かんこかんこと鳴く鳥一羽
かんこー、かんこー、かんこー。
おや?屋根の上で見慣れない鳥が鳴いていますね。外は雨だというのに。一体何鳥でしょうか?
此処は「こくり家」。
ちょっとばかり残念なところを除けば、ごく普通の人間である花咲 兵太郎が経営する、本日オープンほやほやの喫茶店です。
ついこの間までお客様十人程度がせいいっぱいの小さなお店だったのですが、開店前の短い間に二階席とか別館とかテラス席とか色々足されて百人以上が入れるようになりました。
だというのに。
かんこー、かんこー、かんこー。
屋根の上でなく変な鳥の変な声に、高校生になったクロはため息をつきました。
知らないうちに物語が進んでしまったのではありません。変身術を練習して高校生バージョンに変身できるようになったのです。
ちなみに変身後のクロは大変な美少年です。きっとクロに変身術を教えてくれた先生が良かったのでしょう。残念ながら誰かはわかりませんが、さぞかし名のある狸に違いありません。
黒いタキシード風の制服も変身術の練習の賜物あるいは先生の趣味。類稀な美少年が可愛い男の子からかっこいい男に変化する間のわずかな時間だけに起きる奇跡の芸術。
そんなクロが窓の外を見てため息なんてついていたら、通りすがりのお姉さんがつい拾って帰ってしまいそう。
でもそんなことにはなりません。
だってお昼時であるにもかかわらず、肉食系女子はおろか一人のお客さんもいないのです。
クロは再びため息をつきました。メニューも全部覚えて、変身術も頑張ったというのにあんまりです。これでは兵太郎に褒めてもらえません。
「クロよ、心配はいらぬ。お客さんはいずれ来る。その時存分に働けばいいのじゃ」
妖狐神通スマートフォンをいじりながら諭すように言うのはお店のマスターの兵太郎の奥さんの一人、紅珠です。
紅珠も妖狐の神通力でいつもの着物姿ではなく「こくり家」の女性用制服姿になっています。
紅色の着物風に胸元を合わせるブラウスはいつもより袖が短めで清潔感を演出。下も動きやすさを重視した黒茶色のプリーツスカート。前全面を覆うフルエプロンのリボンが背中で大きな蝶結びを作っています。
「でも紅様、お客さんが来ないと大変です」
開店したばかりのこのお店ですが、とある事情からあと二月ほど利益を出さないと潰れてしまうのです。クロの心配ももっともです。
「落ち着きなさいな。気持ちはわかりますが焦っても仕方がありません」
兵太郎のもう一人の奥さん藤葛も狸流変化法ノートパソコンの術をいじりながら言いました。
藤葛も制服姿です。
服のデザインは紅珠と一緒。ですがこちらは上下ともに淡い藤色。背中のリボンも控えめでぱっと見には同じ服には見えません。エプロンはハーフタイプを採用し、豊かな双丘の魅力を最大限に生かしています。
「お、拡散されとる。インジャネ? も増えたのじゃ。スペシャルオムライスの写真を上げたのは正解じゃったの」
紅珠は『なんじゃろ』というSNSに投稿した宣伝の拡散状況に満足しているようです。でも当然と言えば当然でしょう。兵太郎以外の三人のスタッフは皆、ちょっと見かけないほどの美人美男。
そんなスタッフたちがそれぞれの似顔絵の掛かれたスペシャルオムライスと一緒に笑顔で映っているのですから、見た人のインジャネ?もはかどるというものです。
「キタコレの方も順調ですわね。山路さんと若木さんの写真も好評です」
キタコレは正式名称を『キタコレスナップ』といい、画像をメインとしたSNSです。山路もまあそこそこですが若木ちゃんは兵太郎の奥さんたちにも匹敵するほどの美人。オムライスを前にはにかめば、見る人の「キターーー!」もはかどります。
スタッフやお客さんのビジュアルもさることながら、兵太郎のご飯はそもそもキタコレ映えしますから、SNS上ではそれなりに話題になってはいるようです。ちなみに「妖狐神通後から写真」がありますからうっかり撮る前に食べてしまっても安心。グルメ番組さながらの箸上げとかも撮れちゃいます。
そんなわけでネット上では好感触なこくり家ですが、それでもクロは不安です。だって現にお客さんは一人も来ていません。
こんなにたくさんインジャネ?とかキターーー!がついているというのにです。
かんこー、かんこー、かんこー。
外の変な声で鳴く変な鳥も嫌ですが、天気もまたクロの悩みの種です。
こくり家のある縫霰山はオープンの本日この日をもって、例年より大分遅い梅雨に入ったのでした。
よりによって、です。
本当に大丈夫なのでしょうか。妖力でネットにアクセスなんてできないクロには何もすることがありません。これではクロはいらない子になってしまいます。
「!」
その時、クロの鋭敏な耳がぶろろんというかすかな音を捕らえました。車です。こくり家以外にはこの辺には何もありません。ほら段々近づいてくる!
「兵太郎、兵太郎! お客様です!」
言うが早いかクロはびゅんとお店の外に駆け出して行ってしまいました。
「待って、クロちゃん待って、変身が解けてるよ!」
兵太郎が後ろで叫んでいる声は当然クロには届かないのでした。




