第90話 不思議人間兵太郎
「そうそう颯さん。お足の具合はどうですか?」
「ん? ああ、さっきも言ったがなんだかやたらと調子が……」
藤葛に聞かれた颯は気軽に返事を返そうとしてふと思い当たります。
「もしかしてこの足もアンタたちがどうにかしたのかい?」
「いや、それは儂らではないのじゃ。鎌鼬の軟膏の力じゃろ」
「何だそっちもバレてんのか」
自ら正体を明かしたこくり家の大妖怪たち。凪紗の正体もどうやらとっくにお見通しのようです。
「紅珠様、おっしゃる通り私は鎌鼬です。そして父の足の怪我には私の軟膏を使っています。しかし治りを早めるのが精一杯でして、治すなんてとても……」
「うむ。昨夜まではそうだったじゃろうな、鎌鼬の娘凪紗よ。で、今はどうじゃ?」
どうじゃ、と言われても困ります。軟膏の効果は日によって変わるものではありません。
「ん、凪紗ちゃんがどうかしたのかい?」
困惑する凪紗の代わりに颯が聞いてくれました。
「うむ。うちの旦那様はそれはそれは凄いお方での。旦那様が作った料理は儂ら妖怪には光って見えるのじゃ」
「あー、そういや凪紗ちゃんそんなこと言ってたなあ。そうかあれはぶっ飛んだお世辞じゃなかったのか」
「そして食べると妖力が回復するのです。何故なのかはわからないのですけど」
「妖力が回復……?」
そんな話は聞いたこともありません。凪紗は思わず兵太郎に視線送りましたが、兵太郎はいつも通りへらへらと優しい笑顔で笑っています。
「なんかそうみたいです。僕にもよくわかんないけど」
凪紗は思い出します。確かに兵太郎の料理は光っていました。そして人間である颯はそれがわからないとも言っていました。
でも食べるだけで妖力が回復する料理なんてそんなものあるんでしょうか? 偉いお坊さんのお肉でもあるまいし。
ただ、今朝から凄く調子がいいのです。体の底から感じたことの無い力が沸き上がってくるような感覚がありました。これが妖力が高まるという感覚なのでしょうか。これが兵太郎の料理の力なのでしょうか。
「要は店長さんの料理のお陰で凪紗ちゃんの妖力が強くなって、んでいつもの凄い塗り薬がさらに凄くなったって事か? 」
どれどれ、と言いながら颯はぱちんぱちんと自分で足の固定具を外してしまいます。
「ちょっとお父さん!」
焦る凪紗を宥めつつ、颯は固定具を外したまま歩き出しました。一歩、二歩。問題なし。次は小走りととととととと。それもいけたらぴょんぴょんぴょん。
「こりゃ凄いな。完全に治っちまってる」
最後に年甲斐もなく思い切りダッシュして、颯はいつもは藪睨みの目を大きく見開きました。
「お父さん、本当に痛くないの?」
「おお本当だ。バレエ踊ったって平気なくらいだよ。ってそれはそれは無理か」
残念、いくら健康でもそれだけでバレエは踊れません。
しかしどうしたことでしょう。くじいた痛みはおろか、ずっと固定具をつけていた違和感すらありません。怪我したこと自体がなかったかのようにきれいさっぱり治ってしまっています。
「はああ、店長さんあんた凄いなあ」
颯は感心することしきりです。
「おいしいだけでなく父の足まで治してしまうなんて。兵太郎さん、貴方のお料理は本当に凄いんですね」
凪紗が尊敬と憧れの籠った眼差しを向ければ、兵太郎はえへらと笑います。
「ううん? 何もしてないんですよ。自分でも光ってなんか見えないし。でもおいしいって喜んでもらえて、それで凪紗さんが元気になって颯さんの足が治ったならとても嬉しいです」
それを聞いた颯は盛大に吹き出しました。
「ははっ、嬉しいと来たか。こりゃあ敵わねえや」
なるほど、自慢の娘が惚れるだけのことはあるようです。
「店長さん本当に人間かい? やっぱぬらりひょんなんじゃねえか?
「ううん。多分人間だと思います」
「お前様、もっと自信を持つのじゃ。それにぬらりひょんの奴とはあんま似ておらんぞ」
「お、紅ちゃんぬらりょんに会ったことあるのかい」
「うむ。ずいぶん昔だがの。告られたんじゃが振ってしまったのじゃ」
「ぬらりひょんを振った? はっはあ、こりゃ傑作だ」
「うむ、あんまタイプじゃなかったしの」
「へえ、やっぱり紅さんはモテるんだねえ」
「うむモテるのじゃ。じゃが儂の想い人はお前様だけじゃからな?」
「兵太郎、私もモテるのですよ?」
「うんうん、藤さんは綺麗だからねえ」
また惚気が始まりました。付き合うのも大変ですし、文字数もよろしいようですから今日のお話はここまでといたしましょう。
さてそのころ、とある市役所で出勤したての老職員が盛大なくしゃみをしていたのですが……
そのお話もまた別の機会に。




