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第九話 地底の宴 - Aパート

 百年前のパンゲア界、聖竜寝殿にて。

 つるぎは茣蓙を敷いた空き部屋に通されていた。女神の権能で座布団と小さな机を生成し、紙も作ってひろげて、書き物をしていた。

 メルとキャシィとアンドレアは夕食の準備のために外へ木の実とりを、リーナは神殿のなかでロバートの世話を行っている。湊はオードリーとヘップバーンのいるところからつるぎの部屋に戻ってきて、ただいま、といった。

「おかえり」


「つるぎ、いま忙しい?」

「別に。リーナさんとキャシィさんが自分でメイクできるようにメモ書いてるところ。どしたん?」

「オードリーさんとちょっと話してきたんだけどさ」

 湊はつるぎの向かいに座った。つるぎは茣蓙の脇に重ねておいていた衣類を湊に渡す。すでに洗浄と煮沸消毒、乾燥まで済ませて臭いはとってあるものだった。

「湊くん、ちょっと穴空いてるところの補修お願いしていい? 裁縫道具も作るから」

「おっけ。作業しながら話すね」

「うん」


「オードリーさんに、ダメもとで聞いてみたんだ。破魔の聖竜ヘップバーンを起こす唄っていうのは、本当に巨人の喉からじゃないと意味がないのかって。そしたら、ヘップバーンはとても耳が遠いから、巨人の声量で叫ばなきゃ届かない、っていう答えが返ってきた」


「耳が遠い?」つるぎは紙から顔を上げる。「なんでそんなふうに作ったんだろう」

「さあ。それから、そのとき、オードリーさんだけが教えられている詩を歌わないと、起こしたところで何もせず二度寝してしまうらしい。詩の内容が命令として伝わるんだって」

「……セキュリティがしっかりしてるね」

 と、つるぎはいった。声帯認証とパスワード。

「まあ、誰にでも起こせる、動かせるってなったら――悪意ある天使とかが、女神を滅ぼすために利用するかもしれないからじゃないかな。僕の推測だけど」

「たぶんそうでしょ。ひょっとしたら、わざわざ巨人であることも、セキュリティが理由なのかも」

「……巨人だから、一般的サイズの天使に脅されてやらされるようなことがないとか?」

「うん。でかいって強いし」

 たとえ天使が躊躇いなく魔法を放ったとしても、オードリーは徒手空拳であしらって天使を撃退することができる。いわば、唯一の鍵と最強のセキュリティが一体となっているのである。


「で、もうひとつ確認した。聖竜って、どこに女神がいるかとか、誰が女神かとか、どうやって判断しているんですか、オードリーさんとかが指示するんですか? って」

「そしたら?」

「聖竜は魔力を感知することができるみたい。その世界で一定量より多くの魔力を持つ存在を、女神と看做すんだとか。たとえば暴走女神がふたりいたら、そのふたりを討つまで追い回すそう」

「なるほど。魔力の量かあ」


「で、僕は思ったんだけどさ」湊は一着目の穴を縫い終えていう。「魔王がもしも、強大な魔力を持っていたとして。それが女神のものより多かったら、聖竜に魔王を倒してもらうことだって可能なんじゃないかな」

「あー。それいいね。仮に少なかったとしても、わたしが魔力を与えてしまうことだって可能だから……でも戦うのって現代パンゲア界で、そっちは巨人がいないんだよね。その場合……ああ、変化の魔法で巨大化すればいいのか」

「だね。けど問題は、魔王を倒したあとに、つるぎが狙われてしまうことだけど」

「呪鉄を使うとか?」

「呪鉄?」


「全神王の創った、呪いのブレスレットあるじゃん」つるぎは自らの手首に嵌まるそれを見せる。「これは呪鉄っていう、女神の魔力を抑圧する特殊な鉄で作られてる。天使界にその鉄粉が保管されていて、暴走した女神を一時的に抑えるときに使うんだってさ」


「なんだか、たくさん対策が考えられてるんだね」

「うん。ああでも、あれってあくまで出せる量が減るだけで、内に秘める量は減らないんだよね」

「そっか。難しいな、聖竜の活用」

「まあゆっくり考えよう。どうせ起こすための詩もまだわからないんだし。ありがとうね、湊くん」

「いえいえ」

 ちくちくと丁寧に縫い続ける湊の前で、つるぎはペンを置いた。必要な情報はすべて書き終えていた。つるぎも衣類の山から一着とり、縫い始めた。湊はメモを見ながら、そういえば、とつるぎに訊く。


