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第八話 約束と再演 - Bパート

 せっかくなのでつるぎ自身も新しい服を買った。セレストブルーのタックドレスである。観劇ということでシックな黒いドレスと迷ったが、水色の気分を持つ自分に従った。靴専門のエリアでは白いパンプスを、帽子のエリアでカンカン帽を購めた。

 オードリーにはカーゴパンツの色に合わせた安全靴と黒の乗馬帽、リーナには紅色のぺたんこ靴を買い与え、「着て帰ります」といってすべてつるぎが払って店を出た。


 時計塔を見ると、まだ二時間は余裕があった。広い休憩所で席をとると、先程まで浮かれた表情だったキャシィが、いまは浮かない表情であることに気がついた。

「どうされましたか? キャシィさん」

「あ……なんでもありません」

「何かある表情ですよ。お腹が空いたなら、何か買ってきましょうか?」

「いえ、その……ここに来るまでに、これと少し似ている服の女性とすれ違いました」

「ああ、そうですね。それで?」

「すごく――美しい女性でした。皺も染みもない、若い女性でした。そしてとっても、その服が似合っていました」

 キャシィがそういうのを聞いて、つるぎはなんとなく察しながら続きを待つ。


「今日の水浴びのとき、水鏡に映っていた、自分の顔を思い出しました。歳をとって……老けた私には、この素敵な服は、ちっとも似合っていない気がしてなりません」

「そんなことありませんよ」つるぎはいう。「服は、その服を着られて嬉しいって人みんなに似合うものですから。必要なのは、嬉しいって気持ちだけを見つめて、笑うことです」

「つるぎ様は優しいからそういってくださりますけれど、……すみません、どうしても気になってしまいます」

「ですよねえ、言葉だけで気にならなくなれたら苦労ないですよね」

 つるぎはあっさりといって、休憩所のテーブルや長椅子の幅に問題ないことを確認すると、提案する。


「そしたら、気にならないようにお化粧をしましょうか? 服に負けない華やかさを手に入れましょう」

「え……」

「何か部族のしきたりで駄目だったら、駄目で大丈夫ですよ」

「いや……」キャシィは少し逡巡し、「はい。お願いします」と答えた。


「お化粧って?」とリーナはいった。

「顔に紅や粉を塗ること。綺麗になる」キャシィはリーナにいう。「でも、ママも初めて。族長と結ばれた女だけがやるって決まりだったから。……族長も亡くなられているから、私達が新しい族長一家のようなものだし、いいのかな」

「リーナもやりたい!」

「いいですよ。リーナちゃんもやっちゃいましょうか。オードリーさんはいかがですか?」

「いらないデス。……また待ちマスか?」

「そうですね。じゃあついでに暇つぶし用のものも買ってきますよ」

 つるぎはそういって立ち上がり、すぐ傍の書店に入った。


 二冊の本を購めて戻ってくると、そのうちの一冊をオードリーに渡した。

「これ、ダライアさんの自叙伝です。オードリーさんのことも書かれていますよ。よかったら読んで待っていてください」

「え?」

 虚を突かれたオードリーに背を向けて、つるぎは書店で買ったもう一冊、婦人向け雑誌を開き、準備を始める。

 服を汚さないようにマントを生成してリーナとキャシィにかけてから、洗顔桶やメイク道具を並べた。許可をもらって、ふたりにはされるがままになってもらった――まず産毛と眉毛と鼻毛を整えるところからだった。


 雑誌にダリアンヌのトレンドが絵付きで載っているため、それらも踏襲しつつ、地球界の化粧品を使って、服に合わせたメイクに仕上げた――パンゲア界の化粧品を使わないのは、単につるぎのやりやすさによるものである。


「ふたりともすごく可愛いですよ。服に負けない華やかさです」

 ヘアアレンジまで終わらせてから、つるぎはいった。リーナとキャシィは、つるぎの出した鏡に映る自分に、まんざらでもなさそうだった。勝手に毛を削ってしまって大丈夫だったか不安だったが、喜んでもらえたことがわかったのでつるぎは満足だった。


