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第三幕 神様の王と不死鳥の大罪

 フェニックスの子にして大神官である過去鳥パトスの大いなる不祥事は、マンナカ火山の民たちに衝撃を与えた。パトスは大神官として女神に誠心誠意をもって仕えながら、善良なる兄として予言鳥アスを支えてきた、気高き一羽の鳥であるとして憧憬を抱いていた者は多い。

 パトスが女神に凶刃を向け、さらにアスの死も促進していたという事実をフェニックスとパトス本人から告白され、たくさんの人が泣き出したり寝込んでしまったりと阿鼻叫喚の様相を呈していた。


「その混乱は予測できたものでした」フェニックスはいう。「しかし、民に罪を洗いざらい明かすこと、それもまたパトスに科されるべき罰と思いました」

「お疲れ様です」つるぎはそういって、出された生姜スープを飲んだ。「その後、パトスさんは迫害などされませんでしたか?」


「迫害というべきかはわかりませんが、城内や城下町の民からの厳しい目には参っているらしく、日に日に食欲は落ちている様子がありますね。しかしながら、そうした精神的苦痛を伴う批判に晒されることもまた、罰の一環でしょう」


「そうですか。どうか、気遣ってあげてくださいね。味方がひとりもいないというのは、ともすれば再犯の動機にも、自害の動機にもなりえますから」

「わかりました。……しかし、汝もまた、パトスに散々の迷惑をかけられた側の存在でしょう。そう慮る義務などありませんよ」

「すべての命は、慮られるべきですよ」つるぎはいう。


「……わたくしは、汝に礼をしなければなりません」フェニックスはつるぎに頭を下げた。


「汝がパトスを生かすことを願ってくれたことが、パトスを生かす決定の後押しとなりました。心より感謝を申し上げます」

「いえいえ。そういえばフェニックスさんも、パトスさんの死刑には反対でしたね」

「はい。そして、あの人……全神王も」

「え?」

「元を辿れば、わたくしとあの人の過ちがパトスの鬱屈のすべてを引き起こしたと、わたくしもあの人も理解しているのです」


「……あんまり愛を注げなかったという話ですか? 流石に、すべてというほど背負うものではないと、わたしは考えていますよ。育児なんてきっとみんな、どこか不完全なものでしょう」

「いいえ。そうはいきません。わたくしが大神官アウゴージュなどと子供を作らなければ、そしてあの人が怒って赤子に虚弱体質の呪いなどをかけなければ、パトスはあのような孤独を負うことはなかったのですから」


「え? なん……なんとおっしゃいました? えっと」

 つるぎの脳裏に、不倫、の二文字がかすめた。つるぎの理解が正しければ、予言鳥アスはフェニックスがアウゴージュと不倫をして作った子であり、全神王がそれに怒ってアスに虚弱の呪いをかけた、という情報が急に明かされた。

(神話ってたしかに恋愛関係のドロドロもつきものだけれど――)


「アウゴージュは生前、デュクシデュクシーから与えられた魔力を使って魔法を産み出す、大魔術師として子を養っていたそうです。彼は死後、天使として天界に仕えました。彼は頭のよさと飄々とした立ち回りで環境課の天使長にまで出世し、その仕事の一環としてマンナカ火山にも通うようになりました。わたくしの人間体を目撃されたときからでしょうか、彼はわたくしに秋波を送るようになりました。

 ……寂しさと仕事のストレスをいいわけに、わたくしは誘われるがまま、間違いを犯しました」

「フェニックスさん……」


「あと、夫だって他の世界線のわたくしを抱いているのだから何が悪いのかとも考えてしまいました」

「あー。別の世界線の自分と関係を持つことを浮気と看做すかどうかって意見わかれそうですね。で、どうなったのですか?」


「そしてわたくしは彼の子を身に宿しました。むろん、夫からすれば会っていない間にできていた子なのですから、当然どこの誰の子なのかと怒ります。夫は怒りのあまり、お腹のなかの子に呪いをかけてしまいました。


 その結果、生まれてきたアスは回復魔法を受け付けない虚弱体質の子になってしまいました。そして、アスはアウゴージュの才能を遺伝子で受け継ぎました。わたくし――フェニックスの膨大な魔力とアウゴージュの魔法開発の才能が合わさった結果、物心がついたころに、ひとつの魔法を無自覚的に開発しました。

 それが予言の魔法です。アスは予言鳥として祀り上げられることになりました」


 フェニックスはそこまで語ると、嗚咽交じりに呼吸し始めた。


「わたくしが……あのような欲を持たなければ。あの人がアスではなく、わたくしを呪っていれば。パトスが狂うことはなかったのです。ですからすべては、わたくしたち夫婦のせいなのです。……しかし、全神王として、あの場でパトスに厳正な罰を宣告しないことはできなかったのでしょう。身内に甘い神と思われれば、威厳が損なわれますから」


