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[中] 前編

「はっ!」

 キャルゼシアは目を覚ました。明らかに死んだ記憶があるのに、生きていることに驚いた。


「お目覚めになりましたか?」

 つるぎに声をかけられて初めて、自分がつるぎに膝枕をされていることに気がついた。

 そして次に、自分の首にゆるく、フェニックスの尾が飾られていたことに気がつく――すぐに、飾りは音を立てて崩れた。

「まさか、わらわのためにこれを使ったのか!?」

「はい。元より、その予定でいただいたものですから」


「馬鹿者! そなた、いまの状況をわかっておるのか? パトスが謀反をしたのじゃ……! それに、あやつはすでに女神の権能を手に入れていたとしか思えぬ行動をしておったぞ! わらわはもう女神の権能を使えぬ、そなたらの命のために使うべきじゃ!」


「死んでよい命などありませんし」つるぎは笑う。「それに、全神王様の宮殿にどう行ったらいいんだか覚えてないんで教えてほしいんですよ」


「……そうか。全神王を頼ることが、たしかに最善じゃ」キャルゼシアは少し気を落ち着かせていった。「ついてこい。案内する」

「あ、いいえ。道順だけ教えていただければ、わたしと湊くんで勝手に行きます。キャルゼシアさんは、他の天使たちの安全のために動いていただけませんか」

「そ、そうか……そうじゃな。あやつの目的が何かはわからぬが、そうするに越したことはない」キャルゼシアはそういうと眉間をもむ。「すまぬ、生き返りたてで思考がまとまっておらぬな」

「そうでなくとも、パトスさんが突然裏切ったんですから動転してもしょうがないですよ」

「あ、ああ……それにしてもパトスめ、なんのつもりじゃ」


「パトスさん、いってましたよ。わたくしは魔王になったのだと」

 誰よりも魔力を持つ王者――魔王。


「パトスが……魔王?」キャルゼシアは呆気にとられる。「あやつが世界を滅ぼすと?」

「でも、魔王ってことは」湊がいう。「僕なら討てるということだよね?」

「……そのはずじゃ」

 キャルゼシアが頷くと、湊は神の剣『ヴァレンタイン』を撫でた。


「じゃが、どのように討つかはわかったものではない。ひょっとしたら相討ちやもしれん。世界がすべて滅んだうえで、わらわも蜷川つるぎも殺されたうえで辛勝するということかもしれぬ。予言はあくまで、世界を滅ぼす強大な魔王が現れ、そなたが『ヴァレンタイン』を振るって討伐するということのみじゃ」


「確定してないってことは、わたしたちの頑張り次第ですね!」とつるぎ。

「そうだね。少しでも被害を抑えないと」湊はいった。

「それにしても、すべてが不可思議じゃ。パトスのやつがどうしてそのようなことをするのじゃ? だいいち、パトスはどこで最初に女神の権能を……おい、蜷川つるぎ」

「なんでしょう」

「そなた、いっておったな。わらわのいない世界線で研修をしてきたと」

「はい」

「その世界線はパトスが創ったということか?」

「はい……というか、過去に行って分岐させたみたいなことをいっていました」

「では確定じゃな。

 あやつはその世界線でわらわを殺したのじゃ。百年前の、女神になりたてのわらわを」

 キャルゼシアは深く溜め息をついた。つるぎは理解し、ぞっとした――自分が旅をしてきたあの環境が、百年前のキャルゼシアの死によって創られていたという事実に。

 

『わたくしは過去鳥の力でそちらの世界を覗くことはできますが、諸々の都合で軽率に足を踏み入れることはできません。ですから、おふたりの持つ身分証明カードを受信機として声を届けさせていただきます』


 かつてパトスはそういっていた。諸々の都合とは、その世界のキャルゼシアを殺したからということではないか。受信機として声を届けるというのも、女神の権能によって声を瞬間移動させていたのではないか。

「ということは、まさか……あのときの、あれも!?」

「あのときのあれって?」湊はいう。

「わたしがキャルゼシアさんを殺して女神の果実を食べたとき、パトスさん、オーマイガー! って叫んだんだ」

「それで?」


「でも本当に敬虔な信者ってオーマイガーとか軽率にいわないらしいんだよ。

 つまりあれもパトスさんが心からキャルゼシアさんに仕えてはいなかったということだったんだ」

「それは地球界における常識であってパンゲア界は別だと思うけれども……」

 わりと軽率に神の名を口にする世界である。


 そんなふうに騒いでいるつるぎに、キャルゼシアは紙片を渡した。

 全神王の宮殿のある世界に通ずる扉への、道筋メモだった。

「とにもかくにも、あやつは危険じゃ。タガがとっくに外れておったのじゃ。わらわは天使を護る。そなたらは全神王のもとに向かえ」

「わかりました!」つるぎはいって、湊の手を取った。「行こう」



「当然そう来るだろうと思っておりましたよ」

 大神官――もとい、魔王パトスは、扉を破壊していた。もうその扉が開くことはなかった。全神王の宮殿に行くための正規ルートは、あっさりと潰されてしまっていた。

 唖然とするつるぎと湊を見て、パトスはいやらしく笑った。


「さて、貴様らはここからどうするというのですか?」

「……どうもこうも」湊は前に出る。「魔王なんて、討伐しかないでしょう」

「おやおや――これはこれは。いつの間にそこまで、勇者の自覚が芽生えたというのですか? もう勇者様は女に護られて繊細に怒りを発するだけが能の男ではないのでしょうか」

