ご近所さんの加護
「んなわけで道の補強と拡張は終わった。気の流れも変わったから多少はお客の入りも良くなるだろうよ。お客の行き帰りの安全は任しときな。もちろんお前さんもな」
「山路さん、色々とありがとうございます」
道祖神山路の化身であるイケオジに兵太郎は頭を下げました。
「いいってことよ。握り飯の礼だ。俺らあ私道の入り口の所に住むことにしたからよ。ご近所さんってことで宜しくな」
「助かりますわ。神と言うのはもっと薄情なものかと思っていましたが。どうぞよろしくお願いします」
神様ではない方の奥さんも深々と頭を下げました。山路の加護は非常に頼りになります。兵太郎がちょっとアレなだけで、普通は妖怪に遇うよりも交通事故に遭う確率の方がよっぽど高いのです。
「む。なんじゃ藤。儂に何か含みでもあるのか?」
聞き咎めた神様の方の奥さんが不満そうに口をとんがらせます。二人はライバルですが共通の目的を持つ仲間。薄情呼ばわりはちょっとショック。でも藤葛はぷいっと顔を背けてしまいました。
「ですからそう思っていた、と言ったではありませんか」
ああなるほど、そういう。
「あっ、わる……。ごm。その、なんじゃ。えーっとアレじゃな。山路の加護はありがたいが、できれば若木の加護も欲しかったのうわっはっは」
わっはっはと紅珠が笑います。
今のは紅珠が悪かった。でも謝るのもなんだか違います。有耶無耶煙幕爆弾を使おうかとも思ったのですがなんだかそれももったいない。そこで山の神様は笑ってごまかすことにしたのです。
なんかむずむずする感じを避けるため、全員それに乗っかることにしました。うわっはっはっはっは。よし仕切り直しOK。3,2,1,スタート!
「木の娘の加護ですか。確かに魅力的ではありますね」
「兵太郎がコレだからなあ。気持ちはわかるが流石に無理ってもんだぜ」
山路が言うと、若木もすまなそうに頭を下げました。若木はまだ人に加護を与えられるほど成長していないのです。
「若木さんはどのような加護を持っているのですか?」
木の娘のことはよく知らないクロが紅珠に聞きました。
「うむ。魅了完全無効じゃ」
「……! それは凄いです!」
魅了の力を持つ妖怪は数多く存在し、その上非常に厄介です。
一度魅了されてしまえばもうそれがいかなる手段によってもたらされたものかは関係がありません。
今まで誰をどれだけ愛してきたとしてもその全てを偽りへと貶め、魅了を掛けたモノだけがたった一人の真実の愛を捧げる相手になってしまいます。
故に多くの人に忌み嫌われ、同時に多くの人に求められた能力が「魅了」です。
魅了避けのアイテムも様々あるのですが、どれも効果が不十分だったり弱点があったりで信用できないものばかりなのは様々な物語で語られる通り。
これを完全無効とは確かにすごい加護です。
「本来は表裏一体の危険な加護なのですわ。『魅了完全無効』は、木の娘の強力な魅了そのもの。でも若木さんには山路さんがおりますから」
木の娘は妖怪の中でも魅了の力に特化した種族です。
家の外/山の中にはなにか「男を誑かす悪いモノ」がいて、それに魅了されてあの人は私のもとを去った。
ここでいう「モノ」とは「人」の対義語。つまり物の怪や妖怪のことです。
その概念を押し付けられたのが世界中に眷属を持つ木の娘ですから、木の娘の魅了は最強なのです。
だってそうじゃなきゃ、あの人が私の元を去るわけないでしょ?というわけです。
でも若木ちゃんは山路さんにべた惚れ。加護のおいしいところだけを頂けるなんとも稀有な存在です。
その凄さはクロにもすぐに理解できました。
一方、いまいち理解できないのが兵太郎です。
「ねえねえ、魅了完全無効ってそんなに凄いの?」
これには奥様達をはじめ妖怪一同苦笑い。
「お前様、世の中でこの加護が一番必要なのはお前様なのじゃぞ?」
「より正確には私たち、でしょうかね。兵太郎を誑かされてはかないませんから」
「ううん、そういうものかなあ」