「だから、わたしの言動はちょうどよかったということですか?」

「はい。……はっきりいって、助かったというほかありません。わたくしは、パトスを支えることで罪を償おうと思います。民から槍を投げ込まれても、わたくしは不死鳥、あの子を護り、更生の道を支えます」

「フェニックスさん……」


 つるぎはいつになく弱々しいフェニックスを前に考える。この二か月の間、彼女は自分のしたことや我が子のしたこと、その犠牲となったアスやキャルゼシアや百年前のことを、どれだけ考えただろうと、考える。きっとそこにある誠実じみた不誠実についても気づいているのだろうと、つるぎは思う。


 全体の流れを鑑みてバランスをとっているようでいて、パトスという長男を生かしたいという親の情、自分の過去の間違いへの罪悪感を解消したいという欲求のために、するべき裁きをしないでいるだけではないかと――フェニックスが自らを疑ったことは、一度や二度ではない。つるぎにはそれを想像することができた。その可能性に気がついたときの、底のない自己嫌悪を。


(わたしも――正当な判断なのか、無自覚な自己正当化の判断なのか、ずっと迷っている。いままでの、いろいろを、いまでも。正しくなかったって別にいいと開き直ることの罪深さすら、自覚して、心に自刃をするような夜もあった)


(だから)

「フェニックスさん。わたしは、あなたのしたことや判断を肯定するつもりはありません。肯定されることのしんどさを知っていますから」

「女神つるぎ……」


「でも、だからこそ、忘れないでほしいと思います。予言鳥アスは百年の間、たくさんの人を幸せにしました。それはフェニックスさんが間違えなかったら起こらなかったことです。すべてが間違いだったとしても、間違いが救った命もあります。欠けないと嵌まれなかったピース、歪まないと通れなかった道、そういうものがきっといっぱいあると思います。

 フェニックスさんが自らの道程を振り返り悔やむとき、どうか、その事実も忘れずに振り返ってほしいです。間違えたということだけが、事実ではありません」


「……そうですか。そうですね。そもそも、あまり悔やみすぎては、まるでアスが生まれてはならなかったかのようです。そんなことは、絶対にないのです」

「どれだけ間違えて傷つけて狂わせていたとしても、本当に生まれちゃいけなかった存在なんて、きっとどこにもいませんよ。アスさんも、パトスさんも、フェニックスさんも」

 ついでにわたしも、といってつるぎは笑った。



 うわあ、と湊は思った。湊はフェニックスがはっきりいって苦手だったため、つるぎがフェニックスと話している間は城内をぶらついていることにしたのだけれど――その過程で、うっかり、出くわしてしまった。


 元大神官、過去鳥パトスに。

「おや、これはこれは――勇者様ではございませんか」

 パトスは城内の窓を拭いているところだった。雑巾を絞りながら、湊を見た。

「久しぶりですね、魔王様」と湊はいった。

「そうおっしゃると思いました。しかし勇者様、貴様がどうしてこの城に?」

「つるぎの付き添いですよ」

「そういえば、かあさまがいってましたね。この時間は用事が入っていると――なるほど、なるほど。そして貴様はその間、時間でも潰そうと?」

「そんなところです。では、魔王様には用がありませんから」


「お待ちなさい。貴様にひとつ、ご確認させていただきたいことがあります」

「たしかなことなんてこの世にありませんよ。なんですか?」

「……わたくしの」パトスは一呼吸おいて、切り出す。「わたくしの――マイサンはどうなりましたか?」

「……ん?」

 麻衣さん? と湊は首を傾げる。湊の母親は菜花麻衣だが、パトスが麻衣さんと呼称する理由はないはずである。まさか湊の母がパンゲア界の過去鳥と再婚を目論んだ交際をしているわけがない――では?

 と首を傾げっぱなしの湊を前に、パトスはいう。


「えっと、男性器です」


「……え、パトスさんってチンコのことマイサンって呼ぶタイプなんですか? 嘘、馴染みがなさすぎて口頭でわかりにくすぎる、何がどうなったらマイサン呼びに行きつくんですか?」


「自由でしょうが……」パトスは嘆息する。「とにかく、です。わたくしから切り落とされたマイサンがどう扱われているのか教えてください」

「ええー……気になるんですか? 生えてきてないんですか?」

「生えてきてはいます。回復魔法で再生いたしました、もちろん女神の権能や魔力は抜きにして。……ですが、気になるではないですか」


「まあ、身体の一部ですからね。えっと、普通にあのとき箱に入れて、……あれ、どうしたんだっけ」

「え」

「誰かに渡した? いや、資料室か何か、そのへんに置いたような……? ごめんなさい、本気でわかりません……。冗談じゃなく……嫌がらせでもなく……忘れました……バタバタしていて……」