「リーナさんの件、あれでよかったの? あんなこと、させるべきじゃないんじゃない?」

「うん。リーナさんの尊厳や心身を考えると、最低限の子供ができたらとかじゃなく、やるべきじゃないと思ってる」

「だよね。……だったら」

「でも、リーナさんがそれをやらないと、部族が終わるわけでしょ。リーナさん自身がそれを望んでいないんだよ」


 リーナとキャシィから、リーナの役目について教えられたとき――つるぎはもちろん、難色を示した。けれど、リーナはラストン族の存続のために頑張りたいといってきかなかった。キャシィも、自分がもう少し若ければ同じように身を捧げた、といっていた。


「ポールトルの児童売春のときと、同じじゃないの?」と湊はいった。

「違うよ。あれは近道だったけど、これは一本道。わたしに対案を出すことはできないし、わたしが何かを作ればやらなくて済むことじゃない。たとえばリーナさんをマーキュリーさんの教会にでも隔離したとして、その先にラストン族の未来はないよね。

 ラストン族は、全神王から与えられた天命のために聖竜寝殿や巨人をここで守っていないといけない。そして、下界の民の持つ世界観を、全神王という存在の秘匿を守るためには、外部からの人間を住まわせるわけにはいかない。それも含めての天命で、そこに背けば罰がくだる約束らしいし、それに女神を討ち滅ぼすための竜を護る部族と知られたら、バッシングも起こるかもね。けれど、外からの種をもらってこないまま交配を続けたら、遺伝子面でデメリットが生じるって説もある。

 そうなると、そうするしかないって思うよ」


「えっと、体外受精や精子提供みたいな技術は、パンゲア界にはないんだっけ」

「うん。治療課の天使もそこまではできない。わたしも、そういう設備を生成できるほどの見識は流石に持ってない。あったらリーナさんがリスクをとる必要はなかったかもね」

「……なんだか、どうしようもないんだけど、倫理的に受け入れがたいな」


「わかる。わたしも納得なんてしていない。でも、わたしが納得いかないからって、なんでも壊していいわけじゃない。あくまでもわたしたちはゲストで、現地の部族の文化や倫理観、大事に想うものを存続させるための決定を、わたしたちの倫理観で根本から否定して、踏みにじるようなことをするべきじゃないと思う。善かれと思っていても失礼で、侵略的だよ」


 つるぎは縫い終えて、次の一着に取り掛かった。

 何もいえず、少し心配そうに見つめてくる湊に、つるぎはいう。

「やっぱりさ。周囲の幸せを想うなら、ときには自分の倫理観と現実の間に折り合いをつけないといけないことも、あると思うんだ。どこかで妥協したり、仕方ないって割り切ったり、しないといけない。やれることはやって、よりマシにできるところはマシにして……どうしても諦めなきゃいけないところは諦める。それしかないことが、あるんだよ」

「つるぎはそれで、本当にいいの?」

「よくないけど、よくないんだけどなって気持ちを忘れないままで、呑み込む」


 また一着、縫い終える。山を見ると、もう一着も残っていなかった。湊はつるぎの二倍の量を縫い終えていた。すごいな、と思いながらつるぎは机を女神の権能で消して、湊の膝を借りる。

