木の娘
木の娘は森に住む妖怪です。気に入った人間をその美しい姿で虜にし、伴侶として共に暮らすといわれています。親戚が多く、代表は雪女やつらら女。海外のドライアドやセイレーンも遠縁にあたります。
押しかけ女房系の妖怪とはまた違った、お持ち帰り系のヤンデレな一族です。
この国のとある地方には隠れ里を作って集団で暮らしているそうです。興味があれば探してみて下さい。
でも軽い気持ちで行ってはいけません。ましてや帰ってこれるなんて思わないで下さいね。
なんせヤンデレ集団なので。
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「すまぬの。お前さんからそいつを取り上げようとしたのではないのじゃ。そいつは儂の旧い友人でのう。頼みごとがあってきたのじゃ」
「うむ。なんせお前さんが生まれる前の話じゃからのう」
「そうじゃ。峠を抜ける道が一本だったころはの。多くの旅人がこ奴の所でくつろいどったのじゃ。中には旅の無事を願っておにぎりを捧げる者もおっての」
「もちろんじゃ。なかなかあることではないのじゃ。それだけ慕われ、頼りにされとったのじゃ」
「しかし驚きじゃ。こやつがこんなに若い奥さんを貰っとったとはのう」
「なんと、そうであったか。惚れた弱みというヤツじゃな。お互い苦労するの」
くかかっ、と紅珠は笑います。
木の娘と紅珠が呼ぶモノの声はクロには聞こえません。
でも、紅珠が神様だということは改めて理解しました。それと同時に木の娘に居丈高な態度をとったことを恥ずかしく思いました。
「確かに、お前さんにはそばに転がっているだけで十分なのじゃろうよ。だがそ奴は本来大きな力を持っておるのじゃ」
「そんなことはない。力を取り戻したとて、お前さんを袖にするような奴ではないのじゃ」
「どうじゃ? 自分の旦那の格好良いところ、見てみたくはないか?」
「うむ。それができるのじゃ。儂の旦那様はそれはそれは凄いお人でのう」
そこからは紅珠の兵太郎自慢が延々続きました。散々向こうののろけ話を聞いてあげた後なので、このくらいはいいでしょう。
「おっと、本題を忘れておったな。クロよ。おにぎりを出してくれるか?」
「はい。紅様」
紅珠に言われクロは慌ててリュックからおにぎりを取り出します。紅珠と木の娘の方に差し出すと、木の娘はびっくりしたように枝と根を引きました。
さっきまで紅珠と楽しそうにおしゃべりしていたのが嘘のように、クロを警戒しています。クロは悲しくなってしまいましたが、それは全部クロが悪いのです。
クロだって、もしも紅珠や藤葛がいないときに竜や鬼のような恐ろしい妖怪が現れて、兵太郎を連れて行ってしまったらと思うと怖くて仕方がありません。
クロが木の娘にしたことは、それと同じなのです。
紅珠におにぎりの包みを渡すと、クロは木の娘に向かって頭を下げました。
「木の娘さん、さっきはひどいことを言ってしまいました。ごめんなさい。それと、旦那さんを勝手につれていこうとしてごめんなさい」
感情によって現れるクロのしっぽはへにゃんと垂れ下がり、耳もぺったりくっついてしまっています。
わさわさ、と木の娘が揺れました。まだ警戒されているようですが、謝罪は受け入れてくれたようです。
「そんなわけでこれが我が愛しの旦那様がつくったおにぎりじゃ。ひとつ食べてみてくれんか。それはそれはうまいのじゃぞ」
紅珠が差し出したおにぎりは、古風に竹の皮に包まれていました。兵太郎が裏庭にもさもさ生えている竹の川を剥いで乾燥させたものです。。
「さてクロよ。一度この場を離れるのじゃ。この娘にはまだ体がないからのう。儂らがいては食べられぬのじゃ」
「畏まりました、紅様。木の娘さん、兵太郎のおにぎりは凄いのです。ぜひゆっくり食べて下さい」
紅珠と兵太郎がその場を去ろうとすると、若木がわさわさと揺れました。
「む? なんじゃ?」
若木は大岩からずるずると根っこを離し、寄り添うようにその隣に植わります。
「ふむ、よいのか? ああなるほどのう。それは確かに一緒の方が旨いじゃろうなあ。ふふ、ごちそうさま、というやつじゃの」
若木は恥ずかし気にくねくねと枝を揺らしました。
「ならば予定変更じゃ。この色男、只今この場で呼び覚ますぞ」
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「苔は残しておくかのう。貫禄が出るのじゃ」
「はてこやつ、どっちが上じゃ?」
「くかか、お前さんにもわからぬか。それでは儂にわからんのも道理じゃのう」
若木が見守る中、紅珠とクロが道の神の御神体である大岩を丁寧に磨いていきます。
忘れ去られてから長い月日を経たとはいえ天然の大岩。簡単に朽ちたりはしません。
丁寧に土や泥を落とすと、大岩は見違えるほど立派な姿になりました。これならばご神体として祭られていても何の不思議もありません。
若木も嬉しそうにわさわさと揺れています。
「なかなか男前になったのじゃ。こうなるとやはりしめ縄が欲しいのう。キリっとするのじゃ。しかし妖怪である儂が作っても仕方がない。手を煩わすのは心苦しいが、兵太郎に頼むか」
眠ってしまった神様を起こすには、まずは神様自身に自分が何だったのかを思い出して貰わなくてはいけません。
兵太郎が祠を直し、鏡を磨き上げることで紅珠を神に戻したのと一緒です。
「では、ふて寝の色男を起こすとするか。こういうのは久々じゃ。ちっと緊張するの」
紅珠が懐から金属製の鏡を取り出しました。紅珠の本体である鏡が、美しく磨き上げられた大岩の姿を隈なく映し出します。
「縫霰山の神、紅珠が呼ぶ。己が役目を思い出せ、縫霰峠の道祖神、山路!」




