第十二話 業火 - Aパート
「認めましたか。よい心がけです。もしも汝が易きに流れようとしたならば、いまごろ命はありませんでした」
と、フェニックスはいった。
(そういえば、魔力でわかるみたいなことをいっていたような。試されていたのかな)
つるぎはにわかに緊張を強める。一挙手一投足が採点されているかもしれない、という気持ちでこぶしをゆるく握る。
「汝。名乗ることを許します」
「蜷川、つるぎと申します」
「ニナガワ・ツルギですか。ニナガワ」フェニックスはいう。「汝は汝の罪の重さを解していますか」
「はい。たいへん申し訳のない不徳をいたしました。到底、許されるべきではございません。命を奪うことは償っても償いきれない大罪と承知しております」
つるぎは頭を下げた。
「ただの命ではございません。女神の命です」
「はい」つるぎは頷く。「そしてわたしの罪はそれだけではありません。わたしが殺めた命は女神のみにとどまりません」
つるぎは自らが奪った魔女三人の命を想っていった。女神を殺めた件だけが自らの罪であるかのように思われては不本意だった。
「聞き及んでおります」フェニックスは嘆息した。「汝は、罪深き者です」
「返す言葉もありません」
「しかし、汝は女神の権能を手にしたのちに、下界にて女神を名乗り、様々な活動をしたとも聞いております。女神デュクシデュクシーの産み出した人魚を無力な人間にした、ポールトルの町で教会を奪われた人々に施しを与えた。そしてリリシシア王国とウーアハ王国の開戦を阻止すべく、女神の印鑑を捺した書状を両国王に渡し、撤回に持ち込んだと。
この内容に間違いはありませんね?」
「はい。すべてわたしの行ったことです」
「どうしてそのような真似をしたのですか?」
「それによって、より多くの民の幸福に繋がると判断しました」
「汝は愚かなる者です」フェニックスはいった。「女神を殺めて女神を騙り、民のことに手出しをするなど、許される行いではありません。それがどのような動機であれ、厚顔無恥なる振る舞いというほかありません」
「……はい」
「わたくしは汝を軽蔑します。女神の能力を奪い、その能力を我がもののように民へと振る舞い、以て我欲を満たしたのでしょう」
「我欲を?」つるぎは面を上げた。「恐縮ですが、お聞かせください。それはどのような意味でしょうか」
「知れたことを。汝は救世主としての羨望、賞賛、崇拝にて名誉欲を満たし、自らに酔いしれた痴れ者にほかならないと、わたくしはいっているのです。女神の権能を揮って思い通りにことを進める快楽は如何ほどでしたか?」
「申し開きをお許しください。わたしは決して、そのような楽しみを求めていたわけではございません。わたしが女神の力で得た快楽など、せいぜい、女神の力で作った金の延べ棒を売った金銭で美味しいものを食べたり酒を飲んだり本を買い漁ったり温泉を堪能したり劇を観賞したりダリアンヌの一番いいところの宿をとったりしたくらいです、恋人とともに。ああ、ペアルックのペンダントも買いました」
「至れり尽くせり貪り祭りではないですか。何を真顔で申し開いているのですか」
「ですが他者のためにその力を揮うとき、わたしは人々の幸福を、自由を希求して活動を行っておりました。むろん、そのような資格は本来ないことは、何をしようと汚名は濯がれないことは承知のうえでした。賛美などされたところで、後ろめたさが募るばかりでした。酔いしれるどころか、疲れて酒や愛に逃げたくなるくらいの日もございました」
「人々の幸福? 自由? 笑わせてもらいます」フェニックスは鼻で笑う。「そのような殊勝な志を心に掲げられる者が、どうして神殺しの罪を背負うでしょうか?
