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挿話 絶交

 この挿話では魔女アッカが登場する。彼女について語ることのできるタイミングはもうここしかないため、無粋を承知で、彼女のパーソナリティについて解説させていただく。


 彼女の両親のアウゴージュとグースは前科者である。アウゴージュは『他者の所有財産の盗みの禁止』、グースは『生殖を目的としない性行為の禁止』の戒律に背いた。ふたりはシタ地方を追われ、ウエ地方の背教の町で出会った。


 グースはアウゴージュの美貌に惚れ込み、アウゴージュの頼みを聞いて、ひとりで働いてアウゴージュを養った。グースの身体に子供ができても、生まれても、それは変わらなかった。

 女好きのアウゴージュはグースに労働を任せながら、娘たちを嬉しそうに育てた。きっと息子だったら、あまり愛着は芽生えなかっただろう。


 アッカはアウゴージュとグースの間に生まれた最初の子供である。彼女が物心ついたときには次女のバッカが生を受けていた。アッカはアウゴージュよりもグースが好きで、グースの身体が年月を追うごとに、子供を産むごとに弱っていくことに気がついていた。


「ママはパパのことが好きだから、パパを養うのが楽しいんだ。パパはママを愛しているから、ママがやりたいことに口出しをしない。それに、俺が君たちを見ているおかげで母さんはたくさん働くことができる。なんにも、問題なんてないさ」

 アウゴージュはそういったが、聡明なアッカは、本当にママを愛しているのならば休ませてあげるべきじゃないのか、と疑問に思った。


 グースはだんだん起き上がるのもしんどくなるほどになったけれど、アウゴージュはちっとも休ませようとはしなかった。それどころか、グースの背中を鞭で叩いてまで、労働に出かけさせた。グースは末っ子のブーが物心つく前に、過労に倒れて亡くなった。


「ああ! ママ! グース! 愛しのグース! なんて悲しいことだ! 俺は君がいないと生きていけないのに! 君はこの子たちのためにも必要だったのに! ああ、大好きだったのに!」

 亡骸を抱えて悲しみに暮れるアウゴージュを眺めながら、くだらない、とアッカは思った。


(愛しているならばあんなに働かせるべきじゃなかったのに。ママが弱っていたことに気づいていなかったわけがない。パパは愛とかなんとかいっておいて、自分のことしか考えていなかったんだ。だからいまになって、おいおい泣くことができるんだ。

 なんてくだらない、しょうもない、生き物だ)


 そのあと、背教の町の様子をこっそりと見に来た当時の女神、デュクシデュクシーに頭を下げて救ってもらうアウゴージュの背中を見て、もう一度、くだらない、とアッカは思った。神なんていなくたって生きていけるとか豪語していたのに、くだらない。


 アウゴージュの形振り構わない行いは功を奏し、四子を三十歳まで護り養うための魔力を賜わる結果に繋がる。前科を持ちながら家族とともに背教の町から脱け出してシタ地方に移住することができたのも、持ち前の才気で開発した魔法のおかげである。


 そして、アウゴージュが開発した魔法を四子がめいめいに受け継ぐことで、四子ともに百年以上の時を生き永らえることとなるのだけれど――アッカはいつまでも、表面上の感謝こそすれ、心の底ではアウゴージュを愛せやしなかった。

 ソーダクラッカーが男の身体を欲したときにアウゴージュから殴られていたことも、その気持ちに拍車をかけていた。


 そして三十年の人生で、アッカはたくさんの、同じようなくだらない人間を見てきた。

 人間なんてみんな、アウゴージュのようにくだらない。どうしたって好きになれない。

 アッカはあるときそう思って、放っておけないブーを伴い、独りで住む家を探す旅に出た。

 数年の旅の果てに、リリシシアとガボの間にある、豊かな木々に囲まれた塔に住み着くことを決めた。木々は素直で、人間のようなくだらなさを持っていなかった。



「案外、すんなりと纏まってよかったのう」

 百年前のパンゲア天界。つるぎとキャルゼシアは百年前のキャルゼシアとの鼎談を終え、現代のパンゲア天界に戻るところだった。百年前の天界の管理者はまだ百年前のキャルゼシアであるため、つるぎと現代キャルゼシアは瞬間移動で帰ることはできない。そのため徒歩で向かうことになった。


「ふたつ返事でしたね」とつるぎ。「でも、いつでも翻意を受け入れる準備はしておくべでしょう」

「翻意? 一度了承したのじゃから、それは不義理ではないか」

「生き返ったばっかりでしたから、よくわかってなくて頷いただけかもしれない。あとから生活に支障が出ることに気がついたり、自分がされたことの酷さを自覚したりする可能性は全然あるじゃないですか。突然殺されてしまったんですよ」


「殺されてからいくらか日は経ったがの」キャルゼシアは承服しかねるというふうに肩を竦めた。「まあ、よい。わらわがあやつの――百年前のキャルゼシアの大神官として補助をすることになるのじゃから。そなたがどう考えようと勝手じゃ」

