第十二話 業火 - アバンタイトル
着地ギリギリのところで浮遊魔法の必要に気づいて使ったため、つるぎは落下死を免れた。そこは石壁に囲まれた小部屋だった。
唐突に薄暗いところに入ることになったため、目が慣れない――という状態で、
けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか
と乾いた鳴き声を聞いた。
ちょうど壁の篝火が照らしていたから、つるぎは声のほうに何があるか、すぐにわかった。
まず、鉢の樹があった。次に、鳥がいた。
光を喰い尽くすように黒いカラスが、びっしりと、夥しく、止まっていた。
思わず息を呑んだつるぎだったが、とはいえこちらが刺激しなければカラスはそう襲ってこないと知っていたため、平静を装いながら、小部屋の出口を探した。
それはすぐに見つかった。つるぎは流石に叫んだ。出口とみられる扉のドアハンドルに、一尾のカラスがいた――そしてそのカラスの頭部には、八つの眼窩があり、そのうちの六つに眼球がはまっていた。
けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか けぁか
六眼烏が鳴くと、鉢の樹のカラスたちは一斉に飛び立った。つるぎが即座にバリアを作ると、読みは合っていたようで、そのバリアを覆うようにカラスたちが飛びついた。
(なんで!? わたしを襲おうとしている? あのカラスがボス?)
バリアはカラスの嘴に四方八方からつつかれる。六眼烏の攻撃が殊更に重いらしく、ほかより大きな音を立てた。つるぎはいつか読んだ、カラスの怒りを買った父親が自分も子も妻もカラスたちに殺されるホラー短編を思い出す。いやいま思い出すのはそれじゃない、とつるぎはカラスの弱点を思い出す。
強い光。
(通学の防犯用に、お祖父ちゃんが買ってくれたやつ!)
それは十万ルーメンの懐中電灯だった。
「光あれ!」
つるぎは地面に顔を向けて目を瞑りながら、天井に向けて懐中電灯のスイッチを押す。閃光が小部屋を真っ白にした。水冷ファンの音をかき消すようにカラスたちの悲鳴の合奏が始まった。やがてカラスたちの肉が焼け始め、ばたばたと床やバリアのうえに落ちていった。
バリアが光を反射する質のものでなくてよかったと、つるぎは心から思った。
(ていうか、新手の攻撃魔法みたいだ……。あの頃は結局、眩しすぎるし火事になりかけたから使わなかったけど。ありがとうお祖父ちゃん、こういうものがあるって教えてくれて)
頃合いを見てバリアを解く。血と肉の焼け焦げた匂いが充満する小部屋に、生きたカラスはいなかった。つるぎは懐中電灯の光を消して、静かに黙祷を捧げてから、扉を開けた。
しばらく狭い道が続いたあと、また別の小部屋に着いた。そこにもまた、ぎょっとするような存在がいた。
げろるぱっ げろるぱっ
と口から汚物を吐き散らかす、巨大なクジャクゾンビ――汚濁雀だった。
「光あれ!」
汚濁雀は焼死した。燃え盛りながら横向きに倒れた。つるぎはそれを水魔法で消火したあと、踏まないように浮遊魔法で飛び越えた。
「……『光あれ! 懐中電灯異世界無双 ~祖父の優しさ十万ルーメン~』かなあ」
などといいながらつるぎは懐中電灯の明かりを消す。なんだか祖父に会いたい気持ち、もう会えない寂しさがぶり返して切なかった。それはそれとして汚濁雀にも黙祷を捧げ、先に進む。
通路を経て、またもや小部屋。しかし誰もいない――天井に誰かが張り付いているということもなかった。すべての部屋に何かがいるわけではないのか、と思いながらドアを後ろ手に閉めたところで、羽交い締めにされる。
(しまった、開けたドアの裏に隠れてたのか――!)
「おれはナイヴ・エイヴィアン。三羽目の死刑執行鳥人だ」
「……どういうことですか?」
「ここに落とされるのはフェニックス様が罪人と見做した者。六眼烏が逃したら汚濁雀、それでもダメならナイヴ・エイヴィアン様の出番だ。あいつらを突破できたのはおめえがふたり目だがね。ひとりはたしか、アウゴージュっつう、いけ好かねえやつ」
ナイヴ・エイヴィアンは片腕でつるぎを抑えつつ、もう片方の手で銀のサーベルを抜いた。
「さあ、首を落とすぞ。おめえの命はもう羽ばたかない。聖なる火口に首を晒し雪がれぬ罪を顕せ」
つるぎは自分を制するナイヴ・エイヴィアンの手首になんとか指で触れ、機嫌魔法をかけた。
そして、
「いやあー、お願いだから解放してくださいよー」
といった。
「はあ? そんな願いを聞いて……聞いて……」
「そこをなんとか、ねえ?」
「う……うがあっ! なんだ、この、良い気分は! いやになるほど機嫌がよくなってきやがった! まるでぐっすり眠って疲れのすっきりとれたよく晴れた朝、パリパリ焼きのソーセージにかぶりついたそのときみたいに幸せだ! まずい、このままじゃあどんな頼みも聞いてしまう!」
「わたしを解放して、ここを通してくれませんか? お願いですから」
「ぐう……! ゆ、許してしまう! それくらい別にいいかって思ってしまう! あんまりにも機嫌がよすぎて……!」
ナイヴ・エイヴィアンはそういってつるぎを解放した。つるぎは堂々と扉を開けて小部屋を出た。扉を閉めて、ドアハンドルにつっかえ棒をセットした。歩いていると出口らしき光の差す階段があったので、魔法を解除しながら外に出た。背後から悲鳴が聞こえた。
階段を登り切った先の明るく広い石畳の部屋には、フェニックスが待ち構えていた。
「どうしてですか?」
「どうしてとは」
「なにゆえ汝は、一瞬で地上に出現してみせなかったのですか?
汝は女神を殺し、女神の権能を手にした下手人でしょう?」
フェニックスの表情と声色には、怒気がにじんでいた。
どうしてその話が、百年前のフェニックスに伝わっているのだろうか?
つるぎはそれについて考えて、すぐに――パトスが関与しているのか、と思い至った。
(パトスさんは――わたしに最後の試練を与えようとしている。
過去鳥の力で百年前に行って、フェニックスさんに、現代のわたしがしたことを伝えることで、わたしに厳しくするように仕向けたんだ。
湊くんがいないのも、そのためだ)
「ひょっとすると、誤情報なのでしょうか?」フェニックスはいった。「汝は女神を殺してなどおらず、あくまでも冤罪であるということですか? もしもそうであれば心からお詫びをさせていただきましょう」
「いいえ。わたしがやりました」
つるぎはそういった。
ここで逃げる権利など、自分にはないと思った。




