第一話 死がふたりを分かつても
最終話まで書き溜めてあります、よろしくお願いいたします。
「ええっ!? わたしの彼氏が異世界で勇者に!?」
蜷川つるぎはそう叫んだ――死後、天使になれば女神になんでもひとつ訊けるとのことだったので、少し先に死んだ彼氏の魂のゆくえを聞いてから輪廻に入ろうと思い、一か月がんばって採用試験に合格した結果、そんなことを告げられたのでびっくりしたのである。
自分の彼氏が――魔王を討ち倒すための勇者として扱われているなんて。
寝耳に水とは、このことだった。
「菜花湊じゃろう? そなたのいう、彼氏というのは」
玉座に座り、女神キャルゼシアはいった。つるぎの目には三十代半ばほどの、黒髪の美しい女性に見えたが、実年齢はその三倍以上であることを知っている。
「菜花湊。糊口高校在学中に蜷川つるぎと交際。大賀大学入学後、二年生の四月に不治の病で入院。半年後の十月、享年二十歳で病死。――それが、予言鳥の指した勇者の魂」
「予言鳥?」
「勇者と魔王のことを予言した者のことじゃ。魔王がどこのどいつかも、ついぞ聞けずじまいだったがの。それでも誕生の日は近いそうな」
女神はそういうと、玉座から腰を上げた。ちゃり、と尻尾のような飾りが鳴る。
「どれ、彼氏の顔でも見るか?」
つるぎは、自分の胸が高鳴るのを感じた。突然訪れた、想い焦がれた恋人との再会。
(湊くんは――元気だろうか。元気だといいな)
女神が扉を開けると、そこはモニタールームのようになっていた。画面には様々な光景が映し出されていて、このようにして下界を監視しているのだろうか、とつるぎは思った。
「これじゃな」
女神が部屋の端のモニターの前で立ち止まり、つるぎを手招いた。
そしてつるぎはそのモニターの向こうに、彼氏の姿を見た――転生というよりは転移のようで、容姿にはなんの変わりもなかった。
しかし。
「……湊くん!?」
彼女は画面越しの状況を把握すると、悲痛な声を上げてモニターを掴んだ。
彼氏、菜花湊は――暗いダンジョンのなかで、重たい鉄の鎧を着こみ、大きな剣をふるっていた。
相手はゴーレムであった。刃が当たっても意に介さず、平然とこぶしを湊にぶつける。
ゴーレムのパンチで吹っ飛んだ湊の足には鉄球が繋がれていて、大きな音を立てた。
鼻血をポタポタと流しながら、湊はよろよろと立ち上がり、剣を握り直した。
グロテスクな光景を前に、つるぎは、悪い夢かと思った。
「勇者は強くなければならぬ。だから修行セットをつけ、試練のダンジョンに放り込んでおる。ゴーレムを打ち倒せるほどの筋肉がつくまでは外には出せぬな」
つるぎの動揺を前に、女神は説明をした。
「湊くんが……これじゃ死んじゃう!」
「そうじゃの。ほれ」
女神がモニターに手をかざすと、痛ましい傷はすっと消えた。
湊は大きく息を吐くと、虚ろな表情でゴーレムに向かっていった。
「このように適宜治療しながら、心身の鍛錬をさせておるのじゃ。魔王は強大と言われておるからの、この時間も勇者のためだ」
「……湊くんのため?」
(……魔王っていうのに湊くんが立ち向かったとき、力が足りなくて殺されてしまうよりはいいの? 愛の鞭ってこと? でも、血が出るようなやりかたは間違ってる。だけど、天使のわたしに口出しの権利はない? とはいっても……)
つるぎが納得をするべきかどうか迷ったそのとき。
湊は再びゴーレムに弾き飛ばされ、仰向けに倒れたまま、
「どうして……僕が、こんな目に、どうして」
と、涙を流し始めた。
女神はそれを見て、
「いつまでも男らしくないのう、涙まで流して情けない。どれ、また首輪をきつく締めてしまおうか」
と嗜虐的な笑みを浮かべた。
それを見て、湊は愛の鞭ではなくサディズムの茨を振るわれているのだと、湊の幸せや自由など考えられていないのだと察した。そうとわかれば、つるぎはもう迷う気にもならなかった。
半年の闘病生活の果てに死んだ好きな人が、いま一方的にいじめられている。
(こんなこと――納得してたまるか!!!!!)
