第十一話 女神 - Bパート
「話はわかりました――というか、話が通じないことがわかりました。能天気すぎて話になりませんね。汝、もう好きにしなさい」
対話に疲れたフェニックスはそういって打ち切った。地下室から解放されたつるぎと湊だったが、それからすぐにつるぎが瞑想に戻らなければならなかった。
「湊くんは暇だろうし観光してて。レポよろ」
とつるぎにいわれたので、湊は城下町を散策して時間を潰した。書店には鳥図鑑と山についての書籍、それから料理本が並んでいた。マンナカ火山に伝わる様々な歌の本を買い、そのあたりにいる人にメロディを教えてもらった。
教会の様子は他の町のものと変わらなかった。ただ、教会の鐘楼から望む景色は、快晴であることもあって、絶景だった。湊は学校の遠足くらいでしか登山経験がなく、未知の高度からの景色に驚きを隠せなかった。
(つるぎは富士山で年越しをしたことがあるんだっけ)
登山デートもしてみたかったかもしれない、と湊はぼんやり思った。
食事処を覗いてみると、大神官パトスの連れということで、無料で食べさせてくれるとのことだった。せっかくなので甘えることにした。
パンとスープだった。山椒の香りのパンをかじると、パンのうえのチーズがよく伸びた。香辛料がふんだんに使われた真っ赤なスープには、ごろごろ煮込まれた野菜と厚切りのソーセージが入っていた。温められた甘いミルクを飲みながら、山の上で気温が低いから温まろうとしているんだ、と湊は理解した。
湊は辛いものは好きなほうだったが、許容値はあまり高くなかったので、それをやや超えたスープの辛味に苦しみ、ミルクを三杯おかわりしてやっと平らげた。
つるぎへのお土産として辛みのある漬物をもらった。見た目はキムチに似ていた。
それからは腹ごなしに街歩きを再開した。誰かに声をかけるたびに、身分証明カードの『神官補佐候補生』という肩書きにいちいち恐縮されるのが面倒で、いっそこれは嘘だといってしまおうかと湊の脳裏によぎったが、それをしないくらいの理性はあった。
色々と見聞きした結果、不死鳥を主とするマンナカ火山の城下町では鳥そのものが神聖な生物であり、食べもしなければ羽ペンを作りもせず、ただ愛しているということがわかった。キュイドはすっかり子供たちにとって親しい友達のようで、大人たちからエサを与えられながら子供たちにまとわりつかれるままに過ごしていた。キュイドは巨大なカラスだからそのぶん必要なエサも多く、湊はキュイドのエサ皿にたんまりと盛られたミミズを見て気を失うかと思った。
パトスが予言鳥アスを本当に甲斐甲斐しく看病していたという話も聞いた。アスの最期のとき、一番傍にいたのもパトスとのことだった。どうした、しっかりしろ、とパトスが声をかけるなかでアスは息を引き取ったと、当時の城に通っていた医師はいっていた。
「予言鳥の病気は……天使の魔法ではどうにもならなかったんですか?」
と湊が訊いてみたところ、
「はい。まったく効果がございませんでした。フェニックス様は、唯一無二の予言の力を得た代償だろうとおっしゃいました。天の定めた摂理から逸脱した力を持つお方であるがゆえに、天の恩恵を受けることはできなかったということかもしれません。熱病の際には、我々が調合した熱を下げる薬と、とにかく水を与えて冷やし、よくお眠りになられるしかありませんでした」
と医師は答えた。
「熱を下げる薬があるんですか?」
湊は、この世界は魔法に頼りっきりだから軟膏しかないと思っていたので驚いた。
「はい。パトス様が製法をご存知でした。ときたまその製法はよりよいものに更新されました」
「へえ? ……ああ、そうか、なるほど」
キャルゼシアの異世界視察についていったときにでも製法を調べたのだ、と湊は納得した。そして医学が進歩すればそれを採り入れていたということになる。
湊は、はっきりいってパトスが苦手だった。そもそも二人称が貴様なところが嫌だし、価値観がどうしても合わない、つるぎを目の敵にしているところが気に食わない、一緒にいたくないと感じていた。けれど、そんなパトスにも身内に対しては純粋に頑張るところがあるのだと思うと、なんだか不思議な感覚だった。