「つるぎ様には、人を若々しくする不思議な力がおありなんですね」キャシィは巻かれた毛先を愛し気に触りながらいった。

「キャシィさん自身の若さを引き出しただけですよ」

「これでさらにメロメロ上がった?」リーナは鏡に映る自分の真っ赤な唇に興味津々だった。

「はい、とっても美しいですよ。メロつきまくりです」


 さて、とつるぎがオードリーのほうを振り向くと、案の定、がっつくように自叙伝に夢中だった。少し前まで泣いていたのは啜る音でわかっていたが、まだ序盤で、オードリーが出てくるところまでもう少しのところだった。本を読み慣れていないなりに頑張って読んでいるのだと感じ、ならば開場ギリギリまで読ませておこう、とつるぎは放っておくことにした。


「あ、そうだ。ふたりとも、この匂いって嫌いじゃないですか?」

 つるぎはバレッタで買った香水を手につけて、キャシィとリーナに嗅がせた。何かの果汁かと訊かれたので、身体につけていい匂いになるためのものですよ、とつるぎは答えた。嫌がる様子はなかったので、ほんのり香る程度になるようにつけた。


(さて、開場時間まであと一時間はあるなー。どうしようか)

 とつるぎが思ったところで、四人に近づいてくる者がいた。画材と画板、紙、箱を携えた女性だった。

「こんにちは。いまお時間よろしいですかー?」

「大丈夫ですよ。なんでしょう?」とつるぎが答えた。

「ご四方、お知り合いですか?」

「はい」

「あたし、駆け出しの肖像画家で、修行がてら似顔絵とか描いてるんですけど。個性的な四人がいらっしゃったので、よかったら描かせていただけないかと。四十分くらいで済みますし、お代まけるんで」

 なるほど似顔絵売りの営業か、とつるぎは思った。『女神の偶像制作の厳禁』という戒律があるが、正式に発表されていないうえに天使を名乗っている、となるとどういう判定になるのだろう? などと考えていると、


「リーナたちの絵を描くの? いいよ!」

 とリーナが元気いっぱいに承諾していた。

「まあいっか。キャシィさんとオードリーさんがよければ。どうですか?」

「私も、せっかく素敵な服とお化粧のときですし」

「いま集中してるから勝手にしててくだサイ」


 それからきっかり四十分後、長椅子に座る四人をスケッチし着彩した似顔絵画が完成した。笑みを浮かべる三人と、自叙伝の自分が出てくるくだりを泣きながら読むひとりの姿を、細かな骨格や笑い方の違いまで捉えて絵に起こしていた。

 キャシィは、化粧をした自分が、他者にとってもこれほど瑞々しい果実のように映っているのだと知り、嬉しくてたまらなくなった。リーナは口紅とドレスのシックな赤色に、なんだかかっこいい、と思った。


「素敵な絵をありがとうございます。思い出になります」

「いえいえ。それではお代は四人ぶんで……あ、持ち帰り用の箱代は別ですよー」

 商魂たくましい似顔絵売りに箱代まで払い、間近な開場時間を確認して、四人は席を立った。オードリーはダライアがオードリーとの出会いや所感について書いたところまでちょうど読み終えたらしく、涙を拭いながら三人について行った。



 大劇場のカウンターで姿を見せると、格好や匂いに関して、とくに文句はつけられなかった。

 胸を撫でおろして、人数分のミルクと、ソーセージパンみっつ、アイスをひとつ買って劇場に入る。ソーセージパンはつるぎとリーナとキャシィのものである。オードリーはお腹が空かない身体のようで、甘さと冷たさを楽しむためだけにミルクアイスを選んだ。

「アイス、ひんやりあまくって美味しいデス! アイス大好きデス」とオードリーはすっかりお気に召した様子だった。開演前にすっかり舐め尽くしてしまっていた。


 劇団ティファニーによる公演、『僕らの暮らした大いなる家へ』開演。

 

 それはひたすらに愉快で、馬鹿馬鹿しく、奇想天外で、とんでもない笑劇だった。ありえないほど広い家で、わけのわからない家族たちが、滑稽ですっとんきょうなやりとりを繰り出したり珍妙な歌を唄ったりする劇だった。

「ひゃはははは!! そんなわけないでショひゃははははは!! はっ……!」

「あーはははははは! ひい、きひひひひひひ!!!」

「ふ、っふふふっ……ぐ、ふっ、ふふふっふ……」

 会場全体が爆笑に包まれるなか、つるぎの隣でも三者三様の笑い声が上がった。つるぎも噴き出したりお腹が痛くなったりしながら、すごいな、と思った。


 地上の文化や文脈をぜんぜん解していない人々も、大劇場に通うような教養ある人々も、同じように笑わせられる。原始的ながら斬新なコメディというのは、並大抵の技量では成しえないものである。さすがだ、とつるぎは冊子の脚本欄を確認した。


