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愛のカタチ

 濃厚なチョコレートにも負けない芳醇な香りが香りが漂い始めました。


 兵太郎が珈琲を淹れているのです。


 いつもほげーとした顔の兵太郎が見せる引き締まった表情に、奥さんたちと家来は見とれてしまいます。


 こうしてみるとなかなかに男前。ずっとこんな顔をしていれば、人間の女の子にもモテるかもしれないのに。



「いらんいらん、いらんぞ! 人間の女などもってのほかじゃ!」


「賛成ですがお客さんが来ないのは困りますわ」


「……いっそ珈琲をメニューから外すというのはどうじゃろ?」


「カウンターを見えないように覆うという手もありますわ」



 喫茶店という概念を覆しそうな相談を始めた奥さんたち。でも女房心配するほど亭主モテもせず、という言葉があります。一瞬キメ顔を見せたとしても所詮は兵太郎。きっと大丈夫でしょう。


 相手が人間ならね。



 そんな奥さんたちにも気が付かないほどに集中して兵太郎が淹れた珈琲。


 コーヒー橋を既に渡っている藤葛は、早速口をつけました。



 チョコレートの甘みと珈琲の苦みが口の中で溶け合います。



「おいしい……。今朝と少し違いますのね。味が強いというか、複雑というか」


「あ、藤さん凄い。よくわかったねえ。豆を深く炒ってあるんだ。豆の量もこっちの方が多い。朝のはアメリカン、こっちはブレンドっていうんだよ」


「なるほど、これがブレンドコーヒーですか。チョコレートに合います……。あら?」



 ゆっくりと珈琲を味わっていた藤葛が、驚いたように突然目を丸くしました。


 コーヒー橋をまだわたり切っていない紅珠とクロが何事かと見守る中、無言で藤葛はケーキをもう一片口に入れ、それから珈琲を飲みました。



「おいしい! ケーキも珈琲もさらにおいしいですわ!」



 それぞれがそれぞれの為に作られたような一体感。それはもう、チョコレートと珈琲がよく合う、というレベルではありません。


 例えるなら愛。そうこれぞ正に兵太郎と藤葛。



「うふ、うふふふ。これは素敵ですわ」



 自分の思い付きに嬉しくなって笑う藤葛。


 こうなれば紅珠も負けてはいられません。


 今朝よりも濃いという珈琲に、意を決して口を付けました。



「ぬわあっ、苦いの……じゃ?」



 そう、確かに苦いのです。今朝のアメリカン珈琲よりも苦いくらい。


 なのにどうしてでしょう。チョコレートの甘みが残る口の中、珈琲の苦みが嫌ではありません。



 続けてもう一口珈琲を飲んだ後、ケーキを口に入れました。



「旨いっ、甘いのじゃあ!」



 すかさずブレンド珈琲をもう一口。



「ふああ、これはたまらぬ!」



 単に珈琲によって口の中の甘みがリセットするのではありません。


 珈琲の複雑に重なる苦みが、チョコレートの濃厚な甘みを(ほど)き、入り込み、合わさって、新しい形を作り上げる。


 そう例えるなら、これは愛。いやむしろ、兵太郎と紅珠。



「ふふ、ふひゃははは」



 自分の思い付きに、つい嬉しくなって紅珠が笑います。



「お、紅さんも早かったね。珈琲、おいしいでしょ」


「うむ。美味しいのじゃ。苦みは味の一つなのじゃな」



 こうして紅珠も無事、コーヒー橋を渡ったのでした。




 さて最後に残るのはクロです。



 あんな苦い珈琲をもう一度飲むなんて、できればしたくありません。しかも今朝の珈琲より濃いというのです。


 でもそれと同じくらい、この珈琲が飲みたくて仕方ありません。


 飲んだ後に嬉しい気持ちになるのは知っています。それに紅珠と藤葛の幸せそうなあの笑顔。


 どうやらこのケーキには何か仕掛けがあって、珈琲を飲むことでもっとおいしくなるようなのです。


 このケーキは兵太郎がクロの為に作ってくれたのです。


 なのに、その真の凄さをクロがわからないなんて、そんなことがあっていいわけがありません。


 己の忠義を示すため、再びクロは珈琲に挑みました。



「きゅわうん……」



 やっぱり苦い。


 慌てて甘いケーキを口に入れます。


 これこれ。やっぱり苦いのより甘いのが好きです。


 兵太郎がクロの為に作ってくれた、甘くておいしいケーキ。


 でもなぜでしょう。さっきよりもおいしいような?



 恐る恐る、もう一口クロは珈琲を飲みました。



 珈琲の熱が、口の中のチョコレートを溶かしていきます。


 徐々に甘みに変わるはずだったチョコレートが、いっぺんに溶けだして、クロを蹂躙していきます。


 もうひとくち珈琲、それからケーキ。


 珈琲によって熱を持った口の中に、溶け出すチョコレート。春の雪解けと同じ節理が、クロを甘い世界へと押し流していきます。



 ああ、そうか。


 やっとクロにもわかりました。



 珈琲は、チョコレートをおいしく食べるための道具だったのです。二つは互いになくてはならないもの。


 二つの関係を例えるなら主従。むしろ(敬)愛。



「なるほど、チョコレートが兵太郎で、ボクは珈琲だったのですね」


「え、何? どういうこと?」



 兵太郎は意味が分からないというような顔でぽかんとしています。


 でもクロはもうそんなことでは騙されません。だってクロはもう、コーヒー橋を渡ったのですから。



「よくわかんないけど、おいしかったならよかった。ケーキもう一つ食べる?」



 珈琲二口で食べつくされてしまったチョコレートケーキに気が付いて、兵太郎が聞きました。



「食べます! 兵太郎、ケーキも珈琲も、おいしいです!」


「凄いねえクロちゃん。珈琲の世界にようこそ」

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