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[上] 後編

 さすがにそれですぐに首を絞めに行くわけもなく戸惑うつるぎに、キャルゼシアは場所替えを提案した。

「たしかあれがあったじゃろう、パトス」

「あれでございますね。かしこまりました。準備ができましたらお呼びします」

 数分後、戻ってきたパトスに呼ばれて、つるぎと湊はついていく。キャルゼシアは場所を知っているためあっさり瞬間移動をした。


「あれ? そういえばキャルゼシアさん、女神の権能を使えるんだね。てっきりつるぎが奪ったから使えないものかと」と湊はつるぎにいう。

「卵巣って二個あるから。一個でも女神の果実が身体に残っていたら、まあ使えるんじゃないかな」

「ああ、そういうこと。ん、でもそれっていいの? 女神の権能を持ってる存在がもうひとりいるってことは、隠居のふりして何かやらかされたら、困らない?」


「基本的に、退位された女神様は全神王様に権能をご返納なさいます。そうして生殖能力を解放し、次世代をお作りになられるのです。キャルゼシア様も、そのようにしてお産まれになりました」と、パトスはいった。


「なるほど、まだ返してないだけなんですね。じゃあ、もしもつるぎがキャルゼシアを殺したら、また女神の果実が出てくると。……それをつるぎが食べたら?」

「……前例がございませんので、わたくしにもわかりかねますが。恐らくは、通常の二倍の魔力を持った女神となるのではないでしょうか?」

「なるほど? 何かできることが増えるってことはなさそうなんですね」

「まあ……そうですね……つるぎ様はもうひとつを食べなくてもよいかと。女神の業務には、必要がありませんから。とはいえ、仮に不埒な輩や、それこそ勇者様に食べられでもしたら厄介なことになりますから、その際はわたくしが回収します」

 パトスはそう語りながら、扉の前で止まった。


 招かれたそこは、天界の地下にある、観客席付きの闘技場だった。

「こちらは天下戦場と呼ばれる施設でございます」とパトスはいった。「とても頑丈な場所であるため、魔法などを存分に放つことが可能となります」

「もともと、何用なんですか?」と湊は訊いた。


「実際に使用されているところは、わたくしは見たことがございませんが。

 かつては天使同士での喧嘩であったり、女神が暴走した際に避難をするためのシェルターであったり、あまり安穏な事態で使用されるものではありませんね。それもあって管理があまり行き届いておりませんでしたので、先ほど軽く清掃をしたところです」

「地球界だと武道館をエンターテイメントの上演に使用することも多いんですよね」

「あいにく、そう暇なこともございませんので」

 高いところにある、窓のついた観客席で喋る湊とパトス。

 いっぽうで闘技場の舞台では、つるぎとキャルゼシアが黙して見つめ合っていた。


「……舞台はあるが、なに、場外負けなどはなしじゃ。安心するがよい。

 殺しあって、死んだほうが負けじゃ。簡単だろう?」

「そうですね。色々な倫理を無視して成り立つような、ひやっとするシンプルさです」

「神が倫理を守ってどうする。倫理は神が創るのだ。

 パトス、開戦の合図を寄越せ」

「はい。――はじめ!」


 最初に動いたのは、つるぎだった――それは防衛だった。自分の身をすっぽり覆う小さなバリアを魔法で作り、攻撃に備えた。

「失笑ものの失策じゃ」

 つるぎを押しのけるように、バリアの内部にキャルゼシアが現れた。そしてすぐに、意趣返しのごとく、つるぎの首を絞めにいった。


「ぐ……あっ」

「首を絞めた罪は首を絞める罰で償うのが一番じゃ」キャルゼシアは笑う。「千の謝罪より、その苦悶をこそ被害者は求めるものだということをわかっておるか」

「……わ……かっ!」

 つるぎはキャルゼシアの手首を握った。引き剥がすため――ではない。


 手っ取り早く、非暴力的に、入眠魔法で戦闘不能にしようと考えた。

 流れてくる魔力を感じ取って察したキャルゼシアは、真顔で呆れる。

「なんたるうつけめ――女神は眠らぬ。ただひとつ、死のみにて目を瞑るのじゃ」

(ああ、そっ、かぁ……じゃ、あい、まは、こっ、ちだ!)