「護られることも繊細であることも怒りを発することも、悪や罪ではないですよ大神官様。

 誰に貶されるいわれもない。僕は僕らしく自分を大事にして生きているだけです」

「だったら最期まで大人しく引っ込んでいればよかったのではありませんか?

 死にますよ、こんなふうに」


 パトスは黒く凝固した砲弾のような魔力を、大きな指ではじいた。

 湊の肩から下、腰から上――胸部と胴が、ごっそりと、潰された。


「……あっ……!」

 空気の漏れるような音が断末魔だった。心臓など、残されていなかった。


「くははははは!!! なんだ、勇者といってもあっけない! 結局のところ、修行を怠り、強い剣を持って調子に乗っただけではその程度です! ひょっとしたらあのまま修行を続けてさえいればもう少し生きられたんじゃあないですか――女神つるぎ様!

 貴様が甘やかしたから、あっさり死んでしまいましたよ!」


 明らかに即死の光景を前に、つるぎは悲鳴のひとつもあげなかった。

 ただ、床に転がった湊の頭部を前にしゃがみこみ、そっと口づけて。

 それから、立ち上がって、パトスに向けて、許さない、といった。


「許さない。許せない。許されるはずがない。許せるはずがない。よくも。どうして。なんてことを。何をしている? どうしてこんなことをした? どんなに酷いことをしたのかわかってる? わかってるのかって訊いてんだよ! ふざけんじゃねえよ! ふざけんじゃねえよ!! てめえに湊くんの価値の何がわかってたんだよ!! わかってもないやつがなんで湊くんを殺してるんだよ、なんで湊くん殺すんだよ、なんで湊くんが殺されなきゃいけないんだよ、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!!! 湊くんはもう生き返れないのに、フェニックスの尾なんてもうないのに、もう会えないのに、どうして、どうしてどうしてどうして、どうして殺すんだよ!!!! 死んでも許さない殺しても許さない自殺しても許さない、許せない許せない許せない許せない、よくもよくもよくもよくも、よくも――こんなことを!!!!!」


「長い。感情の吐露とはいえ冗長にすぎます。うんざりです」パトスは白けた顔でいう。

「一瞬で終わらせます」つるぎは瞬間移動でパトスの頭上に回った。


 一瞬だった。

 パトスの翼からぶざんっと射出された大量の羽は鋭利な小刀となり、瞬く間に、つるぎを滅多刺しにした。

 気道も心臓も貫かれ、つるぎは八メートルの高さから硬い床に落ちた。


「くははははは! あっけない! 実にあっけない……こんなものか、予言など!」

 パトスは高笑いしながらつるぎに身体を向けた。すぐに焼き捨ててしまおうかと考えたが、しかし、つるぎの遺体からも女神の果実が出てくることを期待して待った。魔力はあればあるだけよいと考えた。


「調子に乗ると足元を掬われますよ」

 と、いって、湊はパトスの足首に触れた。

 そして、湊が魔女アッカから受け継いでいた変化の魔法を発動させた。


「なっ……!?」

 不意を突かれたパトスはあっという間に、八メートルの巨体から、容易に踏みつぶせるような、小人に変身した。湊はポケットからガチャガチャのカプセルを取り出してパトスをそこに封じた。

「何……ぃ!? 貴様、いつの間に……いや、どうして」

「つるぎ、これこのまま腐らせていいよね?」

「どうしようね」平然と起き上がったつるぎは喉に刺さった羽槍を抜いていった。「小さくても侮れないから、そうだね。申し訳がないけど、殺してしまうしかないのかも」

「わかった」

 湊は触れもせずにさらに変化をさせた。パトスの、腐乱死体への変化が始まった。


「な……なぜ、貴様らは、いきて、いる」

 その言葉に、つるぎと湊は何も答えない。


(なぜっていえば、研修のときに湊くんが天界から持ち出していた盾――うろこのたての鱗が、フェニックスさんの発言から人魚の鱗だって確信を得たから、天界に戻る前に呑んで不老不死になっているからなんだけど)

(それを素直に明かして、何か僕らの知らない角度からの対策をされたら困るからなあ)