「弟君の予言は、この百年間、天界にも下界にも数多くの恩恵をもたらしました。城下町の者はみな、弟君の能力を讃え、尊び、そして幼少時からそれを支えるパトス様にも感謝をしておりました」
医師はしみじみと語った。
街の散策を終えて城に戻り、悟りの間を覗いた。真剣に瞑想に耽っているつるぎを見ると、どうにも邪魔をしてはならない気がした。仏像のように静かに淑やかに目を瞑るつるぎを少し眺めて、湊は引っ込んだ。夕宴の準備をする厨房を覗くと、どうやら人手があまり足りていない様子だったので、助っ人に入った。いわれたことをいわれたままにこなしていくだけだったが、いたく感謝された。
そうしているうちにつるぎの瞑想の時間も終わり、夕宴が始まった。
それは不死鳥の城の、いっとう広い部屋で行われた。マンナカ火山に住むすべての人が集まってきていた。みんなのために、牛一頭がさばかれていた。
宴は、牛肉の様々な部位と山菜と香辛料とチーズを思いつく限りの形式で調理した料理がずらっと並び、それらをトレイと器で好きに取っていっていい、いわゆるバイキング形式だった。ミルクプリンや甘い酒類、漬物もたくさんあった。湊が城下町でもらった漬物と同じものもあり、お土産はいらなかったかな、と少し思った。
「ううん、天界に帰ってからいただくから。ありがとう、湊くん」
つるぎは嬉しそうにそういいながら、トレイに山菜カルビスープやピリ辛煮のホルモン、チーズインハンバーグなどをとり、コップに麦酒を注いだ。
つるぎと湊の席は会場の一番前だった。そして人間形態のフェニックス、パトスと同席だった。フェニックスはミルクプリンとワインを楽しみながら、何も食べないパトスを見ていた。
「でも、よかったんですか?」つるぎはいう。「開宴の言葉で、わたしが女神だといってしまって」
「もとよりその予定でしたから」フェニックスが答える。「汝が女神に適しているかどうかは疑わしいところがありますが、ともかく次の女神であることは確定なのですから、紹介しないわけにはいかないでしょう。そうですよね、パトス」
「はい、まあ……そうですね、かあさま。わたくしは開宴の言葉で発表するという連絡をいただいておりませんでしたが」
「めでたい席を始めるときは即興に限るでしょう」
アルコールで少し上気した頬で、フェニックスは笑った。
「そういえば、僕が散策しているときパトスさんを見かけませんでしたけれど。どちらにいかれていたんですか?」
「天界で仕事を、少し」
「おやパトス、天界はまだまだ忙しいのですね。女神不在では致し方ありませんか。女神つるぎ、きっと汝が天界に戻ったとき、汝が思っているよりもずっと忙しない日々となりますよ」
「そうですね、頑張ります。パトスさん、色々とご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
「ええ、そうですね」
夕方に始まった宴はすっかり夜になるまで続いた。閉宴の言葉にはフェニックスの思いつきでつるぎが立たされた。女神になるにあたっての意気込みを、一応当たり障りのない範囲で発して、締めた。いっぱいの拍手で宴は終わった。
つるぎと湊は城内の客用寝室で眠ることになった。ダブルベッドの広い部屋だった。
バルコニーに出たつるぎに手招かれた湊は、昼とは違う絶景を目にした。
雲ひとつない夜空に、祝福のような彗星が降りそそいでいた。
「流星群の日なのかな。綺麗だねえ」とつるぎはいった。
「うん。なんだか、いままで見た光景で、一番、ファンタジックかも」
「あはは。ちょっとわかるけど」
「何か願いごとでもする?」
「願ってる暇あったら叶えかたを考えなきゃだし、わたしは。
それに、願いなんてさ」
つるぎは湊の手を引いてハグすると、首に優しく口づけた。
「湊くんと、いつまでも一緒にいたいってくらいしかないから。
星にいっても叶えられないでしょ。湊くんにお願いしなきゃ」
「……ずっと一緒にいるよ。つるぎがどんなに忙しくても、僕はつるぎから離れないから」
「嬉しい。頑張れそう」つるぎは笑う。「ずっと一緒にいてね。ずっと一緒にいるから」
ところで、と湊はいう。
「この世界にも流れ星があるってことはさ」
「うん」
「もしかして、隕石とかもあるの?」
「そうだね、あるらしいよ。
記録によるとね、百年前にもでっかい隕石がひとつ、降ってきたんだって」




