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第四幕 それぞれのエピローグ 第三話 多様なるひとびと

「それじゃあ、始めますね。どんなふうがいいですか?」

「そうねえ。あたしの理想としては、うんと強くて、どんな悪い人が来ても、ぶんって振ったら逃げて行っちゃうくらいの、すごい脚がいいわね」

「わかりました。ムキムキにしますね」

 つるぎがミリィと話している間、湊はマーキュリーの下半身に触れていた。


 今日、つるぎに同行することとなった湊の大きな役割は、変化の魔法で、マーキュリーに脚を生やすことである。


 女神になったら足を生やすというのはつるぎとマーキュリーの約束だが、それができるのはいまのところ湊だけだったため、スピーチで回っているときに叶えることはできず、二か月待ってもらっていた。


(高校生のとき、男らしさの勉強のために、飽きるほどボディビルダーの動画を観たものだけど。まさかこんなふうに参考として役立つなんて)

 湊はそんなことを思いながら、マーキュリーに強い脚を作った。


「まあ、すごいわ。太くて、引き締まっていて、これ自体、何かの武器みたいね」

「はい。もう少しすっきりとした脚がよかったらいってください」

「いいえ、これがいいわ。せっかくなら、誰よりも強くなりたいもの」

 マーキュリーは早速立ち上がろうとしたが、どう力を入れたものだかわからなかった。


「すぐには歩けないと思います、安全なところで練習をしないと」

「あら、そう? でも練習さえすればできるのね」

「はい、きっと」

「よかった。ずっとほしかったのよ。ちょっとでも健康な人に近づけた気がするわ」

 マーキュリーはそういって、嬉しそうに笑った。


「……マーキュリーさん。そういえば、天界で仕事をする傍ら、こことは違う別の世界に行くことがあるんです」

「別の世界?」

「はい。そのなかでも地球界という世界があるんです。そしてそこでは、結構色んなセクシュアリティ……えっと、恋愛感情とか性的欲求が、どういう誰にどんなふうに向くか、あるいは向かないか、そういうことについての研究が進んでいるんです。少数派ではあっても何万人もの人が近しい傾向を持っていたり、時代や場所を問わずに色々なセクシュアリティの人が存在していたことがわかったり」

「そうなの? 面白い話ね」


「はい。で……マーキュリーさんのように、誰にも恋愛感情を向けない人も、百人にひとりは、いるとされています」

 マーキュリーは湊からそういわれて、驚いたような顔で、黙った。そして、湊の瞳をじっと見た。


「天界の資料によると、他の世界の人間とこの世界の人間に、構造の違いはほぼないそうです。だから、マーキュリーさんに近いような人は、きっとこの世界にもたくさんいると思います。そして他の、誰かに恋愛感情を抱く人たちと同じように、いいことをしたり悪いことをしたり、物語を読んだり書いたり、誰かと違う形で生まれたり育つなかで何かを失ったり、誰かと友達になったり独りでいたり、していると思います。みんな、ただの人間だから」


「そうなのね。……ねえ、どうして、あたしにそれを伝えたいと思ったの?」

 マーキュリーはいった。

 そこに憐みがあったら許さない、というような顔で。


「僕ってめんどくさいんですよ」湊はいった。


「僕が僕の感覚で、それは間違ってる、不当だと思ったら気にせずにはいられない。つるぎはもっといい道があると思ったら我慢できないらしいんですけれど、僕はそういうんじゃなくて、その結果がどうなるかとか関係なく、ただただ我慢ならない。だから色んな人に噛みついたりそれは違うんじゃないっていっちゃったりして……耐えられるときも多いんですけれど、忘れはしない。

 そして僕は、実のところ、アセクシャルやアロマンティック、ノンセクシャルを異常なことのように、人間としての欠落のように扱うマーキュリーさんが我慢ならなかった。ずっと許せなかった。だから僕は、いま、ついでに伝えておこうと思いました。この世界が気づいていないだけで、あなたは割とよくいる範囲の人だと」