 死が見えてくるような苦しみのなか、酸素の薄い頭で、つるぎは次の策を出す。


「……ぐっ!?」

 キャルゼシアは咄嗟に手を離した。痛いほどの熱さを感じた。

 つるぎの全身が一瞬にして燃え上がったのだ。

 炎魔法による、セルフ火だるまである。


 キャルゼシアが怯んだ隙を見て、つるぎは瞬間移動でバリアから出た。

 キャルゼシアは咄嗟に前後左右をきょろきょろと捜した。そのため、つるぎが闘技場の天井に張りついていたことに気がつかなかった――つるぎはキャルゼシアに向けて自由落下をしながら、一トンはあろうハンマーを、重力に乗せて振り下ろした。


 しかし、風の流れで飛来を気取られてしまえばそこまでである。キャルゼシアは即刻見抜き、瞬間移動で避けた。つるぎがハンマーを振り下ろす地点に、地雷を設置して。


「うっわ!」

 つるぎは僅差でそれに気がつき、ハンマーを手放して天井に戻った。舞台を木っ端微塵にし、土が剥き出しになるような大爆発が起き、煙がうっとうしく上がった。


「なるほどの。天井におったのか」つるぎの目の前にきて、キャルゼシアはいった。

 つるぎは生成しておいた鋭利な手裏剣をキャルゼシアに投擲し、意識を逸らしてから煙のなかに逃げた。そのまま煙幕を四方八方に焚き、キャルゼシアの視界を塞いだ。


「ほう! 知っておるぞ、わらわ。地球界の忍術というものじゃろう。愉快なものじゃが――所詮こけおどしじゃ!」

 キャルゼシアは巨大な扇を生成すると、天井からのひと扇ぎで煙を散らしてしまった。

 すっかり晴れた視界のなかに、つるぎはいなかった。すぐに背後を警戒したが、現れる気配はない。しばらく待っていても、いっこうに現れない。


「怖気づいて逃げでもしたか……?」

 つるぎが情けなく尻尾を巻く想像をしながら、キャルゼシアは天井から地面に降り立った――その瞬間、地面から何かが飛び出してきて、キャルゼシアの顎をがつんと殴った。

 ロケットパンチだった。

「神様にロケットパンチ……ってね!」

 次いで地中から出てきたつるぎは、ふらついたキャルゼシアの両足首をがっしり掴んで、ぐんっと引っ張った。キャルゼシアは見事にすっころび、後頭部を硬い地面に盛大にぶつけた。


(ただ怪我をさせても回復魔法で治るだろうけれど――気絶なら対処する間もない!)

 脳を揺らしたりなんだりで昏倒を引き起こそうという算段だった――けれど。

「舐めておるのか?」

 つるぎの背後から声が聞こえた。

 首だけで振り返ったつるぎの腹部に、重い拳が一発入った。

 キャルゼシアは背後をとってなどいなかったが、女神の権能で声を届けるとき、音の角度を調整することで背後をとったと勘違いさせたのだった。


「聞けば、つい昨日まで女神の権能を封じられていたとのことじゃが……したらば、権能の使い方は、経験値のぶんわらわのほうが上手じゃ」

 キャルゼシアはつるぎの腹をもう一発殴った。

 さらにもう一発。一発。一発、一発、一発、一発、一発。

 それは目にも止まらない乱打だった。瞬間移動の応用で、拳を瞬速で連打する。

 しかもつるぎの背後には、いつの間にかキャルゼシアの作ったバリアがあった。それが壁となって抑えつけているから、逃れることもできず、つるぎは腹に拳を食らい続けた。血や吐瀉物を吐きながら、つるぎは殴られた。