「今日もお疲れさま、つるぎ」

 湊はつるぎの髪や喉元を撫でながらいう。つるぎは猫の手で湊の頬に触れながら、ありがと、といった。


「でも楽しかったよ、服買ってお化粧して。劇も面白かったし」

「新しいワンピすごく素敵だよ。爽やかでかわいい。つるぎ、本当に青が似合うね」

「どもども。ペンダント主役で、煌めきを引き立てる、紫寄りのブルー。好きな色が似合う生き物でよかった」

「オードリーさんたちの服やメイクもつるぎがやったんだよね。結構印象かわっててびっくりした。いいプロデュースだね」

「あはは。まあオードリーさん以外は本人の意向に沿いつつだから」

 つるぎはそれでも嬉しそうに笑った。


「ねえ、つるぎ。キスをしても?」

「いいよー」

 膝枕をしながら、唇をつけた。湊はつるぎの表情に、まだ陰りがあると確信した。

「つるぎ、何か他に、悩みとかは?」

「ばれる? 悩みっていうか、リーナさんの子種とかの話を聞いたり、赤ちゃんのロバートくん見たりしてたら、あんまり考えないようにしてたこと、直視しちゃって」

「というと?」

「わたし、生理来ないでしょ。

 それって閉経状態になってるってことで、妊娠もできないんだ」


 いままで、湊と再会できた喜びや女神としてやるべきこと、目の前の問題ごとの解決や自分の犯した罪に向き合うことで忙しかったから、きちんと向き合っていなかったけれど――なんなら、本気で、鬱陶しい月経や月経前症状がなくなってハッピーとしか思っていなかったけれど。

 思い至れば、自分は母となる可能性をとっくのとうに失っていたのだと、つるぎは気がついた。

 いつか子供ができたら、と考えていた色々なことは、もう自分の前に実現しないのだと、気がついてしまった。


「……女神の力で、妊娠機能を復活させちゃうこともできないのかな。

 それか、変化の魔法で」

 なんといえばいいかわからず、湊はそんなことを返した。

 つるぎは、たぶん無理かなあ、といった。


「たぶん?」

「いや、前例もないしわからないってだけだけど。でも、構造的にね、無理じゃないかなあって。やるとしたら女神の力を喪っちゃうのかも」

「どういうこと?」


「天界の書斎で読んだ本に書いてあったんだ。

 女神になった存在には子宮の空間に女神の魔力がいっぱい溜まってるんだって。

 女神が色んなものを産み出せるのって、そういうとき、子宮の魔力を遣うからなんだって」

 つるぎは自らの下腹部を撫でながら、続ける。


「でね、卵巣の部分には、卵子とかじゃなくって、ブラックベリーみたいな、女神の果実と呼ばれるものがあるんだってさ。体内では女性ホルモンと一緒に魔力を出していて、女神の権能を因果に許される証にもなっていて。

 女神が死んだら体外に出てきて、次世代の女神が齧ると魔力と世界への権限、つまり女神の権能を得られる。わたしもそれで女神になった。

 ……ということは、わたしの子宮は、そういう女神の権能のためのもので席が埋まってるんじゃないかなあ。そこを無理矢理に作り替えたら、女神の権能とか、なくなる可能性がある」

 女神の権能がなくなれば――つるぎが女神でなくなる。

 そうなれば、つるぎがキャルゼシア殺害の罪で処刑されない理由も、なくなる。


「……別に、慰めなくていいからね、湊くん」つるぎはいう。「わたし、寂しいけど、この寂しさを抱えながら女神やっていこうって、この寂しさも優しさにできるかもしれないって、思っているし。湊くんと一緒にいられるなら、これでいいから。湊くんとの子供じゃないなら、どうせ、いらなかったもん」

「つるぎは、さ……」


 湊が何かいいかけたところで、つるぎは身体を起こした。

「切り替え! 湊くん、ちょっと散策しよ。聖竜寝殿。どんな暮らしをしてるのか気になる!」


 ひとまず鉄はしごのところまで戻ってみる。冷たい石畳の、縦横にだだっ広い空間。けれど人の手が入っているからか、地下遺跡と化した現代よりは、どこか人の気配のようなものが感じられた。壁画に綴られている日記をよく見ると、若い頃のメルとキャシィの、退屈で閉塞した日々が読み取れた。十五歳で、兄妹ふたりきりで生き残ったそのときの絶望感は、少し触れるだけで息の詰まるものだった。やがて特筆すべき出来事もなくなったのだろう、しばらく魔女ブーへの呪詛を吐き出したかと思えば、あるところでぱったりと止んでいた。


「リーナさんがお腹のなかにできたところで止まってる」つるぎは絵と文字を指でなぞっていう。「不遇を願う夜があるなら、ほんとうは幸運を求めるべき……いいまわし的に、ラストン族のことわざか何かかな」

「少しでも前を向こうとしたのかもしれない」湊はそういって、文に添えられた、大きな人ふたりと、小さな人ひとりの絵を見た。


 そこからさらに進むと、通路然としたほどよい幅の道に入った。いくつかの横道は、覗いてみると衣服の部屋であったり、排泄物を埋める部屋であったり、本のある部屋であったりした。本の部屋に足を踏み入れてみると、石を削ったと思しき本棚にぼろぼろの本が詰まっていた。