「つまり?」

「僕がすっきりするためにいいました。自分のためです、完全に」

「……うふふ。何、それ」マーキュリーは笑う。「なんだか、こんなこといっちゃよくないけれど、大変そうね、あなた」

「あ、わかります? 僕って生きづらいんですよ。つるぎがいなきゃ死んでたと思います」

 湊はそういって苦笑した。そこに嘘はなかった。


 ミリィのトラウマを消去したつるぎが会食室から出てきた。湊が手を振ると、つるぎはどこか疲れたような顔で振り返した。

「あ、マーキュリーさん。かっこいい脚ですね」

「ええ。たくましいものをもらったわ。……女神様、お疲れ?」

「まあ、少し。そうだ、えっと、イチゴ大福あげるのでみんなで召し上がってください」

「ありがとう。少し休んでいかれたらどう?」

「いえ、ここからも予定がありますし。ヌルちゃんのほうに行ったら教会を出ます」

「そう? まだ帰ってくるまで待つことになると思うけど……」

「いや、つるぎ」湊はいった。「ちょっと時間がおしてるから、ヌルさんのほうは後日に回したほうがいいんじゃない?」

「え?」そんなわけがなかったので、つるぎは驚いた。

 湊はつるぎを自分のほうに引き寄せて囁く。


「ミリィさんの記憶に触れて、もうだいぶ擦り減っちゃってるんでしょ。さらに無理したら、このあと動けないかもしれない」


 他者の記憶を選んで消すとき、当然、選り分けるために記憶を覗く必要がある。そうなるとつるぎは、ミリィの性被害の記憶を、ミリィの視点で体験せざるをえなかった。

 カウンセリングなどにおいては、被害者の体験談を聞いて衝撃を受けたり感覚を想像したりしただけでも、いわゆる二次受傷が起こるくらいである。極力、始まりと終わりだけを覗くにとどめたとはいえ、実際の視界を体験したつるぎは、結構ボロボロだった。