 ここで説明すると、つるぎと湊は、天界に行くことを決めて食事をして鱗を口にしてから天界に着くまでの間、何も本当に二時間半いちゃいちゃしていたわけではない。

 食後、最初の三十分くらいは天界で何があってもよいように、不老不死の身体や湊の変化魔法、つるぎの忘却魔法と機嫌魔法と女神の権能を前提として、色々と対策を講じていたのだ。


 たとえばつるぎとキャルゼシアの一対一の戦いでは、仮にタイマンになった場合に湊が遠隔でつるぎの姿を変化させてアシストをすること、その際はつるぎが心の準備をできるように事前に名前を呼ぶなどの声かけをすること、という話し合いがあったうえでの臨戦であった。


 また、相手があまりにも強すぎる場合には、湊が先に殺されたふりをして、相手がつるぎのほうを向いたら湊はそっと起き上がって変化の魔法で弱体化などをさせる、という策が考案されていた。


 そういった話し合いやイメージトレーニングを寝室でやっているうちに、自然な流れでいちゃいちゃに移行して二時間が経過しただけであり、決して何も考えていなかったわけではなかった――そこそこの危険を、死線を潜ってきた経験のたまものである。


 しかしながら。

 経験はときに足を引っ張る。たとえば、想像力を狭める形で。


 湊がパトスの身体を腐乱死体に変化させるとき、湊が思い描いていたのは、魔女アッカによって自分自身の身体がじわじわと腐乱死体に変えられた、あの強烈な体験である――そのせいで、湊は思いこんでいた。


 別にさっさと腐乱死体にしてしまってもいいのに、じわじわと腐らせるものだと、無意識の固定観念に縛られてしまった――そのせいで。


「く……くくく、くははははは!」

 と、哄笑をしながら、パトスが変化の魔法を自らの強大な魔力で解除するには十分な時間を与えてしまった。


「……つるぎ! このカプセルを上から潰そう!」

「え、あ、うん!」つるぎは重く大きな鉄の塊を生成してカプセルをぶっ潰した。


 けれど、もう遅かった。一足早く、パトスはカプセルから離脱してつるぎと湊の背後を取っていた。

「湊くん!」

 つるぎは湊の手首を即座に掴んで瞬間移動で逃げた。


「逃がしましたか。……まあよいでしょう」

 パトスは再び巨体と鎧を手に入れ、体躯に見合った、赤黒く禍々しいレイピアを生成した。それから上空に移動すると、レイピアを天界の方角にひと突きした。


 赤黒い光線が天界の中央を真上から真下まで一直線に貫いた。

「天の者よ。これは警告です。わたくしに余計な攻撃はしないことです!

 わたくしは魔王。女神を超えた魔力を持つ王者! 貴様らに為す術などありませんよ!」

 メガホン要らずの肺活量で天界中にその言葉を轟かせると、パトスは雲の上に腰を下ろし、瞑想を始めた。



「大丈夫? 揺れたね」つるぎは湊にいう。

 ふたりは大神官の仕事部屋にいた。先程のパトスの攻撃で天界全体が大きく揺れ、本棚が次々に倒れてめちゃくちゃになっていた。

「大丈夫。……それより、つるぎ、刺されたところ痛くない?」

「痒い。湊くんは?」

「僕はなんとも。それにしてもつるぎ、熱演だったね」

「え?」

「僕が殺されたふりしたとき。すごく真剣っぽかった」

「普通に、湊くんが傷つけられて頭に血が昇ってた。いまやっと落ち着いてきた。よく覚えてない」

「マジ切れだったんだ……」

「さっきまでわたしなんていってた?」

「パトスさん殺すしかないかなーとか」

「嘘。やっぱ湊くんがやられてるとわたし駄目だね……気をつけないと」

 つるぎは湊の無事をたしかめるように軽くハグをして、背中を撫でた。



「さて、これからどうしよう。また隙を作れるかわからないよね」

「そもそもパトスさんがどこに行ったのかもわからないし。でもとりあえず、ここから出ようか」

「うん……あれ?」湊は本読みの性で、床に散らばった本のタイトルを無意識に追っていたが、そのなかに厳重に鍵のかかったものがあった。そして表題に、


 秘記


 とだけ書いてあったことが湊には気にかかった。


「どうしたの? 湊くん」

「いや、これ」湊は気にかかったものを拾ってつるぎに渡す。「なんか気になっちゃって」

「秘記。んー、えい」つるぎは女神の権能でピッキング道具を作って開けた。「やっぱりこれ、パトスさんのっぽい。……ああ、そういう」

「つるぎ?」

「……うん、わかった」つるぎは十数分で内容をだいたい把握すると、机の上に置いた。「湊くんに読んでもらう時間はあんまりないから、端的に結論をいっていいかな」

「あ、いいよ。何?」

「パトスさんは、やっぱり、殺さない方向で考えていきたい。あの人は親の愛が足りなかっただけだから」

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