「つ――つるぎ!」

「おっと、勇者様。貴様は黙って見ていなさい」


「どうだどうだ、抵抗せぬか――おや」

 突然、つるぎは忽然と消えた。

 瞬間移動をするにも、ある程度の集中力は必要である。殴られっぱなしの状態でできるわけがないという公算があったのだが――痛みに慣れたか、とキャルゼシアは思った。


「しかし今度はどこに消えた?」

 キャルゼシアは呟きながら、つるぎがまた地中にいても問題ないように、空中へ浮遊した。それから思いついて、洪水並みの水を魔法でもたらした。地中でどのように過ごしているかわからないが、土のなかにいるならば、次々に沁み込む水で溺死を予感するはずである。そうなれば出てくるだろう、と考えてのことだった。


 水深五メートルほどまでいっても、つるぎは出てこなかった。


「……いったいどうしごぼっ!?」

 キャルゼシアの頭上に突如現れたつるぎが、キャルゼシアの後頭部を掴みながら重力とともに落ちた。五メートルの水溜まりに、キャルゼシアは顔から落とされることになった。集中力が必要となるなかで、呼吸のできない水中に突然ぶちこまれたキャルゼシアは、逃げることもできない。


 ところで女神の業務のなかに、海中などに身を投じるものはない。女神の権能があればだいたいなんでもどうにかなるため、そんな必要はちっともないのである。

 水泳の練習を必要としたことも――ない。

 つるぎの手を振り払ったキャルゼシアだったが、水中でのもがきかたもわからない。絶体絶命だった。


「キャルゼシア様……!」

「つるぎ……!」


 ざば、と波打った。キャルゼシアが水上に出てきた。女神の権能で自分の真下に五メートルの柱を生成することで自分の身体を押し上げたのである。

「はあ……はあっ……げえっ」

 大量に飲んだ水を嘔吐して、キャルゼシアは辺りを睨む。どこにつるぎがいるものかと、捜す――だがしかし、見つかるものといえば精々、魚影くらいのものだった。

「魚影!?」

 キャルゼシアが気づくと同時に、巨大な鮫が水中から出てきて、キャルゼシアに襲い掛かった。右腕をまるごと噛みちぎった。キャルゼシアはすぐに回復魔法で身体を再生させた。鮫は水中に消えた。


「……あれが蜷川つるぎだというのか?」

「まさか」パトスはいった。「蜷川つるぎが……変化の魔女の魔法を!?」

(あ、やっぱりあんまり僕らのこと見ていなかったんだ)

 と湊は隣で思った。魔女アッカを殺めたことを知っていたら驚くはずもないのである。


「なんだか知らぬが、所詮は魚。煮つけにしてくれる!」


 キャルゼシアは水面に手をつけると、魔法の力で一気に温度を上げた。つるぎ鮫は遠くで顔を上げた。

「ああっ! つるぎ!」湊は叫んだ。

「は、は、は、は、は! 鍋のようにぐつぐつ煮えておる! ひとたまりもなかろう!」

「そうですね、やばかったです。死ぬかと思いました」

 つるぎは元の姿でキャルゼシアの背後をとり、柱の上から突き落とした。


「ぎあああああああああっ!!!!」

 自ら沸騰させた熱湯の海に全身を投じさせられ、絶叫するキャルゼシア。

 熱さにもがきながら沈んでいく――しかし、少しすると熱さにも慣れてくる。

 キャルゼシアは冷静さを取り戻し、女神の権能で自分の周囲に酸素の膜を生成した。深呼吸し、瞬間移動。


 その一秒後に、熱湯はつるぎの魔法で氷漬けになった。分厚い氷の塊の表面が天井を映し、キャルゼシアの移動先をつるぎに伝えた。つるぎは氷をさらに壁面まで拡げながら、覗き込むように屈んだ。


 そして目を瞑って、

「光あれ!」

 と叫び、生成していた十万ルーメンの懐中電灯のスイッチを入れた。


「なっ……なんじゃ!?」

 床と壁の氷は鏡面のように閃光を反射させ、闘技場全体が真っ白な光に包まれた。湊はつるぎが叫んだ時点で目を瞑っていたが、パトスは鳥の遺伝子を持つ目で食らってしまい、卒倒した。


 つるぎは点けっぱなしの懐中電灯を置いて、目を瞑ったまま移動した。キャルゼシアは何も見えなくて困ったが、それはつるぎも同じであるはずだから、問題はないだろう――そう考えつつ、対策を考えた。