「……いや、ヌルちゃんの被害の記憶も、消さないと。いつ傷を自覚するかわからない」

「うん。でも、僕はつるぎに無理してほしくない。やるならゆっくりやってほしい。つるぎ自身が心を壊したら、元も子もないでしょ」

「……たしかに、長期的には、そっか。ありがとう」

 つるぎはそういうとマーキュリーにいう。

「たしかに予定が押しちゃっていたので、また伺います。もしもヌルちゃんに異変あれば、天使室の天使に連絡していただければ、なるべく早く行きます」

「わかったわ。女神様、気をつけて」


「そうだマーキュリーさん、もしも上手く歩けるようになったら、町のほうに行くための交通手段とかほしいですか?」

「そうねえ。ミリィもヌルもこの環境に飽きないとは限らないし、いただけるのなら、欲しいわね」

「わかりました。なんだったらお金も、換金できるものなど贈れますがいかがですか」


「ううん、自分で稼ぐから大丈夫よ。自立を目指すわ」

「かっこいい。頑張ってくださいね」

「ええ。……かっこいいも頑張ってほしいも、あんまりいわれたことなかったわ。可愛いとか、無理しないでほしいとか、そればっかりだった」

 あたしはちゃんと強かったのにね。

 そう呟くマーキュリーに別れを告げて、つるぎと湊は教会から出た。


 ふたりの前に、ヌルが現れた。二匹の成犬、ブギとウーギーとの散歩から帰ってきたところだった。

「あ! 女神様だ。かえるところ?」

「はい」つるぎはヌルと目線を合わせた。「散歩、偉いですね」

「うん! ヌルはえらいよ! よしよししてー」

「よしよし」

「わーい! あのね、おじいちゃんもね、ヌルが頑張ったらね、えらいってね、いっぱい撫でてくれたんだよ」

 ヌルはそういって笑った。



 つるぎと湊は、一旦の精神的な休養を兼ねて、ダリアンヌに赴いた。女神とわからないように、ウィッグを取って行く。

「落ち込んだときは、肉です」とつるぎはいった。「スピーチに回ってるとき、気になったステーキハウスがあってね。たぶんこっち」

「お昼時だから待つんじゃない?」

「まあ、お腹空いてるわけでもないし。あ、湊くんは空いてるかな?」

「僕もまあ、待てる程度ではあるよ」


 記憶を頼りに目的のステーキハウスを探していると、街角に立つ女性に声をかけられた。

「お兄さんがたお暇ですか、ステーキハウス『ミタリア』美味しいですよー」

 女性はそういってチラシつきのちり紙を差し出した。

「あ、ありがとうございますー。ちょうど行きたかったところで」

 とつるぎがいうと、


「ひっ!?」

 と女性は後ずさった。

「あれ? どうなさいましたか?」つるぎは首を傾げる。

「あ、いえ、……気づいてないなら、気にしなくても」

「ねえ、つるぎ」湊はいう。「この人、魔女の人だよ。なんだっけ、アッカじゃないほう」

「……バッカさん?」

「ばれた!」女性――バッカは諦めた。「そんで、や、やっぱり、お前らだった。声同じだと思ったよ、ね、ね、ね」


「もしかしてステーキハウスで働いているんですか?」

「う、うん。ちょっと、ステーキハウスの店長の家で、居候してるんだ。それで、世話されるだけってのも情けないから、店の呼び込みを手伝うっていって、こうやって配ってるんだよ、ね、ね、ね」

「なるほど。そういえば、バッカさんは欲望の魔法はそのままあるんですよね。もしかしてまた何か悪いことでも……?」

「そ、そんなことしてない。うち、欲望の魔法なんて、め、めっきり使っていないよ。そもそも、姉ちゃんのくれたセクシーな身体があったから、相手の性欲を高めるだけで、あんなこと、できたんだ。いまの幼児体型じゃ、誘惑なんてできっこないし、誘惑されるような変態に、恋人なんているわけないもん、ね、ね、ね」


「後者はまあ人によりけりでしょうけれど。まあ、問題なく生きていかれているなら、わたしたち何もしませんよ。怯えないでください」

「そ、そ、そう?」

「へえ、何もしてないんですね」湊はいう。「僕はてっきり、欲望の魔法を呼び込みに用立てているものかと」

「ひっ」


「チラシに大きく描いてあるステーキの絵、魅力的ですね。ちり紙を渡すとき、相手の手を握って渡してあげながら食欲を高めれば、まるで自分がステーキにすごく惹かれているみたいな気分になって、書かれているステーキハウスに行ってしまうでしょうね」

「ひいいぃっ」バッカは震える。「お、お前、まさか、知ってて」

「僕が有効活用するならこうだろうなって思っただけです。もしかしてバッカさん……」


「はいはい、湊くんそういうのいいから。商売の規制に関しては下界の判断に任せるよ。何はともあれ、バッカさん、人のために働くなんて素敵なことですよ」

「ま、まあ、働くくらい、してたから。出版社とかで」

「出版社で!? え、バッカさん、そうだったんですか? 編集者?」

「う、うん。掃除とか、備品の整理とかで、雇ってもらって。でね、気に入ってもらえて、編集に起用してもらって、ま、まあ、二年前には、その職場の彼氏に浮気されて、別れて辞めたんだけど、ね、ね、ね」

「よ……よかったら話を聞かせてください! ステーキを奢るので!」

「え、ええ? でも、仕事中で」

「わかりました、許可取ります!」


 つるぎと湊はステーキハウスの前の行列を律儀に並び、店内に通されたときに店長を呼び、実は女神なのですがバッカさんとお話をしたくて、と頼んだ。すぐにバッカを連れてこられ、三人のための肉が焼かれた。

「そ、そんなに気になるの? 女神なら、だいたいわかるでしょ」


「いやいや、天界に記録されていることは大きな出来事くらいのものですから。パンゲア界の出版業界の空気とか、具体的な戦略とかはわかりません。二年前の話にはなると思いますが、お肉を食べながらでいいので、是非聞かせてください!」

 生前に出版社志望だったつるぎと湊は興味津々という表情で、向かいに座るバッカを見つめた。バッカはつるぎと湊の椅子の向こうから――女神が店に来ていると聞いた民たちによって――注がれる視線に戸惑っていた。