「そうですか。でもたしかに、キャルゼシアさんのことはキャルゼシアさんが一番わかっているともいえますからね。自分で自分がわからなくなることや、なんであのときあんな考えかたしてあんなことをしたんだろう? って思うことも、あるあるですが」


「ふん。女神たるもの、せめて民に為すことは確証と責任を負わねばならぬぞ」

「ありがとうございます。承知しています。ひとりひとりの人生を預けていただいているといっても過言ではない、その重みを感情的に軽視はしません」


 そう宣言したつるぎの前を、見覚えのある、背の低いふたりの少女が横切った。

 黒いドレスに黒いフード。黒ずくめの格好に、目のさめるような金髪が映えていた。


「ん? ああ」少女のひとりが気づいた。「女神つるぎ」

「……アッカさん」つるぎはいう。「それに、ブーさん」

「なんじゃ、知り合いか」キャルゼシアは三人を見ていう。


「おねえちゃん、こいつでしょ~? よくおぼえてないけど、ぼくたちをころしたの~」

 ブーは電車ごっこのようにアッカの肩に手を置きながらいう。


「うん。あたしの可愛いソーダクラッカーとブーを殺した」アッカはつるぎを睨む。「そうだ、バッカはどうした? 天界で見なかったけれど」

「バッカさんは殺しませんでした」つるぎはそういって、頭を下げた。「……アッカちゃんと、ソーダクラッカーさんと、ブーさんの命を奪ってしまい、申し訳ございませんでした」

「ああ、いいよ。女神つるぎ」アッカはいった。「ちゃん付けなんてしなくていい――家族を殺した人間から、友達扱いなんてされたくない」

「……ごめんなさい。失礼いたしました」


「お前からソーダクラッカーの魔法の匂いと、ブーの魔法の匂いがする。あたしの魔法は、あの男のほうかね」アッカはつるぎに鼻を近づけていう。「もしかしたらソーダクラッカーが変化の魔法を求めてくるかもしれない。そうなったら、ちゃんと差し出しな」

「え……はい」

 突然の要請に戸惑いながら頷くつるぎ。


「そなたらは、天使になるつもりなのか?」キャルゼシアはいった。「そうでないのであれば、輪廻の門の列に戻るがよい。わらわたちも暇ではない」

「てんしなんかなんないよーだ」ブーは笑う。「ぼくたちは、めがみなんかに、したがわないもんね~」

「天界のお使いなんか反吐が出るね」アッカはブーの頭を撫でる。「列が長すぎるんだよ。並ぶのに飽きて抜けてきた」


「わかっておると思うが、そうであれば並び直しだ。いますぐに戻れ。天界は遊び場ではない。天使になる気もない者を置いておくわけがなかろう」

「へえ。でも現にいま、抜けてぶらつけているじゃない。並んで、頃合いを見て抜けてちょっとぶらついて、また並んで。それを繰り返せば、ずっとこの自我を保ったまま天界にいられそうだね」

「その素行が通達されれば、天使たちがそなたらを列から出さぬよう監視するだけじゃ。くだらん駄々を捏ねるな、痴れ者が」


「うるっさいな~。ぼくたちにくちだしすんなよ、ばばあ」ブーは睨んだ。「きらいなんだよね、しばられたり、したがわされたり。ぼくたちはバッカやソーダクラッカーとちがって、だれにもつかない。じゆうに、あそんで、しはいするよ」

「あたしは別に、支配欲とかないけれどね」アッカは笑う。「全部をくだらない玩具だと思っているだけ。酒と肴を産み出す以外に世界に価値なんてないさ。ま、ここは酒も肴もないしけたところだけれどね」


「……埒が明かぬな。強硬手段をとろうか」キャルゼシアはいった。

「強硬手段?」とつるぎが反応する。「何をするつもりですか?」

「こやつらを輪廻の門に連れていく。……死者の全員が行儀よく列に並ぶわけではない。並びながら暴れ、周囲の死者を傷つける迷惑な者もおる。そういったときの対応として、即座に輪廻にぶちこんでやるのじゃ。輪廻の先は当然、不人気な転生先である虫けらとなる」


「へえ。並ばなくっていいんだ。いいじゃん、それで。ブーはどう思う?」

「んー。てんかい、つまんな~いし、おねえちゃんがいくなら、ぼくもいく~。どうせおぼえてないなら、なにになったっていいし」

「望みを叶えるようで癪じゃが……女神つるぎよ。そなたの関係者であろう、こやつらの対応は任せた。わらわは天界に戻る」

「え。あ、はい」

 むろん、つるぎは天使試験の際にそうした講習も受け、試験の関門としても突破している。天界の構造そのものは現代と百年前で大きな違いはないようなので、その点でも問題はないのだが――。


