしを当てることができたら、あなたのやりたいことに協力しましょう。ただし、一回でも外したら諦めてください」
「……絶対だぜ」
デュクシデュクシーはそういって、まず魔力を見定めた。しかし、全ての蜷川つるぎに同じだけの魔力があった。他の存在に魔力を贈る、というのはデュクシデュクシーがアウゴージュにもやったことだが、それを蜷川つるぎはすべての分身に行ったのだ、とデュクシデュクシーは察した。
「なんて早い仕事だ……しかし、片手落ちといわざるをえない。速度重視が仇になったね」
デュクシデュクシーは嗤う。よくよく見てみれば、分身の蜷川つるぎたちは、本物とは少し違うようだった。ほくろがあったり、まぶたが違ったり、髪が妙に長かったり、服装が違ったりと、完璧な分身とはいえなかった。
(粗製濫造というべきか――大量生産の代償としてのクオリティ低下なんて、信仰心でもなきゃ許されねえよ)
デュクシデュクシーは本物の蜷川つるぎの姿を忘れないうちに、偽物の蜷川つるぎをどんどんわきに退けていった。
(背が高すぎる、もっと髪の毛が長かったはず、胸が大きすぎる、なんでオッドアイなんだよ、耳が尖ってる、デカいリボンなんてなかった、よく見ると喉頭隆起がある、そして――)
そして、明らかに違う個体をどかした先、大量の少し違う蜷川つるぎのなかに、本物と相違ないつるぎを見つけることができた――デュクシデュクシーは高らかに宣言した。
「きみだ! きみが本物の女神つるぎだ!」
「はずれでーす」
と。
さっきどかしたばかりの蜷川つるぎが、デュクシデュクシーの背後からいった。目の前の蜷川つるぎは菜花湊の姿に戻るとデュクシデュクシーの下半身に聖剣『イニミ・ニ・マニモ』をあてた。
「は……? な、なんで……だって、きみ、髪が」
「そういえばウィッグ取ったところ、見せてませんでしたね」
「なんで丸刈りに……そんな話、聞いていない」
「ごめんなさい、どうでもいいかなって」
「さて、勝負は僕たちの勝ちです。諦めてもらいますよ。素直に負けを認めて、僕たちを元の世界に返さなければ、あなたの下半身はお別れです」
湊はそういうと、剣を少し強く圧しあてる。
「……諦めか。そうだね、ここが諦めどきかもしれない」
「わかってくれたら――」
「きみたちが、自分の命を諦めるときだ」
空間が歪む。女神領域は少しずつ、収縮を始める。
星空が落ちてくる。
「俺はギリギリで抜けさせてもらう。きみたちは空間に潰されて、身動きが取れないままでいるといい」
「な……なんだって!」湊は叫ぶ。
「諦めるという約束でしょう」つるぎはいった。
「諦めるよ。きみたちに協力してもらうのは。本当にやりたいことは、独りでやるべきだった」
迫りくる空間壁を、つるぎは魔力で抑える。
しかしデュクシデュクシーは強力な魔力で以て収縮をさせているため、どうしても力で負けてしまっていた。
「つるぎ、大丈夫!?」
「駄目かも! どうしよう――」
死の予感を前に、早鐘のように打つ鼓動がうるさかった。考えがまとまらず、つるぎは歯を食いしばるしかなかった。
(考えなきゃ、考えなきゃ考えなきゃ――どうすれば――落ち着け、呼吸しろ、心臓を整えろ、心臓、胸、)
「湊くん! わたしの胸!」
「……わかった!」
湊はつるぎの胸ポケットに手を伸ばし、双子聖獣サングルフを変化の魔法で元に戻した。
「ありがとう! ねえ、サングルフさん! 魔力で抑えるの手伝って!」
つるぎはそういってサングルフを上機嫌にして、命令を聞いてもらった。
「がん――ぶるるるるうるる!」
「がん――ぶるるるるうるる!」
サングルフはつるぎの隣で空間に魔力を放った。一匹一匹はデュクシデュクシーの二分の一ほどの魔力だから、二匹いればデュクシデュクシー相当の強さの魔力となった。そこにつるぎの魔力も合わさったことで――当然、デュクシデュクシーの収縮の力を上回った。
空間の縮まりは収まった。どころか、最初よりも広々とした空間になった。
「やったか!?」
「うん、やったよ? 湊くん。やったか!? じゃないよ。もう」
つるぎはそういって湊を撫で、サングルフを撫でた。
「そんな……」デュクシデュクシーは、初めて魔力での敗北を味わい、膝から崩れ落ちた。
「デュクシデュクシーさん」つるぎはいう。