 つるぎはそれを察して、

「すみません、壁作りますね」

 といい、魔法でバリアを作った。女神の魔力の賜物で、音が外に漏れないような構造に調整された。これで誰にも盗み聞きされません、とつるぎはいった。


 バッカはそれを聞くと、

「……じゃ、いいけど、さ」

 と承諾し、自分の経験や所感の話をした。



「ありがとうございます、バッカさん。面白いお話と美味しいお肉で大満足です」

「な、何度もいうけど、二年前だから。二年もすれば色々変わってくだろうから、ちゃんと訊きに行って、ね、ね、ね」

「はい、また時間があるときにマンナカ火山の麓に行く予定です。でも今日、バッカさんから見た景色を共有していただいて、とても楽しい時間になりました。ありがとうございます」

「そ、そう」

「そうだ、お礼にバッカさんから何か訊きたいことあればお答えしますよ。女神としてお答えできる範囲であれば」

 バッカはそれを聞いて、少し悩んでから、

「ね、ね、ね、姉ちゃんと、ソーダクラッカーと、ブーは、死んでから、ど、どうなったの?」


「アッカさんとブーさんは輪廻に入り、別の生物として生まれ変わりました。ソーダクラッカーさんは天使の治療課として、ダリアンヌの天使室配属になりましたよ」

「え」

「また何かあったら配属換えになるかもしれませんが、もし会いたければ、理由つけて戸を叩いてみてはどうですか? ダリアンヌ担当は少なくないので、ソーダクラッカーさんが出てくるかどうかはガチャ……運次第ですけれど」

 つるぎがそういうと、

「……わかっ、た」

 バッカはそれだけいった。情報提供に対する礼はいわなかった。


(そもそもバッカさん以外の三人を殺したのはわたしと湊くんだから、それはそうだ)

 とつるぎは思った。


「バッカさん。……ご家族の命を奪ってしまい、大変申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます」

「……それより、うちを殺さなかったことのほうを、謝ってほしいものだけども、ね、ね、ね」とバッカは湊を一瞥する。


「ねえ、ふたりはいまも、浮気とか、破局とか、ないの?」

「ありませんよ」湊がきっぱりと答えた。「一緒にいる時間自体は、最近あんまりとれませんが」

「そ、そうなんだ。一緒にいる時間が減っても、別れるとか、ないんだ」

「少なくとも僕たちはそういうことにはなっていません。ねえ、つるぎ」


「そうだね。湊くんマジで他の女を寄せ付けないから、わたしは安心して仕事に没頭できるというか。わたしはわたしで女神が忙しいので、物理的に他の人に目が行く暇もないっていうか」

「暇があったら行くの……?」

「行かないよ? わたしのこと対等に見てくれて、湊くんみたいに異様な角度から思考ほぐしてくれる人じゃないと幸せになれないの見えてるし」

 つるぎはそういって湊の頭を撫でた。


「それに、いまは湊くんを待たせてしまっているけど、わたしが頑張りつつ湊くんも天使試験を頑張れば、ちょっとふたりの時間を作れそうな……そんなプランの実現性は見えてきたところなんですよね」

「そうなの? そのプラン、僕は聞いていないけれど」

「本決まりじゃないから秘密。楽しみにしててよ」

「わかった、ありがとう。……そんな感じで、一緒にいなくてもつるぎが僕のことを考えてくれてるのは知っているので、問題ないわけです」

「そ、そうなんだ……」

 バッカは湊の頭を撫で続けるつるぎを見ながら、納得した。

 そして、ぶつぶつと吐露を始める。


「う、うちさ。まだ、男を信じられないんだよ、ね、ね、ね。浮気されたのがトラウマになっているし、自分が魔法でやってきたことだけど、欲望ひとつで簡単に裏切れる男を、たくさん見てきたから、ね、ね、ね。

 ……でも、ずっと独りでいたいわけじゃなくて。ど、どうしたらいいんだか」


「色んな生き方がありますけれど、そうですね。まずはお友達を増やしてみてはいかがですか?」

 と、つるぎはいった。

「と、友達? 男の?」


「どっちでもいいですけれど、女性の友達のほうがいいかもしれません。優しい女性の友達をいくつか作ったら、ひょっとしたら友達の友達に、バッカさんを裏切らない、優しい男性がいるかもしれない。

