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[中] 後編

 雲上での瞑想を開始して、一時間が経った頃――パトスは不意に叫び出した。

「なぜだ! なぜ!! なぜ届かない!!! これだけの魔力があって、なぜ……わたくしは!!!」

 怒りは赤黒い雷となって迸った。それから、気を取り直す。


「そんなはずはない。わたくしは女神ふたりぶんの魔力を手に入れている。わたくし自身の魔力も、全神王の血筋のおかげで、並大抵の天使よりは強いものなのだ、そもそも! だから――そうだ、もっと集中ができるようにしなければ」

 瞑想に集中するための環境造りについて考えていたパトスに、


「何をしているのですか! パトス!!!」

 と、呼びかける者がいた。

 パトスには振り向かなくともわかった――だからこそ、煩わしい気分になる。


「いましがた、女神つるぎから聞きました。おまえは……とんでもないことをしでかしましたね」

 パトスの母、フェニックスである。

 フェニックスの上にはつるぎと湊が乗っていた。パトスの現状について告げ口をして、魔力を感じる能力で捜してもらったのである。秘記――秘密の日記に書いてあったパトスの所業の全容については敢えて深く触れず、ただパトスの目的と、フェニックスの愛情不足がこの事態の一因であるということは伝えてあった。

 それを伝えなければ、そして全容を教えてしまえば、フェニックスがパトスを、直ちに処刑してしまいかねないとつるぎは危惧した。


「邪魔をするな、かあさま……いや、不死鳥」

「おまえは機嫌の悪いときはいつもそう呼びますね。わたくしは引きません。

 大人しく投降し、女神の果実をキャルゼシアに返納なさい。そして百年前の天界に戻り、そちらでも女神の果実を返納して、罰を受けなさい。フェニックスの尾ならば、まだひとつあります」

「不死鳥。まさかわたくしが百年前の世界で女神を殺めたとき――その傍にいた大神官が、護ろうとしなかったとでもお思いか?」

「…………!」フェニックスは瞠目する。「ああ、なんてことを!」

「わたくしはもう引けないのです。余計な口出しをしないでいただきたい。わたくしは魔王としての路を選ぶ!」


「汝がどれほど魔力を積み上げても、あの子の力は、予言鳥の力は手に入れられませんよ。

 あの子は生まれ持っての天才です。努力では届かない、天性の感性が、才能があるのです」


「やかましい!!!」

 赤黒い稲妻が迸る。

 湊は身を竦ませたつるぎの肩を抱いて、大丈夫だよ、という。


「あ、ありがとう。……このままだとまずそう。上手くいってない」

「上手くいかなさそうだよね。どうする?」

「移動しよう。プランDだ」

 つるぎは湊と手を繋いだまま瞬間移動をする。

 パトスとフェニックスはそれにも気がつかず応酬を続ける。


「聞きなさい! 聞く耳を持ちなさい。魔王の路の先にほしいものは手に入らないといっているのです、汝がこれ以上、罪を重ねたところで得られるものなどありません!」

「不死鳥、貴様には何もわからない!」


 パトスはフェニックスにレイピアを向け、赤黒い稲妻の光線を放った。フェニックスはそれを避け、業火を送った。パトスは瞬間移動でそれを躱し、フェニックスの上に乗って、その首にレイピアを宛てた。


「そのようなことをしても、わたくしは不死の鳥。命は絶えません」

「少しばかり黙ってほしいだけですよ、口やかましいお母さま」

 光線はフェニックスの首を胴体から切り離した。翼の動きを失い、二分された不死鳥は落下していった。そして光線もまた下に、下界に墜ちていく――大陸に当たれば、当たった大地はごっそりと抉られ、底なしの大穴ができるほどの光線である。


 光線はしかし地に触れず、強力なバリアによって食い止められた。

 パトスが違和感を抱いて下界を見ると、驚きの光景があった。


 天界の天使たちが下界に集まって、大陸を護るためにみんなで魔力を合わせて、強大にして広大なバリアを張っていたのだ。そしてその先陣を切って指揮をしているのは、パトスが殺したはずの先代女神キャルゼシアだった。



「パトスよ! そなたに下界は侵させぬ! 魔力の王だと、笑わせる! わらわは最初の天使が産み落とした子、女神の権能などなくとも、魔力は膨大じゃ! そして下界を想う聖にして清き天使たちの魔力があれば、そなたの魔力など恐れるに足りぬわ!」


 魔力を馬鹿にされたパトスは、やにわにむかっ腹が立った。

「キャルゼシア! 貴様、わたくしを嘲ったことを後悔するといい!」

 パトスはレイピアをバリアに翳し、何度も雷を撃った。しかしバリアはそのたびに耐えた。そして、次の雷撃の前にクリーンナップされることで、常に新品のバリアで迎えることができた。これも多くの天使がいるからこその芸当だった。