ぼへーんとした兵太郎に、やれやれと妖怪一同が笑います。
えへへ、と兵太郎もそれに合わせて笑います。でもやっぱり兵太郎にはよくわかりません。
だって兵太郎はとっくに妖怪に魅了されてしまっています。もうべた惚れです。どんな妖怪が出てきてもこれ以上なんて無理じゃないかなあと思うのです。
たしかに物語によっては邪悪な魅了の力に打ち勝つためには特別なアイテムは必要ではないともされています。雪の女王がカイの心に打ち込んだ鏡の破片を溶かしたのは、少女ゲルダの熱い涙でした。
真実の愛すら歪めてしまうのが魅了。
真実の愛の前には魅了など無力。
なんとも不思議なことに、これはどっちも正しいのです。
物語の中だけではなく。
そんなわけで兵太郎にはよくわからなかったのですが、まあ兵太郎が周りの話を理解できないのはいつものこと。みんなが凄いと言えば凄いのでしょう。
「そっかあ。若木さんは凄いんだねえ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
「あっ」
「ぁ」
よくわかんないながらにぼそりと呟いてみたら、何故か場の空気が固まりました。
ほとんど何もしゃべらず、木だった時の方がセリフが多かった若木ですら、小さく声を上げました。
「えっ、えっ、何? 」
きょろきょろと皆を見回す兵太郎。みんな困ったような呆れたような顔をしています。
「僕、何かした?」
「いや、何したってわけでもねえよ。寧ろありがてえ。しかし何か礼を考えねえといけねえなあ」
そういう山路の横で、若木が兵太郎に頭を下げます。
「若木さん、おめでとうございます!」
「おう、あんがとなクロちゃん」
クロと山路夫妻の様子を見る限り、悪いことをしたというわけでもなさそうです。
でも奥様二人は何やら渋い表情。
「ううむう、これだけの事をやらかして無自覚とは。恐ろしい旦那様じゃ」
「全く困ったものですわねえ。以前あれほど申しましたのに」
「えっ、えっ、何? どういうこと?」
兵太郎には全然わかりません。この一瞬で自分は一体何をしたというのでしょう。
「兵太郎、簡単に妖怪に何かをあげてはいけないと言いましたよね?」
「え、うん」
確かにそれは聞きました。でも誰にも何もあげていません。
「妖怪にとって名前というものがどれだけ大事か、という話もしたの?」
「うん、それも聞いたけど」
「まだわからんのか? お前様は今、妖怪に名前を与えたのじゃぞ?」
「えええええええええ???」
そんなことはないはずです。
兵太郎は確かに「若木さんは凄い」と言いました。でもそれだけです。みんなが若木と呼んでいたのです。兵太郎はただそれに倣ったにすぎません。
「儂らは若木だから若木と呼んどったのじゃ。坊主、とか嬢ちゃんとかいうのと同じじゃの」
「でも兵太郎? 貴方は若木さんを「若木」という名前で呼びましたわね?」
「え? そうなの? いや確かに名前だとは思ったけど、それは名前だと思っただけで……あれ?」
鶏が先か卵が先かお砂糖と醤油はどのくらいか、そんなこと兵太郎にはわかりません。あ、親子丼は得意です。喫茶店ですからグランドメニューにはないですが従業員の賄いと常連さんだけの裏メニューにしましょう。さて現実逃避はここまでです。奥様達としっかり向き合わなくてはいけません。
「悪い、とまでは言わんのじゃ。若木も喜んでおるし山路には世話になるからの」
「相手が山路さんでよかったですが。でももう少し節操があって欲しいというのは奥さんとして真っ当な要求だと思うのですが?」
「ハ、ハイ……」
そんなこと言われたってーとは思いますが、何でか奥さんたちの言ってることの方が正しい気がしてしまいます。
「そんなわけで今夜はゆっくりお話ししましょうね?」
「うむ。魅了への対策についても交えての」
「ハイ……」
兵太郎は美しい奥さんたちの視線に射すくめられながら、いろんな意味でドキドキしました。