 そんな感じで、焦らずゆっくり、信頼度の高い縁を作って手繰り寄せるのはいかがですか?」


「で、でも。そんな友達、どうやって」

「さあ? ダリアンヌだったら、劇を観に行って終わったあと、隣の席の女性に面白かったですねーとか話しかけて、ノリが合いそうで予定空いてそうならごはんに誘ってみるとか? たぶんバッカさんは魔法で仲良くなったところで信じ切れないんじゃないかと思うので、自力と運で頑張ったほうがいいと思います」


「自力と……運」バッカは復唱する。

「恋も友情も巡り合いですから、うまく行くまで頑張るしかないんです。大丈夫ですよ、世界には色んな人がいますから。友達になってくれる人もきっといます」

「色んな人が……本当に?」

「湊くんのような、バッカさんの誘惑が効かなかった人がいたことが、その証明でしょう?」

「……わ、わかった。頑張ってみる、ね、ね、ね。役に入り込めば、流暢に、話せるから」

 バッカはそういって笑った。


 つるぎは、素の自分でも滑らかに発言できるようになるのが一番いいような気がしたが、流石にそこまで踏み込むのもいかがなものかと考えたので、

「はい。自分の心を大事に、たくさんの心に、丁寧に触れてくださいね」

 とだけ返した。


 ステーキハウスを出たつるぎと湊は大劇場に行った。観劇ではなく、上演予定が書かれた冊子が目当てだった。数日間で上演される劇のあらすじが書かれているものである。つるぎはそれを買うと、食堂で目を通した。

「見て、湊くん。同性同士の結婚生活がテーマの劇だって」

「へえ。そっか、そういう内容の話をやっても、戒律違反ではないわけだ」

「そうなんだよ。やっぱりエンタメには反映されるね、世相」

「稽古時間を考えると、割と変わってすぐに脚本が書かれたのかな」

「たしかに。インスピレーションになったのかな。いや、もしかしたら、ずっと前からそういう話を書いてみたかった人がいたのかも」

「だとしたらなんというか、表現の自由が広がったといえるのかもね」


「そうだね。我慢していた人たちが、自由な物語を出せるようになったのなら、よかった。……でもこれ、上演直前でお蔵入りになっちゃった劇や、二度と再演されない劇もあるかもしれないね。劇じゃなくて同性愛差別を常識として書いている本だって、バッカさんいわく、回収されることになる可能性が高いみたいだし」

「いいんじゃない? 差別的な内容ってことでしょ?」と湊はいった。


「いやあ、そうはいっても準備費用を回収できないし、上演を楽しみに生きてきた人もいると思うと、別にいいじゃんとはいいきれない」つるぎはそういってミルクを飲み干す。「もちろん、上演によって傷つけられる人がいなくなったのはいいことだけれども――前時代的な人はみんな死になさい、みたいな態度で神様をやるつもりないから」


「そっか。じゃあどうするの? たとえば戒律改正によって金銭的損害があった人たちにお金をあげるとか?」

「それいいかも。……あんまり金塊を作って下界で換金しすぎると相場に影響するって話もされたけど、振り回してばかりで補償のひとつもしないというのも、無責任だと思うし。金塊以外の補償法だってあるかも。天界に戻ったらちょっと話し合ってみるね」


 ふたりは冊子にひととおり目を通すと、売店の時計を見て、手を握る。

「じゃ、行こ」

「次はどこに?」

「バレッタに行ってから、グザイ」



 バレッタに着いたつるぎと湊は、子供たちの学校を少し覗いて、教員から現状の話を聞いたあと、花の店を巡った。つるぎが花束を見繕う横で、湊は香水を見ていた。

「湊くん、ついでに香水買っとく?」

「うん、欲しい。落ち着く匂いがあれば勉強も捗るだろうし」湊はそういってオーデコロンを手に取る。「賦香率低いやつなら、学習スペースで使っても迷惑かけないかな」

「じゃあ買うね」つるぎは自分用に同じものを手に取って、湊の香水と一緒に会計した。

「花束をふたつも、どこに持っていくの?」

「一個はグザイで、もう一個はアハランドだね」


 グザイに瞬間移動。カンタレラとニムルのいるところを探し回っているうちに、つるぎと湊は、なんだか町のなかが騒がしいことに気がついた――喧騒に耳を傾けると、どうやら選挙をやっているらしかった。