仮にそうであっても、汝が真に求めたものは、善行に励む自己への愛情です。あるいは大いなる立場を利用して正義を執行する優越感です。下手人でありながら、自らの正しさを確信して盗んだ力を揮う、汚らわしい欲望の権化が汝です」
「そんなことはありません」つるぎはきっぱりといった。
「わたしは、どれだけの人に何を与えても、何をどかしても、自分が正しいと確信できたことなどなかったです。
わたしなんかが正しいわけがないってずっと思っています。
見識を広め、経験を重ねるにつれ、わたしは自分が犯した罪の重さ、自分という存在のどうしようもなさをひしひしと感じていきました。それでも、それでもわたしは、その場その場で目の前の世界がより幸せになることを願いながら、自分にできることを必死に考えながらやっていくしかありませんでした。
だって、そのとき何かをできるわたしがその場にいたのに、自分は正しくない人間だからと、女神の力を使わずに放っておくなんて……そんな判断が最善だとは、全然思えませんでしたから」
「自己弁護は終わりですか」フェニックスは冷めた目を向ける。「この期に及んでいけしゃあしゃあと、清廉と純粋を主張するなど呆れます。汝の罪への疎みゆえ、汝の思う汝のままで捉えてもらえない現実に、不服を表明してよい立場だと自認なさっているのですね」
「わたしには裁きを受ける義務があります。誤解を受けることもまたある種の裁きかもしれません。ですが、誤解に対し、異を唱える権利はあるはずです」
「汝に命を奪われた者は、何をいうこともできませんよ」
「承知しております。ですから、わたしに下す罰があるならば、わたしは受け入れます。しかし他者を恣意で歪めて決めつける行為は、罰ではなく罪ではないでしょうか」
「罪に汚れた分際で罰とは何かをくどくどと語るなど――傲慢ですよ。
わたくしの鼓膜をこれ以上、穢さないでください」
裁きの刻です、と不死鳥はいった。
天井に掲げられた両翼が燃え盛る。
焔は引き合うように翼から跳び立ち、眩くひりつく火球を形成していく。
やがてそれは直径にして三メートルはある、人ひとりを容易に飲み込む脅威となった。
「汝を火刑に処しましょう。
汚命のすべてを根こそぎ毟って喰らって燃してしまいましょう」
つるぎの全身を炎が包んだ。
衣服が焼かれる。
眼球が焼かれる。
筋肉が焼かれる。
筋腹が焼かれる。
鼓膜が焼かれる。
脂肪が焼かれる。
神経が焼かれる。
声帯が焼かれる。
体毛が焼かれる。
頭髪が焼かれる。
爪根が焼かれる。
鼻腔が焼かれる。
皮膚が焼かれる。
骨節が焼かれる。
味蕾が焼かれる。
炎は踊り続ける。
火はいたぶるようにつるぎの五体を舐め続ける。
悲鳴を上げることもできず、つるぎはひたすら肉や水分を奪われながら、逃げ出したくなる激痛に正気を削られながら、逃げも隠れもしなかった。
「……そろそろ死んだ頃ですね」
十分な時間が経ったので、フェニックスは火を止めた。いつまでも燃える様を見ているわけにもいかない、そこまで暇ではない――けれどフェニックスは、火の向こうにあった景色に瞠目した。
蜷川つるぎは生きていた。
毛も服も何もかも燃やされた、真に生まれたままの姿で、皮膚という皮膚をただれさせながら、骨をむき出しにしながら、立っていた。
そしてその火傷は、ただれは、裂け目は、ゆっくりと再生していった。回復魔法だった。
「……魔法で回復をしながら、火を受け続けていたというのですか」
「…………。…………。はい」つるぎは喉の回復を待って答えた。「回復魔法と、それから、どんどん蒸発していくのを止めるために、水の魔法を、ひたすら、焼けた端から……」
「意味がわかりません」フェニックスはいった。「生き延びたいならば最初から、バリアを使って防げばよかったでしょう。わざわざ火を食らう前提でギリギリのバランスをとって命を保つなど。あまりにも馬鹿げています」
「やだなあ、フェニックスさん。わたしに罰を避ける権利などあるわけないじゃないですか」
つるぎは笑っていった。
「わたくしが汝に下した火刑は死の罰です。罰を受けようというなら、大人しく死ぬべきではないですか」
「結果的に死ぬことになったとしても、それはそれで運命だったんですけれど。でもわたしが死んだら死ぬんだろうなって人もいるし、研修が終わったら絶対お礼するって約束しちゃった人もいるんです。それでも一昨日なら受け入れていたかも、だけどわたしは一昨日を超えたわたしだから……精一杯、足掻かせていただきました。