「わたくしを見くびるな!」

 パトスは瞬間移動でバリアの向こう側に移動した。内側からキャルゼシアや天使たちをうちのめしてしまおうと思った。

 しかし、元女神のキャルゼシアが指揮をしているのだから、当然、それは計算に入れられていた。現れたパトスに天使たちは一斉に向かっていき、それぞれが携えた黒い粉をたくさんかけていった。


「ええい、うっとうしい……!?」

 パトスは雷で天使を蹴散らそうとしたが、静電気がばちりというだけだった。


「これは、まさか――呪いの粉!」

「そうじゃ!」キャルゼシアはいう。「全神王が創る呪いのブレスレットを構成する呪鉄――それの鉄粉じゃ! 身体にまとわりつけば、女神の権能や魔力は抑圧される! 観念するのじゃ、パトス!」


「くっ……はっはは! こんなもの、こんなもの!」

 パトスは歯ぎしりをしながら力を籠めて魔力を掻き集めると、魔法の水を全身から勢いよく噴出させた。

 それによって鉄粉は流されていった。キャルゼシアの計算では、それだけの鉄粉を浴びれば浮遊魔法で飛ぶのが精いっぱいなくらいに抑えられるはずだったが、女神の果実をふたつ食べただけあって、パトスの魔力量は常識外れだった。


「しまった! そなたたち――」

 キャルゼシアは天使たちに逃げるよう伝えようとしたが、その前にパトスが元の位置、バリアの外側まで瞬間移動で戻った。


「何!?」

「……おかげで頭が冷えましたよ。ありがとうございます、キャルゼシア様」

 パトスがそういうと、右腕をひと振りした。すると、みるも醜悪な怪鳥たちが大量に生み出された。怪鳥たちはパトスに指図されると、天使たちのバリアに向かって突撃していった。


「わたくしが直々に手を下すまでもない。王は王らしく、部下に任せて瞑想に耽るとします」

 パトスは中身の見えない真っ暗なバリアで自身を囲んだ。空高くに、暗黒の太陽があるかのような光景だった。



「この量は、バリアを直す暇がない! まずい、これではバリアの決壊は時間の問題じゃ!」

「キャルゼシア様!」天使のひとりがいった。「どうすれば……!」


「汝ら、不安に思うことはありません。わたくしがいます」

 復活していたフェニックスは、バリアの外から天使たちに呼びかけた。

 フェニックスは火球を作ると、バリアに群がる怪鳥を次々に丸焦げにしていった。しかし背後から鋭い嘴で刺されると、どうしてもパフォーマンスは落ち始めてしまう。そもそも、フェニックスは先程に復活したばかりで少し疲労が残っていた。


「フェニックスさん! 大丈夫ですか!」

 と、駆け付けたのは、つるぎだった。

 つるぎは怪鳥の頭にぽんぽんと触れていった。すると怪鳥たちはまず自分に与えられた指示を忘却してぼうっとした。

 次に、なんだかすごく上機嫌になって、何かを攻撃しようという気が起きなくなった。

 そのタイミングでつるぎは焼きたてポップコーンを詰め込んだすごく大きなボウルを置いた。怪鳥たちは美味しそうなポップコーンの匂いにメロメロになり、みんなして貪りに向かった。

 忘却の魔法と機嫌の魔法、そして女神の創造力のコンボだった。


「女神……つるぎ!」フェニックスは驚いた。「ひとりなのですか?」

「はい! わたしがいると、ちょっとややこしいので!」

「なんのことかわかりませんが……そうだ、パトスはあそこです」

 フェニックスは空中の黒い球体を指した。

「あれは……バリアでしょうか?」

「きっとそうでしょう。あれを破壊できますか?」

「わかりません! 一緒にやってみますか?」

「……そうしましょう!」


 つるぎはフェニックスと手を取り合って魔力を繋ぎ合わせ、黒い球体に向けて百万の火球を撃ち放った。火球はすべて黒い球体に直撃したが、ヒビひとつ、入らなかった。


「くっ……ダメでしたか」フェニックスはうなだれる。「では、瞬間移動であのなかに入ることは?」

「できるとは思います。ですが、内部でどのような状態で待ち構えているものかわかりませんから、危険です」

「そうですね。……どうすれば」

「でも、焦る必要は、ありません」つるぎはいった。

「蜷川つるぎよ」キャルゼシアはバリアのなかからいった。「勇者は、菜花湊はどこにおる?」

「ああ、湊くんなら……いま、でっかくなって唄ってるはずです」



 北リリシシア東地下遺跡。

 つるぎを見送った湊は、地下遺跡を警備する者から声をかけられる。

「いま、何が起こっているのでしょうか。空にたくさんの天使たちがいて、見たことのない鳥たちが集まっていて、そしてそのうえに、ひどく不吉な、おどろおどろしい星があります」


