山路の決意
「ふあああ、食った食った。満腹だあ」
クロが注いでくれた食後のお茶を飲みながら、山路はさっきのおにぎりを思い出します。美味しいものは食べた後もおいしいもの。
思い出す度に口の中にあの大きなおにぎりの味と食感が蘇ります。
余韻に浸る山路に紅珠が言いました。
「そんなわけで山路よ。改めてお前に頼みがあるのじゃ」
「おいおい紅珠よう。こんな旨えもん食わせてもらったことには感謝するがよ。さっきさんざん言ったじゃねえか。できないものはできないって」
折角のいい気分に水を差されたようで山路は憤慨しました。でも紅珠に悪びれる様子はありません。
「うむ。確かに聞いた。じゃがほんとにできぬか?」
食い下がられたからって確認するまでもありません。そのはずでした。
「んだからよ、そんなこと……。 なんだ? こりゃあいったいどういうことだ?」
山路の身体の奥底。久しく忘れていた力の流れを感じます。
「妖力が戻っている?」
まるで数百年前の、「山路さん」として親しまれたいた頃のよう。
「だからいったじゃろ? 兵太郎が作ったおにぎりは、非時香木実にも劣らぬと」
「嘘だろ? これがあの握り飯の効果だってのか? お前の旦那の兵太郎ってのは一体何者だ?」
驚く山路の質問には直接答えず、紅珠は逆に別のことを聞いてきました。
「のう山路よ。そもそも儂が体を維持し、動き回っているのはおかしいと思わんか?」
言われてみればその通り。
紅珠は山路と同じようにずいぶん昔にその力を失っていました。
生真面目な紅珠は時折起きだしては自然の気の流れでたまった力で山を守っていましたが、それも数年前の大雨の前までの話。
この時の大雨で紅珠はすっかり力を使い果たしてしまいました。消滅してもおかしくなかったのです。
紅珠は数百年前の大嵐の時にも同じことをやらかしています。紅珠が動けない間に里は別の神様を招かざるを得なくなり、結果として紅珠は山の神ということになったのです。
数年前の大雨の時の紅珠のやらかしはこの時以上。豊穣神だったころとは違い、山の神としても忘れ去られてしまっている状態で無茶しまくった紅珠は、存在自体消滅してしまってもおかしくなかったのです。
その紅珠が、どうして平気な顔でうろつきまわっているのでしょう。
「儂はな、もう自分は二度と動くこともかなわんのじゃろうと思っていた。それすら考えてはおらなんだかもしれぬ。あの大雨以前からずっとじゃ。意識はあったが全てがおぼろげで、ただ物の怪どもが運んでくる情報が流れていくのを眺めているだけじゃった。時折起きてはは見まわりをしとったのも、自分の事のような気がせぬ。外側から映画や妖tubeを見ているような感じじゃった」
その感覚に山路にも覚えがあります。足場が崩れて転げ落ちる前の山路も同じようなものでした。周りで何が起きているのか知ることはできます。
でもそれに対して何かすることはできませんし、何かしようとも思わないのです。
「そんな儂のところに一人の若者がやってきた。その男は崩れた祠を立て直し、本体である鏡を磨き上げたのじゃ。お陰で儂は体をとりもどした」
若者がやってきて、見ず知らずの神の祠を建て直し、鏡を磨き上げた? 本当ならば、紅珠が意識を取り戻しても不思議はありません。
でも。
「そんな馬鹿な人間がいるかよ」
かつて神と呼ばれたものを含め、ほとんどの妖怪はその力を失っています。そのことは人間だってよく知っています。祠に祈りをささげても奇跡なんて起きません。
当世の人間は皆、自分のことで手いっぱい。そんな中見返りもなく神だの妖怪だのに気を回すなんて愚か者のすることです。
ああ、でも。
「いるのじゃよ。そんな馬鹿な人間が」
もしそれが本当なら。
「体を作れたといってもそれだけじゃ。ろくに動くこともできんかった。そんな儂に、男は手ずから料理を作ってふるまったのじゃ」
もしそんな愚かな人間が本当に存在するのなら、なんてすばらしいことでしょう。
「その男の作る料理は不思議な光を放っておってな。それを食べて儂は、力を取り戻したというわけじゃ」
その料理のことは山路だってよく知っています。ついさっき、光り輝く不思議なおにぎりを食べたばかりです。
「おいおいおいおい、マジかよそれがお前の旦那の兵太郎なのか? んでそいつがあの握り飯作ったってのかよ」
紅珠はしたり顔で頷きます。
「そういうわけで山路よ。改めてお願いじゃ。道の補強と拡張の件、頼まれてはくれんかの?」
勿論、山路には断るなんて選択肢はありませんでした。
「いいぜいいぜ、引き受けた。やってやるよ。人に見られるとまずいからな。夜中のうちに移動する。若木ちゃんも一緒でいいよな?」
「無論じゃ。具体的な場所はお前に任せるのじゃ」
「おっけー。俺も楽しみになってきたぜ。お前の旦那の兵太郎に会うのがよ」