「……光源を覆えばよいのじゃ!」


 闘技場と同じだけの面積の遮光布を生成し、上から覆った。すると光は抑えられた。


「さて、蜷川つるぎはどこじゃ――!?」

 左右に首を振って、キャルゼシアは戦慄した。


 蜷川つるぎはふたりいた。闘技場の右端と左端に立っていた。


「……分身をしたというのか? 馬鹿な!」

「女神デュクシデュクシーは人魚を生成しました」右のつるぎはいった。

「自分で自分を生成してもおかしくないでしょう」左のつるぎはいった。


 明かしておくと、つるぎはクローンを生成したわけではなかった。片方のつるぎは、湊である――変化の魔法によって、分身したかのように見せかけている。


「デュクシデュクシーは……最初の天使たちのひとりにして、女神になる前から天使最大の魔力を持つ者じゃった。だから、わらわやそなたよりもずっと多くの魔力を持つ女神だったのじゃ。

 ……わらわにはゴーレムを生成することはできても、血肉を持つ新たな生命を生成することなどできぬ! そなたにできるはずがない!」


「わかりませんよ。地球界の肉体とパンゲア界の女神の権能が呼応して、超大なる魔力を得ているかもしれません。何せ、例のないことですから」と、左のつるぎ――湊がいった。


「……だとしても、そうじゃな」キャルゼシアはそこで思い至り、笑う。「問題などはないのう。女神の生成した物体であるならば、女神であるわらわの手によって消滅させることができるのじゃから! 残念じゃったの」


「存じております。で、どちらが生成されたほうだと思いますか?」と右の、本物のつるぎはいった。「いえ、この場合は、どちらがオリジナルなほうだと思いますか、というべきでしょうか。もしも、生成されたほうを消滅させるために触れにいったら、オリジナルの、女神の権能を持つ蜷川つるぎに、一瞬でも背を向けることになる」


「……なるほどの、考えたものじゃ。しかし!」

 キャルゼシアは両腕を左右に伸ばした。

 腕は掃除機のコードのように、するるるると長さを増していった。

 そう、フェニックスが魔力を用いて自らの身体の大きさを変動させられたように、キャルゼシアもまた、腕の長さを変動させたのである。

 そして手の大きさもまた、人間の胴体を片手で握れるほどの大きさに変化させた。


「がっ……!」

「ぐっ!」

 左右のつるぎはあっという間に手に捕らえられた。

「おや? どちらも滅せぬではないか――ははあ」キャルゼシアは観客席を見て、湊がいないことに気がついた。「わかったぞ! 先程、そなたが鮫に変身したような力で! 菜花湊を蜷川つるぎの姿に変身させたのじゃな! 狡い真似をするものじゃ」

 つるぎは身体から引き剥がそうとするように、自分の身体を握るキャルゼシアの指を握った。しかしとんでもない握力で、到底そうはならなかった。つるぎは集中力をかき集めて、両手でキャルゼシアの指を必死に握った。


「……み、湊くん!」

「く……っ!」湊は呻いた。「……つるぎ!」

「うん!」つるぎは頷いた。

 次の瞬間、つるぎはまた姿を変えた。素早い羽虫になってキャルゼシアの背後をとる。


「つるぎ! いまだ!」

 元の姿に戻ったつるぎは、キャルゼシアの首に手をかける。

 そして。

「……何をしておる」

 敗北を悟って観念したものの、一向に首が絞まらないので、キャルゼシアは睨んだ。


「できません。キャルゼシアさんも、奪われるべきではない、尊い命ですから」

「日和ったか。そなたは、かつてのような思い切りのよさをすっかり捨ててしまったようじゃな。それは命取りじゃ」

「取りたくも、取られたくもありません。誰の命も」

「たわけが。殺すべきときに殺せぬようでは、女神は務まらぬぞ」


「いまじゃありません。だって、そんなことをする必要なんて……ないじゃないですか!