「町長選挙?」


 湊は、東グザイの町長のことを思い出す。幼い孫娘ヌルや犬猫に性的なサービスをさせて金を稼ぎ、それをもって西グザイ町長との和解金を手早く調達しようとしていた男である――結果、つるぎの介入によってヌルと犬猫はマーキュリーの教会に避難させられ、和解金も揃うこととなった。


「東西で分けずに統一することにしたとか?」

「いや」つるぎは否定する。「ほら、あそこの演説台。あくまで東グザイの町長を決める選挙みたい――」


「おや、これはこれは。ナバナ様ではありませんか」

 と、声をかける者がいた。カンタレラの父、ボルハである。

「あ、こんにちは、ボルハさん」つるぎはそういってウィッグを被った。


「ああ、やはりお隣は女神ツルギ様でしたか。先日は素晴らしいスピーチと、教会の大幅な拡張を行っていただき、ありがとうございました。おかげさまで、有事の際のパンクを心配することなく過ごすことができております」


「いえいえ。東西グザイの中心で町民を受け入れるとなれば、あの大きさでは足りませんから……むしろ、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」つるぎはそういって頭を下げた。「本日は、カンタレラさんにお祝いの花をお届けしたく参りました」

「なんと! わざわざありがとうございます。そうしましたら、これよりカンタレラとニムルの住む家にご案内致します」


 ボルハに案内されながら、つるぎは選挙について訊いた。ボルハは、東グザイの町長選挙のきっかけとして起こったことを話した。


「実は、東グザイの町長が孫娘たちに出稼ぎをさせていたときの、馬車の御者を務めていた……心身の不調で休むことになった者が、少し前に、全てをばらしたのです。西グザイの町長に、洗いざらい話したのです。きっと加担をしてしまったこと、それを隠して生き続けることに耐えられなかったのでしょう。

 わたくしやカンタレラにも事情聴取があり、揃って認めましたので、西町長は東町長のことを断罪所に伝えました。

 孫娘のヌルがサービスの結果として出血で死にかけた件を『他者への暴力の禁止』に反するものとし、その権利を金で売らせた町長は『破戒の推奨および強要の禁止』に触れたものとして、東町長は檻のなかへ。そうなると東グザイの町長がいなくなりますので、新しい人を決めようという流れになりました。

 ちなみに抑えた顧客リストは、リリシシア国王に共有されました。顧客たちもそれぞれの住むところで投獄されていることでしょう」


「なるほど……ひとまず、穏便に罰を受けることになって、よかったです」

「ええ。……あの町長のおかげでわたくしは妻と結ばれ、カンタレラが生まれたことは事実ですが。それはそれとして、町長としては問題の多い方でしたから、町長交代には素直に賛成です。さて、到着いたしました」


 赤い屋根の大きな家だった。表札にはカンタレラとニムルの名前があった。その隣にはさらに大きな家があり、ボルハによれば、そこは西グザイの町長の家らしかった。

「そういえば、カンタレラさんが西グザイの町長のお孫さんで、教会を併合後の町の中央に移す条件として一緒に住んでいたんでしたっけ?」

 とつるぎはいった。

「ええ。しかし、結婚をするならば邪魔をするものではないと西町長は考えました。とはいえ近くにはいてほしい、という祖母の情から、隣に家が建つことになったそうです」

「……隣に住んでいるのもまあまあ邪魔じゃない?」

 と湊はいった。ボルハは苦笑した。


「では、わたくしは仕事に戻りますのでこれで」

「ありがとうございます。ちなみになんのお仕事を?」

「声量を見込まれ、応援演説を頼まれておりまして」


 手を振って別れ、つるぎは家の戸を叩く。

「カンタレラさん、ニムルさん、いらっしゃいますか?」

「はい、どなたでしょう……女神様!?」

 カンタレラが声を上げると、家のなかで座っていたニムルが腰を上げて駆け寄る。


「女神様、天使様!」ニムルも驚きの声を上げる。「どうなさいましたか」


 つるぎはふたりの間に、花束をひとつ差し出した。

「ご結婚おめでとうございます」

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