(気まずい……とは、いってられないな)

 と、腹を括って、つるぎは逃亡防止の縄を綯う。

「縄はいらないよ。あたしたちは逃げない」

 アッカはいった。信用していいものかわからなかったが、不機嫌にさせてもどうなるかわからなかったので、縄なしで門に連れて行った。


「女神つるぎ。生まれ変わる前に訊いておきたいんだけれど。お前、どうして民の、人間なんかのために、働けるんだい? 人間なんて、愛もぶれれば情も捨てるし、約束を破って契約に背いて、期待を腐して信頼を裏切る、くだらない生き物ばかりじゃないか。女神のことだって、恩恵を賜わりながら嫌悪を抱く人間もいる。自分が生きるために、自分が苦しまないために、どんなよすがも誓いも絆も壊してしまえる。それでも愛して奉仕できるなんて、気が狂っているんじゃないのかい」


「……アッカさんは、ご自身のご家族にもそう思いますか? 人間でしょう」

「思わないよ。嘘つかれたら叱るけど、でも可愛いから、みんな。なんでもできちゃう。わかんないかね、人間への侮蔑と家族への愛着は余裕で両立するだろう」


「わかりますよ。くだらないなってところも、叱りながら許して、守るんですよね。わたしはそういう愛情を注がれることが、この世のすべての人間に必要だと思うんです。だから、なるべくみんなに愛と自由が降りそそぐ世界であるべきだと考えています」


「大層なことをいっておいて、自分の男のために、神やあたしらを殺しただろう」

「はい。ごめんなさい、心から申し訳なく思っております。湊くんを護ることと誰の命も奪わないことを両立できる女神になれるよう、精進してまいります」

「……それに届かなかったら、また誰かの命を奪うんだろう」

「そうかもしれません。湊くんが幸せでいてくれるから、わたしは世界を幸せにしようと思えるので……まあでも、湊くんもわたしもいま不老不死なので、誰かの命を奪わずに済ます道を行ける可能性は高まっていると思います」

「不死? 死なないってなんだ、そりゃ」

「色々あるんですよ。あ、着きましたよ」


 大きな虫の石像を左右に侍らせた、大きな門。キャルゼシアのいった通り、虫への生まれ変わりを望む者は基本的に珍しいため、いまは閑散としていた――ちなみに、人間以外の生き物たちが死後に様々な生き物に生まれ変わっているため、不人気なせいで下界に虫が足らないということは起こらない。


 門は常時解放の状態となっており、いつでも転生することが可能だった。

「ここをくぐれば、あたしらは虫になるわけだ」

 アッカは門に足を踏み入れるすれすれでいった。

 ブーはアッカの後ろから門の向こうを覗いていた。

「はい。いままでの記憶は忘れて、新たな生を歩むことになります」

 とつるぎはいった。


「つまり、これですべて終わりなわけだ」

「そうですね」

「……そう思うと、なんだか。これまでのすべてを許してもいいかもしれないね」

「え?」

 戸惑うつるぎの前で、アッカは笑う。


「人間のくだらなさのことも、女神つるぎ……つるぎちゃんのことも、許してあげてもいいかもしれない。そうだね、つるぎちゃんには家族を殺されたりもしたが、美味しい酒と肴で日々に甘美な刺激をもたらしてくれた友人だ。嫌い続けるのも、心残りだろう」

「アッカさん……」

「つるぎちゃん、仲直りの握手でもしよう。おいでよ」

 アッカはつるぎに手を差し伸べた。


「それで思い残しなく魂を終えられるのであれば……」

 つるぎはそういって、アッカの隣に歩きだした。


 手を取ろうとしたとき、

「ブー」

「は~い」

 と、阿吽の呼吸でブーがアッカの後ろから出てきて、つるぎの背中に体当たりをしかけた。

 潜れば最後、記憶を亡くして虫に転生することとなる門に向かって――押し出された。


(油断したなポンコツ女神――ソーダクラッカーとブーを殺したお前を、あたしが許すわけねえだろ)


「そりゃあそうでしょうね」

 つるぎはアッカの頭上からいった。

「……何?」

「おねえちゃん~」門の前で転倒したブーはいう。「めがみ、びゅんってきえた~」

「浮遊魔法を女神の魔力でやれば、すっごい速さで飛び上がるくらいできますよ」


 アッカはつるぎを見て、ブーを見て。

 深い深い、長い長い、溜息をついて。


「くだらない――ことをしたもんだ」

 そういうと、ブーを起き上がらせて、門に足を踏み入れた。

「アッカさん……」

「さよなら、女神つるぎ。これで絶交だ、二度と会わない。永遠に許さない」

「……さようなら」


 それから、ごめんなさい、とつるぎからいう暇もなく、アッカもブーも消えていった。

 つるぎは少しだけ、お酒で酔いたい気持ちになったけれど、湊たちを待たせているので、そういうわけにもいかなかった。

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