 よく思いだしてください、この戦いの勝敗は、わたしが女神として認められる条件は、最終課題の内容は、なんですか!」


「はん、何をいっておる。それは――あれ?」

 キャルゼシアは呆然とする。


「なんじゃったっけ? 何をしたら、課題完了じゃっけ?」


(よし! ちゃんと忘れてる!)

 魔女ブーから受け継いだ、忘却の魔法。

 それを使って、『キャルゼシアを討つ』という課題内容を忘れさせた。


「思い出してください。キャルゼシアさん、あなたに力を認めさせることですよ」

 と、変化を解いた湊はいった。


「そ、そうじゃったかの?」

「そうでしたよ」つるぎはいう。「そしてキャルゼシアさんはいま、無抵抗で絞められようとしていた。これは、もう殺されてよいと思ったからではないですか?」

「……そうじゃの。

 そうじゃ。殺せ、蜷川つるぎ」

 キャルゼシアはいった。


「ここまでの戦いを振り返れば、わらわはそなたに翻弄されっぱなしじゃ。

 不意打ちではなく正面からやりあって殺されかけたならば、わらわはもうすっかり、耄碌したということじゃろう。

 女神の座を戴く権利はない。そなたに継承する。

 そしてわらわは、隠居などする気もない。したところで元女神という立場を、責任をまた背負うだけじゃ。……わらわは気づいておったのじゃ、すでにわらわの精神は、そうした重圧には耐えられなくなってきていると」

「キャルゼシアさん……」


「勇者に修行をつけるとき、必要以上に悪辣な、暴力的な言動をしている自分にも、気づいておった。思えばあれは、天使にもパンゲア界の民にもわからないところに、ストレスをぶつけたかったのじゃろう」

 キャルゼシアは湊を自分の手から解放し、顔を向ける。


「すまなかったの、勇者よ。わらわは、狂っておった。許さなくてよい」


 湊は少し驚いて、それからキャルゼシアを睨んだ。

「許さなくていい? 何を身勝手なことをいっているんですか。そんなことは許しません」

「……身勝手じゃと?」


「身勝手ですよ。誰かを傷つけておいて、その誰かから許されようとすることを最初から放棄するなんて、身勝手です。誠実であることを放棄してさっさと楽になろうとしているだけです。あなたが許されるか、許されないか、許されようって努力をしなくていいかは、あなたが決めることではありません」


「そうか……そうじゃったか」キャルゼシアは嘆息する。「では、問おう。何をすれば、許されるじゃろうか」

「僕はつるぎが幸せなら、それでいいです。だから、つるぎのいうことを聞いてください」

「キャルゼシアさん」つるぎはいった。「それでは、わたしの願いを聞いていただけますか」

「……女神に復帰しろというのでなければよいが」


「女神に復帰してください。ただし、わたしと一緒に女神になってください」


「は?」

「実はわたし、ふたつのパンゲア界と関わることになりそうなんです。百年前のパンゲア界、とでもいうべきでしょうか。そちらも、現代のパンゲア界も、わたしは女神としてよりよいものにしようと考えております。


 ですが、新人であるわたしひとりでそれは、キャパシティ的にきついだろうと予想しています。慣れたって難しいかもしれません、そんなことをしている女神は例がありませんから。だから、キャルゼシアさんに経験者として支えていただけたら、すごく助かるなって」


「……百年前のパンゲア界?」

「あ、はい。パトスさんが研修用に用意してくださった、百年前にキャルゼシアさんがいなかったらという世界線なのですが、研修後も残すということになりまして。私、その世界で結構女神として振る舞ってきたので、実際どうなるにせよ、関与して見守っていくことは避けられないんじゃないかと」


