第80話 妖怪の住まう場所
「ヌシさんはおにぎりは何味が好きだったかな?」
「ぬべっ、ぬべっ!」
兵太郎に向かって何かを訴える小ヌシです。
「ぬべっ、ぬべっ! ぬべーべ、ぬべぬべ!」
小ヌシは何かを伝えようと一生懸命お餅のような体を伸ばしたり振るわせたり。
「紅さん、コレなんて言ってますの?」
「む、むう。儂にもわからんのじゃ」
藤葛に聞かれた紅珠ですが、紅珠だってヌシの言っていることの全てがわかりわけではありません。っていうか実はほとんどわかりません。なんとなく雰囲気で察しているだけ。わんこやにゃんこの飼い主が彼らの言っていることがなんとなくわかるのと一緒です。
おにぎりの好みとか細かいことは流石に無理です。
「うーん。なんて言ってるのかなあ?」
兵太郎も必死なヌシの姿をぼへーっと眺めていましたが、急にぱっと顔を輝かせました。
「そっか! おにぎりじゃないんだ。ちょっと待っててね」
おにぎりじゃない?
ぽわんと絵妄魈を浮かべる三匹の妖怪をその場に残し、兵太郎は先ほどの岩で作った竈の所へと走っていきました。
鍋から取り出した白いご飯で、まん丸の大きなおにぎりを作ります。
それから少し長細く形を整えます。具は何も入れません。それどころかお塩も振りません。
その代わり、大きな紙皿の真ん中に長くおにぎりを乗せて軽く押し付けます。片側を高く、片側を低く、なだらかな坂になるように。こうなればもう、おにぎりではありません。
お皿の真ん中のおにぎりの周り、もう一つの鍋からカレーをよそいます。まるでカレーの湖の真ん中、ご飯の島が浮かんでいるようになりました。
仕上げにおにぎり用の海苔をちょちょんと切って、飾り付けたら完成です。
「なんと、見事なっ!」
「まあまあ、可愛らしい」
「ううう、きゅううううん!」
奥さんたちが感心し、クロがジェラシーを滾らせるその一皿。
カレーの湖に浮かんでいるのは島ではありません。
海苔で作ったつぶらな瞳と緩やかに弧を描く大きな口。そうこれは湖の底から上がってきたヌシの姿。
兵太郎特性、「湖の主カレー」の完成です。
「ヌシさんお待たせ。さあどうぞ」
「ぬべっ! ぬべえええええ!」
地面に置かれた紙皿に、小ヌシは大感動。小さくなった大きな口でがつがつとむさぼるように自分の姿を象るカレーを食べます。
「いい食べっぷりですわねえ。見ているとお腹が空きます」
「うむ。お前様よ。儂もお代わりが欲しいのじゃ」
「ぬべっ、ぬべっ!」
「あっ、コイツもう全部! 兵太郎、兵太郎、僕にもお代わりを下さい!」
かくして大量にあったカレーは今回も綺麗になくなったのでした。
*****
「またねえ、ヌシさん」
ぬべええええええ!
手を振る兵太郎に応えるように一鳴き。ざっばーんと大きな水しぶきを上げて、主は湖の底へと戻っていきます。
「この姿をSNSに上げたら相当話題になりそうですわねえ」
「どうじゃろなあ。誰も本気にせんじゃろ」
こくり家財政担当の方の奥さん藤葛の言葉に、こくり家広報担当の方の奥さん紅珠はくかかと笑います。
そもそもヌシの姿を直接ネットに上げることはできません。UMA型妖怪は常に「いるかいないか」を議論され続ける存在です。よって彼らの鮮明な姿を機械で記録することはできないのです。兵太郎のご飯を食べて妖力を取り戻したヌシならばなおのこと。
でもヌシの起こした「現象」は撮影できます。それに実際に縫霰湖まで来た者の中にはヌシに遭遇する者も出てくるでしょう。
目撃情報は沢山あるのに決定的な証拠は出てこない。ヌシはそんな不思議な存在になるはずです。
「さて、帰るかの。あとは噂が広がるのを待つばかりじゃ」
「でもこんな所まで人が来るのかな? 今までもヌシさんのことに誰も気が付かなかったんでしょう?」
「お前様がそれをいうのはどうかと思うのじゃ」
「こんな所」にカフェを出しておきながら首をひねる兵太郎に紅珠は苦笑します。
「心配しなくて良いのじゃ。もう少しすれば湖にも店にも客が来るようになる。お前様のお陰で儂も大分力を取り戻したからのう。そうしたら忙しくなるのじゃ。のんびりしておられるのも今のうちじゃぞ」
「そうなんだ。楽しみだねえ」
紅珠の言うことを露とも疑わず、兵太郎は嬉しそうににへらと笑うのでした。
山奥にある喫茶店「こくり家」。
その生命線はインターネット上のSNSの中にあります。SNSで表示される広告や記事はそれぞれのアルゴリズムによって表示が選択されていますが、それとは別に非常に不可思議な動きをすることがあります。
不注意から画面をタップしてしまったり、普段は気にならないような記事が気になったり。そんな一見些細な偶然がやがて大きな流れを生み、多くの人々の心を動かす。
でもそれは本当に偶然なのでしょうか?
なんでこれがバズったの? なんて思ったこと、誰にでもあるんじゃないですか?
パソコンとか、スマートフォンとか、妖怪とは関係なさそうだと思うでしょう? いいえそうではありません。妖怪は人にとって「よくわからないところ」に住んでいます。昔々は闇の中に。そして今はネットの中に。
妖とは人の心に寄り添うもの。そして人の感情を食べるもの。
妖怪たちは隙あればその心を動かそうと、あなたが「よくわからない場所」から常にあなたを狙っているのです。
紅珠は縫霰山の神様。そう定めたのは山の麓の人々です。かって彼らの住んでいた村は今は大きな町になりました。
そこに住む人々のスマートフォンを操作する指先にまとわりつきながら、紅珠を知る物の怪たちは聞こえない声で囁くのです。
ほら、此処に面白いものがあるよ
———そしてはるか離れた別の場所で、また誰かの感情が動くのです。




