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少年が目覚めた日

 これは今から二十年ほど前のお話です.


 暑くなり始めたある初夏の日。少年だった朽木 音也(くちき おとや)は友人たちと一緒に、地元の山の奥にある「幽霊屋敷」に集まっていました。


 最寄りのバス停から長いこと歩いて来たのです。


 誰も住んでいないはずなのに夜中に明かりがついていたとか、人玉が飛んでいたとか。そんな話が沢山ある、朽ちてぼろぼろの大きな屋敷です。


 山の上にある湖の他には周囲に何もなく、湖にしたところでそこに何があるわけでもないので訪れる人はほとんどいません。誰も訪れることのない大きなお屋敷はまだ昼間だというのに雰囲気たっぷり。絶好の肝試しスポットでした。


 玄関の扉を開けると、家の中は暗く、長い廊下がどこまでも続いておりました。


 本当は全員が尻込みしていましたが、それを周りに悟られるわけにはいきません。一番勇気が無い男の子なんて不名誉を被るわけには行かないのです。


 探検隊一行は土足のまま上がり込み、暗い廊下をおっかなびっくり進みます。誰かが持ってきた懐中電灯の光の輪に照らされて、いくつもの扉がありました。


 奥へ奥へと進んでいくと、やがて一際大きく立派な扉が見えてきました。まるでそこがゴールだと言わんばかりです。たまたま探検隊の先頭にいた音也少年は、意を決して扉に手をかけました。



 ぎぎぎぎぎ。



 背筋が寒くなるような音を立て、扉は開いていきます。


 そこは広い部屋でした。でも何もありません。当然お化けも現れません。絵本の中で見るような大きなシャンデリアが、ホコリを被って天井からぶら下がっているばかり。


 探検隊は拍子抜け。


 これで探検はおしまいです。終わってしまえば肝試しなんてこんなものさ。


 彼らはそう安堵しました。


 彼らは知りませんでした。探検は目的地についておしまいなのではありません。家に帰るまでが探検なのです。



 ぐん、といきなり、視界が暗くなりました。



 懐中電灯の明かりが急に弱まったのです。電池切れでしょうか? よりにもよってこんな時に。


 懐中電灯担当の少年は、慌てて懐中電灯を振ってみますが明かりは強くなるどころか弱まるばかり。


 ふら、ふら、と明滅を繰り返したのち、すんと消えてしまいました。


 そして。




 うふふふふ。




 女の人の声でした。自分たちしかいないはずの部屋の中に、妖しく笑う声が広がって。


 気のせい?


 いいえそうではありません。だって皆同じように、真っ青な顔をしています。




 うふふふ、うふふふふ。




 もう探検どころではありません。少年たちはわーっと叫び声をあげ、出口へ向かって一目散で逃げていきました。



 たった一人、音也少年を残して。



 音也少年が逃げなかったのは勇敢だったからではありません。むしろその逆。音也はすっかり腰を抜かしてしまっていたのです。


 もうさっきの声は聞こえません。


 でも部屋の中は真っ暗。懐中電灯は逃げた友人たちが持って行ってしまいました。このなかを一人で出口までもどるなんて、そんなこととてもできるわけがありません。


 怖くて怖くて、心細くて、音也少年はうずくまったまま泣き出してしまいました。




「おやおや、一体どうしたのです。こんなところでたった一人で」




 泣きじゃくる少年に、優しい声が掛けられました。


 

 音也が恐る恐る顔を上げてみると、そこにはとても綺麗な女の人が笑みを浮かべていました。


 一体誰でしょう?


 この家の人? たまたま通りがかった人?


 誰だってかまいません。さっきの声もきっとこの人です。


 ああよかった。お化けなどではなかった。


 音也はそう思って、安心しました。




 安心して、しまいました。




 ちょっと考えればわかるのです。


 こんな朽ちた家に人がいるのはおかしいなんてこと。それも藤色の着物姿の絶世の美人だなんて、あるわけがないのです。


 さっきまでの恐怖こそ抱くべき正しい感情。安心するだなんてもっての他。音也はそれに気が付きません。




「お友達に置いて行かれてしまったのですか? あらあらそれは可哀そうに」




 何があったのかを一生懸命説明する音也に、綺麗なお姉さんは優しく諭すようにいいます。




「大変大変。あなたのような可愛い子がこんなところに一人でいては、悪い妖怪に食べられてしまいます」




 うふふ、と女の人は笑います。


 綺麗なお姉さんに、かわいいと言われて音也少年は嬉しくなってしまいます。





「だからそんなことになる前に」





 あれ、と音也は思いました。


 お姉さんは目の前にいるのに、声は別の所から聞こえて来るような。



 そして、目が。



 優しくて綺麗なお姉さんの目が藤色に輝いて。


 艷やかな唇を真っ赤な舌が妖しく舐めて……。






「私が食べてしまおうかしら」






 妖しくも美しいその声は、たしかに少年だった音也のすぐ耳元で聞こえたのでした。




 そのあとのことはよく覚えていません。気が付くと音也少年は一人、町へ向かうバスに乗っていました。


 


 大人になった今ではもう場所もおぼえていません。そもそもあの場所が本当にあったのかどうかすら怪しいくらい。その後探検隊メンバーとも、あの家でのことを話すことはありませんでした。



 本当に、あのぼろぼろの家の中にあんなに長い廊下があったのでしょうか?


 あの家の玄関の鍵は、何故開いていたのでしょうか。


 そもそもあそこに行こうと言い出したのは誰だったのでしょう。


 子供たちだけでバスに乗って、行ったことがない場所で肝試し。


 そんな事ってあるのでしょうか。



 もしかしてあれは、夢?



 そうではない、大人になった今でも音也は思います。

 きっとあれこそ本物の怪異だったのだろうと。



 証拠だってあるのです。



 あの日、音也少年は呪いを受けました。


 呪いによって少年の心と体は、以前とは別の物になってしまいました。


 呪いは大人になった今でも、彼を蝕み続けています。きっと一生解けることはないでしょう。


 本気で悩んだ時期もありましたが、大人になった今はこうも思うのです。



 もしかして、この呪いを受けたことはとても幸せなことだったのではないか、と。




 そうです。世にも恐ろしい事に、この日を境に朽木 音也(くちき おとや)は……






 声フェチになってしまったのでした。





******




 さてそれから二十年ばかりの月日が経ちました。少年だった音也も、いまはすっかり大人となり、保健所の職員を生業としております。


 保健所のお仕事はいろいろですが、その一つに飲食店の管理に関わる業務があります。


 念のため、今日行くお店の名前の確認です。


 資料にある店の名は



 『こくり家』



 となっておりました。

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