凪紗の存在証明
「あ痛てて」
兵太郎たちが去った後の翠川家。
強面猟師の颯はへなへなと地面に座り込んでしまいました。
「ああもう、そうやって動き回るから」
「だって凪紗ちゃんが慌てて飛び出してくから。また例の連中が来たのかってね」
少し前、この家に狩猟に反対する集団が押しかけてきました。問答の末、彼らは庭に干してあった猪の皮に灯油をかけ火をつけました。
これは不当に殺された生き物への弔いだ。悪事をやめなければ次こうなるのはお前達だ。彼らはそう言い残して去っていきました。
家に火をかけられるよりは良かったのかもしれません。
でもその皮は商品でした。
猪革でお財布を作るなじみの職人に、納品しなければいけないものでした。
狩猟なんて不安定なお仕事です。そしてその革を扱うお仕事もまた不安定なお仕事。革職人と颯は持ちつ持たれつの関係でした。
大口注文が入ってしまったのだけど材料が足りない。何とかならないかと言われて、おう任せろと颯は応じたのです。納品できなかったとなれば革職人の被る損害は計り知れません。
それもあって颯は怪我を押して猪を狩りにでかけなければなリませんでした。農家の人たちからのお願いがあったのも勿論ですが。
「私があんな人たちにどうにかされるわけないでしょ。ほら薬塗るから足出して」
私よりお父さんのほうがよっぽど危ないんだから。凪紗はぶつぶつと文句を言いながら颯の足に特製の軟膏を塗りました。
この怪我だって、颯はうっかり崖から落ちたのだと言いますが、怪しいものだと凪紗は思っていました。うっかりで颯が足を滑らせるなんてことがあるとは思えません。
「おれが心配してんのは連中の方だよ。凪紗ちゃんががばっさりやっちゃったらどうしようかってね」
「もう。そんなこともしません」
凪紗が子供っぽく頬を膨らませたのを見て、颯は愉快そうに笑います。でもそのあと急に真面目になって言いました。
「凪紗には嫌な思いして欲しくないんだよ。わかるでしょ?」
凪紗の「お父さん」はそれはそれは優しい顔で凪紗の頭を撫でました。
颯は有害鳥獣駆除の許可を受け、農家の依頼の元に狩猟を行うハンターです。
生き物を殺すなんてとんでもないと宣い、石を投げつけ、谷に突き落とし、狩られる者の苦しみがわかったかと高笑いする者たち。
そんな彼らの食を守っているのが颯です。
そんなこともわからない連中を妖気の鎌でばっさり。
できないことではありません。考えなかったわけではありません。しないのはひとえに、お父さんが嫌がるだろうと思うからです。
お父さんの颯はそんなとても優しい「人間」です。
そしてその娘、凪紗は—
妖怪「鎌鼬」です。
鎌鼬とは、かつては風に乗り、妖気の刃を振るうとされ恐れられた一族です。
そして妖怪たちの中で最も「現代」という世界に力を奪われた一族と言えるでしょう。
というのも彼らの妖気の刃に「真空現象」や「風の刃」によって起きる自然現象であるなどという一見「科学的」な説明が付けられてしまったからです。
******
実は「真空の刃」なるものは本当の科学的には存在しません。
大気中に真空など生まれません。もし生まれてもすぐさま空気が流れ込み周囲と同じ密度になります。余程大きい真空なら吸い込まれることはあるかもしれませんが「切れる」などと言うことは起きません。
また、「風の刃」なるものも存在しません。風、すなわち空気は気体です。気体である以上は分子は空間内に均一に広がっており、物を切断できるほどの密度がありません。切断するためには固体や液体のような高い分子密度が必要なのです。
どんなに強く吹いてもそれは風にすぎません。突風で木が「折れる」ことはあっても、「切れる」ことはないのです。
しかし「何もない場所で突然、鋭い切り傷ができる現象」=「かまいたち現象」は存在します。目撃情報の記録もいくらでもあります。
つまり、「かまいたち現象」を引き起こす「真空現象」や「風の刃」のような単なる自然現象ではない「何か」が存在していることになります。
もう一つ、「かまいたち」が単なる自然現象ではないことの根拠を示そうと思います。
「かまいたち」という「何もない場所で突然、鋭い切り傷ができる現象」はこの国でしか起きません。故に、鎌鼬に相当する英語は在りません。
これも考えてみればおかしな話です。自然現象だとしたら他の国でも同じ現象がおきていなければならず、当然その現象にも名前があるはず。
なぜこの国でしか「かまいたち現象」は起きないのか。
そうです。日本にしか生息しない「何か」が「かまいたち現象」を引き起こしているからに他なりません。
つまり、「妖怪鎌鼬」は実在する。Q.E.D.