罪を犯した人には、罰を避ける権利はないけれど、生きることを諦める義務もまた、ないってわたしは思います。
わたしを含むなんびとたりとも命を奪われてはいけませんし、それでも死刑とか、よくないことをしなきゃどうにもならない場面だってあります。しかし、自分が死なないために、新たな罪を犯さない範囲であがく自由も、大いにあるんじゃないでしょうか」
「ニナガワ・ツルギ――汝はいったい、なんなのですか」
「どこにでもいる、愛と自由が好きで、失敗を抱えた、ただの人間ですよ」
「……汝ほどおぞましい人間は初めてです」
フェニックスは後退りした。それから、先程よりも、もっと大きな火球を作った。
「再度の火刑です」
「はい。なんなりと」
あっさり受け入れるつるぎに、ますます不快なものを感じたフェニックスが、再びの裁きをくだそうとしたとき――ふたりのいる石畳の部屋のドアが、勢いよく開いた。
いや、厳密にいえば、少し前から開いていた――ドアを開けた少年は、ずっと覗いていた。
「かあさま!」
少年パトスが、そこにいた。
「……なんですか? 母はいま、取込み中です」
「そのひとを、殺してしまうのですか!」
「この者は女神を殺めた罪人です。死んで当然の汚れた魂です」
「…………!」
パトスは信じられないといった表情でつるぎを見た。なんだか、その反応が一番、胸の痛くなるものだった。
「危ないから、下がっていてください」とつるぎはいった。
「かあさま。それでも、殺さないでください」少年パトスはフェニックスに縋りつくようにいった。「この人は、いい人です」
「何かされたのですか、この者に」
「水を一緒に運んでくださりました。それから、……それから、その」
少年にも、自分の主張が無理筋であることはわかっていた。自分のことをすごいと褒めてくれたのだと、ここで伝えたところで、女神を殺した罪に勝てるとは到底思えなかった。結果、二の足を踏むようにまごついてしまった。
「くだらない話で母の仕事の邪魔をしないでください」
「……でも、かあさま」涙交じりに、少年パトスは声を出した。
「そんなことより、弟の面倒を見てきなさい。
あの子の予言をいち早く拾い、役立てなければならないのですから」
「そんなこと、なんですか?」
と、つるぎはいった。
「母子の会話に首を突っ込まないでいただけますか。それともパトスを利用して生き延びようと?」
「ああ、いえ。別に全然やっちゃって構わないんですけれど。でも、そうですね、首を突っ込むというか、首を傾げるというか。自分の子供が泣きながら何かいってるのに、くだらない話とか、そんなこととか、いったら可哀想じゃないのかなって」
「可哀想? わたくしの子供が?」
「はい。ごめんなさい、たぶん子育てする身になってみればまた違うっていうか、たしかに仕事中に来られても困るだろうから、邪険っぽくなるのはしょうがないのかも。外野がいわないほうがいいかもしれないんですが。
でも、……そんなことより役に立つ弟の世話をしなさいっていうのは、なんだか、パトスさんの感情よりももうひとりの子供のほうがずっと大事みたいに聞こえます。小さい子の泣きながらの訴えを『そんなこと』で一蹴したら、愛されてないと感じてしまって、教育によくないかもしれません」
「何も知らぬ身でずいぶん好き勝手な。わたくしがきちんとパトスを愛していることも、兄弟で分け隔てなく大切に想っていることも、日ごろから伝えております。そうでしょう、パトス」
「え?」
そうなの? といいたげな顔で、パトスはフェニックスを見上げた。
「……パトス?」
「かあさまは、予言のできる弟が生まれてから、ぼくを、褒めたこと、ないから……」
「そ、そうでした? え、かあさま、そうだった……?」
混乱気味のフェニックスと、もしかして自覚なかったの? といいたげなパトスと、あの火球は結局いつ投げてくるんだろうと思っているつるぎ――三者がいる石畳の部屋に、またひとり、人が入ってきた。
アスの寝室にパトスがいないので代わりに様子を見ていた、城内の召使のひとりだった。
「お取込み中失礼いたします! フェニックス様! 隕石がもうすぐ迫ってくると、予言がありました!」
「さようですか。やはり本日となってしまいましたか。わかりました」フェニックスは火球を消した。
「隕石!?」とつるぎは声を上げた。
フェニックスはそんなつるぎに、苦虫を嚙み潰した鳥のような顔でいう。
「たいへん不本意ですが……汝は腐っても女神の魔力を持つ者です。
手伝いなさい」