「たしかに女神という立場に誰かを据えることは苦しみを生みます。ですが、色々な人の心身を支え、たくさんの幸せを作ってもいます。有害な点にのみ目を向けて一気にぶち壊すような解決は、抜本的というより暴力的です。悪いところはしっかりと反省し是正して、形を変えつつ、功績や美点もしっかり見て尊重していくような丁寧なやりかたを、議論を重ねながら模索していくべきではないでしょうか」
「しかし」デュクシデュクシーはつるぎを力なく睨む。「きみにいま、具体的な案があるわけではないだろう。できる自信があるのかい」
「ありません」つるぎは断言した。「わたしだけでは。ですが、異世界の女神やパンゲア界の元女神からの意見を聞いたり知見を得たりすれば、何かが進むかもしれません。そこを目指し続ける気合いなら、あります。……デュクシデュクシーさん、よかったら、あなたのお力も拝借させていただけませんか?」
「え?」
「そもそもそういう話をするために、わたしはこちらに参ったんですよ。デュクシデュクシーさんの経験や魔力をお借りすることができたら、わたしのやりたい色んな仕事も実現可能性が高まりますし、大神官とは別に先代女神が業務のアシストを担う前例を作れたら、ほぼワンオペ化している女神の労働の常識を改善することに繋がるかもしれません」
それはキャルゼシアとルシアの協調を見て思いついた発想だった。民の前に出る女神はつるぎだけとして、女神の権能を用いた業務のなかで切り分けられるものがあれば、デュクシデュクシーに分けることができれば、時間の余裕ができるのではないか、と考えていた。
「上手く行けば、他の女神にも参考にしてもらえるかもしれません。そうしたら、デュクシデュクシーさんの望む未来にも、違う形でたどり着けるかもしれない。デュクシデュクシーさんがよければ、ご助力願えませんか?」
「……いいのか?」デュクシデュクシーは笑う。「俺を関わらせたら、アドバイスなんてさせたら、知らず知らずのうちに女神制度の崩壊に導かれるかもしれない」
「まあそこはわたしが気づけばいい話ですから」つるぎはいった。「デュクシデュクシーさんとわたしは全然違う存在です。だからこそ、デュクシデュクシーさんの視座が、デュクシデュクシーさんの愛情が、わたしの視点や愛情の足りない部分を補えると信じています。引き受けてくださるなら、そうですね、チョコに合う地球界のワインなど贈呈しますよ」
「俺、酒飲まねえよ」
デュクシデュクシーはそういって、葉巻をふかした。
ちなみにつるぎは、喫煙は苦手とするタイプだった。
「どうにかまとまってよかったね」
女神領域も試練のダンジョンも出て、マンナカ火山の城下町に戻ってきた湊はいった。
「今日はこれからどうするの?」
「んー、今日はもうおしまい。ウエ地方はまた今度だし。フェニックスさんと話してデュクシデュクシーさんと話したら夜くらいになって、そしたら帰るスケジュールだったけど。早まったね」
「……じゃあ、ふたりで夜までゆっくり過ごさない?」
「いいよ」つるぎは教会を見ていう。「そういえば、いつだったか湊くんが綺麗っていってたとこ、まだ登ってなかった。行こ」
手を繋いで鐘楼に登る。山の上の教会から、少し暮れだした空と、下界を眺める。目を凝らすと、アハランドの象徴となる巨木ウーアハが見えた。
「綺麗だね」と湊はいった。
「うん。ねえ、湊くん」
「何?」
「この世界のこと、好き?」
「目の前のこの景色を守ったのはつるぎだし、これからもこの世界をどんどん作っていくんでしょ? つるぎが。その事実だけで、僕はこの世界を愛せるよ」
「そっか。よかった」つるぎは笑う。「見守っててね。わたしも、世界も」
ふたりはそっとキスをした。
「……あ!」と、つるぎは思い立って唇を離した。「図書館も行こうね」
「マンナカ図書館だっけ? 火山の麓にある大きな」
「そう。暗くなってもやってるはず。でも早く行きたい」
「じゃあいますぐ行こう」
「うん! ちなみにさ、調べたんだけど――周辺に、ブックホテルみたいなところもあるんだ」
「ああ、読んでいい本いっぱい置いてあるやつ。気になるね」
「うん」
「……けど図書館もゆっくり見たいし、ホテルでのんびりするほどの時間はないかな? つるぎ、忙しいし」
「……まあ、長引いたってことにすれば、どうにかなるよ?」
と、つるぎは湊を見つめた。
どこにでもいる、二十歳の女子の瞳で。




