奥様は神様です
「ええっ、あれ紅さんがやってたの!」
「相変わらずお前様はいいリアクションするのう」
湖の巨大生物の種明かしに驚く兵太郎。兵太郎印のアイスティーをすすりながら、紅珠はしみじみいいました。
妖怪は自分に向けられた感情を糧とします。そして兵太郎はえええ~のびっくり虫。突然大声を出して驚かせようとする「うあん」や目の前にぶら下がって驚かそうとする「さがり」等、びっくりが好きな妖怪は非常に多いのです。
兵太郎が妖怪に好かれる理由の一つにはリアクションの良さもあるのかもしれません。せっかく下がったのに反応薄いとか寂しいですからね。しょぼーんってなります。
「じゃあ竜神様はいないのかな?」
ちょっと残念そうな兵太郎。兵太郎だって男です。となれば当然心に妖怪チュウニーを飼っています。あ、実は女でも飼ってる人はわりといます。
「兵太郎、兵太郎、竜なんかいない方がいいのです」
「あれ、クロちゃんは竜が嫌い?」
「嫌いです。竜は凄く大きいのです。妖怪も人も一飲みにしてしまうのですよ。兵太郎だって食べられてしまいます」
そういうとクロはソファ席に座る兵太郎の足にひしと抱き着きました。恐いことを想像してしまったようでぷるぷると小さく震えています。
「心配してくれてるの? ありがと。大丈夫だよ。僕は食べられたりしないから」
兵太郎がぽんぽんと頭を撫でると、クロがきゅっと抱き着く力を強くしました。
「心配せんでも良いのじゃ。なんせ竜なんてものはこの儂でも見たことがないからの」
「ええ、ええ。私も話だけならあちこちで聞きましたが。竜はもちろん竜に遇ったというヒトにも会ったことがありません」
紅珠や藤葛ですらあったことがないのなら、竜なんてただの都市伝説かもしれません。少し安心して兵太郎にくっつく手を緩めるクロです。ほんとは奥さんたちがくっついている時しかくっついてはいけないのですがドサマギというやつです。
「いるとかいたとか、全部話ばっかりじゃの。縫霰山の竜神伝説も大方その類じゃろう。じゃがそれとは別にこの山の湖に主がおるというのは本当じゃぞ」
「そうなの?」
またきゅっと力を強めるクロちゃんには悪いですが、やっぱり嬉しくなってしまう兵太郎。兵太郎の中のチュウニ~が騒いでいるのかもしれません。そもそも兵太郎ですから十四歳のころからあんまり変わっていないという噂もあります。
「あれ? でもさっきの動画って、紅さんがやったんでしょ?」
「うむ。じゃがそれとは別にちゃんとおるのじゃ。ずいぶん気配もうすくなっとるがの。デカいが大人しい奴じゃ。人を喰ったりはせん。じゃからクロよ、安心してそろそろ兵太郎から離れるのじゃ」
あ、バレてました。すいませんつい心配になってとクロが大人しく離れると、代わりに紅珠がぐいぐいと兵太郎の足の間に挟まって座りました。負けじと藤葛もやってきて隣に座ります。これなら安心とクロも反対側に座ってくっつきます。
「ヌシさんって妖怪なの? やっぱり紅さんとか藤さんみたいな神様なのかな?」
全然身動きできない状態になった兵太郎が、目の前にある頭の持ち主の紅珠に聞きました。
「本来の意味では神ではないのじゃ。じゃがなんせデカいからの。儂や、それこそ竜神と間違って拝まれたりはしとるかもしれん」
「紅さんと凄く大きなヌシさんを間違うの? ああそっか。紅さんも大きく変身できるんだね」
「う、うむ。当然じゃ」
力ある妖狐だというのに実は体そのものを変えるタイプの変身術は苦手な紅珠。大きく変身できるのではなく、元の姿である大狐か鏡、それと今の人間の姿の三択なのですがそれはわざわざ言わなくても良いのです。