「さあ。ただひとついえることは」湊はつるぎから渡されていたメモを読み返しながら、いった。「あなたの警備は、今日のためにあったということです」

「え?」

「聖なる竜の目覚めのときです」


 湊は長い長い鉄はしごを降りきって、広大な坑道を真っすぐに歩いた。

 聖竜寝殿――その最奥で眠る聖竜ヘップバーンを前に、湊は自分に変化の魔法をかけた。


「これくらいでよかったかな」

 湊は山のように大きな巨人になった。湊の記憶は正しく、百年前の巨人オードリーと同じだけの大きさを手に入れていた。

 巨人の湊は、聖竜ヘップバーンを起こすための歌を唄った。オードリーの孫娘、エッダがオードリーから受け継いでつるぎに伝えた、暴走する女神を聖竜に止めさせるための歌だった。

 巨人の声帯は、聖竜の鼓膜を見事に叩いた。


「クゥオ――クゥウウウウオオオオオオオオオオオオオォ!!!!!!!!」

 それは管楽器のように気品のある、澄んだ咆哮だった。


「よかった、起きた」

 湊は元の大きさに戻り、ひとまず胸を撫でおろした。

 次の動きを待っていると、聖竜は湊に背を向けた。自分を待っているのだと気づいた湊は、素直に乗ってあげた。


「クゥウウウウオオオオオオオオオォ!」

 聖竜ヘップバーンが鳴くと、地上では地割れが起こった。

 崖ともいえる大きな裂け目が生じた。そしてその隙間から、聖竜は湊を乗せて飛び出した。


「めちゃくちゃするな……絶対いまの地割れの揺れでどこか大惨事でしょ……」

 湊はそうぼやきながら聖竜の鱗にしがみついた。それから、腰に差した神の剣『ヴァレンタイン』がどこかに吹っ飛んでいないことを確認した。



「あ、あれは」北のほうから飛来してくるその生物を見てキャルゼシアは口をおさえた。

「聖竜……ヘップバーン!」フェニックスは叫んだ。「そうだ! ヘップバーンならば、あの黒い球体を打ち破れるはずです!」

「やはり、そうなんですか?」つるぎは訊いた。

「聖竜は女神を打ち倒すための生物。女神が魔力を以て身を護るというなら、破魔の炎を放ち、魔力を打ち消すのです」

「なるほど。湊くん!」つるぎは瞬間移動で湊の耳元に声を届ける。「その黒いの、ヘップバーンが壊したら、プランDそのまま!」


 つるぎの呼びかけを聞いて、湊は深呼吸をする。自分の役割を胸中で再確認する。



 暗黒の太陽のような黒い球体バリアのなか――パトスは瞑想をしていた。外の音も光も一切受け付けない、真っ暗で静かな空間だった。

 瞑想をしながら、パトスはひとつのことに意識を集中していた。それは、膨大な魔力を研ぎ澄ませ、ある一点のみを追求することだった。


 未来予知。

 亡き弟、予言鳥アスの、全神王をも超える、唯一無二の能力。


 パトスは初めから、それが欲しかった。そのために女神の魔力を得て、まず誰よりも魔力を持つ者になるべきだと考えていた。たくさんの魔力という資源があれば、どのようなことも叶うはずだと思った。


(そのために払った犠牲はいかほどだろうか。いまさら降伏したところで、わたくしは大神官の地位になど戻れるはずもない――)

 ゆえに、パトスは何が何でも、予言鳥の能力に辿り着かなければならなかった。どこに、どうしたら得られる力であるのか、皆目見当もつかなかったけれど、しらみつぶしに探すための、有り余る魔力である――。


(それでも足りなければ、わたくしは――そうだ、この世界を滅ぼして、過去鳥の力で別の世界を創って逃げ、その先の女神を殺して三つ目の女神の果実を食らおう)

 もはや、罪を重ねる道を、虚ろな魔の道を進むほかに、パトスには考えられなかった。彼も馬鹿ではない、その未来にある暗澹たる冷気はとうに嗅ぎ取っていたが、だからといって、もうどうしようもないと考えていた。


 そんなとき。


 光明が差した。


 予言の力に、ついに目覚めた――というわけでは、ない。

 物理的に、その空間に光が入ってきた。

 そしてあっという間に、静寂と暗闇は光に侵された。


 眩い視界のなかで、聖竜ヘップバーンがこちらを見ていた。

「クゥオ――クゥォッ! クゥオ――ウウウウオオオオオオォ!!!!!」

(終わった)


 聖竜が出張ってきて生き残った女神など、どの世界にもいない。

 死を覚悟したその瞬間、パトスの背後に、つるぎが回り込んだ。


「パトスさん、失礼します!」

 つるぎはそういうとパトスの鎧に触れた――パトスが女神の権能で創造した鎧に触れた。

 そしてつるぎの女神の権能で、パトスの全身鎧を消した。


 パトスが素っ裸になったのを見て、湊は聖竜の頭から飛び降りた。

 そして神の剣『ヴァレンタイン』をパトスに向けて振るった――。


 勇者・湊は神の剣の刃で、魔王・パトスの陰茎と睾丸を、根元から切り落とした。

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