 明記しておくと、本当に悪意なく、どこに行ったかわからなくなっていた。

 流石の湊も、パトスを嫌う気持ちだけで、女神の権能を秘める精巣を故意的にどこかにやってしまうほど、不用意ではなかった。


「……教えていただきありがとうございます。そんなにぞんざいな扱いをされてるとは、なんとも最悪な気分になりました。これも罰のひとつと思って生きていきます」

「パトスさん、生きていくつもりがあるんですね」

「当たり前ですよ」パトスはいう。「適切に罰されたいと願ったことはありますが、死にたいと思ったことは、百年に一度もございません」

「そうですか。それならばよかったです」

「おや、意外ですね。貴様はてっきりわたくしには死んでほしいものかと」

「まさか。生き続けてほしいですよ」湊はいう。


「どうか苦しんで生きてください。自分を見つめながら、罪悪感を抱えながら、自己嫌悪に塗れながら生きて、現実逃避のあとに何やってるんだって思いながら生きて、自分の犯した罪の重みを自覚しながら生きて、ときに易きに流れようとしている自分に気づいて落ち込みながら生きて、ときに痛みを忘れて繰り返そうとしている自分に気づいて塞ぎ込みながら生きてください。消えない悪行の先の生涯をどう歩むべきか何度も何度も考え直しながら、どこまで幸せになっていいかどれだけ不幸になるべきか幾度も幾度も捉え直しながら、それでも生きて幸せになってください。あなたが不幸に死に逃げたと知ったら、きっとつるぎは悲しみますから」


「ありがとうございます、うんざりするほど長々と。いわれなくても生きますよ。生憎、わたくしは蜷川つるぎのような愚かしさは持ち合わせておりませんから、貴様のいう通りに生きる気は、毛頭ございませんが」

「……ああ、そうですか。じゃあ、精々頑張ることですね」


「貴様も頑張って男ぶりでも磨くことですね。女神の恋人を名乗る男が、そんな頼りない体格と女々しくじめった性格では、異世界の女神から蜷川つるぎごと情けなく思われてしまっても仕方がありませんよ。背も低いですし、場合によっては女と間違えられるんじゃないですか? 変化の魔法で少しは盛ったほうがよいかもしれませんね、魔力で伸ばしていることを見抜かれないかびくびく怯えながら」


「女々しい? 人間性の欠陥を女性性に圧しつけるような前時代的な表現を振り翳さないでください。それに、本人ではなく伴侶で格を判断する程度の女神が存在したらそのほうがそら恐ろしいですね。そして女性に間違えられることを不快に思うほど、僕は僕が男性であることを誇っていませんよ。僕が誇るのは僕そのものと、つるぎが傍に置いてくれているという事実だけです」


「『つるぎは僕だ』と連呼しておいて都合よく他人扱いですか。やれやれ、そんな人間性で果たしていつまで傍にいられるのでしょうね。人生は何が起こるかわかりません。愛だって無限ではないでしょう。不老不死の恐怖とは、死を以て孤独から救われることが不可能なところにこそあると聞いております」


「仮定の話で煽るのって誰でも誰にでもできるので最終手段って感じしますよね。何が起こるかわからない? なら、そうならない可能性もいっぱいあるわけでしょ、なんもいってないのと同じですよそれ。予言者というわけでもないくせに偉そうに。救い。救いねえ。死は救済っていうの、僕は嫌いなんです。あんな寒くて寂しくて不自由なものが救いだなんて――死んでも認めない。救いを舐めるな」


 湊とパトスはしばらく睨み合って、それから湊が背を向けた。

「そろそろつるぎの様子を見てくるので、これにて」

「はい。お元気で、勇者様。大嫌いです。どうか貴様に罰がくだりますよう」

「お祈り感謝です、魔王様。大嫌いです。あなたの願いが叶いませんように」

 去っていく菜花湊を見送ることもせず、パトスは雑巾を濡らした。



「フェニックスとの話は終わった? つるぎ」

「あ、うん。でも、ついでにパトスさんの様子でも見てくつもり」

「さっき会ったよ。元気そうだったし、生きる意志もあるようだった」

「そう?」

「だから会わなくていいよ。帰ろう」

「なんかあったの? まあ、また今度にしてもいいけど。湊くん、ずっとパトスさん嫌いだねえ」

「僕はずっと怒っているよ。全部、根に持ってる」

「そうなんだ、わたしはなんにも怒ってないけどねえ。まあ嫌いって気持ちも好きと同じくらい大切だろうだから、湊くんの抱えているそれをわたしは諫めないよ。でも事件とか起こさないでね」

「起こさない起こさない。つるぎに迷惑かかるのがわかってることはしないよ」

「そっかそっか。そうだ湊くん、来週もちょっと、一日つきあってほしい」

「いいよ、嬉しい。大歓迎。なんの用?」

「百年前のパンゲア界の、とりあえずシタ地方の様子を見に巡ろうと思って」

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