「じゃああちこちにあるっていう竜神様の伝説ももしかしたら紅さんや藤さんのことを、誰かが竜と見間違えたのかもしれないねえ」
「凄いです兵太郎! それなら竜の姿を見た人がいないのに竜のお話はあるというのも納得です」
竜神は紅珠/藤葛説に大賛成のクロ。やっぱり竜なんかいない方がいいのです。正体が紅珠と藤葛なら安心です。
でも竜神扱いされた当の二人には、なにやら思うところがあるようです。
「確かに間違えた者はいるかもしれんのう。儂に本当に竜の力があればよかったのじゃが」
後ろ頭を向けて座る紅珠の言葉の最後の方は、ぼそぼそとなって誰にも聞こえませんでした。
「あらあら兵太郎。私は竜神どころか神でもないのですよ」
藤葛も困ったように言います。でも兵太郎には妖怪と神様の違いが分かりません。
「あれ、そうなの? でも藤さんって凄い妖怪なんでしょう? 名前も持ってるし何でもできるし」
「凄いか凄くないかは関係ないのですよ。妖の中で人に与えられた役目を持つ者を神と言うのです」
「役目?」
「紅さんの山の神、山路さんの道の神なんかですわね。中には名ばかりの神や職権を乱用して暴利をむさぼるのもおりますけど」
人から与えられた役目があればそれだけ向けられる感情も大きくなります。その分責任も大きくなりますが、紅珠のような責任感が強すぎる神様もいれば、名前だけの何もしない不良公務員もいるのです。そのせいで真面目に頑張ってる人まで「お役所仕事」とか言われてしまうのです。
「私は役目に縛られるなど御免です。そもそも今の世の中で神をやろうなんてよっぽど物好きな方です」
まるで悪口を言うかのようにぷいんと顔を背けて、その実紅珠に塩を送る藤葛です。藤葛は大妖怪ですから自分にできないことをやっている人を馬鹿にするとかそんな品の無いことは勿論しません。
「そっか。紅さんは頑張り屋さんなんだねえ。お店のこともあるのに神様のお仕事もしてるんだもんね。お疲れ様」
「う、うむ。ま、まあ仕事じゃし?」
お仕事には誇りを持っている紅珠ですが旦那様に褒めてもらえばもちろん嬉しいもの。しかもよしよしと頭を撫でてくれています。ナイスパスの藤葛には何らかの形で今夜とかにお返しをしようと思いました。
「 でもそれならやっぱり藤さんは神様じゃない? 紅さんもクロちゃんも」
「兵太郎、話を聞いていましたか?」
唐突にまた妙なことを言い出した兵太郎に、苦笑しかけた藤葛でしたが。
「ええ、だって藤さんこの家でしょう? それって役目じゃないのかなあ? 紅さんと藤さんとクロちゃんがいないと僕何もできないし。役目を持った妖怪が神様だっていうなら、三人とも僕の神様だよ」
ぴぴ~~っ!
ゴーーーーーール!!
大逆転を決めたのは兵太郎! 天然妖怪タブラカシの異名を持つ兵太郎! やはり無自覚な一撃には目を見張るものがあります!
「僕が兵太郎の神様ですかっ!?」
クロにぴょこんと頭としっぽが生えました。
「頑張ります! お役に立ちます! 何でも言ってください。僕は兵太郎の神様になります!」
ぶんぶんぶんとしっぽが揺れます。お客さんがいなくて良かった良かった。
「ふむ。山の神であることをおろそかにする気はないが、兵太郎の神を兼任するのは悪くはないのう。何せ奥さんじゃからの」
クロの手前かっこつけていますがかなり嬉しい紅珠です。変身術が苦手なのにしっぽを出したりしないのは流石年の功。
「神……ですか」
一方藤葛はもう百年も昔の自分が今のカタチになった時のことを思い出していました。
——本物の神様が僕たちを助けてくれたんだ!
神様なんかじゃない。あの時もそう思ったものですが。
「うふふふ。私も貴方だけの神様になら、なっても構いませんわ」
藤葛はこてんと、隣に座る旦那様の肩に首を預けました。