 魔女ブーが来る前からこの聖竜寝殿にはときどきラストン族の人間が入ってきていて、ここで本を読んだり書きとめたりして過ごしていたようだった。一冊手に取ってみると、食べてよい植物と食べてはいけない植物の見分けかたや、服の作りかた、掃除のやりかたなどを書き記した家庭科の教科書じみた本だった。他には刃物の研ぎかたや家の建てかた、足し算や引き算の本もあった。文字を覚えるための本もあり、それは他の本よりも使い込まれてしわだらけだった。

 ラストン族の歴史などがうかがえる本は、ちょっとここには見当たらなかった。


 少し広い部屋に、大きな木のテーブルと、いくつかの椅子が置いてあった。食事を摂る部屋だった。天使室と台所に繋がっていて、台所はしばらく使っていないのか汚れていた。つるぎと湊が汚れを拭き取っていると、天使室からリーナが出てきた。


「あ、つるぎちゃんと……」

「天使の湊です」と湊がいった。

「湊ちゃん。どうしたの?」

「ちょっと勝手にうろちょろしてました」つるぎはいう。「台所の汚れが気になって」

「あー。ありがとう! ママ、ごはんの作りかたも忘れちゃったとかいってたし、忘れてるんだ」

「そうですか。リーナちゃんは天使室で何を?」

「ロバートのごはん」リーナは腕のなかのロバートを見せた。「離乳食? っていうのを天使様に食べさせてもらってるんだ。ママが、そろそろ人乳以外のものを食べさせなきゃ出る量も減らないっていうから」

「治療課ってそこまでしてるの?」と湊はつるぎに訊く。

「うん。完全栄養ゼリーとはまたちょっと違う完全栄養離乳食。天使室で食べさせてもらうのは、他だとみんなを待たせちゃうからあまりできないと思うけど」

「そうなんだ。手厚くていいね」

「そうだね。戒律からして産めよ増やせよの方針だし」


 台所の掃除も終わっていたので、ふたりはなんとなく、リーナについていった。リーナは家族の寝室にロバートを連れ込むと、ふたりにロバートのつかまり立ちを見せた。

「わ。すごーい、もう立てるんですね!」とつるぎは手を叩いた。

「うん。ここまで長かった。よしよし」リーナはロバートを膝の上に抱く。「このままおっぱい噛まれない日々が来ますように」

「リーナちゃんは、アンドレアさんと子供を作って、できて、産んで、育てて、どんな気持ちでしたか? ずっと」

 と、つるぎはいった。


「死ぬかもって気持ちだった! リーナ死んじゃうかと思った。何十回も! いまも大変!」リーナはいった。「でも、ママも大変だったのかなって思った。つるぎちゃん知ってる、赤ちゃんがお腹にいるとき、転んだら、赤ちゃんが死んじゃうかもしれないんだよ。リーナじっとしてるの嫌いだけど、じっとしてなきゃ駄目っていわれた。怒られた、パパに。ママは、ちゃんとじっとしてたんだって」

「そうなんですね」

「親は子供が死なないようにずっと頑張らなきゃいけないんだってパパがいってた。怖かった。けど、昔、たしかにパパとママのおかげで死ななかったことあったなって、思い出した」

「どういうことですか?」


「向こうのほうに、外出れるはしごあるよね? あれ、リーナどうしても外見てみたくて、ちっちゃいころ、ひとりでのぼったんだよ、駄目っていわれてたけど」

「……それで、出られたんですか?」

「あのね、雨降ってて濡れちゃってたから、途中ですべっちゃった」リーナはあっけらかんという。「でね、死ぬーって思ったんだけど、パパが受け止めてくれた。パパは頭を打って眠っちゃって、天使様に治してもらうまでしばらく起きられなかったし、腕も折れちゃった。ママは泣きながら怒ってた。二度としないって約束した。だからリーナ生きてるんだよ」

「よかったですね……」

「うん。パパとママにすっごくありがとうって思う。だからリーナね、パパとママが大好き。パパとママのためなら、なんでもやりたいって思うんだ。死ぬかもってことだって」

 リーナはそういって無邪気に笑った。

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