 しかも、劇の終盤、主人公が大いなる家と別れることになるシーンでは、すっかりその家に愛着を持った観客の心が、どうにも切なくなった。別離を経験したことがあるからか、オードリーとキャシィは静かに泣いていた。


 劇が終わり、劇場の傍のカフェテリアに入った。四人での感想会は大いに盛り上がった。

「あの劇を考えた人は本当にすごいデス! すごい馬鹿で優しい人だと思いマス! 顔が見てみたいデス」

 とオードリーがいうので、

「ダライアさんの書かれた劇ですよ」

 とつるぎは冊子に書かれたクレジットを見せた。


 大劇場では、名作と呼ばれる昔の劇を、当時とは違う新進気鋭の劇団が再演することがある。劇団に実力はあるのに脚本家がいないとか、まず有名な劇をやって劇団の名前を憶えてもらうとか、素晴らしい劇を未来まで語り継がないなんてもったいないとか、様々な理由で。

 とくに、大劇場の父であり、多作な劇作家でもあったダライアの遺した劇は、割と頻繁に再演が行われている。つるぎはそれを知っていたから、ダライアの劇を積極的に探して、チケットをとったのである。


「ダライアさんが……」

 オードリーは冊子の名前をじっと見つめて呟いた。


「この大劇場そのものが、ダライアさんの建てたものです。ダライアさんはオードリーさんを迎えに来れないまま亡くなってしまいました。ですが、ダライアさんの人生や、ダライアさんの考えた面白いことは、ダリアンヌに残されていて、たくさんの幸せを作っているんです」


 つるぎがそういうと、オードリーは泣き出した。

「今日、ダライアさんが、死んじゃったって聞いたとき。すごく悲しかった。そして不安デシた。オードリーは、まだまだ、ずっとずっと、生き続けマス。オードリーの、巨人としての天命以外は、忘れるとき忘れるものデス。ダライアさんのこと、オードリーは、いつまで、覚えていられるんだろうって。もう会えないなら、あんな素敵な人を、忘れてしまうだけなんじゃないかって。それがすごく、怖くて、寂しくて。

 でも――まだ、会えるんデスね。ダリアンヌに来れば。大劇場に来れば」


 涙ぐむオードリーの横で、キャシィも涙を流し始めた。

「すみません、私。……私と夫のメル以外にラストン族の人間がいなくなったとき、途方もないほどの孤独のなかで、兄妹で血を繋ぎ産み育てました。本当は、メルがいても、逃げ出したいほど寂しかったけれど……私の人生が終わっても、リーナとアンドレアが遺るんだって、それが私の人生を遺すということなんだって思ったら。そして私の身体もまた、私の母が遺したんだって思ったら、泣けてきて……」

「……ママ、大丈夫?」

「大丈夫。嬉しい涙だから」キャシィはリーナを抱きしめた。「ありがとう、生まれてくれて。生きてくれて」


 四人中ふたりが泣いているテーブルに、つるぎが注文したチーズとワインが届いた。観劇後の客が泣いていることなど日常茶飯事なので、カフェテリアの店員は何もいわなかった。



 涙が落ち着いたころ、つるぎはいう。

「ちなみにダリアンヌに来なくても劇を楽しむことはできますよ、お金を用意してオファーレターを送れば」

 というわけでつるぎたちはオファーレター用紙をもらうついでに支配人室に行き、今後迷いの森からのオファーレターが来ることがあるかもしれないけれど魔女はもういないので大丈夫、ということを伝える。支配人はすっかり安堵し、魔女を排除してくれたお礼として二回分のオファー無料券をもらった。


「そろそろ帰りましょうか」つるぎは三人にいった。

「はい。今日はありがとうございマス」とオードリー。

「本当に、ありがとうございます……何かお礼をさせてください」キャシィはそういってつるぎの手に縋りついた。

「お礼ですか。そうですね」つるぎは少し悩む素振りをしてから、思っていたことをいった。「じゃ、一個いいですか。三人とも」

「はい」

「はいデス」

「なーにー?」


「女神が暴走したら、みんなで早めに聖竜を起こして、何があっても殺してくださいね」

 つるぎはそういって微笑み、三人と指切りをした。

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