情動が振りきった。
衝動のままに踏み切った。
油断しきった女神の背後に回り、
首に手をかけて思いっきり絞めた。
「わたしの彼氏を泣かすなよ……!」
「ぐえっ……げっ……えげっ……!」
あっという間に脈が絞まった。
天界史上類を観ない衝撃的な事件、新人天使による女神扼殺事件は――このようにして起こったのだった。
息絶えた女神の、肩甲骨のはざまが隆起する。何かが出てくると察してつるぎは遺体から距離をとった。女神の皮膚を突き破って、たったひとつの実をつけた太い枝が、メキメキと伸びて天井に接した。手を伸ばせば摘めるような距離に生るその果実は、ブラックベリーに似ていた。
これはどうしたことだろう、と状況をはかりかねていると、背後のドアが開いた。振り向くとそこには、男性の大神官が立っていた。長い大神官帽のつばに緑色の鳩の羽を挿した彼は、つるぎの記憶が正しければ、パトスという名だった。
「女神様!」パトスは状況を察して悲鳴を上げた。「もしかして、蜷川つるぎ、貴様がやったのか!」
「あ、はい。あの、何か植物が生えてきたんですけれど、なんですか? これは」
「それに触るな! その枝についているものは女神の果実といって、女神の死後に次世代に女神の権能を継承させるための大切な果実だ! 貴様が食べていいものじゃない、大神官のわたくしが保管しなければ!」
パトスの説明を聞き、つまりこれを食べれば女神の能力を得られるのだと理解したつるぎは、ひょいっと摘んで口に入れ、少し噛んで飲み込んだ。
「あまずっぱい」
「オーマイガー!」
頭を抱えるパトスを無視して、つるぎはモニターを見つめた。
湊は疲れ果てていた。一か月ほど同じダンジョンで延々と修行をしているのである。眠ることも食べることも女神の力で封じられ、ただひたすら重量装備に圧されながら、慣れない剣をふるい続けていた――傷が突然治るとしても、傷ついたとき、傷が痛むときの感覚は忘却できない。恐怖に立ちすくめば首につけられた輪が湊を苦しめるのである。
ときどき、女神の声が耳元に聞こえることがある。決まって打ちひしがれているとき、女神キャルゼシアはこう囁くのである――男らしくない、と。男なのだから、弱音を吐かずに戦い続けろ、と。
湊はそのたびに、生前、生まれた家庭のことを思い出していた。中学生のときに父と死別した母は、屋内で本を読んで過ごしたがる湊を見て、いつもいっていた。
男らしくない。男子ならば身体を動かして筋肉をつけなければ失格だ。小説なんて将来の稼ぎに繋がらない、どうせ読むなら自己啓発でも読んだほうがいい。将来筋肉も稼ぎもない男になったら無価値だ。そもそも眼光にも獣性が足りない。なんだその軟弱な物腰は。穏やかな男なんて女からしたらつまらないだけだ。
否まれるのは読書だけではなかった。湊の母は、あるときには、湊が花を好きだといっただけで犯罪者のようにおぞましがった。また湊が料理をしたいといえば、厨房とは男子禁制である、という骨董品のような思想から、女々しい趣味ばかりつけようとするなと叱りつけた。アルバイト先すら、厨房に入るようなものは許可をしなかった。男性料理人など星の数ほどいるのに意味がわからない、と湊は思ったものだった。
ねめつけるような視線と、自分のありようを片っ端から否定していくような態度。反論の隙もない剣幕の怒声で投げつけられる、理解のできないジェンダー思想。そんな母とふたりで暮らす家に帰りたくなくて、湊は高校に入ってからは最終下校時刻まで図書室に入り浸っていた。それでもいつかは、男らしくなさを粗探しされる窮屈な家に帰るほかなかった。
そんな湊を救ったのが、同じ高校に通い図書室で出会った蜷川つるぎだった――彼女はありのままの菜花湊を肯定し、噛みしめるように共感し、抱きしめるように愛した。つるぎによって、湊の自尊心は守られ、地獄から掬い上げられ、救われた――しかし、その四年後に苦しんで病死した彼は、そんな恋人のいない洞窟で、昔のような男らしさを押し付けられる日々を過ごすことになっていた。いやさ、昔は肉体的な痛みはなかったし、その洞窟に書籍はひとつもなかった。
トラウマが想起される、逃げ場のない地獄に投入された、孤独の一か月。
いくらなんでも、精神の限界だった。
ゴーレムはそんな湊ににじり寄る。踏みつけられたり、投げ飛ばされたりするかもしれない。でも湊は、もうどうでもいい、と思っていた。どう足掻いたって苦しみばかりがもたらされるのだから、いっそ勢い余って殺されてしまったほうがマシとすら思えていた。
早く死んでしまいたい、という気持ちは生前、病床で感じたことのあるものだった。
自分の命が削られきるまで、毎日見舞いに来てくれていた恋人、蜷川つるぎのことを湊は想った。
君はいま、どうしているだろうか。
僕の死を乗り越えて、幸せに生きていてくれていたら、何より嬉しい。
ゴーレムの足が湊の身体に翳されたとき、湊は現実から逃げるように、つるぎのことを考えていた――そんな折だったから。
ゴーレムの身体が突然消滅し。
蜷川つるぎが自分の顔を覗き込んだとき――夢を見ているのだと思った。
「湊くん、お疲れ様」
つるぎはそういうと、にっこりと微笑んだ。
「……つるぎ」
彼女はたしかにつるぎだった。女神のような豪奢なドレスを身に纏っていたけれど。湊は彼女が、つるぎだとわかった。
生前から変わらない、出会ったときからくすまない、向日葵にも似た笑顔だった。
「うん、つるぎだよ。君のこと護りにきたのが、その証拠だよ」
つるぎはそういうと湊の頭を膝にのせて、優しく撫でる。
感触。温もり。香り。湊はそれが現実であることを知って、涙を流した。
「もう大丈夫だよ。わたしが湊くんのために女神になったから。悪い女神なんてやっつけちゃったから」
わたしが湊くんを守るから。
つるぎはそういうと、湊にそっと口づけをした。祝福のように柔らかだった。
次回、第二話「女神様は青二才」。明日の朝昼晩に三分割で投稿予定。よかったら評価お願いします。