「待て。研修とはそのような内容じゃったのか? 現代を旅していたものだとばかり思っておったぞ? 異なる世界線を作る? わらわがいない世界? なんじゃそれは」

「え?」

「おいパトス、どうしてわらわに伝えていな」


 貫いた。


 強い光の気絶から回復していたパトスが――観客席のほうを向いたキャルゼシアの心臓を、レイピアで貫いた。


「え?」つるぎがいった。突然、誰も気づかないうちに、パトスがそこに現れたのだから、びっくりしてしまった。


 いっぽう、湊はつるぎの身の危険を案じ、聖剣『イニミ・ニ・マニモ』を抜いて斬りかかった――パトスは真剣白刃取りでそれを受けた。


 次の瞬間、聖剣はぼろぼろに滅びて、消えていった。


「邪魔はしないでくださいね」

 パトスは片足で湊の腹に蹴りを入れて吹っ飛ばしながら、キャルゼシアの胸からレイピアを抜いた。


「湊くん!」

 つるぎは瞬間移動で湊のほうに向かった。

 パトスはそれを意にも介さず、とどめとばかりにキャルゼシアの首に手をかけた。

「パ……トス。そなた、まさか……がぁっ!」


「お望み通り殺してさしあげます。

 さようなら、キャルゼシア様。いままでご苦労様でした」


 キャルゼシアは絶命した。


 息絶えた女神の、肩甲骨のはざまが隆起する。

 女神の皮膚を突き破って、たったひとつの実をつけた太い枝が、メキメキと伸びて天井に接した。

 手を伸ばせば摘めるような距離に生るその果実は、ブラックベリーに似ていた。


 パトスは躊躇いなくそれを摘んで、口に入れた。


「パトスさん!?」湊の回復を終えたつるぎは、パトスを見た。「どうして……何を!?」


「どうして? そうですね、貴様が余計なことをしたからでしょうか。

 貴様が素直にキャルゼシアを殺していれば、わたくしがわざわざ手を汚すこともなかった。まったく、貴様はいつも余計なことばかりですね」

「それもだけど、そうじゃない! なんで、あなたが女神の果実を食べたんですか!」


「魔力がほしいからに決まっているでしょう。他にあるというのですか?

 すでに女神の権能を得ている者が、さらに女神の果実を食す理由など」


「…………!?!??」

 意味がわからない、とつるぎは思った。

(すでに女神の権能を得ている? パトスさんは、今日より以前に女神の死に立ち会っていて、そのときに女神の果実を食したというの? そんな記録はどこにもなかったはず。そんなことが起こったなら、記録されていないなんてありえない。嘘? いや――)


 つるぎは思い出す。つるぎが女神の権能で作った湊の聖剣『イニミ・ニ・マニモ』がパトスによってあっという間に消滅させられたことを。

 それはパトスが、キャルゼシアから女神の果実を奪う前から、女神の権能を得ていた証左である。


「思えば貴様は余計なことしかしませんでしたね。わたくしの最初の計画では、精神的限界の近づいてきているキャルゼシアから介錯を頼まれたら、一度殺して権能を授かり、フェニックスの尾で復活したところもう一度殺せばよいだけの話だったのに。貴様がキャルゼシアを殺して果実を食べたことで、ずいぶんと迂遠な計画になりました。

 ――しかし、行き当たりばったりでも紆余曲折あっても、無事に達成することができたので、よしとしましょう。終わりよければすべてよし。

 ああ、漲ってきました。迸るようです」


 パトスは大きく息を吐いた。すると、パトスの背中から、緑と赤の巨大な翼が生えた。

 次に、その釣り合いを取るかのように、パトス自身の身体が大きくなった。

 全神王を超える、八メートルはあろうかという巨体を――パトスは手に入れた。


 筋肉質な胴体に不思議な靄がかかると、それは緑色に輝く全身鎧となった。ベルトのバックルには、パトスが大神官の帽子に羽を挿していた緑色の鳩――魔王鳩の横顔が刻まれていた。


「……ふふふふふ。くふ、くふふふふ――ははははは! くははははははは!!!

 なんていう魔力! なんと膨大で強大な魔力!! 他の追随を許さぬ魔力!!!


 わたくしはこれで、誰よりも魔力を持つ、魔力の王――魔王と成ったのだ!!!!」


 パトスは高らかに宣言した。つるぎは身の危険を感じ、湊の手を取って瞬間移動をした。


 そしてキャルゼシアの遺体の手を握って、再度の瞬間移動で闘技場を去った。


「おっと、危ない!」

 パトスも瞬間移動をした。


 魔王との戦いは、このようにして始まった。

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